第14話 燃ゆる設計図
“燃ゆる香り”は、終わりの合図か、それとも始まりか。
艦内は、まだ冷えていた。
ロケット本体の残存電力では暖房機能はまかなえず、各区画の照明も最低限の緊急モードに制限されている。内壁にはところどころ霜が張りつき、吐く息が白く揺れた。
優司は、船尾の電源系統パネルに向かい、無言のままケーブルの一部を引き出していた。剥き出しの導線にテスターを当て、数値を確認する。すぐ隣で、マリアがケーブルの識別タグを素早く記録していく。手の動きは、まるで“最初から知っていた”かのように迷いがなかった。
「……電圧は残ってる。でも、出力側の整流が死んでる」
低く、優司がつぶやく。彼の指先が、断線したパススルーモジュールの基盤をなぞる。焼け焦げた痕が、樹脂の上にくっきりと残っていた。
「重力制御ユニットは?」
クレールの声が後方から届く。応急処置で固定された右脚を庇いながら、コンソール越しに現状を見守っていた。
「起動信号は届いてない。反応炉が止まったせいで、母線が死んだ」
「つまり、発電を再構築しなければすべて動かない、ということね」
「そういうことだ」
再び沈黙が落ちる。外気に頼らず、内部循環と蓄電モードだけで命をつなぐには、あと三日が限界だった。
マリアが一枚のホログラムを展開する。そこには、推定残存資材と応用可能な素材がカテゴリ別にリストアップされていた。記憶力だけではない。彼女は明確な意図をもって「使えるもの」を選別している。
「構成的に、“閉鎖系”の熱交換炉が要る」
優司が、短く切り出す。手元の端末に図面を引きながら、構造のイメージを口にする。
「塩化ナトリウムと酸化チタンで反応系を組む。中性子反応を制限して、安定出力が取れるようにグラフェンの層で熱拡散と冷却を兼ねる。放射が漏れないよう、循環は完全密閉で……素材が揃えば、回る」
「素材が、揃えば。でしょう?」
クレールが遮る。声音に棘はない。ただ、現実を示す調子だった。
「酸化チタンは、断熱被膜材の一部に使われてたはず。でもナトリウム系の塩は船内にはない。グラフェンなんて、あなたが即席で“焼ける”とは思えないわ」
「……ああ」
優司は図面の一部を閉じた。可能性を切り捨てるのに、未練は見せない。
そして、それを横目に見ていたレオが、ふっと目を細めた。
「ってことは──その材料、外にある可能性があるってことだよな?」
誰も、すぐには答えなかった。だが、否定の言葉も出なかった。
優司が示した炉の概念図に、クレールが眉をひそめた。
「その構成……正規の文献には存在しないはず。軍事転用が懸念される設計よ」
「存在する。正確には、“一度だけ閲覧された記録”よ」
そう言ったのは、沈黙を守っていたマリアだった。淡々とした声音に、ほんのわずかな棘が混じる。
「記録は、視覚だけ。機材を通してのデータ保存は禁止されていた。でも──一度、目に入った図は忘れないよう訓練されているの」
優司とクレールが同時に彼女を見た。
マリアは、それ以上詳しく語ろうとはしなかった。ただ一言、短くつけ加える。
「……好きで覚えたわけじゃないわ」
そして、さらに続けるように呟いた。
「もともと、その設計は完成していなかった」
「核融合……そう呼べるかも曖昧な段階で、構造試験だけが繰り返されてた」
彼女の声は淡々としていたが、その背後には、何かに抗うような硬さがあった。
「まともに安定して動いた例なんて、地球にも存在しない。……でも、回せれば、生きられる」
「──それが、この“試作小型核融合装置”の原案図よ」
視線を落としながら、マリアが手元の端末に炉の断面構造を描き起こし始める
視線を落としながら、マリアが手元の端末に炉の断面構造を描き起こし始める。冷ややかな精度で、それはまるで記憶ではなく、設計者の意志を写したかのように正確だった。
──沈黙が、船内に降りていた。
優司はロケット壁際に腰を下ろし、足元に並べた部材を一つずつ確認していた。光を失いかけた携帯ランタンの明かりが、鉄片やコードの影を不規則に揺らす。
「……熱源が足りない以上、こいつを再生するしかない」
彼の前に置かれているのは、試験用に積載されていた「現地資源応用エンジン」。出力は低く、外部燃料の供給も不安定だが、“閉鎖系熱交換炉”という構造だけは維持されていた。
