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グラクラ(Glavity:Craft) ―壊れた世界でも、俺は作り続ける―  作者: はちねろ


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第64話 吊られる前の空間

梁の下に、まだ誰も眠っていない高さだけが残っていた。

 洞窟の朝は、少しだけ音が減っていた。

 足を運んでも、床が鳴らない。


 丸太は、もう“積まれている”重さをしていた。


 レオは通路を歩きながら、無意識に天井を見上げる。

 昨日までなかった影が、梁の位置に残っている。


「……増えたな」


 独り言に近い声だった。


 カリームが壁際でストラップをほどきながら、視線だけで返す。

「支点な。四点じゃ足りねぇってクレールが言ってた」


 クレールは端末を閉じたまま、梁と梁の間隔を目で追っている。

「床は安定したわ。

 だから次は“上”を試せる」


 優司は何も言わず、結束点のひとつに手を伸ばす。

 引き、戻し、角度だけを直す。


 木が、低く鳴った。


 レオがその音を拾い、口の端を上げる。

「床が決まれば、次は上だろ」

 カリームが続ける。

「いつまでも地べたじゃ、身体も持たねぇ」


 クレールは視線を梁から外さずに言った。

「この幅なら、格子が組める。

 板じゃなくて……網のほう」


 レオが足を止める。

「網、って……寝るやつ?」


「正確には“吊るす床”ね」

 クレールは言い直すように続けた。

「張って、体重を預ける。

 板より軽くて、揺れで衝撃も逃がせる」


 カリームが束ねたストラップを持ち上げる。

「ロケットの繊維だ。

 アスレチックのネットというか……ハンモックみてぇなもんだが、

 もっと広く張る」


 優司は結束点に手を伸ばし、もう一度だけ引いた。

 力を抜き、角度を変える。


 木が、もう一度低く鳴る。


「……低めからだな」

 レオが言う。

「落ちても、笑って済む高さで」


「試すだけだ」

 カリームも頷く。

「今日は“寝る”じゃなくて、“張れるか”を見る」


 エルナが壁に手を当て、空気を測る。

「……張れば、呼吸の差が出る。

 上と下、どれくらい変わるか」


 その一言で、全員の視線が自然と梁の下へ集まった。


 まだ、何も張られていない。

 けれど――

 そこにはもう、“吊られる前提の空間”が出来ていた。



 それから、しばらく音だけが続いた。


 引く音。

 擦れる音。

 張り直すたび、同じ場所で一度だけ止まる手。


 会話は減り、

 代わりに、動きが揃っていった。


 床に広がっていたストラップは、

 いつの間にか“面”になっている。


 優司が手を置き、

 一度だけ、体重を預ける。


 沈みはある。

 だが、抜けない。


 レオがその様子を見て、短く言った。

「……張れるな、これ」


 カリームは答えず、

 端を一度だけ引き直した。


 少しだけ、音が変わる。


 編み終わった、とは誰も言わなかった。

 けれど――

 吊る前の準備が終わったことだけは、全員が分かっていた。


 ロケットのストラップが床に落ちる音は、布よりも低かった。

 軽いのに、芯がある。


 カリームがそれを両手で広げ、梁の位置を目で測る。

 引く前に、一度だけ息を止めた。


「……この間隔なら、逃がせるな」


 レオが反対側に回り込み、フックの角度を覗き込む。

「揺れたら、どっちに逃がす?」


「左右」

 カリームは即答する。

「下に落とすと、床が鳴る」


 クレールが少し離れた位置から、全体を見る。

「格子は細かすぎないほうがいい。

 身体が“沈む”余地を残して」


 優司は返事をせず、ストラップの端を受け取る。

 指先で一度だけ撫で、繊維の向きを確かめた。


 そのまま、梁に回す。

 引き、止め、締めすぎない。


 ストラップが張られ、

 空気が、ほんの少しだけ動いた。


 レオが眉を上げる。

「……張っただけで、音変わったな」


 床に立っていてもわかる。

 足元ではなく、上で“受けている”感じがある。


 カリームが体重をかける前に、手で一度だけ押した。

 網が、ゆっくり沈み、戻る。


「反発は……悪くねぇ」


 クレールが端末を見ずに言う。

「揺れの周期も長い。

 一気に返ってこないのは、寝床向きね」


 エルナは少し離れた位置で、視線を上げ下げする。

 網の下、床の高さ、呼吸の位置。


「……空気は、まだ大丈夫。

 でも、上に人が乗れば変わる」


 レオが軽く手を上げる。

「じゃ、試すか」


 カリームが一瞬だけ優司を見る。

 優司は頷かず、止めもしない。


 カリームはそのまま、

 片膝を乗せた。


 網が、静かに沈む。


 ――揺れは、小さい。


 レオが思わず息を吐く。

「……思ったより、安定してんな」


 カリームは体重を半分だけ預け、様子を見る。

 顔色は変えないが、肩の力が抜けた。


「……いける。

 少なくとも、落ちる感じはねぇ」


 そのときだった。


 優司が、ほんの一瞬だけ、視線を外した。



 カリームは、ゆっくりと膝を引いた。

 網の戻りを待ち、反動が消えたところで足を下ろす。


 床は鳴らなかった。


 それを見て、レオが肩を回す。

「じゃあ、次は……」


 言いかけて、途中で止める。


 視線が、網から外れた。


 優司が、結束点のひとつに手を伸ばしている。

 さっき直したはずの角度だ。


 引く。

