第100話 クロエの任務
数ヶ月後。
かつて「銀河の心臓」と謳われた栄光の都、帝国首都星は、見るも無惨な姿へと変わり果てていた。
その変化は、緩やかな衰退などという生易しいものではなかった。
フライハイト家による「無制限TOB(株式公開買付)」と、それに続く「資産の完全引き上げ」は、この星の経済活動を物理的に消滅させたのだ。
かつて一流企業の本社ビルが軒を連ね、昼夜を問わずエアカーが行き交っていた第一区画。
今、そこにあるのは、墓標のように立ち尽くす空っぽの摩天楼群だけだ。
インペリアル・インダストリー、ロイヤル・フーズ、ギャラクシー・エナジー……。
煌びやかだったホログラム看板はすべて消灯し、割れた窓ガラスを吹き抜ける風が、ヒョウヒョウと寒々しい音を立てている。
ビルの中身――オフィス機器、データサーバー、そしてそこで働いていた人々――は、全て新帝国へと移り去った。
残っているのは、プライドだけが高い法衣貴族の役人がしがみつく官庁街と、薄暗い皇宮だけ。
街からは「音」と「光」が消え、まるで巨大な廃墟のテーマパークのようだった。
だが、そんな死に絶えた上層区画とは対照的に、地下深くに広がる下層区画には、まだ生温かい人の息吹があった。
ただしそれは、希望に満ちたものではなく、泥のような絶望が煮詰まった空気だったが。
下層区画の一角にある、薄汚れたバー『錆びた歯車』。
安酒のツンとする臭いが充満する店内で、数人の男たちがグラスを傾けていた。
彼らは全員、首に無骨な金属製のチョーカーを嵌められている。
それは彼らが「5等民」――旧帝国における最下層労働者、事実上の奴隷であることを示す焼印であり、同時に逃亡を防ぐための枷でもあった。
「……ケッ、ざまぁねぇな」
油まみれの作業着を着た男が、ホログラムニュースを見上げながら悪態をついた。
画面には、食料を求めて暴動を起こす貧乏貴族たちの姿が映し出されている。
かつては彼ら労働者を虫ケラのように見ていた連中が、今や見る影もなく薄汚れている。
「クロウ陛下のおかげで、貴族サマたちも困り果ててやがるぜ。昨日なんか、ベルナー男爵とかいう奴が、俺たちの居住区のゴミ箱を漁ってやがった」
「傑作だな。俺らをこき使うゴミがどうなろうと知った事じゃないけどな」
向かいに座る別の労働者が、安い合成酒を煽って下卑た笑い声を上げた。
彼らにとって、帝国の没落は最高の娯楽だった。
だが、3人目の男――まだ若い労働者が、溜息交じりに呟いた。
「笑い事じゃねぇよ。……貴族が没落するのはいいが、俺たちの生活も限界だ。配給は止まったままだし、仕事もねぇ。このままじゃ飢え死にだ」
彼はグラスを見つめ、遠い憧れを口にした。
「俺も……新帝国に行きてぇな……」
その言葉に、場が静まり返る。
それは、ここにいる全員が抱いている、しかし口に出してはならない叶わぬ夢だった。
「噂じゃ、あそこなら5等民でも一流の教育を受けられるらしいし、毎日『有機食品』も食えるんだぜ! 合成ペーストじゃなくて、本物の肉や野菜をな!」
「バカ野郎、声がデカいぞ」
年配の労働者が慌てて制止する。
「行けるもんなら、とっくに行ってるさ。だがよ……」
男は自分の首を、金属のチョーカーを指先で弾いた。
カキン、と硬質な音が鳴る。
「俺たち5等民には、こいつ――『爆発首輪』が付いてる。指定区域から一歩でも出ようとすれば、センサーが反応してドカンだ。……5等民の技術者や熟練工は、新帝国が身請けして引き抜いてくれたが、俺たちみたいな単純労働者は置き去りだ」
資産価値の低い5等民は、いまだに物理的な鎖で繋ぎ止められていたのだ。
彼らは飼い主のいなくなった檻の中で、ただ餓死を待つしかなかった。
「クソッ……!なんで俺たちだけ……!」
若い男がテーブルを拳で叩いた、その時だった。
カラン、カラン。
入口のドアベルが鳴り、一人の「異物」が入ってきた。
この吹き溜まりには似つかわしくない、質の良いフード付きコートを纏った女性だ。
彼女は男たちの視線を意に介さず、カウンターではなく、彼らのテーブルへと真っ直ぐに歩み寄ってきた。
「――何あんたら、新帝国に行きたいの?」
フードの下から覗く唇が、悪戯っぽく微笑む。
労働者たちは警戒心を露わにした。
「……誰だ、あんた。貴族の回し者か?」
「まさか。あんな貧乏人たちと一緒にしないで」
女は勝手に空いていた椅子を引き寄せ、男たちの輪に入り込んだ。
そして、テーブルの中央に、コトリと小さなボトルを置いた。
それは、彼らが見たこともないほど透明度の高い、琥珀色の液体が入った酒瓶だった。
「これは……?」
「新帝国の蒸留所で作られた、最高級のウィスキー。……奢ってあげる」
彼女の言葉に、男たちは生唾を飲み込んだ。
新帝国。
その単語だけで、魔法のような響きがある。
「あ、あんた……もしかして……」
「話を聞いていたわ。……行きたいんでしょ?自由の国へ」