優司は手元の図面に手早く線を走らせながら、ぼそりと呟いた。
「塩化ナトリウム。酸化チタン。グラフェン被膜……うまく安定すれば、閉鎖内で自律的に対流が循環する」
ほんのわずか、手の動きが止まった。
「──本来なら、こんな場所で組むもんじゃない」
「これまで、誰も完成させたことがない。……だから、俺が張り付いて、見張って、整備し続けるしかない」
「それで一日でも生き延びられるなら、十分だ」
それは“制御”というより、“押さえつける”に近い行為だった。
優司は、それを承知の上で手を動かし続けている。
クレールが、寝台から身を起こす。右脚にはまだ包帯が巻かれており、立つことはできない。それでもその目は、図面の構造を読み取っていた。
「理論上は正しいわ。ただし、酸化チタンの粒子が足りない。それにグラフェンの濃度も……。制御系を一つ間違えれば、内部過熱で吹き飛ぶ」
彼女は淡々と指摘する。その声に、感情の起伏はない。ただ、“危険である”という事実だけがそこに置かれる。
優司は頷きもしない。手だけが動いていた。
──それでも、彼は作っている。
傍らで静かに立っていたマリアが、一歩進み出る。彼女の指先が、金属片の断面に軽く触れた。
「この構造……“視た”ことがある。セリュリエ社の旧式試作機。内部フレームに特定の鉱石反応が必要。外部で採れる可能性は?」
クレールが眉をわずかに寄せた。
「推定濃度は微量。けれど、もしそれを見分けられるなら……」
視線がマリアに向けられる。彼女はそれに応えず、ただ静かに頷いた。確信ではない。だが、判断できるだけの“記憶”はある。
優司は図面の端を破り、小さく折って手渡す。
「この粒子比率の反応を示す鉱石。見つけられそうか?」
マリアはそれを受け取り、視線を落とした。
「……できる」
それだけ言って、再び黙った。
船内には再び沈黙が戻る。
その中で、クレールの言葉だけがわずかに残った。
「これは、核融合炉なんて呼べない。でも、生き延びるには……これを“炉”と呼ぶしかないのね」
その言葉に、優司は何も返さない。ただ、図面を裏返し、次の構造を描き始めた。
手を止めることなく。
まるで、己の命の続き方を、線で刻んでいるかのように。
クレールはしばし、その背中を見つめていた。感情も、言葉も、何もない。ただ“続けている”という姿が、逆に痛いほど伝えてくる。
――生き延びる気だ。どんな状況でも、ただ手を止めず、目の前の現実を積み上げていく。その背中は、諦めていない。
その覚悟に、胸の奥がわずかに熱くなる。
誰に向けるでもなく、クレールは、視線をディスプレイへ移した。
「環境を調べる。今この惑星に、私たちが生きていい空気があるのか。まずは、それを確かめるところから」
言葉にすることで、自分を鼓舞するように。次の行動に、命を懸ける覚悟を、胸の奥で整えるように。
ロケット外殻に備えられた大気センサが、断続的に外気を吸引していた。
前面ディスプレイには、大気組成解析のログが投影される。
ロケット外殻に備えられた大気センサが、断続的に外気を吸引していた。
前面ディスプレイには、大気組成解析のログが投影されている。
【酸素:13.8%(局所変動あり)】
【二酸化炭素:0.09%】
【窒素:84.7%】
【有害ガス:未検出(5分間平均)】
【浮遊粒子:不明物質含有。構成解析中】
クレールの指が画面の酸素欄に軽く触れた。
「酸素濃度は地球の標高三千メートル相当ね。薄いけど、短時間なら活動可能」
「ただし、粒子の成分が不明。肺に入れていいものか、判断は慎重に」
レオは小さく頷くと、呼吸ユニットを“フィルター換気モード”に切り替えた。
密閉を維持しつつ、局所の空気を低圧で吸い、即座に排気する──命を懸けた、1ミリ単位の妥協だった。
吸い込まれた空気は乾いていて、わずかに金属を焼いたような後味を残した。
──未知だ。だが、呼吸はできる。
ディスプレイに刻まれていく数値の列。そのひとつひとつが、「死の確率」とも言える。
酸素濃度、粉塵濃度、気圧変化──安定とは程遠いデータに、クレールは眉をひそめた。
彼女の視線は、一度だけ足元へと落ちた。
動かない右脚。思考は明晰でも、体は鈍い。
