表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/52

第15話 焦土にて、灯は宿らず

灰は、まだ熱を孕んでいた──

 酸素ボンベの装着、スーツの密閉確認、外気フィルターの交換。すべての動作が一切の躊躇(ちゅうちょ)なく、決まった順序で進んでいく。装備の隙間から光が(こぼ)れるたび、その輪郭に無駄な迷いは見られなかった。


 背後からマリアが歩み寄る。彼女もすでに、必要最低限の装備を(まと)っている。


 背後、もう一つの影が動いた。カリームだった。


「よし、行くぞ。準備はとっくに終わってる」


 腰に工具、肩には緊急用の酸素ボンベ。通信端末にはすでに経路図が表示され、動作チェックも終えている。


「クレールの図面はマリアに送ってある。二次経路も頭に入れた。俺が前に立つ。異常があれば、すぐ戻る」


 淡々と、それでいて揺るがない声音。背中には、仲間を守るために先に立つ覚悟が(にじ)んでいた。


 最後に残されたのは、レオだった。

 静かに装備を整えながら、その手が最後に確認したのは、予備の通信ビーコン。


 帰還の道を──自分の判断で()(ひら)くために。


 ドアが、(きし)む音を立てて開いた。


 外気が、薄く、重く、満ちていた。空は灰を溶かしたような鈍色にびいろで、光の届かぬ空気は、息をするだけで肺の奥に砂を流し込むような違和感を残した。


 最初に踏み出したのは、カリームだった。


 重力の壁が、足首から肩まで、全身を()(つぶ)すようにのしかかる。地球の三倍近いその質量は、関節をひとつずつ軋ませ、筋肉を繊維ごと沈ませていく。


 それでも、彼は歩いた。


「……っ、ふぅ。やっぱ重いな。けど、まだいける」


 (つぶや)きながら、背筋を伸ばす。肩のラインはぶれず、前に立つ者としての覚悟が、その歩みに浮かんでいた。


 続いて、マリアが音もなく続く。姿勢を崩さず、一歩ずつ、まるで舞台の上を進むような均整で重力を受け流していた。髪が揺れ、瞳が周囲の光を静かに読み取っている。


 レオは、最後に出た。


 扉の縁で一度、深く息を吸う。肺の底が圧縮され、わずかに()()むように息が滲んだが、構わず前へ踏み出した。


「……よし、行こうか」


 足元の砂が重く沈む。だが、その目は()えていた。緊張に切り裂かれたような空気の中で、彼は確かに、前を見る者の顔をしていた。


 外の空気は、沈黙していた。


 灰混じりの風が、地表にこびりついた焦げ(こん)の間を()うように流れ、時折、砂礫(されき)を巻き上げてはすぐに鎮まる。空は濁った灰青かいせいに閉ざされ、太陽光はほとんど届かない。視界の限界を塗りつぶすような、無音の世界。


