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つまるところ好みの問題ですね

 今日はお出かけのない日です。

 カスバート様はカスバート様のお仕事があります。公爵様と一緒に領地の経営をなさっていますし、ご自分のご友人とのお付き合いもありますからね。

 ちょっと寂しい――なんて、そんな立場じゃありません。


「久し振りに、ジャムでも作りましょう」


 タウンハウスの庭の隅に、ラズベリーが植えてあります。他にも色々欲しいところですが、わたしはここにはあまり来ないので、社交シーズンに実るこの木を植えたのです。

 ラズベリーはどんどん増えて群生になる可能性があるので、庭師が管理してくれています。

 ここの庭師は、本邸の庭師の甥のフィンです。年齢は三十二歳で、奥さんと七歳の息子がいます。歩いて二十分ほどのところに自分の家があり、通っています。


「フィン。ラズベリーを摘んでもいですか?」

「ええ。もちろんですよ、お嬢様。ここ数日いらっしゃらなかったので、たくさん実っていますよ」

「あなたもとって構わないですし、邸のだれでも好きに収穫していいんですよ?」

「ありがとうございます。かなり摘まんでますよ。料理人も摘んでいきますが、まだまだありますからね。棘には気を付けてくださいよ」

「ええ、ありがとう。ドレスを土まみれにしたり、穴を空けたりもしないようにします」


 わたしがいつもメイドに叱られていることを知っているフィンは、肩を震わせて何かを耐えている様子です。

 耐えきれていませんよ!


「もう! 笑いたいのなら笑えばいいでしょう!」


 わたしがふてくされ気味に頬を膨らませると、フィンは遠慮なく笑いはじめました。


「メイドたちは、お嬢様に傷がつくのが心配なんですよ。ジャムにするんでしょう? 火傷にも気を付けてくださいよ」

「はあい。できたらお裾分けしますね」

「それは楽しみですね」


 ブラックベリーほどではないものの、ラズベリーにも棘があるので、気を付けて摘みます。熟した実はぽろっと採れるので気持ちいいです。


 ジャムにしたら、カスバート様にもお裾分けしましょうか。喜んでくれそうです。

 ああでも、公爵家の料理人に失礼でしょうか。

 うちの料理人は、わたしにジャム作りを教えてくれた先生ですし、職場を奪われるとか、仕事振りが不満なのかとか、そういう考えはまったくありません。

 でも他の料理人はわかりませんからね、と注意はされています。

 それぞれの仕事に誇りを持っているんですね。

 フィンもそうです。なので、庭で何かをしたいときには、まずフィンに尋ねるようにしています。

 ジャムは、カスバート様が見えたときに、お茶の時間に出すことにしましょう。

 今度は、スコーンに添えるのもいいかもしれません。


 わたしはなんだかうきうきしていました。



 ◇ ◇ ◇



 本日は、カスバート様から、ちょっとお出かけする旨のお知らせが事前にあったので、メイドが準備をはりきりかけましたが、なるべく目立たないようにという注意がありました。

