第17話 灯の名は、まだ知らず
名もなき帰還、その腕にあったもの。
彼らが戻ってきた。
夕光が差し込む斜面を、先頭の男が黙々と下ってくる。腕には、毛布に包まれた小さな身体。その足取りは静かで、誤差のない機械のように一定だったが、どこか、惑星の重力とともに、背負うものの重さが滲んでいた。
少女を抱いているのは──藤崎優司だった。
視界にその姿を捉えた瞬間、クレールの喉がひくりと震えた。胸の奥を、複雑な何かが掻き回す。
(タイムリミットは、過ぎていたはず)
そう、彼を送り出したのは、己の判断だった。手薄な資材、崩壊の危険性、そして未完成の炉──何もかもが不確定な状況で、彼を外に出すのは愚策に等しかった。だが、それでも「戻ってこない可能性」を天秤にかけて、彼の判断に賭けた。
だからこそ──
「……無事で、よかった……」
その言葉は、喉元まで上がりかけて、息に溶けた。
優司達は、誰の助けも受けぬまま、まっすぐロケットへと歩を進めていた。
クレールは、咄嗟に問いを口にするべきか迷った。だが、胸に抱かれた小さな存在──少女の顔を見た瞬間、言葉が凍る。
痩せ細った頬。煤に汚れた額。けれどその目元には、誰かを見上げるような安堵が、かすかに残されていた。
「……誰?」
小さく呟いたその問いに、優司は足を止める。
そして、ゆっくりと首を振った。
「わからない。ただ、生きていた」
クレールの視線が揺れる。目の奥で、何かが崩れそうになる。
──助ける理由は、ない。
──だが、助けない理由も、ない。
静かな沈黙が二人の間に落ちる。だが、その沈黙こそが、この場における最も確かな説明だった。
彼女もまた、察していた。
クレールは深く息を吸い、わずかに目を細める。
「……詳しい話は、後で聞くわ。今は、この子を中へ。酸素濃度を確認して、処置班を呼んで」
「了解」
レオが静かに頷き、周囲に視線を配った。
そのとき、ようやくエルナの姿がロケットの出入り口に現れる。手には計測機器、目元は冷静のまま──だが、ほんの一瞬だけ、少女に向けた視線がわずかに和らいだように見えた。
人が増えるにつれ、拠点には微かな温度が戻ってくる。
だが、その中心に立つ優司だけが、変わらぬ表情のまま、少女の重みを受け止めていた。
優司は少女を、かすかに膝を折りながら床に下ろした。
毛布に包まれた身体はあまりに軽く、その重さのなさが、逆にこの惑星の重力を際立たせる。
──本来なら、彼は戻ってこれない可能性もあった。
クレールは、無意識に胸元を押さえていた。そこに冷たい緊張がまだ残っている。
(ビーコンを使って、位置を知らせるように)
それが、自分が彼に許した、唯一の「条件」だった。
ただの“指示”。その言葉の重さが。けれど彼は、約束を守る男だった。そういう人間に、自分は──賭けた。
「……まさか、本当に……」
吐き出しかけた独白を、彼女は呑み込む。
少女の傍らで、エルナが計測機を起動する。無言で数値が並び、淡いライトが顔を照らす。
「栄養失調。軽度の脱水と酸欠。体温低下。だが、今すぐに処置すれば助かるわ」
クレールは息を整えながら頷く。
「点滴を。可能なら、保温と安静を。……寝具は使って」
「了解」
静かに返したエルナが、器具を手早く並べ始める。
その動きの端で、優司はようやく立ち上がった。何も言わず、ただ一歩、後ろへ下がる。
(あなたは、たぶん……)
クレールは視線を優司に向ける。
彼の肩は、ごくわずかに動いていた。何かを終えた者の、呼吸の変化だった。
(この子を連れてくることに、迷いはなかったのね)
きっと、彼の中では──。
(……普通なら、整備士として考えるはず。
任務の遂行。拠点の維持。生存率の最適化……。酸素。水。寝具。治療のコスト。全員の生存率──)
(それでも、彼はこの子を連れてきた)
(合理的に見えて、何かが、抜け落ちている。
──その“何か”を、彼は言葉にしない)
