偽りの実力
現在地から北東の方角、エスヴァプを目指して旅を進める。サンとルイは馬に跨り、俺は走るという恒例の移動術だ。
魔界はとても広大で、六芒星の森林までには野営が必要だった。魔界の闇夜で寝床を作り、入れ替わりで見張りを立てる。こと女性には辛いものかと思いきや、思いのほか堪えたのは俺の方で、虫が頭の側を這っていた時には心臓が止まるかと思った。
翌朝にげっそりとする俺を見て、サンが心配そうに顔を覗く。
「クロス、大丈夫か? 顔色が良くないが……」
「ああ……死にはしないからね。けどあんなゴキブリみたいな虫を、よく手掴みで触れるな」
「別に毒虫じゃないからな。それにあの虫はどこの大陸にもいて、意外と味だって悪くないんだ」
「あ、味……」
やはりサンは経験という点に於いて、俺より遥か上に位置している。しなくて良い経験も多分に含まれているけれど。
二日目も走ること暫くして、前方に小さな林が見えてくる。そこは目的の場所ではなかったが、しかし泉が湧き出しており、休憩を取るにも最適な場所だった。
俺たちにとって居心地が良ければ野生生物もいて然るべきだが、しかし何故だか魔物の気配は感じない。いわゆるセーブポイント的な場所かと勘繰るが、泉以外には豊かな自然が広がるのみで、特にシステム的な配慮は見られなかった。
「まぁ、いずれにせよ幸運だったな。これからは風呂も入れないと思ってたし、泉でさっぱりしたいところだぜ」
「クロスは後回しです。女性陣が先なのですよ」
「覗いたりするなよな。どうせ見れないのかもしれないが……」
何故だか警戒されているが、んなこと言われなくたって、特にルイを見る訳にはいかないだろう。幼女の裸なんて、現代倫理で言えばサンを見るより犯罪的だ。それにサンの言う通り、どうせ見えるところなんて腰より下くらいなもので――
いや、余計にまずくないか? ならば絶対に見てはいけないんだけれど、むずむずとした感情が奥底から湧き上がる。なんとか無心を心掛けたいが、キャッキャウフフと艶やかな声も聞こえてくる。
「私が触ればサンの体も見れるかもしれないです」
「あはっ、確かにな。別にルイなら構わないぞ」
…………ごくり。
膨らみから察するに、サンは相当なものを持ってるはず。そしてそのお山を見ることは、ルイとセットが絶対条件。この世の誰よりも希少なものだ。
チャンスは……これ限りなのでは? これを逃したら、二度と拝める機会はないのでは?
そしてウェアの仮想空間は、相応の年齢と教育さえ見込めれば、アダルトな行為だって許されている。それが理由でこの世界に憧れる者が多いやらなんやら。無論、倫理を逸脱する行為に対しては、ペナルティが下るようになっているらしいが。
やるか? やってしまうか? ちょっとしたお色気シーンは、むしろファンタジーには付き物だ。ある意味で真っ当な主人公的な行いで、読者の期待に応える正義であるともいえる訳で――
「ちょ……ちょっとくらいならいいかな……ちらっと見るだけだし……」
「そうだそうだ、やっちゃいなよ! でも裸なんか見て楽しいの?」
「そりゃあ楽しいか楽しくないかで言われれば、楽しい方に全振りだろうな」
「だったら僕はいつも裸に近い恰好だぞ。ずっと楽しいやつってことかぁ」
「つったって、お前は獣人で猫みたいだし、俺はそんなに興味は――って……」
隣で喋るこいつは――誰?