 レオが、肩越しに小型スキャナを掲げた。携帯式の複合環境モニターが、周囲数メートルの空気を分析し、即座に数値が浮かぶ。


「酸素、13.2パーセント……有害物質は、上限ギリギリ。……クレールの予測通りだな。地球で言えば、標高三千メートル相当……いや、それ以上だ」


 カリームが口元にマスクを引き寄せながら、低く(うな)る。


「おいおい、焦げた匂い……まだ消えてねぇじゃねぇか」


「フィルター通しても残るってことは……粒子じゃない、気化成分が主成分だ」


 レオが、鼻の奥で違和感を()(ころ)しながら言った。焦げと油と、何か──合成樹脂が焼けたような、人工的な匂い。


「ただの火災じゃない。物質かそれとも……」


「──周囲、土壌変質。表面はガラス化。高熱……おそらく、直近で燃えた」


 レオは、歩みを止めず、ふたりの前に立ち直る。


「三方向、調査範囲を確認。まずは南西。起伏が少なく、熱源の痕跡(こんせき)が強い」


「探索は最大で二時間。それ以上は、帰還時の筋力低下リスクが跳ね上がる」


 耳元で、クレールの声が静かに流れた。


 《この音声は、出発直前に録音された通信データ──短距離用中継メモリに保存されていたものだ》


「……調査を最優先。回収は、可能であればでいい。レオ、最終判断はあなたに任せる」


「マリアは同行して。現場判断のため。あなたの記憶力と鉱物識別能力に期待している」


 声は冷たく整っていた。だが、聞き慣れた者にはわかる。

 その(なら)された抑揚の奥に、わずかな苛立(いらだ)ちと、不安が潜んでいることを。


「──了解。全員、生きて戻る」


 レオが、短く言った。


 誰も言葉を継がなかったが、それはもう合意されていた。空気が重く、地面が拒絶するようなこの星で、それでも歩き出さねばならない。


 今はまだ、答えは出ない。ただ、動くしかないのだ。


 足元の砂が、(かす)かにざらついた音を立てる。

 レオは、最前を歩きながら足運びの抵抗を確かめた。厚手のブーツの裏から伝わる感触は、細かい岩屑(がんせつ)と、乾いた粘土質の土壌。見た目以上に滑る。


 背後、数歩後方にふたりの足音がつづく。無言のまま、一定の距離を保っている。


 視線の先に、なだらかな丘陵地帯が広がっていた。遠くに、焦げついた影のようなものが見える。何かが燃え落ちた痕か、あるいは……


「行くぞ、南西。あの黒点まで」


 誰に向けるでもなく呟くように言い、歩調を早めた。

 だがその足は、ほんのわずかに躊躇っていた。


 ──何かを見つけるということは、何かを失う可能性でもある。


 だから、怖い。

 だから、進む。

 託されたからではない。自分が、選んだからだ。


 ──それでも、全員、生きて戻る。


 それだけは、決めていた。


 踏み出した足が、ざらついた砂をゆっくりと押しのけた。


 レオは重力に(あらが)うように、一歩ずつ慎重に進んでいく。足裏の感覚が鈍い。慣れない惑星の地形と、わずかに浮遊する粉塵(ふんじん)のせいだ。外装スーツのフィルター越しでも、鼻の奥に残る焦げた匂いが消えない。


 ──火災の痕跡。それも、ごく最近のものだ。


「ここ……なんか焼けたあと、あるな。地面が溶けてる」


 しゃがみこみ、手のひらで地表を()でた。微細なガラス質が混じっている。熱変性だ。構造物──それも人工物が、燃え、溶けた形跡。


 背後から、マリアが静かに膝を折った。


 彼女は何も言わない。ただ、地表に露出した金属片を拾い上げ、ゆっくりと手の中で角度を変えて観察する。焼け跡に混じった小さな黒点──酸化チタンだ。強い酸化熱が加えられた痕。


「推定、建材由来。金属支柱か……熱交換用のコア材だった可能性」


 淡く漏れたマリアの言葉に、レオは目だけで(うなず)く。


 通信は最低限。だが、その一言に、今歩いているのが“住居跡”だった可能性が浮かび上がる。


 地形はゆるやかに(くぼ)みながら、斜面をつくっている。その谷底のような場所に、焼け焦げた(くい)──いや、柱の残骸が数本、突き刺さっていた。


 カリームは立ち止まり、慎重に呼吸を整えた。


「……ちがうな。ここ、ただの火事じゃない」


 灰に(うず)もれた足跡。大小ふたつ。重なるように、逃げるように、崩れた地面に沈んでいた。


 彼は小さく息を吐くと、すぐに歩き出した。


 その背で、マリアもまた、音もなく立ち上がる。


 ふたりの歩調は乱れない。重力に抗い、焦げた風をまといながら、ただ沈黙のまま進んでいく。


 それは、火災痕の最深部だった。


 黒く(すす)けた岩の裂け目──もともと段差の少ない緩斜面だった場所が、熱で(もろ)く崩れ、複雑な凹凸を作っていた。その奥で、マリアの動きが止まる。


 彼女は、しゃがみ込むと、慎重に何かを拾い上げた。


 指先に乗ったのは、焦げ目を帯びた布の切れ端だった。もともとは白だったのか、日焼けした灰色の繊維に、焼けた繊維が褐色の縁を作っている。


「……人工繊維。薄手。衣服の一部かもしれない」


 彼女はそう呟くと、布を光にかざして確かめた。織り目は緻密で、規則正しい。明らかに自然物ではない。


「……ここに、誰かがいた可能性がある」


 その言葉に、レオが肩越しに振り返る。その視線は、焦げた地面の先──まだ確認されていない影の()まりへと向かっていた。


「こっちもだ。……熱源、微かだけど、まだ残ってる」


 カリームが声を上げた。足元に取り付けた簡易センサーが、断続的に微弱な反応を示している。気温とほとんど差のない“ぬるい”値だが、それは明らかに、自然発生ではない温度だ。


