第22話 命火の轍にて
踏み出すたび、命は削れていく。
けれど、灯すことでしか前へは進めない
作業場の空気は、前日までとは少し違っていた。
夜の冷気がまだ床に残る時間帯──カリームは一本の金属支柱を肩に担ぎ、外部通路をゆっくりと歩いていた。地に触れた足音は重く、鉄板を打つたびに、わずかに軋んだ。
ロケット脇の広場には、すでにフレームらしきものが組み上がりつつあった。仮組みされたそれは、簡素な台車の骨組みに過ぎなかったが、整然と配置された接合部や支柱の角度から、彼の手の正確さがにじんでいた。
カリームは、支柱を一本、静かに置くと、周囲を見渡す。
そして、気づく。
そこに、既に誰かがいたことに。
「……お前、もう来てたのか」
声をかけた先で、レオが小さく笑った。
彼はしゃがみこんで、タイヤユニットの残骸を並べていた。
「昨日、寝ながら考えたんだよ。地面、柔らかすぎるし、摩擦でバテる。背負うより、運ぶ方が絶対いい。だから台車。お前がやりたいって言ってたろ?」
「おう」
カリームは短く返し、すぐに作業へと向き直った。
そこに、わずかに風が吹き込む。ロケットの影から、もうひとつの気配が現れた。
歩みは静かだったが、靴音は正確だった。足音のリズムが寸分の狂いもなく、金属板の継ぎ目すら読み取っているような気配。
現れたのは──エルナだった。
何も言わず、既に組み上がった骨組みを一瞥する。
そして、手元の端末を開くと、淡々とした声で言った。
「車軸部分、荷重に対して左右非対称。傾く。数値、出てる」
「マジか……」
レオが苦笑まじりに目をすがめ、端末を覗き込む。
そこに表示された解析値を見て、カリームが「なるほどな」と唸った。
「重心がズレる前に、下にもう一本、補強か?」
「賛成。横倒し対策にもなる」
やりとりは少ない。だが、話が早い。
三人の間に、目に見えない作業の地図が立ち上がっていくようだった。
その光景を──
遠く、ロケットの入口から、ひとつの視線が見つめていた。
毛布に包まれた少女は、身を起こすことなく、じっとそれを見ていた。
言葉も、表情もなかった。ただ、まぶたの奥で、どこか“懐かしさ”にも似た感覚が、かすかに揺れていた。
──作っている。
そう感じ取ったのは、目の前の物体ではない。
人の動きと、空気の流れ、道具と道具のぶつかる音。
まるで、それだけで“何かが生まれている”と、彼女は理解しているようだった。
静かな朝だった。
でも、そこには確かに「動き出す気配」があった。
がらんとしたロケット外壁の脇で、解体された旧設備の残骸が整然と並べられていた。カリームが金属シャフトを一本持ち上げ、関節のように動く接合部を慎重に観察する。
「……こいつはダメか。摩耗、ひどすぎるな」
脇で工具を手にしていたレオが、ふいに指を止めた。
「……やっぱ、重いな」
レオは荷台の取っ手を両手で持ち上げながら、わずかに顔をしかめた。
坂道の途中、微妙な傾斜に足を取られつつも、荷台は何とか動く。だが、その“何とか”の負荷が積み重なれば、長距離の運搬は現実的ではない。
「カリーム、いったん止めよう」
声をかけると、前方で引っ張っていたカリームがうなずき、ぬかるんだ地面にブーツをめり込ませて踏ん張った。
「……引けない重さじゃないけど、毎回これやるのは骨が折れるな」
「だな。タイヤの転がりだけじゃ限界がある。特にここの地面じゃ滑りが悪すぎる」
荷台の下に敷いた木材も、湿った土にすぐ沈む。少し動かしては、持ち上げ、押し直す。その繰り返し。
息をつきながら、レオは荷台の構造を改めて見渡した。タイヤはまだ使えるが、地面との摩擦が大きすぎる。何か、別の力を加える工夫が必要だ。
──そこで、ふと脳裏に浮かんだ。
「力を分散させる方法」──それは、訓練時に耳にしたあの単語だった。
「……滑車、か?」
レオはつぶやきながら、周囲を見渡した。
ロケットの残骸の中に、フック状の金属パーツがいくつか転がっている。
天井パネルに使われていた吊り下げ用の滑車。小さなベアリングが嵌め込まれたその構造を見て、レオの脳裏に図が浮かぶ。
「もし、これを側面に取り付けて、ロープを横から引けるようにすれば……」
「なんだ? レオ」
カリームが不思議そうに眉を上げる。マリアも無言のまま視線を向けてくる。
「いや、ちょっとな……。滑車って知ってるか? あの、重いもんを軽く持ち上げるやつ。なんかこう……力を分散させて、少ない力で動かせるやつだよ」
「……重さを、分ける?」
「うん。たとえば、ロープを一回引くだけで、こっちの力が二倍になるみたいな……」
そう言いながら、レオは地面に指で図を描いた。荷台の側面に滑車を取りつけ、そこにロープを通す構造だ。
「これを横から引けば、今みたいに前後の摩擦だけじゃなくて、ちょっと浮かせた状態で移動できるかもしれない。多分、そっちのほうがずっと楽になる……」
