思い込みが激しいのでは?
王都のタウンハウスにいるあいだは、せっせと庭のラズベリーを摘み――もちろん領地の森には及ぶべくもありませんが、庭師が頑張って植えてくれています――、ジャムを作り、それで現実逃避をしているんですが、ふとした拍子になんとも気分が落ち込みます。
マリッジブルーですか、なんてメイドにからかわれましたが、それ以前の問題ですよ。
デビューなんて、王妃殿下に拝謁して、すぐ領地に戻ればよかったんです。わたしは何を考えて、舞踏会になんか出席したんでしょうね、本当に。
そうそう、アルモン子爵家の食事は軽いものでも美味しいと、お母様に唆されたんでしたっけ!
ジャムを食べたい、他家ではどういう使い方をしているのか知りたいという、好奇心をくすぐられたわたしは、お母様の掌の上で転がりましたとも。
お母様は、わたしに華やかな社交を一度くらい経験させようと考えていただけです。あわよくば、結婚を、とも考えていたでしょうけど、こんなことになるとはさすがに予想外でしょう。
お父様とお母様は駆け落ち寸前の恋愛結婚だったそうなので、子供たちに政略結婚をさせるつもりがないというのは、貴族にしては珍しいと思います。お姉様も恋愛結婚でしたし、弟も結婚関係はのんびりしたものです。
それはともかく。
運命のお相手はわたしではないのです。結婚したあとに本物が見つかったとしたら、カスバート様がお気の毒ですし、わたしも困ります。
ああ、でも、そうなったら、どうせ田舎で暮らすのであれば、離婚でもいいですかね。
そんな悩みを相談するため、お姉様に手紙を早便で送ったところ、すぐに返事が届きました。
お姉様は現在第一子がお腹の中にいる状態で、今シーズンは領地で、旦那様である侯爵様とのんびりなさっています。
お姉様も、お相手の特徴に思い当たる令嬢は知らないそうです。それにお母様と同じで、良い相手なので前向きな検討もありだという考えでした。ちょっとお付き合いするくらいは経験だと言ってくれました。もし嫌なら、あちらから断るように仕向ける方法もあるが、リディアの評判にかかわるかもしれないから奥の手だ、と。
わたしの評判はどうでもいいんですが、弟の代まで響くような揉め事になっても困ります。
のっぴきならない事態になる前に、考え直していただくよう、自分でなんとかしなくてはなりません。
カスバート様は、婚約後に求婚をしているような状態になっています。
突然やって来て、わたしの顔だけ見て帰ったり、手紙が届いたり、花はもちろん頻繁に届きます。
本日のカスバート様は、時間に余裕があるようで、一緒に応接室でお茶をいただいているところです。
赤い薔薇の描かれた磁器のティーセットは、お母様のお気に入りです。
テーブルに並んでいるのは、フロスティングたっぷりのキャロットケーキとラズベリージャムを挟んだサンドイッチです。
紅茶を飲み、当たり障りのない天気の話をしたあと、わたしは切り出しました。
「カスバート様。わたし、思うのですけど、子供のころの好意は、あまり意味がないのではないでしょうか?」
「思い出した?」
ぱっと顔を輝かせたカスバート様ですが、わたしが首を横に振ると、なんとも切ない顔をされるんです。
なんかもう、わたし、悪いことしてます?