 止める。

 もう一度、引く。


 動きは、正確だった。

 だが、ほんの一瞬だけ——間があった。


 優司は、そのまま角度を整え、手を離す。


 木が鳴る。

 さっきと同じ、低い音。


「……もう一箇所、張り直すか」

 カリームが言った。


 クレールは端末を閉じ、全体を見回す。

「位置は悪くない。

 でも、負荷がかかった時の逃げが、まだ読めない」


「揺らしてみるか」

 レオが言う。


 カリームが頷き、今度は両手で網を押した。

 強くはない。

 だが、さっきより深い。


 網が沈み、戻る。


 揺れは、まだ小さい。


「……問題ねぇな」

 カリームが言う。


 優司は返事をしない。

 網ではなく、梁の奥を見る。


 視線が、一瞬だけ泳いだ。


 それでも、すぐに戻る。

 何事もなかったように、工具を持ち替えた。


 レオは、足元を見る。

 床。

 影。

 揺れ。


 どれも、正常だ。


「今日は、ここまででもいいかもな」

 軽い調子で言った。


 クレールが小さく頷く。

「初日は十分。

 張り具合も、空気も、ログは取れた」


 エルナは網の下を一度だけ歩き、立ち止まる。

「……呼吸、乱れてない。

 全員、まだ余裕はある」


 その「全員」という言葉の中に、

 誰も違和感を見つけなかった。


 優司は、最後にもう一度だけ、結束点へ手を伸ばす。


 触れる。

 離す。


 その動きが、ほんの少しだけ遅れた。


 誰も、声を出さない。


 ただ、

 洞窟の奥で、網が小さく揺れたまま、止まった。



 片づけが始まっても、

 ミナは、その場を離れなかった。


 網の下。

 梁の影が、床に濃く落ちる位置。


 人の動線から、半歩だけ外れた場所。


 カリームが腰を伸ばし、

 背骨を鳴らす。

「今日はここまでだな」


 レオが一歩、距離を取る。

 作業の輪が、ほどける。


 その瞬間――


 優司の身体が、

 ほんのわずかに、前へ流れた。


 倒れるほどじゃない。

 足も、滑っていない。


 ただ、

 支えが一拍、遅れただけ。


 ミナが動く。


 床を蹴る音は、しない。

 腕が伸び、

 服の端を掴む。


 強くはない。

 引きもしない。


 体重が、崩れ切る前で――

 止める。


 優司の足裏が床を捉え、

 重心が戻る。


 遅れて、

 空気が揺れた。


「……おい」

 レオが息を吸う。


 カリームが半歩、詰める。

「大丈夫か?」


 優司は一度だけ、

 足元を見る。


 それから、短く。

「……問題ない」


 ミナは、手を離さない。


 掴んだまま、

 少しだけ距離を詰めている。


 エルナが来る。


 網の下を抜け、

 迷いのない歩幅で前に出る。


「立って」


 優司は従う。

 指示に、余白はない。


 手首に触れる指。

 脈。

 皮膚の温度。


 呼吸が、ひとつ。


 数秒。


「……疲労ね」

 淡々と。

「溜まってた」


「無理させたか」

 レオが低く言う。


「違う」

 即答。

「だから、今出ただけ」


 エルナは、ミナを見る。


 掴んだ手。

 立ち位置。

 止めた距離。


 一瞬だけ、

 口元が緩む。


「……よく見てたわね」


 そう言ってから、

 エルナは一度だけ、ミナの目を見る。


 口元が、ほんの一度だけ、また緩んだ。

 すぐに戻る。

 いつもの、測るような視線に。


「止め方も、判断も……

 間違ってなかった」


 言い切る前に、わずかに間があった。


 エルナは何事もなかったように視線を外し、

 端末に目を落とす。


 けれど、

 ミナとの距離だけは、さっきより少し近かった。


 ミナは、返事ができなかった。

 ただ、頷く。


 胸の奥が、少しだけ熱くなったからだ。


 そのまま、作業は終わった。


 誰も、もう網には触れない。

 梁も、結束点も、そのままだ。


 吊られた空間だけが、

 洞窟の中に残っている。


 ミナは、網の下に立ったまま動かない。


 上には、まだ誰もいない。

 けれど、そこは

 人が乗る高さをしていた。


 ミナは一度だけ、息を吸う。


 胸の奥に残っていたものが、

 呼吸に合わせて、少しずつ引いていく。


 掴んでいた指を見る。

 そのまま、軽く握り直す。


 ──離さなかった。


 それだけが、残った。


 通路の奥で、

 足音がひとつ、止まる。


 エルナは振り返らない。

 歩幅だけが、ほんの一拍、ずれる。


 すぐに、元に戻る。


 ミナは気づかない。


 網の下で、

 影が揺れている。


 梁の影が、

 床の上で、少しだけ形を変えた。

網は張れた。けれど、支えるほうの遅れは、今日が初めてだった。


……ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

もし続きを読んでみたいと思っていただけたなら、

星をそっと置いてもらえると、うれしいです。


……たったひとつでも、背中を押されるような気がするのです。


【整備ログ No.043】

吊床(繊維ストラップ格子)の初期張りを実施。荷重試験にて反発と揺れ周期の安定を確認。

同時に、作業者フジサキユウキに一瞬の姿勢遅延を記録。周囲は違和感として処理し、明確な共有は行われず。

観測対象“ミナ”が転倒未満の崩れを即時補助し、行動優先の判断を示した。

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