カリームとマリアが、その図と部品を交互に見つめる。だが確信には至らない。
レオ自身も“思いつき”の域を出ていないことを自覚していた。
──ならば、確かめるしかない。あの男に。
レオは立ち上がり、拠点へ視線を向ける。
工具の音が微かに響いていた。いつも通り、何も言わず、何かを作っている音。
「ちょっと、聞いてくる」
言い残して、レオは軽く走り出した。
ロケット残骸の影に屈むようにして、端末を覗き込んでいた優司の背中が見える。
「なあ、優司。……ひとつ、聞きたいんだけど」
彼は振り返らなかった。手元の端末を操作しながら、微かに顎を動かす──“話せ”という無言の合図。
「滑車ってさ。ロケットの中にあったろ? あれ、荷台に使えるかもしれないって思って。横から引く形にすれば、動きが軽くなるんじゃないかなって……たしか、そういう原理だったよな?」
言いながら、レオは隣にしゃがみ込む。
優司は短く端末を見つめたあと、静かにひと言だけ返す。
「……理屈は通る」
それだけで、レオの顔が明るくなる。やはり自分の直感は外れていなかった。
だが優司は、すぐに顔を上げなかった。画面をひと通り確認し終えてから、静かに立ち上がる。
「パーツは一部流用できる。ベアリングも再利用可能。だが、摩擦熱と固定強度の調整は必要」
その言葉を聞いた瞬間、レオは確信した。
──このアイデアは、実現できる。
「……やろう。荷台を、生かすために」
優司から構造案を聞き出すと、レオはすぐさま仲間のもとへ戻った。口早に「滑車でいけそうだ」と伝えると、カリームとエルナが同時に振り向いた。
「──よし、ここからは現地調達でいく。滑車ってのは、組み方と素材でどうにでもなるらしい」
その表情は、久々に“前を見る者”の顔だった。
「……マジか?」
カリームが眉を上げる。レオは頷きながら、地面に端末を置き、簡単なスケッチを指先で描いていく。
「こうだ。台車に固定した支柱に滑車を取りつけて、ロープを横に引く。ロケットにアンカーを打って、そこを軸にして回すように引けば、摩擦を最小限にして荷物を動かせる。真下じゃなく、横に──円を描くように、だ」
「まず、滑らせる輪。樹脂製の配線リールか、ドラム状の何か……。タイヤのホイールでも応用できそうだな。回転軸にして使えれば、力は逃げる」
「金属はどうする? 軸にできるもん、あるのか」
カリームがパーツの山を眺めながら訊いた。レオは顎でロケットの足元を示す。
「着地脚の補強ジョイント、一本分は死んでる。あれ、切り出せばそこそこ丈夫な棒になる。あとは、滑りを良くするための輪だ。……エルナ、構造図で似た形のパーツ見てなかった?」
無言でうなずいたエルナが、端末を開いて数秒──
「内部巻取りのためのケーブルドラム。小型のものが左右に。直径約三十センチ。素材はアルミニウムとシリコン系樹脂。耐熱処理済み」
「なるほど……軸になる支点があれば、腕力じゃなく引き方で制御できる」とエルナが静かに呟く。
「実際に動かすのは体力組の仕事だろうが、コツを掴めば軽い荷物なら一人でも引ける。問題は──素材」
レオはそう言って立ち上がった。
「じゃあ──」
レオが即座に立ち上がった。
「やるぞ。骨でも鉄でも、使えるもんは全部試す。この惑星がどんな場所でも、俺らが動けなきゃ、前に進まねぇんだからな」
その言葉が、空気を動かした。
「よし、材料は、ロケットの廃材でなんとかなるって、優司が言ってた。やるぞ」
彼の声に、少しだけ空気が軽くなった。探索の号令ではなく、目的を共有する声。カリームが口角を持ち上げた。
「滑車って……回るとこがいるよな? 軸受けとか。金属で、丸くて、削れに強いやつ」
「ジャイロ装置の回転基部が使えそう」とエルナが即答する。「制御用の小型ユニットは既に電源を落としてる。部品を流用できる」
「回転軸、支持アーム、フレーム補強材……機体後部の冷却ユニットに、ある」
「じゃあ、俺がバラす。カリームはロープになるもん見てくれ。」
「了解。」
三人はすぐに動き出した。仲間が動けば、空気が流れる。
それを、ロケット内部からひとつの視線が見つめていた。
少女──可憐な異形の耳を、まだ毛布に隠したまま、壁際に座っていた。作業のざわめきに合わせて、耳が小さく動く。
誰も彼女に声はかけない。ただ、通りすがりに水を置き、毛布をかけ直す者がいた。それだけで十分だった。
彼女の目が、ちらりとレオの背中を追う。何かを見つけたかのように、わずかに瞬きが増える。
廃材置き場と化したロケットの一角。
かつて内部配線を通していた束線ケーブルが、焼け焦げた被膜をぶら下げたまま垂れている。足元には、断熱処理の剥がれた金属管や、気密フレームの破断部品、セラミック片――本来なら修理不能とされる部品たちが、無造作に積み上げられていた。