心が痛みますが、気を取り直して続けます。
「子供の頃は、わたしは男の子の格好で森を歩き回って、泥だらけになっていたと思います。果物を探してつまみ食いをするのが好きだったんです。それはいまも変わっていません。手も傷だらけですし、ドレスもすぐに破いてしまうので、破けてもいいぼろぼろのものを普段は着ています。キッチンでジャムを作るのが好きなんです。それから、使用人に配ったり、教会で配布したりするんです。巷では、わたしはジャム作りの令嬢と呼ばれています。わたしは気に入っていますが、あまり喜ばしいあだ名ではないと思います。わたしと結婚すると、カスバート様、ひいては公爵家の恥になるかと思います。なので、もう一度、お考え直されたほうが――。聞いてますか?」
立て板に水のごとく語ったつもりですが、カスバート様はにこにこしておいでです。
「うん。聞いている。ぼくが思った通りだなあって思って、うれしかったんだ」
「はい?」
カスバート様は、少し遠くを見るように、口を開きました。
「きみは、はじめて会ったときは、ピンクのドレスを着た可愛らしい女の子だった。『リーです』って、恥ずかしそうに真っ赤な顔で挨拶をする姿に、一目惚れをしたんだ。そのあと、素敵な景色を見せると言って、着替えて男の子の格好で出てきた。あんなに木登りが上手な女の子がいるなんて、信じられなかったよ。弟さんは昼寝中で、その日は残念ながら会えなかった」
――やっぱり記憶にありません。
ピンクのドレスは何枚かありましたけど、たいていの女の子は持っていると思います。
木登りはしましたけど、誰かに景色を見せるなんて、そんなおしゃれなこと、した覚えはまったくありません。わたしが木に登るのは、もっぱら、木の実を取るときです。
「次の日は森へ行って、食べられるベリーを教えてくれた。食べちゃだめなものもね。あのときのベリーは本当に美味しかったんだ。ぼくは大人になったら、絶対にこの子と結婚するって決めたんだよ」
「そうですか……」
カスバート様は単に食いしん坊なだけなんでしょうか。
言い方はあれですが、餌付けすればいいのであれば、他のご令嬢にも教えてさしあげたいです。
「思い出しそう?」
「いえ」
やはり、別人――。
「絶対にきみだよ」
わたしの心を読んだかのように、カスバート様は言い切って、優雅なしぐさで紅茶を口に運びます。
わたしが小さな唸り声とともに目を伏せると、カスバート様の掠れたような声が聞こえました。
「……結婚は、いやだったかな? きみも覚えていてくれると思い込んでいて」
「す、すみません」
「いや。ぼくが勝手に盛り上がって話を進めてしまったんだ。すまない。きみは、その、最初に聞いておくべきだったんだけど、好きなひとがいるのかな? ご両親には、婚約者はいないし、好きなひとの話も聞いたことはないと言われて、それなら、ぼくと結婚して欲しいと――」
「両親の言葉は間違ってはいません。好きな方もいません」
「そうか、よかった。それなら、ぼくのことを好きになってもらえるように、がんばるよ」
とくん、と。胸が鳴りましたが、気のせいです。
そもそも人違いであれば、覚えているとか思い出すとか、ありえません。
「いや。ぼくより四歳年下なんだから、幼い頃の記憶は、あやふやでも無理はないね。見つけても、婚約者が決まっていたら、あきらめるつもりだった。でも、あのパーティのあとすぐ調べて、婚約者はいないって知って。それに、きみはジャムの令嬢なんて呼ばれて、これは運命なんだと思ったんだ。そう、きみはぼくの運命のひとなんだよ」
ああ、すべて知った上でのことなんですね。
でも、思い込みが激しすぎますよ、カスバート様。
「わたしは、ジャムを作って、田舎で暮らそうと思っていたので、急にこういう話になって、ちょっとこう、ついていけていないというか」
「ジャムを作るのを止めはしないよ。ぼくも食べたい。公爵領は広いし、あちこちの森にそれぞれ果物があるから、きみも気に入ってくれると思う。なんだったら、きみ専用のジャム工房を作ってもいい。ああ。そうだ。そうしよう。そうすれば、きみの作ったジャムをいつでも食べられる。よし、さっそく」
「待ってください!」
言うや動き出したカスバート様の腕を、思いきり引き留めます。
「ちょっと待ってください工房はけっこうですわたしが作ったジャムはいまサンドイッチに挟んでありますそれです」
一息に言い切ると、カスバート様は座りなおして、改めてサンドイッチを手に取り眺めはじめました。
「え? これがそうなの? すごく美味しかったよ。てっきり、コックの腕がいいと思ってた。本当にすごいね」
手放しの賞賛には、さすがに照れます。
「あ、ありがとうございます」
「うん、やっぱり、すごく美味しい」
本当に美味しそうに、うれしそうに食べてくれます。
ああ。このひとなら、結婚してもいいかもしれません。
――わたし、ちょろい女だったんですね……。
でも、わたしではないんです。
運命のお相手に出会えるといいですね、カスバート様。
「このタウンハウスには、ラズベリーしか植えていないので。領地に戻れば、プラムやりんごのジャムもあります」
「そうか、味比べが楽しみだ」
カスバート様は本当に甘いものがお好きなようです。