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人違いなのに婚約!?

「そうか、ホクロは左の目元だったのか。……ああ、そうだ、きみだ」

「は?」


 わたしが目を丸くしていると、はっとしたように美青年は居住まいを正しました。

 そして老婦人にまず挨拶をします。


「お話中、失礼いたします、カンクオット伯爵夫人」

「ええ、よくてよ」


 そして、わたしに向き直りました。


「シェトロン伯爵カスバート・クインスです。ええっと、改めて、お名前をお伺いしても?」

「ヴェーガモ伯爵家の、リディア・ヴェーガモと申します」


 わたしが名乗ると、カスバート様は、顔を綻ばせました。

 薔薇が咲くようなという表現がぴったりかもしれません。


「そうですか、リディア、リー、うん……。リディア嬢、一曲、お相手を」


 思わず固まっていると、伯爵夫人に脇腹をつつかれて、わたしは差し出された手を取りました。

 カスバート様は、とてもうれしそうです。

 わたしとそんなに踊りたいですか? どなたかとお間違えだと思うんですが、大丈夫ですか?


 音楽に乗って、会場でステップを踏みます。

 わたしは本当にダンスが不得手なんですが、カスバート様の手がしっかり身体を支えてくれて、とても上手に踊れている気分になりました。


 カスバート様が、じっとわたしを見つめてふっと笑います。


 なかなか破壊力のある笑顔ですね。家族の笑顔に慣れていなかったら、恋に落ちていたかもしれません――これはもう、危険物です。


「ぼくのこと、覚えていないのかな、やっぱり?」

「初対面ではないのですか?」

「子供の頃に、ぼくたちは一度会っているんだよ」


 まったく覚えていません。


「失礼ですが、人違いだと思います」

「そう? きみは、森でベリーを探すのが得意だった」

「それは、まあ、いまでもそうですが」

「うん。変わらないんだね」


 確かに、子供の頃からそういうことばかりしていましたけど。


「……ベリーを自分で摘んでジャムにします。この手袋に隠れている手は、小さな傷がいっぱいです」

「ベリーのジャムは美味しいよね。摘みながら食べるのも、美味しいし。でも手は気を付けたほうがいい。小さな傷はちくちくして気になる痛みだろう。いい軟膏をプレゼントするよ。あと、薄くて丈夫な手袋も」


 これは、新鮮な反応です。

 普通の方は、言葉もなく苦笑して終わりなんですが。


「木登りも上手だっただろう?」

「……さすがに、最近は木登りはしていません。木の枝がわたしの体重を支えてくれないので」

「きみの体重でだめなら、ぼくもだめなんだろうな。残念だ」


 淑女は幼い頃でも、普通、木に登るような真似はしません。


「会えてよかった」


 曲が終わると、カスバート様は手袋越しにわたしの指に口づけて、わたしを先程の席に戻してくれます。

 老婦人はにこにこと迎えてくれました。

 それからふと気づけば、他の令嬢方の視線がとても突き刺さってきますが、なんでしょう。


 伯爵夫人がわたしに微笑みます。


「あなた、シェトロン伯爵とお知り合いだったの?」

「わたしはまったく覚えていないのですが、子供の頃に一度会っているそうです」

「そう。あの子は身分と見た目でだいぶご令嬢たちの心を集めているけれど、中身も礼儀正しい、いい子よ。人気の花婿候補なの。でもね、ずっと思い続けている方がいるという噂だったのよ。あなたのことだったのね?」

「多分、人違いだと思いますけど……」


 わたしが首を傾げると、伯爵夫人は扇子を広げて優雅に笑いました。


「まあ、ほほほ。ロマンティックだわ」


 わたしの言葉は、信じてもらえていないようです。


 森でベリーを探すのが得意だったの、木登りが上手だったの、わたしの幼少時を知っている風だったのが気にはなりますが、カスバート様もすぐに人違いだと気づくことでしょう。



 ◇ ◇ ◇



 ところがです。

 翌々日、何を血迷ったのか、カスバート様が、わたしに結婚を申し込んできたんですよ!?


