四天王の苦悩
船出から暫くの内は不安感が身体を取り巻く。海洋恐怖症などという幻想の恐れではなく、紛れもない怪物が海面の下に棲んでいる。
巨大魚なのか鮫なのか、はたまたでかいタコなのか。しかし海面から首を覗かせたのはそれらを上回る、首長竜のような巨大な水龍の一種だった。サンは空想とし、ルイはいると言ってきかなかった、伝説の水龍の登場の瞬間――
直後にパニくった俺が頭部に一撃蹴り込むと、水龍は再び海へと沈んでいった。
あっさり片付いてしまったが、どうやらその水龍は伝説級で、勝る海の魔物はいないとのこと。であれば未知の恐怖は取り払われて、今は潮風に当てられてのどかな船旅を満喫する。
しかし同じ状況にありながら、気分を悪くする者が横にいる。
「う、うぅ……うぇ……」
「船、駄目だったんだな。サンは」
いつもの凛々しさはどこへやら、嘔吐くサンは弱弱しく項垂れた。
「馬は……平気なんだがなぁ……うぷ……」
あぁあぁ……見ちゃいられないし、見てやらない方が良い気もする。ここはひとまず女同士、ルイに任せることにしよう。
甲板を下って船長室の真下の部屋。舵に近いその場所が魔導船の動力室だ。床板には術式が描かれており、中央に備わる台座の上に淡く輝きを放つ珠が置かれる。それこそが魔導船の動力である魔道具であり、ルイは珠に這わせるように掌をかざす。
「疲れたろ、そろそろ代わろうか」
「ふぃ~、助かります。思いの外しんどいのですよ」
ただ手をかざしているだけに思えるが、着実に力は魔道具に吸い取られる。ましてや船一隻を動かすのだ。腕力で引いたと考えれば、どれだけのパワーワークかお分かりだろう。
「ついでにサンのやつ酔っちまって、ルイが世話してやってくれよ」
「酷い押し付けなのです」
「俺だと女の恥じらいがさ……なあ、頼むよ」
「まあ、それは一理あるわね」
……ルイはどちらが本性なのだろう。幼き礼儀と、大人びた不遜。不遜と言うのは言い過ぎだが、砕けた大人の会話というか。
「じゃあサンの世話をしてくるのです。動力はクロスに任せました」
ぱたぱたと駆け出して、後ろ髪靡かすルイの背中。これだけを見れば幼い少女なんだけどな。
動力の役目をルイと代わり、珠に魔力を込めはじめる。ルイがやっても俺がやっても、速度にそれほどの差は出ない。魔導船の出力には限界があるからだ。舵は船員に任せているし、細かな技術も特になくて、俺とルイの違いは持続力くらいだろう。
ステータス画面を開いてしまえば珠には触れられない。となるとただボーっと、俺にとっては散歩程度の魔力を垂れ流す。
ふわっとした意識が暫く続いた後、ふと船外に魔力の気配を感じた。海の魔物が現れたのか。しかし気配は唐突で、湧き出るように、ぽっと突然。
それを感じた直後に、俺は動力室を飛び出した。未だ懸念の段階だが、同じ轍は二度と踏まない。危険を感じたら即行動だ。
最速で甲板に飛び出して、感じた魔力に目を向けると――
「ほうほう、では頼まれて大陸に出向いていると」
「魔界に向けて船を出すなんて、あんた達って馬鹿よねぇ」
「…………」
「これが魔導船かぁ、かっけぇなぁ……」
すぐに攻撃に移らなかったのは、その四人組が船員と会話をしているから。赤髪の騎士のような男に、透けた羽の女は妖精だろうか。土気の肌の暗い女に、耳と尻尾の生えた獣人。人間でないことは確かだが、果たしてこれは一体。
「ク、クロス……突然……うぅ……変な奴らが……おぇ……」
「サンは無理するなよ。ルイは分かるか?」
「分かると言われると微妙ですが、状況だけ話します。彼らは突然現れたのです。そしてああして、ただ船員と話してるのです。目的は不明ですが、魔物であることは間違いなさそうです」
「敵かどうかは分からないってことか。穏便に済めばいいけどな」
「向かうのは魔王の大陸なのですから、検閲と考えるのが自然です。ですが雰囲気が可笑しいのです。遊んでいるというか、暇つぶしというか……」
うぅん、よく分からないが、見たとこあまり強そうにも見えないな。襲い掛かる獣じゃないのなら、殺してしまうのも気が引ける。話が分かるのなら、とりあえず会話で済ませるか。
