後宮と間違えて迷宮を作ってしまった
魔術師は疲れていた。
魔力に溢れたこの国は、なんでもかんでも魔術で解決。
それぞれの分野に専門の魔術師がいる。
彼の専門は建築だ。
建てるのは一瞬でも、設計図から魔術式の組み立てまで企画し考察し作業するのは大変な労力で時間もかかる。
ところが、資金が潤沢な公共の建物やお金持ちが発注する贅沢な建物ほど、最後の最後まで、ちょっとした思いつきでの追加や変更があるのだ。
若い時の苦労なんて忘れてしまった偉いさんや成金さん。彼らは現場が分かってないくせに、決定権だけは握っている。実に、迷惑だ。
だが、逆らうことなど出来ようはずもなく。
ここのところ、かかりきりで頑張っていた建築計画。
それは、王家の発注による新しい後宮である。
数年後に即位が予定されている王太子殿下の妃たちのために、麗しく快適な建物をと、綿密に設計し、慎重に素材を選び集め、さあ、明日は魔術による施工の日、というところまで来ていた。
なのに、今日の夕方になって、手直しの命令書が届いた。
内装の色、噴水の大きさ、柱の彫刻。
ひとつひとつは些細でも、何かを変えれば魔術式がずれていく。
慎重に直さねばならない。今夜も徹夜だ。
魔術師は頭を抱える暇も惜しみ、作業を始めることにした。
この迷惑な命令書の原因はわかっている。
すでに妻帯している王太子の第一夫人と第二夫人が、ものすごく仲が悪いのだ。
生家の派閥が対立しており、本人たちはもとより、それを更に外野の声が煽る煽る。
内装の直しなど、後から少しずつ手を入れたっていい。
だが、出来上がった瞬間に相手を悔しがらせたい人間は、最後まで手を抜かない。
というか、手を抜かせない。
「本当に、本当に、申し訳ございません!」
建築魔術師の前では、第二夫人の侍女が平身低頭していた。
すでに、要望を受け付ける役所は仕事を終えた時間。
本来なら、魔術師本人に命令書を届けるなど有り得ない。
だが、第二夫人は、第二という立場からして気に入らないお方。
なんとしても第一夫人の鼻を明かしたい。
だから、侍女に命令して書類を持って来させた。
この侍女は同じ被害者。彼女は何も悪くない。
「気にしないでください、とは言えませんけど、貴女のせいではないですよ」
「恐れ入ります」
「とにかく仕方ない。命令書を手にしてしまった以上、やるしかありません」
「ありがとうございます」
侍女は何度も礼を言うと、帰って行った。
命令書を元にした作業は難航した。
夜中、魔術師がうんうん唸っているところに侍女が戻って来た。
「お夜食をお持ちしました。少しでもお休みください」
「これは、なんと。ありがとうございます」
徹夜仕事を押し付けられたことは何度もあるが、夜食の差し入れをしてもらったのは初めてだ。
「美味しい!」
「恐れ入ります」
「これは貴女が作ってくださったんですか?」
「はい。お口に合ってよかったです」
ほっとして気が抜けて、魔術師は思わずぽろっと言ってしまった。
「こんな差し入れ弁当を作ってくれるような、お嫁さんが欲しかった」
「私も、手料理で喜んでくれるような旦那様が欲しかったです」
魔術師も侍女も、偉い人の我が儘に振り回されるばかりで、自分の幸福など顧みる時間はなかった。
あら、まあ、それじゃあお付き合いしてみますぅ? などという甘い展開を望む気力も無く、二人の間にあるのは深い共感のみ。
侍女の励ましもあって作業はなんとか間に合い、予定通りに後宮は建築されることとなった。
更地に用意された資材といくつもの魔法陣。それらが術式の展開であっという間に建物になる。
着工日が竣工日。隣には既に落成記念式典の準備がされ、王太子を始め犬猿の仲の第一夫人と第二夫人が待ち構えていた。
「始めよ」
宰相の号令のもと、魔術師は魔力を注ぎ込み、術を発動させた。
更地に置かれていた資材が空を舞い、次々と組み上がり、地面に吸い込まれ……
吸い込まれ?
あれ? ん? 何かおかしいぞ?
居合わせた人々の騒めきの中、全ての術が完結した。
え? え? え?
更地の上には頑丈そうな扉が一つだけ。
他には壁一つ、窓一つ見当たらない。
「これは、どういうことか?」
宰相に問われるまでもなく、魔術師は理由を考えていた。
最終確認時には何の問題もなかった。
だが、その後で第二夫人の命令書が来て。
頑張って徹夜で仕上げたが……
そういえば、一瞬だけ寝落ちしそうになって、あの時やっていた作業は。
「あ!」
魔術師は思い当たった。
『後宮』と入れるべき文字を『迷宮』にしてしまったかも。
記憶は定かでないが、結果から考えて、そんな感じかも。
「おい! 早く説明しろ」
宰相が焦っている。
そりゃそうだ。
早く原因を突き止め、さっさと責任者を処罰しなければ、自分に責任が降りかかる。
つまり、魔術師は詰んだ。
いくら説明して謝ったところで、仕事はクビ。
クビだけならマシな方で、仕事の規模からいって極刑かもしれない。
たぶん、極刑だろう。
ほら、第一夫人も第二夫人も相当なお冠。
第二夫人が扇子でビシバシ叩いているのは、ゆうべの侍女じゃないか。
彼女も、無事では済まないかもしれない。
その時、魔術師はすべてに見切りをつけた。
どうせ極刑。お先真っ暗。ならば。
魔術師は疲れた身体に鞭打って侍女のもとへ駆け寄ると、彼女の手を取って迷宮の扉へと走り出した。
「どうせ罰せられるのです。一緒に逃げませんか?」
驚いていた彼女は、そう言われて笑顔で頷いた。
二人は迷うことなく扉を開け、未知の空間へ踏み出した。
その後、彼らを連れ戻すべく迷宮へ捜索隊が派遣されたが、誰一人として戻ってこなかった。
第二陣、第三陣ともに状況は変わらず、これ以上はさすがに人員を失えないと一帯は厳重に封印されることとなった。
逃げた魔術師と侍女については、遠くの国で幸せになったとか、迷宮の奥で魔王になったとか、いろいろな噂話がささやかれた。
どれ一つとして根拠はなく、ただ人々の心をひと時だけ自由に誘う、大人のおとぎ話として語り継がれていった。