「うぉああああああ!」
「はにゃぁああああああ!?」
い……いつの間に――いや、俺が夢中になってただけか。黄金の体毛に尻尾、そして頭に生える猫みたいな耳は、船上で会った四天王の一人に間違いない。
「クロスゥゥゥ、どうかしたのかぁ?」
「覗きは駄目ですよぉおおお」
「ののの、覗きなんてする訳ないじゃないですか! そそそ、そんなことより四天王の一人が現れた!」
「なんだってぇえええ!」
「すぐ出まぁす!」
「いや……水浴び続けて構わないぜ。俺が今すぐぶっ倒してやる!」
改めて魔物に目を向けると、目を細めては不敵に笑う。
「今の発言はいただけないなぁ。誰をぶっ倒すって?」
なにやら自信ありげだが、しかしこいつは馬鹿なのか? 魔物の気配はただ一人で、四体一でも勝てないのに一人で向かって来るなんてよ。
「度胸は認めてやるが、正直それは自殺行為だぜ。名前も知らねぇお馬鹿さんよ」
「ば……馬鹿って言ったな! 僕にはエウレタンって名前があるんだよ。そんで馬鹿って言ったお前がバーカバーカ! この土地にまんまと訪れやがって!」
な……まさかこの土地には罠が仕掛けてあるのか? だから辺りに生物の気配がない訳か! 一見して馬鹿に見えて、こいつはとんだ策士なのかもしれない。
「周辺の魔物も追い払ったし、これで一対一だからな。邪魔者も入らないって訳だよ。ふふん♪」
やはりただの馬鹿だった。こちとら三人パーティなんだよ。まあ、お望み通り一対一で相手はしてやるがな。
「満足したならかかって来いよ。だが覚悟しろよ? 生かしてやれる自信はねぇ」
「は? 何を言ってるかよく分からないけど……とりあえず、これでも喰らえぇ!」
勇ましい掛け声を張り上げるエウレタン。向かって来る足は途轍もなく――
遅い、めちゃくちゃ遅い。獣的な見た目をしてる癖に、これじゃあ人が走るのと変わらないじゃないか。覚束ない足取りで拳を大きく振り上げるエウレタン。まさかその拳を、単純に振り下ろすだけなのか? 楽に受けることもできるが果たして……
いや、というかそれが狙いなのでは? 四天王たるもの特殊な力を持っていて、安易に触れるのは危険かもしれない。
悠長な走りがようやく目前まで迫って来る。大振りのテレフォンパンチを悠々と躱して、必殺の一撃を叩き込む。その流れで勝負はおしまいにしてやる――
「ぶはっ……」
唐突に目の前の景色が霞んだ。直後にがくんと膝が落ちる。
「一体、何が……」
再び巨大な衝撃が俺の腹を貫いた。鉄臭いものが胃から込み上げる。
「おげぇぇぇ……」
朧げな視界は真っ青に移り変わる。もしかしてこれは空なのか? 身体が浮くほどに吹き飛んで……そんな馬鹿な……俺の肉体は無敵のはずじゃ……
どすんと背中に衝撃が走る。恐らく地面に背中が激突したのだろう。その前には腹を蹴り込まれて、更にその前のはじめの一撃。脳裏に焼き付くのは、神速のパンチを叩き込むエウレタンの姿。
「お、お前……実力を騙してやがったのか……」
「そうとも言えるし、そうでないとも言えるかなぁ。けどまぁ次の一撃で、とっととくたばっちまいなよ」
ま、まずい……ダメージが深くて……詠唱すらも……間に合わなくて……
「待ちなさい!」
その叫びはルイのもので、両手を合わせる詠唱で火炎弾を放つ。
だけど無理だ。俺でも敵わないんじゃ、ルイの力ではどうにもならない。なんとか身体を動かして、ルイとサンだけでも助けねば――
「うぎゃああああああ!」
火炎弾に当てられて、その場を転げ回るエウレタン。
ダメージを受けてる……ふりなのか? このレベルの実力者に、下級魔法が通用するとは思えない。何が何だか……全然意味が分からない。
「クロス! あなた忘れたの? 画面を開いてその場に留まりなさい!」
そういえば、俺にはその回避方法があったんだった。戦闘中にだって、そういう使い方はできるんだ。
「く……くそガキめ……真剣勝負に水を差しやがって」
「う……」
だけどまずい。エウレタンの怒りの矛先はルイに向かってしまっている。こちらに誘導しなければならないが、もし透過バグがバレてしまえば、攻撃の通じるサンとルイを狙いかねない。仮に人質でも取られたら最悪で、ならばここは俺とエウレタンの一対一に持ち込まなければ。
「ま、待て……エウレタン。勝負だったら俺がやるから、正々堂々戦うから、だからこっちを向くんだ!」
痛む腹から掠れた叫びを絞り出す。振り返るエウレタンの瞳は野生の猛獣そのもので、これまでの間抜けの面影は鳴りを潜めていた。
「本当かなぁ? 嘘吐いたら……許さないからね」