「……何かが、つい最近まで、ここにいた」


 空気が、ひとつ重くなる。


 火災は一度、すべてを奪い去ったはずだった。だが──焼け跡の中に残されたこの痕跡が、「それでも生き延びた誰か」を物語っている。


 焦げ跡の帯が、斜面の先まで続いていた。


 瓦礫(がれき)の断面には、金属が熱に溶けて固まった痕が点在している。明らかに、自然火災の範疇(はんちゅう)ではない。内部から燃え上がったような残骸もあった。


 レオは小さく息を吐き、遮蔽マスクをわずかにずらして鼻孔を開いた。


「……焦げた匂い。たぶん、木材と……人工樹脂」


「この沈着量、二十四時間以内の焼失反応」


 マリアが答えた。地表をなぞるように歩き、足元の灰を指先で払う。その動作は機械的で、だがどこか舞踏の所作のように正確だった。


「なら……まだ、誰かが残ってた可能性があるってことか」


 レオがそう言いかけたとき、別の方角で鈍い音が響いた。振り返ると、カリームが倒壊した外壁を手で押しのけていた。


「こっちは壊れた炊事台らしきものがある。焦げ跡は周囲だけで、中は──焦げてない」


「生活の中心が、火元から外れてた?」


「いや、違う。たぶん……火を避けたんだ、誰かが」


 カリームは炭の粉をまぶした(てのひら)で、壁面の煤をぬぐい落とした。そこには、黒ずんだ中にもかすかに白い跡が残っていた。誰かが身を寄せ、腕で覆っていたような“形”だった。


 レオの表情から、冗談が抜ける。


「……生きてたやつが、いた」


 マリアは静かに視線を落とした。足元に、布の切れ端があった。


「人工繊維。──これは、子供用の被服」


 織り目の細かさ、熱変色の浅さ。保温性能を優先した構造。マリアの記憶に、それを設計したメーカーのロゴが浮かび上がる。


 レオは思わず膝をついた。焦げ跡の一部に、かすかに足跡が残っている。地割れを避けていたのか、小さな足が左右に揺れている。


「……こっちに向かって逃げたんだ」


 指先でなぞる。すでに風と灰にかき消されそうなそれは、微かに“迷い”と“選択”を物語っていた。


 先頭を歩くのはレオだった。酸素濃度はまだ人体許容範囲内に(とど)まっているが、重力の影響か、呼吸は徐々に浅くなる。彼の背には軽装ながら緊急用の酸素ボンベと、外部放射検知装置が搭載されていた。


 続くマリアは、無言のまま小型の携行端末をかざし、地表に散らばる微粒子の反射率や鉱物の光沢を見比べている。外見の整いすぎた輪郭に反し、その動きは無駄がなく、止まるたびに何かしらのサンプルを記憶へ刻み込んでいた。


 そして、三人目の男──カリームは、わずかに距離を取って背後を歩いていた。


 両腕は素手ではなく、現地資材で補強した簡易アームガードで覆われている。戦闘を想定してのものではない。地形が崩れたとき、真っ先に身体を入れて“支える”ための装備だった。