カリームが、その中から一束のスチールワイヤーを引きずり出す。
「……こいつ、まだいける。撚りは緩んでるけど、引っ張れば固定は利く」
被膜を手で裂きながら、端を指先で撚り直す。軽くテンションをかけると、芯材がぎしりと鳴いた。
「ただ、これじゃ張力が足りねぇな……」
彼はロープの端を手にしたまま、辺りをぐるりと見渡す。そして、ふと何かを思い出したように顔を上げた。
「……あった。射出装置のバネ部、緊急切離し用のリール。引き戻し機構がそのまま使えそうだ」
足を止めたのは、かつて緊急脱出用に使われた巻き取り式のリール機構だった。自動回収用のスプリングが内蔵されており、通常ならパラシュート系統と連動していたはずだ。
「これをテンション調整に使えば……重さが乗ったとき、自然に引き戻してくれる。……ああ、これならいける。」
言いながらも、カリームはその仕組みを頭の中で分解し、再構成している。力の流れ、部品の動き、摩擦係数――彼なりの感覚で、確かめるようにワイヤーを巻き取り、仮止めする。
ロープを、滑車を、荷台を、誰かが形にしていくたびに、重さは分け合えるものになる。
それが、この惑星で得られる数少ない“希望”というやつかもしれなかった。
レオが最後の固定具を締め終えると、台車は、まるで息を潜めるように沈黙した。
鉄材とロープを組み合わせた簡易なフレームの上に、滑車が静かに並ぶ。重量を分散するための底板には、ロケット残骸の平鋼板が再利用されており、表面には作業痕が走っていた。どこか無骨だが、理に適った設計だった。
「──よし」
カリームが腰を上げ、両手でハンドルを持ち上げる。
少し力を込めると、台車は静かに地面を滑り出す。音はほとんどない。滑車の効果か、あれだけ積んだ試作装置部材の重みが、嘘のように軽くなった。
「……これなら、いける」
レオが隣で小さく呟く。その声に、誰も返さなかった。ただ、彼らの視線が自然と一方向に向く。
拠点の奥。整備台の脇で、優司とマリアが黙々と炉の設計端末を操作している。
その背中には、焦りも、不安も、見えなかった。
ただ、次の工程に向けて“進んでいる”という事実だけが、そこにあった。
「じゃあ、行こうか」
レオがぽんと台車のフレームを軽く叩く。まるでそれが、目には見えない火種のように思えた。
──静かな進行。だが、確かに。
何かが今、前へと動き始めている。
ロケットの影が、少しだけ伸びていた。時間の経過とともに、内部の空気もわずかに冷えている。
それでも、作業は止まらない。
優司は端末を覗き込みながら、数値を調整していた。
仮設炉の設計図は、前夜に描いたものとほとんど変わらない。だが、素材の微妙な癖や密度のばらつきが、組み上げの手順に“余白”を許さなかった。
それを埋めるのは、手の動きと、目と、静かな判断力。
背後ではマリアが無言で部材を整え、端末に記録を残していく。動きに迷いはない。優司の行動を先読みするように、必要なツールを渡し、測定を行う。
ふたりの間に言葉はない。だが、それは意思疎通の不在ではなく、“すでに通じている”という静かな証明だった。
火花がひとつ、走る。
金属板の縁を削る音が一瞬だけ響き、やがてまた静寂に戻る。
優司は目を細めて溶接痕を見つめ、わずかに首を傾けた。
マリアはその仕草を見て、無言のまま予備部材の箱を開く。金属片を一枚だけ取り出し、優司の傍らに置いた。
受け取る声も、礼もなかった。ただ、次の工程へと手が動く。
設計図の下部には、「臨界安全域」の線が仮で引かれている。
優司は一度だけ、それを見た。
マリアもまた、横から同じ図面に目を落とす。だが、何も言わない。
──この火は、命を燃やすかもしれない。
だが、それでも灯さなければ生きられない。
その理解だけが、ふたりの間に共有されていた。
溶接音がまたひとつ、金属に食い込む。
火花の瞬きは短く、そして静かだ。
それでも確かに、“命の火”のための構造は、ここに積み上がっていた。
──その様子を、静かに見つめる瞳があった。
ロケットの奥。毛布にくるまった小さな影が、目を伏せずにいた。
怯えも、拒絶もなかった。ただ、そこにある灯に、
ほんのわずかに──近づこうとしていた。
命の火が、まだ消えていない。次の一歩も、それが導いてくれる。
……ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
もし続きを読んでみたいと思っていただけたなら、
星をそっと置いてもらえると、うれしいです。
……たったひとつでも、背中を押されるような気がするのです。
【整備ログ No.022】
熱源反応、移動軌跡上に断続的に記録。
消耗率上昇中。ただし、進行停止の兆候はなし。
命火の経路を追いたい読者は、“ブックマーク”への記録を推奨。