女は試すような視線を送る。
「ああ、行けるもんならとっくに行ってる!だけどよ、言ったろ?俺たちにはこの首輪が……」
「なら、お安い御用ね」
女はこともなげに言った。
「外してあげるよ、それ」
「は……?」
男たちが呆気にとられている間に、女はスッと手を伸ばした。
ターゲットは、一番若い労働者の首輪だ。
「お、おい!やめろ!触ると起爆装置が……!」
男がパニックになって叫ぶが、彼女は「じっとしてて」と短く命じた。
その手つきは、まるで手品師のように洗練されていた。
彼女は懐から、ペン型の奇妙なデバイスを取り出し、首輪のセンサー部分にかざした。
ピ、ピ、ピ……ピーッ。
電子音が一度だけ鳴る。
次の瞬間。
カシャッ。
重々しいロック音が解除され、首輪がパカリと二つに割れて床に落ちた。
「――え?」
男は自分の首を触った。
ない。
生まれた時から、ずっとそこにあった冷たい金属の感触がない。
「う、うそだろ……?これ、解除コードは軍のメインコンピューターと連動してるはずじゃ……」
「軍のセキュリティなんて、今の私のボスにかかればザルも同然よ」
女はウィンクをして、残りの男たちの首輪も次々と解除していった。
カシャッ、カシャッ、カシャッ。
わずか数十秒。
バーの中は、信じられないという沈黙と、爆発的な歓喜に包まれた。
「外れた……!外れたぞ!!」
「俺は……自由だ!!」
男たちは涙を流して抱き合った。
そして、命の恩人である女に向き直り、床に額をこすりつける勢いで平伏した。
「あんた……一体何者なんだ!?ただの人間じゃねぇ!女神か何かか!?」
「女神?ふふ、嬉しいこと言ってくれるじゃない」
女はフードを脱ぎ捨てた。
現れたのは、ショートカットの髪を揺らす、勝気で美しい女性――新銀河帝国諜報省大臣、クロエだった。
「私はクロエよ!新銀河帝国で働いているの。……あなたみたいな人を新帝国に亡命させるのが、今の私たちの仕事」
「新帝国の……工作員!?」
「人聞きが悪いわね。これでも立派な『大臣』なのよ?」
クロエはニッと笑い、琥珀色のウィスキーをグラスに注いだ。
「クロウ陛下はね、あなたたちを見捨ててなんかいない。ただ、真っ当な手段で引き抜こうとすると、殺されかねないからね。こうして私が、裏口を開けに来たってわけ」
彼女は酒を一気に煽ると、ドンとグラスを置いた。
「さあ、首輪はなくなった。逃げる準備はできてる。……でも、ただ逃げるだけじゃつまらないと思わない?」
「え……?」
「あとは、旧帝国の貴族どもへの『嫌がらせ』もね♡」
クロエの瞳が、怪しく、そして楽しげに輝いた。
「この国はもう死に体よ。でも、まだ腐った権力が残ってる。……あなたたち、悔しくない?今まで散々こき使われて、最後はゴミのように捨てられようとしたのよ?」
男たちの目に、暗い炎が宿った。
悔しいに決まっている。
恨んでいないわけがない。
今まで反抗できなかったのは、力がなかったからだ。
首輪があったからだ。
「俺も……貴族どもには恨みがある。親父も、お袋も、過労で死んだ。奴らに殺されたようなもんだ!」
「俺だってそうだ!あいつら、俺の妹を……!」
「なんだかよくわからないが、気に入った!あんたについていけば、あいつらに一泡吹かせられるんだな!?」
労働者の一人が叫んだ。
「仲間にしてくれ!俺たちにできることなら、なんだってやる!」
その言葉を待っていた。
クロエは満足げに頷き、手を差し出した。
「なら、同志として迎え入れましょう!ようこそ、新銀河帝国諜報省直属、対外特殊工作部隊へ!」
ガッチリと握手が交わされる。
その手は油まみれで汚れていたが、クロエは全く気にしなかった。
この手こそが、国を動かす力だと知っているからだ。
「手始めに、ここから一番近い変電所をダウンさせましょうか。貴族街の電気を止めて、あいつらの高級ディナーを台無しにしてやるのよ」
「へへッ、そいつはいい!俺、あそこの配線図なら頭に入ってます!」
「私は水路の管理をしていました。貴族街の下水を逆流させることも可能ですぜ?」
「最高ね!採用!」
バー『錆びた歯車』は、一夜にして革命のアジトへと変わった。
クロエが持ち込んだのは、自由だけではない。
最新の通信機器、工作ツール、そして何より「誇り」を持ち込んだのだ。
こうして、クロエは旧帝国内で着実に諜報網を広げつつあった。
見捨てられた人々を束ね、蜘蛛の巣のように張り巡らされた地下組織。
それは、既に死にかけている旧帝国にとって、トドメを刺すための猛毒となっていった。
誰もいない第一区画のビルの屋上で、夜風に吹かれながらクロエは呟く。
「待ってなさいよ、アーデルハイト。……あなたの足元、もう崩れかけてるわよ」
彼女の背後には、闇に紛れて動く無数の「影」があった。
かつての奴隷たちが、今や最強のレジスタンスとなり、新帝国の影の軍隊として牙を研いでいた。