 公爵家の跡取りからの求婚など、普通の家では、諸手を挙げて賛成するところでしょう。

 しかし、わたしが田舎でひっそり暮らしたいと望んでいることを知っている両親は、断ってもいいと言ってくれました。


「それにしても、どうして急にリディアに結婚の申し込みなんて――」


 お母様が首を傾げています。わたしもそこが不思議です。


「カスバート様がおっしゃるには、子供の頃、会っているそうなんです。わたしは、まったく記憶にありません」

「ホームパーティのときかしら、それとも舞踏会、晩餐会? クインス公爵ご夫妻をお招きしたこともあるけれど、ご子息はいらしてたかしら? パーティにしろお茶会にしろ、ここでも本邸でも、ビジューが嫁ぐまでは、かなりに頻繁に開いていたし、招待したお客様がどなたかをお連れになることもあったし、お子様方も来て転んだの風邪を引いたの壊したのと、騒ぎも多かったし……。うーん」

「お母様の記憶にもないということは、カスバート様の勘違いかもしれませんね。今度そうお話してみます。というか、絶対に勘違いだと思うんです」


 そして、お父様が口を開きました。


「リディア。わたしたちは、おまえの意思を尊重したいと思っている。おまえに結婚する気がないのもわかっている。しかし、シェトロン伯爵は悪くない――どころか、良いお相手だと思う。若者にありがちな女性関係の噂もなく、紳士クラブでも羽目を外さず酒をたしなみ、カード等の賭け事も引き際を間違えることはない」

「ええ、わたくしも、そう思うわ。悪い噂は聞かないもの。強いて言えば、珍しい果物や甘いものには目がないというくらいよ。別に殿方が甘党でも問題はないでしょう? 少し、前向きに検討してみてちょうだいね?」

「はい。でも、勘違いでしたらカスバート様にもそのお探しの方にも申し訳ないので、お話はしてみようと思います」


 家族会議は、とりあえず、そんな結論に至りました。



 ◇ ◇ ◇



 正式に、お父様にカスバート様が結婚の申し込みにいらっしゃいました。


 わたしは、人違いの可能性を訴え続けるつもりでした。

 しかし、話はわたしが思っていたより、早く進んでいったんです。


「こ、婚約、ですか?」

「うん」


 カスバート様は少年のように笑います。


「ぼくは二十歳を超えているからね。婚約契約書は自分でサインした。ああ、もちろん、うちの両親は君を歓迎しているから、問題はないよ。きみの父上のサインもいただいている」


 お父様? 人違いであることを確認しなくてはいけないというお話だったのでは?


 しかしきっとカスバート様に押し切られたんだろうということは想像できました。

 公爵家からの求婚に、田舎で暮らしたいから結婚しません、なんて理由で断ろうとは思っていません。さすがに、あちらの面子もこちらの面子も、問題ありありになります。


「伯爵は、娘はまだ若いし、公爵夫人など務まらないと言っていたけど、大丈夫、ぼくが支えるから。それに、うちの両親はまだ元気だし、のんびり覚えていけばいいんだよ」


 お父様の断りの文句も、カスバート様の返しも、想像通りすぎて、わたしは笑うしかありません。


 お父様とお母様は何か相談があるとかで、お父様の書斎にこもってしまいました。

 ちなみに、かなり後になってから知ったことですが、このとき両親は、この結婚をまとめるため――田舎でジャム作り生活計画をわたしに考え直させるため――外堀から固めることを開始したのだそうです。


 そんなことは露知らず、わたしは応接室で、カスバート様のお相手をしていました。


 婚約は成ってしまったかもしれませんが、結婚しない方向へ持っていくには、まだ間に合います――間に合うと信じたいです!


 うっかりこの方と結婚しようものなら、わたし、ずっとひそひそ言われますよね!?

 百歩譲ってそれはいいとして、伯爵夫人なり公爵夫人なりがジャム作って田舎でひきこもり生活って、許されませんよね!?

 そもそも人違い!


「カスバート様。子供のころの記憶というのは、曖昧なものです。きっと、わたしとは別の方なのだと思うのですが?」

「ん? きみはリーだろう? いや、リディア。突然のことで申し訳ない。本当はまず交際を申し込んでからと思っていたのだが、両親や令嬢たちの圧力が――」


 なるほど、跡継ぎ問題と人気がありすぎるので、カスバート様は大変なんですね。


「その令嬢方の中に、お眼鏡にかなう方はいらっしゃらないのですか?」

「きみがいた」

「そうではなく」

「子供の頃。実は、将来この子と結婚しようって決めたんだ」


 ほんの少しだけ染まった頬が、なんとも魅力的です。


「でも、そのあと、きみの家に連れていってくださった祖母が亡くなって、きみの名前もリーとしか覚えていなくて」

「お祖母様が……。それはお悔やみ申し上げます」

「ありがとう。悲しかったけれど、十年近く経つからね。それで、きみを探す手立てがなくて、目と髪の色は覚えていたけど、リーという名前、目元か口元にホクロ、森のある領地、ブラックベリーの季節、だけでは。その、学生時代に、友人に少しだけ話をしたんだ。そうしたら、顔中付けボクロだらけの令嬢が何人かおしかけてくる羽目になって――」

