第101話 貴族街襲撃作戦
深夜。
かつて栄華を極めた帝国首都星。
その地下深く、一般市民の立ち入りが厳重に禁止されている『インフラ管理区画』の換気ダクトの中を、数名の影が音もなく移動していた。
先頭を行くのは、新銀河帝国諜報省大臣、クロエ。
彼女の後ろには、先日バーでスカウトしたばかりの元5等民の男たちが続いている。
「……ヒヒッ、たまらないねぇ」
クロエは暗視ゴーグル越しに、眼下に広がる巨大な施設を見下ろして唇を舐めた。
これから起こることは、地上の貴族たちにとっては地獄のような絶望。
だが、虐げられてきた者たちにとってみれば、これ以上ない極上のエンターテイメントだ。
「ここが出口だ。……静かに降りろよ」
案内役を買って出た男――元配管工のガントが、慣れた手つきでダクトの格子を外す。
彼らは音もなく管理通路へと着地した。
目の前には、無機質な金属の壁と、静脈のように張り巡らされた無数のパイプライン。
そして、行く手を阻むように赤いレーザーセンサーが網の目のように張り巡らされている。
侵入者を感知すれば、即座に警備ドローンが飛来し、ハチの巣にされる厳重なセキュリティシステムだ。
「おいおい、こいつは無理だろ……。アリ一匹通れねぇぞ」
仲間のひとりが尻込みする。
だが、ガントは鼻で笑った。
「安心しろ。この警備システムを設置したのも、俺たち5等民だ。……貴族共は知らねぇだろうが、メンテナンス用の『裏コード』ってのがあんだよ」
ガントは壁際の配電盤を開けると、旧式の端子に自作のデバイスを差し込んだ。
カタカタと数秒操作しただけで、目の前のレーザー網がフッとかき消える。
「へえ、やるじゃない」
クロエが感心したように口笛を吹く。
「俺はここで三十年働いてたんだ。この施設のクセも、サボり方も、抜け道も、全部頭に入ってる。……最後は『人件費削減』とかいう理由でゴミみたいに捨てられたがな」
ガントの声には、深い怨嗟が滲んでいた。
彼は先へ進むよう促した。
「急ごう。中央制御室はこの先だ」
一行は迷路のような通路を突き進み、ついに心臓部である『中央制御室』へと到達した。
そこは、圧倒されるような光景だった。
ドーム状の巨大な空間に、大小様々、何十万ものバルブやハンドルが壁一面、天井、床下に至るまでびっしりと並んでいる。
パイプの中を流れる流体の音が、ごうごうと地鳴りのように響いていた。
「うわぁ……。これ、どれがどれだかサッパリね」
クロエは目を丸くした。
彼女はガントを振り返った。
「で、どのバルブを捻ればいいの?」
ガントは不敵な笑みを浮かべ、迷うことなく巨大な青いハンドルの前へと歩み寄った。
「そこの青い一番大きいのが、第一区画――つまり貴族街専用の『上水バルブ』だ。何重にも濾過された、最高級のミネラルウォーターを送るやつさ」
「なるほどね。まずはそいつを止めるわけか」
「ああ。野郎ども、手伝え!こいつは一人じゃ回らねぇ!」
ガントの号令で、工作員たちが青いハンドルに取り付く。
錆びついた金属が悲鳴を上げ、ギギギ、ギギギ……と重々しい音を立てて回り始める。
「ふんぬぅぅぅッ!!」
男たちの筋肉が隆起する。
彼らの脳裏には、かつて自分たちを見下し、水を飲むことさえ制限してきた貴族たちの顔が浮かんでいた。
その怒りがパワーとなる。
ズンッ。
やがて、ハンドルが完全に止まった。
パイプを流れる水の音が、プツリと途絶える。
これで、貴族区画への綺麗な水の供給は断たれた。
「よし、第一段階完了だ。……だが、これだけじゃただの断水だ。面白くねぇだろ?」
ガントはニヤリと笑い、今度はその隣にある、忌々しいドブのような色をした茶色の巨大バルブを指差した。
「次に、そこの茶色のバルブを全開放しろ」
「えっ?そいつは汚水ラインじゃないのか?」
「そうだ。普段は下水を処理場へ送るためのラインだが……こいつを開けて、さらにバイパス管の逆止弁を壊せばどうなると思う?」
ガントは悪魔のような顔で言った。
「行き場を失った下水がオーバーフローして、水圧のなくなった上水ラインに、大量の汚物が逆流して流れ込むぜ」
「うげっ、最悪!」
クロエは顔をしかめたが、その目は笑っていた。
「最高にクールなアイデアね! やっちゃいなさい!」
男たちは歓声を上げ、茶色のバルブを一気に回した。
ゴボッ、ゴボボボボ……!!
