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冷たい雨と男の勇気と林

 「それから?」


 俺の問いかけに林はばつが悪そうに口を開いた。


 「だから、いつの間にか複数に囲まれて、もうそっからはめちゃくちゃやられて…」


 「ふーん、複数ねぇ」


 林のぐっと結んだ拳がドンと床を叩いた。


 「ひどくね、ほんとあいつら」


 その悔しそうな顔に思わず俺の喉が上下に弾んだ。「最悪」と呟く林を前にして俺は自分の興奮を隠すのに精いっぱいだった。放課後の空き教室、フローリングの床に直に腰を下ろした俺たちはお互いの顔に差し込む夕日に照らされてなんだか悲しくも見える。ここ数日のぐずついた空模様から久々に晴れた日だったというのに、林の不機嫌な顔は今にも振り出しそうな雨雲に満ちていた。


 「でもさ、林。お前そう言いながら自分でやられに行くよな」


 俺がそう言うと林は俺をぎっと睨む。


 「そんなことねえよ!」


 その鋭い眼差しを前に俺は林の深い怒りさえも美しいと思った。この世のどんな花も絵も宝石も林には敵わない。そうだ、もっと俺を見ろ。そのシャープなまつ毛で俺を突き刺してくれ。


 「そうか?いつもまた囲まれてやられたって話、毎回聞いてるような気がするけど」


 「それは、あいつらが悪いんだろ!毎回俺をターゲットにするから」


 相手の気持ちは俺にもよくわかる。林のこの激しい感情を引き出すためなら俺だって喜んでお前に襲い掛かるだろう。今だってそうだ。林の感情的になることをわざと言って俺は一人愉悦に浸っている。


 「じゃあやめればいいだろ」


 「俺だって…でもやられてばっかりは悔しいじゃんかよ。もうこれっきりって思ってるんだけど、なんかやめられなくて、そんで俺…」


 小さく肩を落とす林を今すぐにでも抱きしめて慰めてあげたかった。俺がここにいる、大丈夫だ。世界中がお前の敵になっても俺だけはお前の味方でいるよ。そう言ってあげたい。しかし、歪んだ俺の愛情はさらに林を追い詰めようとする。林のガラスのような絶望に俺という楔を打ち込んで、林もろとも粉々に砕いてしまいたい。


 「それで複数の男にめちゃくちゃにやられて、気持ちよかったんだな、林も」


「は?気持ちいいわけねえだろ!」


 林が俺の胸倉につかみかかり今にも顔面に拳を入れようとしてくる。俺はそっと目を閉じてその衝撃に備える。しかし、いつまで経っても鈍い痛みはやってこない。目の前の林はうなだれて「馬鹿みてえ」と呟いた。


 「わりい」


 林は俺を上目遣いで捉えるとそう小さく謝った。


 「あー、もっと強くなりてえなぁ」


 大の字に床に寝ころぶ林を目の端で追いかけた。少し汗ばんだ肌がぴたっとワイシャツに張り付いて直視すればその色気ですぐにでもダウンしてしまいそうだ。自分の内もも辺りの感覚がやけにはっきりと感じられる。理性と欲望の狭間で俺という男が一人もがいていることを林はどれだけ知っているのだろうか。


 「で、今回は誰にやられたんだ?」


 なるべく声が上ずらないように平静を装って俺が林に言った。林は両手を胸の上に乗せて目を閉じる。美しく埋葬された王族のようだった。さっきよりも陽が山の向こうへとその姿を隠すと、少し薄暗くなった室内の景色が妙にノスタルジックだった。


 「さあ、知らね。変な名前だったしどっかのおっさんかも」


 「…どっかのおっさん?」


 その言葉を聞いた瞬間、ひゅっと呼吸ができなくなった。気道を何か重く冷たいもので塞がれたような感覚で息ができない。苦しさの奥にいるのはもちろん林だ。どこかの知らないおっさんに囲まれて、めちゃくちゃにされる俺の愛しい林。


 「でも、実が小学生とかかもな。最近の子って成長早いし」


 「…林」


 俺の低く唸るような呟きは辛うじて林にも届いてその雨粒のような大きな瞳を輝かせながら「ん?」と返事をした。俺は堪らず林に馬乗りになって林の小さな身体を覆った。俺がこいつを守りたい。俺が林の傘になる。俺の苦しい心の叫びは自然と口から怒鳴るように歪みながら林へと流れていく。


 「林は名前も知らないおっさんや小学生に囲まれて、いいように弄ばれてぐちゃぐちゃにされたのか!!」


 今まで生きてきた17年間でもっと辛くそして向き合い難い現実が広がっている。自分の愛する人が知らない誰かのおもちゃにされてしまった。そして、そんな行為がやめられないと嘆く林に俺の前線は大きなうねりを描きながらどこまでも伸びていく。


 「お前、何言ってんだよ」

 

 戸惑う林を俺は咄嗟に抱きしめてその冷え切った身体を温める。ああ、こんなにも儚く美しい人間が林以外どこにいるというのか。この先どこの誰がこんなにも切なく美しい感情を俺に抱かせるというのか。


 「もういい!何も言うな!俺はここにいる!ずっと林のそばにいる!」


 「…いや、別にそんなこと望んでないけど」


 俺の腕の中から逃れようとする林をぐっと押さえつけると「チッ」と舌打ちした林が俺のみぞおちに拳を叩きこむ。綺麗に内臓まで響き渡る正拳に俺の口から「ごほっ」と突風が吹いた。


 「お前また馬鹿やってるだろ」


 ゲホゲホ咳き込む俺を憐れむように立ち上がった林が見下す。


 「ゴホッ…ゴホッ…だって林、知らない男に囲まれてめちゃくちゃやられて悔しかったって話だろ」


 「わざと誤解生むような言い方すんな」


 顔面を踏みつけながら林が冷たく言い放った。俺はこのまま時が止まればいいのにとさえ思った。


 「俺が言ってるのはゲームの話な。オンラインでやってたから知らないやつなのは当然だろ!しかも男かどうかなんかわかんねえし!」


 「なんだって!?お、女にいいようにされたのか!!林!」


 「ちげえーよ、ああもういい、お前うざすぎ!」


 呆れた顔で林は教室を出て行った。パタパタと床を奏でる林の足音に魅せられて俺は腹を抑えながら林の余韻に浸った。いつもそばにあるのに捕まえられない雲のような林。瑞々しい林の顔を思い浮かべ、明日の幸せも確信した。予想確立100%、それが林という男だ。




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