ミス
「ル……ルイ!」
サンは思わず声を張り上げる。誰だってこの瞬間を見れば、ルイがワイバーンの巨体に圧し潰されたと感じて仕方がない。だけど宙を舞うルイに傷はなくって、それでいて小さなその体躯は、俺の腕に包まれているのであって――
「クロス!」
「ぎりぎりだったな、遅れて悪かった」
ルイの身体はとても軽いが、しかし意気込みはそうではない。必死にワイバーンと戦って、その想いは心を通じて伝わってくる。
「た……助かったわ。これで私は二度も貴方に――」
「二度って、前に助けたことなんてあったけか?」
「あ、いえ……こちらの話なのです。失礼しました」
何か引っ掛かるし、それでいて今の口調、大人っぽいと思ってはいたけど、更にそれがこなれた感じだ。
「ありがとな、ルイ。あとは俺に任せとけ」
ルイを下ろして振り向けば、最強種の一端であるワイバーンが荒々しく牙を剥く。現実であれば尻尾を巻いて逃げ出して、その尻を身体ごと食われておしまいなのだろうが、ここは仮想空間で俺は最強。であればその結果は――
飛び掛かるワイバーンの頭蓋に一振り、その一撃でもって叩き伏せる。地面に埋まるワイバーンは抗うことも悶えることもなく、落とした拳骨で鎮まり返った。
「あ、圧倒的ね……これがクロスの――って、まずい!」
はっと何かに気付いて、直後にルイはサンの方へと向き直す。
「サン! 後ろにバグが迫ってるわ!」
咄嗟にサンは振り向いて、俺も同時に目を向けた。するとルイの言う通り、サンのすぐ後ろには迫り来るバグが景色を吸い込む。
しかしサンにはバグが見えない。それが仮に迫り来る炎だとしたら、急いでその場を離れたかもしれないが、サンにとっては一見して平和な自然が映っている。
サンは反射で逃げることができず、そして呆気に取られてしまっていた。
「な、何してんだ! 早くその場から離れろぉおおお!」
咄嗟にサンを怒鳴りつけて、それようやく事態に気付いて、本当にすんでのすんででサンは足を走らせた。
駆け足は浸食より速く、サンは無事に俺たちのもとに辿り着く。そして悪びれながらに両手を差し出し、その手に握るものはパナセアの茎だった。
「悪い、つい唖然としてしまって……だが見ろ、パナセアの花は手に入れたよ。これで目的は達成でき――って、どうしたんだクロス。びっくりしてしまったのか?」
いたずらに笑って見せるサンだが、パナセアを手に入れていたことに驚いていた訳ではない。サンの持つ茎の先には、何か淀んだ、白い塊が揺らいでいるからだ。
「お、おい……それ、どういうことだよ。サンが持ってるのはバグじゃねぇか!」
「…………え?」
声を荒げた拍子に、サンの手からはパナセアの花だったものが滑り落ちる。
「わ、私がサンに叫んだ時にはちゃんと花が見えていたのに……まさかバグが迫るその瞬間、駆け出す時に引いた手が、花弁の部分を呑み込んでしまって――」
事実はそういうことだった。ルイの言う通り、サンは呆気に取られたその時間で、不運にもパナセアの花の部分をバグに巻き込んでしまった。そしてバグはもはや山の大半を包み、おまけに標高の高い部分は大方呑み込まれてしまっている。
「ど、どうすんだよ……おい。パナセアの花が無ければイベントは不成立。泳いで海を渡れってか? そんなん無理だろ。時間が掛かりすぎるし、二人を連れていくことはできない……」
まずい……まずいぞ。他に何か方法は? 今から他のパナセアを探すか? しかしこれはキーアイテムで、一か所にしか咲かないことも十分に考えられる。それにそもそも、もう探す時間などは残っていない。
「あ、う……す、すまないクロス、本当に……私のミスでこんなことに……」
申し訳なさそうに項垂れているが、事実これはサンのミスだ。バグはサンには見えないが、それは既に知っていたのだし、例え目前に何も映らなくても、すぐさま駆け出すべきだったんだ。
「危機を教えたって言うのに、なんですぐに逃げなかった! もはや山から帰還するしかないし、であれば姫は救えない! お前のせいで姫は病で――」
「やめなさい!」
その声は下方から、幼いルイの発した怒声だった。
「悪いけど、ルイは少し黙って――って……」
その場に腰を落とすと、ルイはバグを拾い上げる。すると見る間に茎の先には、白く花開くパナセアの花が蘇った。
「私の力、これでパナセアは一時的に花を咲かせる。これを姫に服用すれば、それで話は済むことよ」
「しかし、その手を離せば花は再び……」
「ええ、そうね。また再びバグの症状が現れるでしょう。しかし治療に必要なのは花のみで、茎を握れば花は蘇った。であれば少し面倒だけれど、効果が現れるまでは肌身離さず持ち続ける。消化されて排出されれば、後遺症となることもないでしょう」
「それは確かに、そうかもしれないが――」
分からない。だがそれしか方法はないだろう。そもそも仮想ならば、成分は身体に残らないかもしれない。触れる時だけ元通りならば、異常が現れない可能性も十分に考えられる。
であればバグも迫っているし、この場に留まる必要もない。帰還魔法で二人を連れると、その後は転移でハイネに戻る。