パイプの奥から、何かが激しく逆流する不気味な音が響き渡る。
「仕上げだ。……おい、ビック!出番だぞ!」
ガントが呼ぶと、変電所に勤務していたもう一人の男――ビックが前に出た。
彼は壁面の巨大なブレーカーボックスの前に立つ。
「任せとけ。……センサーが生きてると、汚水逆流を検知して緊急遮断弁が作動しちまう。だから、その前にシステムを殺す」
ビックは配線を何本か引き抜き、ショート寸前の状態にした上で、メインレバーに手をかけた。
「貴族共には、ロマンチックなキャンドルナイトをプレゼントだ。……あとはここのブレーカーを全部落とせば完成だな!」
バチンッ!!
火花が散り、制御室の照明が落ちた。
非常灯の赤い光だけが点滅する中、パイプの中を流れる汚濁の奔流音だけが、不気味に響き渡っていた。
***
一方その頃。
地上の第一区画、貴族街。
そこでは、優雅な夜会が開かれていた。
フライハイト財閥による影響で物資は不足していたが、貴族たちは見栄を張り、裏ルートで手に入れた食材で晩餐を楽しんでいたのだ。
「オホホホ!やはり新帝国の食材は美味ですわねぇ」
「全くだ。クロウごときが作ったものと認めるのは癪だが、舌だけは正直にならざるを得ん」
シャンデリアが輝く大広間で、太った公爵がワイングラスを傾けていた。
その時である。
フッ。
何の前触れもなく、全ての照明が消えた。
「なっ!?なんだ!?」
「停電か!?予備電源はどうした!」
広間は漆黒の闇に包まれた。
女たちの悲鳴が上がる中、公爵は苛立ちながら叫んだ。
「ええい、騒ぐな!すぐに復旧するだろう。……おい、喉が渇いた。水を寄越せ」
彼は手探りでテーブルの上のウォーターピッチャーを探そうとした。
だが、その時。
会場の中央にある、女神像の噴水から、異様な音が聞こえ始めた。
ボコッ……ゴボッ……ブシュゥゥゥゥゥッ!!!
普段は清らかな水を湛えている噴水が、突如として爆発したかのように何かを噴き上げたのだ。
それと同時に、強烈な腐臭――鼻が曲がるようなアンモニアと硫黄の臭いが、部屋中に充満した。
「な、なんだこの臭いは!?」
「きゃあああああッ!!な、何かベトベトしたものがッ!」
暗闇の中で、パニックが加速する。
噴き上がったのは水ではない。
茶色く濁り、固形物が混じった、高濃度の下水だった。
それが天井まで届く勢いで噴出し、シャンデリアにぶつかって、汚物の雨となって貴族たちの上に降り注いだのだ。
「うわあああああッ!!汚いッ!!なんだこれはぁぁぁッ!!」
「儂の最高級シルクのドレスがぁぁッ!!」
「口に入った!オェェェッ!!」
地獄絵図はここだけではなかった。
貴族たちの屋敷中のあらゆる水場――キッチン、洗面所、そしてトイレが、逆流の圧力に耐えきれず一斉に爆発したのだ。
黄金で作られた便器からは汚水が噴水のように吹き上がり、優雅なバスルームは茶色い沼へと変貌した。
最新鋭のウォシュレットを使っていた不運な伯爵に至っては、高圧洗浄ノズルから発射された汚水を顔面に直撃され、気絶して汚物の海に沈んだという。
「なんだ!!下水が止まらん!!!」
「臭すぎる!!!糞尿がワシの家中に飛び散った!!!」
「電気もつかない!!!暗すぎる!!!誰か、誰か助けてくれぇぇぇッ!!」
暗闇の中で糞尿まみれになり、滑って転び、互いにぶつかり合う貴族たち。
彼らのプライドも、権威も、全ては汚物と共に流れ去った。
***
地上の惨状を、遠く離れた下層区画の通気口から眺める者たちがいた。
クロエと、ガントたちだ。
彼らは夜風に乗って微かに漂ってくる悪臭と、貴族街の方角から聞こえる遠い悲鳴を聞きながら、腹を抱えて笑っていた。
「貴族の屋敷から、茶色い水が滝みたいに溢れ出してやがった!」
「ざまぁみろ!俺たちが味わってきた屈辱の一割もねぇぞ!」
互いに肩を叩き合い、涙を流して笑った。
それは彼らが生まれて初めて味わう、明確な「勝利」の味だった。
「よくやったわね、みんな」
クロエは満足げに頷き、彼らに向かってウィンクをした。
「君たちの活躍は、ちゃんと陛下に報告しておくわ。……さあ、ずらかるわよ。臭いがこっちまで来たら最悪だもの」
「へい!姉御!」
「どこまでもついて行きやす!」
クロエ達の嫌がらせは大成功だった。
この事件は後に『茶色の悲劇』として帝国の歴史に刻まれることになるが、犯人が捕まることは永遠になかった。
クロエと協力した男たちは、闇夜に紛れ、再び下層区画の迷宮へと消えていった。
だが、その足取りは来る時よりもずっと軽く、誇りに満ちていた。
彼らはもう、ただの虐げられた民ではない。