その背中が、すべてを語っていた。
クレールは、誰にも聞こえないほど小さく息を吐き、そして言った。
「報告、お願い。……この子のことも、調査の内容も」
カリームが静かに言葉を呟く。
「俺が説明する」
「調査中に火災の痕跡が発見。深く調査し村があった。焼けていた。火災原因は、着陸時の影響が濃厚。生存者は──この少女だけ。痕跡の保存は困難。危険要因は現状なし。そうゆうことだ。」
レオが黙って頷き、エルナは静かに聞き、マリアの姿は見えないが、周囲の空気には、確かな“受け入れ”の気配が漂いはじめていた。
少女は、まだ目を開けない。
けれど、彼女の呼吸は、わずかに深くなっている。
静けさが、ようやく拠点に戻りつつあった。
そのとき、ドアが低く唸る。
マリアが現れた。
ジャケットには微かな熱気が纏わりつき、手には使用感のあるデータパッド。
それでも、その姿に乱れはなかった。歩みはまっすぐ、音もなく。
そして、クレールの正面で、ぴたりと止まる。
「……解析、終わったわ。まとめておく」
声は低く掠れていたが、内容は明快だった。
「酸素含有率の高い地表苔が、北東区域で広く分布。
地下には蓄熱層らしき空洞反応。資材搬送は困難だけど、応用次第では熱源に使えるかもしれない」
クレールが受け取った端末に、いくつかの数値が並ぶ。
「あと、ケイ酸系の鉱層も出ていた。ろ過装置の補修に使える可能性あり」
マリアはそれ以上言わず、ただ短く息をついた。
その動きに、疲れの色はある。だが彼女自身は、それを“疲労”とは認識していない。
──その冷静さが、むしろ拠点全体に緊張感を取り戻させた。
そして、ほんの一拍の間を置いて、視線をクレールに戻す。
「で、少女の件は、保護処理で済ませたのね?」
確認ではなく、未来を予測していた者のようだった。
クレールはわずかに頷き、マリアの言葉を肯定する。
説明は不要だった。
この場にいた誰もが、少女の処遇に異を唱えなかった。
それは議論ではなく、すでに“終わったこと”として、受け入れられていた。
少女は、まだ静かに眠っている。
けれど、その小さな呼吸が、拠点の空気を少しずつ、確かに変え始めていた。
誰も言葉を発さないまま、作業に戻り始める。
レオは工具棚を整理し、カリームは水タンクを担いで奥の区画へと向かう。
クレールは再び端末に視線を落とし、数値と状況の再整理に入った。
マリアは報告を終えると、ひとり静かにロッカーの前へ向かい、
砂まみれの上着を脱ぎ、きっちりと畳む。
そして──
優司もまた、少女から目を離し、静かに背を向けた。そのまま、試作小型核融合装置の構成作業へと歩み出す。
マリアの端末に映された解析データを一瞥し、
ごく自然な手つきで、彼女の隣にある備品棚からツールを取り出す。
マリアは何も言わなかったが、その視線は、すでに同じ資料を読み込んでいた。
──二人は言葉を交わさず、次の作業に入っていた。
試作型の小型核融合装置。
この拠点で生き延びるための、新しい“炉”の構築を。
その動きに、ためらいはない。
だが、ふと止まる指先が、一拍だけ遅れた。
誰も、それを咎めることはなかった。
沈黙は、再び拠点に満ちる。
だがそれは、先ほどまでの“凍った静けさ”ではない。
新しい空気が、確かに動き始めていた。
声なき選択が、拠点に微かな温度を残す。
……ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
もし続きを読んでみたいと思っていただけたなら、
星をそっと置いてもらえると、うれしいです。
……たったひとつでも、背中を押されるような気がするのです。
【整備ログ No.017】
未登録個体、拠点圏内に搬入完了。
識別コードなし。ただし、生体反応と微熱を伴う“影響”を確認。
この変化を見届けたい読者は、“ブックマーク”による記録保持を推奨。