「なあ、君たち。勝手に他人の船に失礼してるようだけど、領海に入ったのならこちらも失礼した。だけど目的があるんだよ。君たちには手を出さないから、大人しく通してくれると有難いんだけど」
四人同時に目を向けられ、無言の圧にちょっとたじろぐ。
「なにこいつ、ビビっちゃってるじゃない」
「やぁい、ビビりは黙ってろい」
「…………」
「――いや待て、君がこの船の動力源ですかね?」
言わせておけば――いや、一人は何も話してないか。しかし赤髪の騎士のようなこの魔物。こいつはけっこう話が通じそうな気がするぞ。
「そうだね、後ろにいるルイと一緒にだけど。それがどうかしたのか?」
「なるほど。魔導船を動かせる力を持ち、ここまでの距離を訪れる持久力。なかなか骨がありそうですねぇ」
「おい、答えになってねぇんだよ。それを知ってどうするって話をしてんだ」
しかし答えず、向かい合う四人組はほくそ笑む。ったく、妙な含みを持たせやがって。やはりどいつもこいつも話が通じないみたいだな。仮にこいつらが四天王なら、魔王もさぞや苦労するだろうに。
「まあ、それを知るとですね」
「……少しは……楽しめる……」
「玩具になるかなぁってさ――」
「そういうことだわぁあああ!」
示し合わせたかのように一斉に、飛び掛かってくる四人の魔物。一人は片手に剣を振り上げ、一人は魔力を湛えた掌を向ける。一人は四肢を掴まんと床を這いずり、一人は身軽に飛び跳ね拳を掲げる。各々が闘気を纏わせながらに、目にも留まらぬ速さをもってして――
四人の頭蓋を、船の甲板にぶち込んでやった。
「うぐ……」
「ぐえ……」
「……南無」
「ぎゃ……」
最強でもバグは恐ろしいが、単に力で挑めばこうなることは明白だ。
「お前ら一体、何がしたいのかはっきり言えよ」
……返事がない、ただの屍のよう――
「勝手に殺さないでください……しかしこれは……」
「あ、ありえないわ」
「……この力は……まさか……!」
「レイザーよりも強いじゃん!」
甲板から首を引っこ抜いた彼らの顔には驚愕が浮かぶ。
そしてなんだ? レイザーだって? こいつらの親分か何かなのか?
「お……おえ……ク、クロス……そいつらは恐らく四天王だ……」
「え? こいつらが?」
「そ、そうなのです! レイザーは魔王の名前です! そしてクロスは気付きもしませんでしたが、一人一人が水龍以上の力を有してるのです!」
「まじかよ! じゃあこいつらは魔王直々の配下っつうことか!」
冗談だったつもりが、まさか本当に四天王だったなんて。そして遂に魔王の手掛かりが向こうの方から現れた。
「これは……完全に予想外です。まさかこれほどの実力者だったとは」
「どうするの! このままじゃレイザーのおつかいは失敗だ!」
「……いえ……そうじゃない……」
「連れて行ってどうすんのよ! むしろ会わせないようにしなきゃ駄目じゃない!」
あ、まずいかも。実力が知れてしまえば、そういう話の流れになっちまうか。
「あ、あはは……俺ね、魔王、興味ない。おっけぇ?」
「え、そうなの?」
「……だったら……」
「なんで――」
「この大陸に向かっているのです! それほどの実力を持ちながらに、観光ということはないでしょう!」
ちっ……さすがにこんな言い訳は通らないか。事実俺たちの目的は魔王の打倒なのだが、このままでは魔王に逃げられてしまうかもしれない。
でも待てよ。魔王からは逃げられないとの名言を聞いたことがあるが……逆はどうなんだ。
「ま……魔王が逃げたりすんなよな!」
「確かに……いや、別に決まりはないんですけれど……」
「そうだわ。レイザーの性格からして――」
「……絶対に……」
「逃げたりしないよぉおおお!」
腕を組み頭を抱え、各々が苦い表情を露わにする。この反応を見るに、魔王はプライドが高いのかもしれない。
「とりあえず一旦は退かせてもらいます。しかし目的は何であれ、魔王に挑むと言うのなら、またいずれ近い内に――」
四人の足元には素早く魔方陣が描かれる。そして光が立ち昇ると、四天王は甲板から姿を消し、静寂が舞い戻った。