「門兵もいるし、城には俺しか入れない。俺は花だけを持っていくから、ルイはしっかりと茎を握り締めていてくれ」
「言われるでもなく、絶対に手放したりはしないわ」
ルイと頷き合い、そして城内へと歩みを進める。王に帰還を伝えて、再びシルク姫の部屋を訪問する。
「シルク姫、パナセアの花は手に入ったよ」
「なんと本当に……ご無事で幸いでした。そして何より感謝致します」
その後は薬師の立ち合いのもと、パナセアの花はシルク姫に服用された。それと同時に見る間に生気が溢れ出し、健康な肌色を取り戻していく。さすがに効果が早すぎるとは思うが、RPGの解毒アイテム然り、それを問うのは野暮というものか。
「おぬしは――いや、クロス殿は国と姫の恩人だ。約束の船はもちろんのこと、是非とも我が国で歓迎をしたいのだが」
「それは有難いお言葉だが、なんせ急ぎの旅なものでね。あまりここに滞在できないんだよ。明日にはハイネを発つつもりだ」
「それは残念じゃ、しかしせめて今日一日は祝わせてはくれまいか?」
「それはいいけどお願いが一つあって、門兵を取り払ってくれると嬉しいかな」
レベルチェッカーの門兵だが、もはやイベントもクリア済みで用無しだ。そうしてサンとルイを招き入れ、その日は城に泊まることにする。
夕食の宴は非常に豪華なものだった。城であれば当然なのかもしれないが、このストラユニバースを訪れて、はじめて見る料理の数々。俺たちはとりわけ目立つ客席に促され、傍らには王のアーサーが腰掛ける。
「姫の姿が見えないみたいだけど」
「さすがに今日は様子を見て療養中だ。しかし既にピンピンだし、本人はクロス殿に失礼だと言って、出席したがっておったがな」
王の言うように、恐らく既に姫の状態は万全なのだろう。いやはや良かったことなのだが、本来は急ぎでなければ幾日かをハイネで過ごし、姫を交えた盛大なイベントとなるのだろうか。
そして宴も進んで、はじまるのは国の歴史。王の口は饒舌で、碌に食事も取れやしない。隣には王の他にルイが座り、俺の腕を引いては扉の先を指差した。
「ど、どうしたルイ」
「お手洗いに行きたいのです。クロスに付いて来て欲しいのです」
これはチャンス、ナイスだルイ。さっそく王に断りを入れて席を立つと、足早に会場の外へと歩き出すルイ。果たしてそんなに我慢していたのだろうか。
「気付かなくて悪かったな。あと、王の話から逃がしてくれてありがとう――」
「そうじゃない」
ここでまた再び、ルイの雰囲気が様変わりする。
「謝るのも、感謝するのも私じゃない。早くサンを探しに行きなさいよ」
「え? あ、そういえば姿が見えないな。宴のはじまりはいたはずだけど」
サンはルイの隣に座っていて、あまり食は進んでいなかったようだけど、確かにいたのを覚えている。その後は王の話に気を取られて、いつのまにか何処へやら。
「でもま、戻ってくるだろ。せっかくのご馳走なんだし、たらふく食わなきゃ――」
「ご飯なんてどうでもいいわ。それより大事なことがあるでしょう」
「なんだよ、やけにつっかかるね」
「当然でしょう。罪は償うことが大事だけれど、あなたは罪に気付いてすらいないのだから」
罪……この俺に罪があるって? 俺、何かルイに悪いことしたか? ルイは蔑むような言い種だが、しかしルイの眼差しは真剣で、決して見下しているようには見えなかった。
「私はクロスの味方だし、それはこれからも変わらない。あなたの為に命を懸けるし、死ぬことだって怖くはない。だけどね、これだけは言わせて――」
”サンは悪くない。クロスはサンに謝って”
「――――え」
「元はと言えばパナセアの花の浸食は、注意の遅れた私の失態。気付いていながら、ワイバーンとクロスに気が向いてしまった。そしてクロスはサンにこう言った、知っているならば、なぜすぐに逃げなかったと」
「あぁ、そう言ったな」
確かに棘のある言い方だったと思う。だけれど絶対にミスのできない案件で、言い分に間違いはないと思うのだが。
しかし次のルイの言葉は、その想いを、理屈を、粉々に破壊する、とても大事な言葉だった。
「だったらなぜ、クロスはすぐに私たちのもとに来なかったの? 助けてもらってなんだけど、クロスは危険を感じたら、すぐにこちらに来ると言わなかった? まさか何かに気が向いて、来るのが遅れたなんてことはないでしょうね」
「う……」
そうだ。俺は二人の気配に気付く前、バグの浸食に気が散った。その時間が無ければ、きっとサンの駆け出す一瞬を安全なものへと変えられたに違いない。
「人ならば誰だってミスはつきもの、そして今回は三人がミスをした。だけど悪者なんていなくって、それをクロス一人が、サンを責め立てることはできないはず」
「そうだ、そうだよ……俺、サンに酷いことを言っちゃった……」
馬鹿だよ、自分のミスを棚に上げておいて。ヒドラの際に反省しておいて、そして再び同じミスを。そもそもパナセアの花だって? 俺はサンを危険に晒したんだ。バグに巻き込まれなかったサンの安全を、一番に喜ぶべきだったんじゃないか。
「お、俺……行ってくる……」
「はいなのです。王の話は、私が笑って聞き流しておきます」
「ごめんっ!」
そうして俺はサンを探しに、会場を背に走り出した。