(……出るなら、今しかない)
酸素フィルタも、水の循環装置も、長くは持たない。全体のエネルギー効率を保つには、構造を把握し、必要資材の回収も並行せねばならない。
誰を、いつ、どう動かすか──判断は早いに越したことはなかった。
クレールは一度、深く息を吐いてから、端末に向き直る。
だが、次の言葉が紡がれる前に、扉が開いた。
踏み込んできた足音は重く、迷いがなかった。
入ってきたのは、すでに外装服に身を包んだカリームだった。
ヘルメットは脇に抱えたまま。その顔は汗もなく、ただ静かに視線だけを向けている。
「装備、整えてきた」
その言葉に、誰も返せなかった。必要がなかった。
彼は、呼ばれていない。だが、あの会話を聞いた瞬間に、全てを察していた。
〈クレールは動けない〉
〈なら、誰かが外へ出るしかない〉
〈そのとき、俺が選ばれるべきだ〉
答えは、最初から決まっていた。あとは、いつ立つかだけだった。
「外は俺が行く。装備は済んでる。足も、鈍ってない」
その口調に、無理な力みはない。
ただ、そこにあるのは“当然の責任を、自分が負う”という確かな意志だけ。
誰も反対しなかった。
誰よりも静かに出番を待ち、誰よりも早く自分の役目に手を伸ばしていたその男に──反論できる者はいなかった。
誰も否定しなかった。
代わりに、レオが口を開く。
「俺も、行く」
淡々とした声だった。冗談を言うでも、軽口を叩くでもなく。
ただ、そこに“選択”があった。
「正直、外に出たくてたまらなかった。……酸素濃度、火災痕、それに──空の色が変わってた」
言いながら、レオは脇の端末に残された環境データを指差す。
「三時間前にはなかった放射性粒子の反応。揮発物が残ってるってことは、風が吹いた形跡もある。」
だから、放っておくわけにはいかない──そう語らずとも、背中に覚悟が宿っていた。
そして。
「私も同行するわ」
クレールの横をすり抜けるように、静かな声が響いた。
マリアだった。
すでに、ジャケットの内側には薄型の鉱物識別デバイスが収められていた。
ブーツの底には、土壌反応を拾うセンサー。行動の意図は、すでに“情報収集”に向けられている。
「地質と鉱物を読むには、現場での即時判断が必要。空気の成分変化も……過去に似た構造を見たことがある」
クレールが小さく息をのんだ。
──ああ、そうか。
彼女は気づいた。
この場で、最も冷静に“知”で動く存在が、誰より早く準備を終えていたことに。
マリアの目が、淡く揺れる。
「クレール、命令して」
その一言で、全てが決まった。
クレールは再び端末に向き直り、外気環境と残存資材の情報を静かに照合した。
──気圧、酸素濃度、有毒成分。
──熱源の痕跡、酸化反応の拡がり。
──そして、ロケットの電力供給と二次フィルターの再生時間。
指先で数値を追い、息をひとつだけ小さく吸う。
「外で行動できるのは三時間。……でも、二時間で戻ってきて。そこがタイムリミットよ」
それ以上は、戻れても安全が保証できない。酸素とフィルター、両方が持たない。
その一言には、探査ではなく“生還を最優先する”という明確な線引きがあった。
レオが短く息をついた。いつもの軽口は影もなく、その顔には冗談抜きの緊張が刻まれている。
「了解。……道に迷う余裕もないな」
それは、気を引き締めるための独り言にも似ていた。
カリームはうなずきもせず、黙って腰の装備を確認していた。ブーツ、ナイフ、酸素計。すべてを一つずつ手で触れ、意識に刻み込むように。
そして、優司。
彼は何も言わなかった。ただ一度、端末のタイマーに目を落とし、起動スイッチを押した。
少しずつ、足りないものが見えてくる。水、資源、そして――希望。
……ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
もし続きを読んでみたいと思っていただけたなら、
星をそっと置いてもらえると、うれしいです。
……たったひとつでも、背中を押されるような気がするのです。
【整備ログ No.014】
構造設計に点火痕確認。意図的な燃焼と判断。
資源一覧に複数の欠損項目あり。補完作業、未着手。
不足を“希望”と捉える読者は、“ブックマーク”にて工程記録を推奨。