 任せてください。普段通りです。

 それでも、メイドたちは目立たずかつ愛らしくを目指して頑張ってくれました。


 襟元にレースをあしらった水色のすっきりしたドレスに、帽子には共布の小さな薔薇の花がついています。髪は緩い三つ編みにして背中に垂らしました。


 鏡の中にいるわたしは、いつもと変わらないはずですが、なんとなく可愛らしく見えました。


 メイドたちはものすごく満足そうな顔をしています。彼女たちの腕があがったんですね、きっと。


 わたしを迎えに来たカスバート様は、わたしを見た瞬間まぶしそうに目を細め、すかさず、わたしの手にキスをしました。

 流れるような動作で、わたしはただ茫然とされるがままです。


「とても可愛らしいよ、リディア」

「あ、ありがとうございます。カスバート様も素敵です」


 濃いグレーのフロックコート、灰色のストライプのズボンと揃いのベスト。

 全体的に色味が地味ですが、ご本人が華やかなのでどうしようもないような気がします。


 それから馬車に乗り込んでお出かけです。


「人気のカフェがあるんだ。薔薇のジャムを添えるスコーンが有名だそうだよ。きみがほかの店に行きたいのなら、もちろんそちらへ行こう」

「いいえ、そのカフェに行ってみたいです。でも、薔薇ジャム、ですか?」

「嫌いかい?」

「一度作ったのですけど、美味しくなかったのです。うーん、人気のお店のものは美味しいでしょうか」


 というわけで、その店に向かって進みます。


「そういえば、先日のサンドイッチに挟んであったジャム、あれは、あの邸の庭で採れたラズベリー?」

「はい。以前はなかったのですが、わたしが駄々をこねまして」


 お店でもベリーは売っていますが、自分で摘んで自分で煮るという工程を楽しみたいですからね。


 わたしがそう言うと、カスバート様はふふっと笑います。


「楽しいよね。いまが摘める時期? ぼくも摘みたいなぁ」

「ええ、大丈夫ですよ。一応、庭師に聞きますけど、どうぞって言うと思います」


 そんなふうに他愛もない話をしながら、馬車で十分ほどでしょう。

 王都のはずれ――というか、中産階級が多く住む地域です。

 銀行家や弁護士、大学教授といった方々でしょうか。もちろん、そんな彼らを支える人々も暮らしています。

 ドレスの専門店や紳士服専門店、雑貨全般のお店もあります。

 きちんとした食事を出すレストラン、カフェ、花屋もあります。

 荷馬車が行きかい、使いの途中らしきメイドや、郵便配達夫、友人らしき女性たちはウィンドウショッピング中のようです。


「少し歩くけど、平気かな? 道が狭くてね」


 カスバート様に手を取られて、馬車を降ります。

 脇道を二人でしばらく歩いて行くと、何やら行列が見えました。


「うちの従僕から聞いたお店なんだけど、予約ができないんだ。さて、どうしようかな」


 ここまで来て、食べずに帰るなんて考えられません。

 それに十人程度なので、大丈夫ではないでしょうか。


 王都で行列に並んだことはありませんが、お姉様の嫁ぎ先の侯爵領の人気のパン屋に、並んだことがあります。

 もちろん、侯爵家の人間だということがわからないようにしました。お姉様もわたしも、お店のひとに色々な気を遣わせたくなかったんです。

 パンの香りが漂う中、何を選ぼうかとお姉様とふたりでおしゃべりをしていたら、待ち時間はあっと言う間でした。

 お姉様の旦那様である侯爵様に、呆れられたというおまけ話がつきますが。


「待ちましょう、カスバート様。せっかく来たのですから」

「……うん。きみがそう言うなら」

「はい」


 貴族の午前中は公園で散歩という名の社交、午後は訪問やお出かけです。

 少し余裕のある市民も同じようで、行列には、明らかに富裕層のご夫人たちやご令嬢、年配のご夫婦もいます。


 五分ほど待ちましたが、行列が進む気配はありません。お茶の時間ですから、のんびりしますよね、皆さん。

 そんなことを考えていると、前のほう――店の入り口付近から、声が上がりました。


「ちょっと、まだなの!? あたくしたちは三十分も待っておりますのよ!」


 どうやら待ちくたびれた方が、文句を言い出しているようです。


「申し訳ございません。順番にご案内しております」

「あたくしを誰だとお思いなの! 無礼にもほどがありましてよ!」

「お客様は平等におもてなしさせていただいております」

「んまあ。あなた、お名前は? こんな店――」


 あら、と思う間に、カスバート様はその揉め事の場に立っていました。


「ご夫人、このような場で声を荒げるのは、淑女であるあなたには似合いませんよ」

「ま、まあ――。んん? まさか、もしかして、シェトロン伯爵様!? まあ、なんて嬉しい驚きなのでしょう。ぜひとも、あたくしたちとご一緒に――」

「いいえ。並んで待つのも、婚約者との楽しいひとときですので、残念ですがご遠慮します」


 それから、店員のほうを向きます。

 二十代半ばの男性店員です。


「きみ、大変だろうが、素晴らしい仕事振りだと思う。それでも店主には、数席で構わないから、予約席の準備を検討してもらえないか、話してくれないかな?」

「は、はい。伝えておきます。ありがとうございます」

「では、皆さん、ここでゆっくりお茶を楽しみたいのであれば、待つ時間も楽しみましょう」


 そんなカスバート様がすっとわたしの隣に戻ってきました。


「ひとりにしてすまない」

「いいえ、大丈夫です。カスバート様、とてもご立派でした」


 本当にそう思います。

 しかしカスバート様は、軽く目を伏せました。


「……ぼくは少し反省したんだ」

「えっと、わたしはひとりでも、平気でしたよ。ほんの二、三分ですし」

「うん、それもだけど。身分を名乗って、優先的に中に入ろうとしたんだ、本当は。でも、きみは待つと言ったので、それもいいかと。あのご夫人方を見て、ああいうのは不愉快だなと思って、やらなくてよかったと心の底から思った」


 カスバート様はそんなことを白状しました。

 尊敬に値する方だと思います。

 両親や姉、カンクォット伯爵夫人の言葉は正しかったです。

 

 わたしは、カスバート様を見上げます。


「カスバート様と一緒に来られてよかったです。並びながら、他の方たちを見るのも楽しいですし、何を注文しようかしらとか、どんな味がするかしらとか、うきうきする時間も持てます」

「うん、そうだね。楽しみだ」


 それから十五分ほど待って、店内に入ります。こぢんまりしたお店なので、行列ができるのは仕方がないのかもしれません。


「お客様。先程はありがとうございました」

「どういたしまして。ぼくも婚約者にいいところを見せられたよ」


 カスバート様がそう言うと、店員さんはわたしを見てにっこりと笑い、注文を取っていきました。


 わたしたちは、紅茶とスコーンをいただきました。スコーンに添えるジャムは数種類あり選べましたが、もちろんお目当ての薔薇のジャムを。

 薔薇のジャムは、鮮やかな濃いピンクをしていました。まるで花がそこにあるかのように薔薇の香りがします。

 ただ、カスバート様とわたしの意見は、ジャムは薔薇じゃないほうがいいと思う、と一致したのです。

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