「た、大変ですね」


 ちょっとその場面を想像してみました。なかなか怖いものがあります。


「積極的に探すのも難しくて。でも年頃になれば、きっとデビューすると思って、ずっと待っていたんだよ」

「そうだったのですか……」


 純愛です。

 でも、人違いです。本物を探してさしあげたいですね。


 わたしが内心で勢い込んでいると、カスバート様はふうっと息を吐きます。


「ぎりぎりのタイミングだったんだ。本当に、運命としか思えない」

「ぎりぎり?」

「両親に、このシーズンで婚約者を決めなければ、勝手に決めると言われていてね」

「公爵様ご夫妻は、わたしのことを――」

「歓迎しているよ。ぼくはとにかく婚約者――貴族の令嬢であれば文句は言わないからと言われているから。きみを見つけたといったら、ほっとしていた。家柄年齢に問題はないから、大喜びだよ」

「はあ」


 わたしの人柄とか噂は大丈夫なんでしょうか。お耳には入っていないんでしょうか。

 いやいや、最低限の身辺調査はしますよね、普通。

 それとも、そこに目をつぶってでも歓迎するほど、カスバート様の結婚を待ち望んでいたんでしょうか。


 わたしはカスバート様を見ました。

 我が家のきらきらしさは、男女ともに中性的な美しい系なんですが、カスバート様は凛々しい中にも可愛らしい感じがあるお顔立ちですね――じゃなくて。


「大変申し訳ありませんが、覚えていません。いつ頃、どこで、どのような経緯で、わたしとの結婚を決めるようなことがあったのでしょうか?」


 子供の頃は――いまとさほど変わるわけもなく、わたしは普通の子供でした。

 姉や弟は、女神だの天使だの賞賛を浴びていましたが、わたしはにこやかな笑みでごまかされるんです。

 まあ、特に気にはなりません。姉も弟もわたしの自慢ですからね。

 何が言いたいかというと、わたしに求婚される要素はないんです。唯一の武器となりうる持参金は、公爵家の跡取りであるカスバート様には、必要不可欠なものではないでしょう。


「んー。婚約期間中に、ゆっくり思いだして。そのあいだずっと、きみはぼくのことを考えるだろう?」


 何言ってるんでしょう、この方。

 この顔でそういうことを言っちゃいけないって、誰も教えて差し上げなかったんでしょうか。だから令嬢方に追いかけられる羽目になるんじゃないでしょうか。


 おかげ様で可愛い弟の躾を考える必要性に思い至りましたが、その前にカスバート様をどうにかしないといけませんよね。


「……万一、人違いだった場合、そのお相手を探すお手伝いをしたいので、思い出の詳細を教えていただきたいのです」

「きみが思い出してくれればいいし、きみが覚えていなくても、ぼくが覚えているから大丈夫だよ」


 大丈夫の意味がわかりません。

 人違いと言い続ければ、カスバート様の記憶力に対して失礼かと遠慮した結果、話はさくさく進んでいくことになりました。


 幸いというか、結婚式までは半年あります。その間に、どうにかしたいです。

 どうにかって、どうすればいいんでしょう!?

 純愛のお相手を探すには情報が足りません。

 リーという名前、目元か口元にホクロ、森のある領地、ブラックベリーの季節。


 両親に聞きましたが、思い当たる令嬢はいないとのことでした。

 そして、我が家全体でどういうわけか、嬉々としてわたしの結婚式に向けて積極的に動き出しているんです。

 結婚式の準備は着々と進められていきます。主なものがウェディングドレス。デザインや宝石、その他諸々――。

 わたしの意思を尊重してくれるはずではなかったんですか!?


 わたしがおろおろしている間に、社交界新聞に、わたしたちの婚約の記事が出てしまいました。

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