「……水はねぇな」


 足元の(れき)を蹴り、カリームがぽつりとつぶやいた。声に焦りはない。ただ、観察と判断が行動に結びついていることを示す合図だった。


 レオが軽く頷き、背後へ視線を送る。


「川の痕跡はこっちじゃないかもな。焼けた跡が風に流されてる。地形が凹んだ方向を追おう」


 レオの視線の先には、灰と岩のなだらかなくぼみがあった。何かが通過したような、あるいは焼かれて(えぐ)れたような地形。


 クレールの推測どおり、そこに“人工的な火災”の痕跡があるのなら──どこかで人間が活動していたか、あるいはその残骸がある。


「反応──低温の残留熱あり。マリア、数値確認を」


 マリアが無言でうなずき、掌のデバイスを(かざ)した。すぐに画面に数値が流れ出す。


「……約0.4度の温度偏差。過去二十四時間以内の熱源存在。燃焼に由来する可能性が高い」


「人為的なやつ、か?」


 カリームが眉をひそめた。肩越しに地平を見渡しながら、腰の後ろに回した工具型の鈍器を軽く握る。


 マリアは静かに、だが確かに頷いた。


「有機残渣(ざんさ)も検出。焼却対象は──生物組織を含んでいた」


 沈黙が落ちた。


 誰も、それが“何”だったのかを即答しなかった。ただ、呼吸の音だけが、三人のヘルメット越しに耳の内側を満たしていた。


 その先に、村がある。


 あるいは──焼け落ちた、痕跡だけが。


 風はない。

 だが、草木はわずかに震えていた。


 ──いや、草木ではない。そう見えただけだ。


 レオはしゃがみこみ、手袋越しに地面へと触れた。乾いている。だが、微細な粒子が皮膜の表面に貼りつく。これが“土”であることは間違いない。だが、目視できる植物の痕跡はほとんどない。代わりに、表層のあちこちにガラス質の砂礫と、煤けた粘性のある堆積が散在している。


 ──焼かれた痕。しかも、自然火災のものじゃない。


「このあたり、炭化が進んでる。熱源は高温短時間。たぶん……爆発系だ」


 マリアが、わずかに顎を動かす。その眼差(まなざ)しは、瓦礫の下に埋もれた何かを見ていた。


「見て」

 言葉と同時に、マリアは指を動かした。彼女が差した先には、石のように見える物体が半ば埋まっている。


 レオは素早く掘り出した。それは──金属だった。


 焦げ、(ゆが)んでいたが、明らかに人工物だった。


「機材の破片。刻印は……読み取れないな。セラミック合金?」


 マリアは無言で頷いた。


 その背後で、カリームが静かに肩を回していた。肩にかけた荷を降ろし、崩れかけた外壁のような構造体を指で(たた)く。鈍い音が、乾いた空間に沈んでいく。


「内部、空洞だ。物資があるなら、こういうとこだな」


「でも、空気は薄い」

 レオがフィルター越しに鼻を鳴らした。「……酸素、地球換算で3500m台か。行けなくはないけど、長居は無理」


「──判断は?」


 問いかけたのはマリアだった。表情に変化はなかったが、その瞳だけがレオを試すように向けられていた。


 レオは一瞬、沈黙したのち──頷いた。


「行く。内部に何かが残ってるなら、今しか拾えない」


 カリームが無言で頷き、先に動き出す。その背を追って、三人は静かに廃墟(はいきょ)の裂け目へと足を踏み入れた。


 レオが右手をかざし、停止の合図を送る。

 焦げた風に紛れて、何かが混じっていた。木でも、金属でもない──もっと複雑な、人工的な焼け跡の匂い。


 地形は緩やかな下り坂へと変わり、そこには、黒く焦げた石壁が半ば崩れ落ちていた。

 ただの岩肌ではない。建造物──それも、人工の手が加わった痕跡だ。


「……村、だった?」


 誰の問いでもなかった。ただ、吐き出すように零れた言葉。

 それに応じる者はいなかった。風すら、沈黙していた。


 ここから先に、何があるのかはまだわからない。

 けれど、もう戻れない──そんな空気だけが、重く、背中にのしかかっていた。

けれど、確かに、そこにあった。


……ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

もし続きを読んでみたいと思っていただけたなら、

星をそっと置いてもらえると、うれしいです。


……たったひとつでも、背中を押されるような気がするのです。


【整備ログ No.015】

熱源探知:表層は冷却済。ただし深部に微弱な残熱を確認。

起動信号は不完全。点火には追加入力が必要。

それでも“何かがあった”と記録したい読者は、“ブックマーク”での継続観測を推奨。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