春の始まり
春の光に照らされる校舎。
新入学から数週間ほど過ぎて、はっきりと暖かみを感じるほど春は進み、それを表すように校舎に咲く花も小さな芽生えを見せて、薄い桃色が歩道の脇を染め始める。
季節が変わる事を小さな花びらが知らせる。
その中を校舎へと向かう生徒のゆっくりとした歩みが一層の小春日和を演出する。
その先にある校門、ゆっくりと歩み近付く生徒、それを待つような教師。
ゆっくりと進む春の1日。
校門に立つ教師は始業の鐘と同時に門を締める当番であるのか、腕時計を気にしつつ、自校の生徒が歩く姿ながめる。
視線の先にはまるで遅刻など興味がないような生徒たち。
そして、教師の腕時計はまもなく始業の時間を指すのだろう。
それが分かる教師の心は風に吹かれる枝葉のように揺らぎ出す。
(ずいぶんと遅い出勤だな・・・。うちの生徒達は・・)
と、いまだ急ぐ様子もない生徒たちへの想いを胸に、それでも不満の声を出す訳ではなく、しかしながら揺れる心を表すかのように膝を上下が動き、その動きに合わせて靴が地面をたたく。
それは教師の苛立ちを示す足音。
その苛立ちに混じって足早に校舎へと近づいてくる足音が聞こえる。
苦し気な吐息と共に。
「ハアハアッ」
苦しげな吐息。
「ん?」
と、校門へと急ぐ生徒もいるのかと教師は気付き、それと同時に一人の生徒が門をくぐる。
「お、おはようございます。ハアハア、間に合いましたか?」
やはり遅刻を気にする生徒であり、その女子生徒から息苦しい吐息混じりの挨拶に受ける。
「おっ、確か・・、宮崎だったな?。」
校門をくぐったのは新入生らしく、ようやく一人一人の顔を覚え出した教師も確認気味に名前を聞く。
「はい、宮崎 桜です。」
と、女子生徒はフルネームで応え、先ほどまでの息苦しい様子を隠すかように、少し背筋を伸ばして教師からの返事を待っている。
教師は自らの腕時計が始業の時刻前であるのことを確認したのちに口を開く。
「うん、大丈夫だ。まだ鐘は鳴っていないからな」
と、教師は告げる。
どうやら遅刻ではないようで、ゆっくりと歩く生徒たちに比べて、息を乱しながら門を潜り抜けた生徒に好感を持つのか、言葉に多少の柔らかみを感じる。
そして、
「遅刻ではないが、それでも早く教室へ行かないと授業に遅れるぞ」
と、伝える。
校門で遅刻をまぬがれても、担任が待つ教室へ入ることが遅れれば、遅刻扱いになりかねない。
そのため早く校舎へ向かうことをすすめる教師。
その言葉に安心したのか、女子生徒の口元は緩み、そして息を整えるように小さく息を吐いてから、
「良かった!。ありがとうございます」
と、教師へのお礼の言葉を残して足を踏み出す。
そして再び教師は目を校門の向こう側に向けて、近付いてくる生徒を眺める。
その腕時計は更に針を進め、まもなく校門を締める時間が近づくのか、教師の腕が門へと伸びる。
すると、再び忙しく足音が聞こえてくる。
「ハアッ、ハアッ」
先ほどの女子よりも息苦しく聴こえる吐息、遅刻を気にする生徒が更にいるらしいと、教師が気づく。
しかし、教師の想い、そして急いで校門へ向かってくる生徒の気持ち、それを気にするかのように、1秒づつ小さく進む腕時計の秒針。
それらを無視するかのように、校舎のスピーカーからは始業の鐘が鳴る。
その瞬間、
「ハアッ、ハアッ。まっ、間に合いましたか?」
と、いう言葉と共に先ほどの女子よりも大きく息を乱した男子生徒が教師の前に姿を表す。
「おっ、今度は香取か」
教師は息を乱した男子の名前を口にして、すでに始業の鐘から十数秒たったはずの腕時計を見る。
その行為は教師の心持ちを示す小さな優しみなのか、 または急ぐ様子を見せた男子学生への小さな優しさなのかは不明だが。
「う~ん」
と、悩むような言葉と共に教師は口を開く。
「残念だが、鐘は鳴った。遅刻だ」
と、遅刻を言い渡す。
それは教師の勤めとして仕方がないこととはいえ、いまだに緩やかな歩調で校舎に向かってくる他の学生への苛立ちとは違う気持ちが見てとれる。
「まあ、駆けてきたのは褒めてもいいが、遅刻は遅刻だな」
と、無情かつ穏やかみを持つ言葉ともに肩を叩かれて、再びの言葉により、ほんのわずかな遅刻は確定する。
女子とは違い、間一髪で遅刻を宣言される男子学生。
「ハア~、遅刻か・・・っ」
大きめな諦めの声と共に落ち込む男子。
もっとも、この時間なら一時限めの担当が教室へ来るには時間があって、担任からの遅刻宣言は免れそうな雰囲気ではある。
ならば大した問題ではない。
「早く行かないと、授業にも遅れるぞ」
と、教師からも男子生徒が思う気持ちが分かるような言葉を伝えて、男子生徒は気を取り直しつつ校舎に目を向けるが、気が付くと視線の先に間一髪で遅刻を免れた先ほどの女子がいる。
女子生徒は校舎の少し前に立ち、その口元は少し柔らかみを帯びるように見える。
その姿により香取と呼ばれた男子の思考は一時停止する。
女子生徒が見せる小さな笑みは遅刻をした男子を楽しむような様子ではなく、香取も同様に思う。
それゆえにあまり気にはしないが、男子にしてみれば少し恥ずかしい。
と、思い、男子は小さく頭を掻く。
そのことに気付いたのか、女子学生はお詫びのつもりとも思えるような、小さく手を振る姿を見せて、校舎の中に入っていった。
そのような姿を見ても思考が止まったままの香取。
それでも、
(でも、まあ、・・いいか)
と、思う。
香取にしてみれば恥ずかしい思いはしたが、小さく手を降る女子の姿は気を取り直すには充分であり、校舎へと足を踏み出す気持ちにもなる。
そして報われなかった急ぎ足により、汗をかいていることに気づく。
「ん?、暑いな・・」
と、いう言葉。
そして、額の汗を手の甲で拭いたのちに、自らも校舎へ消える。
おそらく担任からも遅刻扱いにはならないだろう。
こうして大したことではないとも思える朝が過ぎてゆく。
春の光が照らす小さな交わり。
風に舞う花びらが日々の始まりが伝える。