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救済

 その日、仮想空間で言うところのルイという少女は、公園で一人ぼっちで遊んでいた。家では親がうるさいし、子供心ながらに居心地は悪いと感じる。親が子を疎んでしまえば、健全な人間関係を築く技術は損なわれて、ルイは上がりたての小学校に於いても、友達はなく孤立していた。


 砂場で一人で遊んでいると、そこに猫が一匹訪れる。野良ではあるが、人間慣れしていたその猫は、ルイを前にしてちょこんと座った。首を傾げるルイが手を伸ばしてみると、猫は差し出した手の匂いを嗅いで、そして体を擦り寄せた。


 ほんのそれっぽっちのこと。それだけでルイは、この猫と友達になれたと思った。それほどに他者はルイへの興味が薄く、誰も声すら掛けてくれない。だからルイは僅かばかりの気まぐれと、真の好意の区別がつかない。


 当然、猫は気まぐれの側で、興味が無くなればルイの前から姿を消す。しかしルイは猫を追いかけた。せっかくできた友達なのだ、もっと仲良くしたいと思ったのだ。


 追われる猫は逃げ出した。何の気なしに、寄れば餌でもくれるかもしれないと、その程度の思惑で近付いたのだ。親しくもなければ餌もくれぬルイは、もはや猫にとっては用無しだ。公園を飛び出て一目散に反対の車道へ、そして塀の陰に姿を消した。


 それでもルイは諦めない。もっと構ってくれと、私を見て欲しいと、切なる想いで公園を飛び出したルイは――


 目の前にまで車が迫っていて、硬直した身体は避ける選択肢を奪われる。しかし車の方はすんでで気付いて、急ハンドルで車体を旋回させると、ルイの体を掠めた直後に、トラックに車体を潰された。


 その衝撃は凄まじいもので、幼いルイの目からしてみても、とても無事では済まないと理解する。そんな中で砕けた後部座席から姿を現す、ルイより少し上の男の子。ふらふらとよろめきながらも、倒れたルイに歩み寄った男の子は――


 大丈夫かと、そしてごめんなさいと、しかしルイには分かっていた。非があるのは自分の方で、そして恐らく彼の親は……


 ルイはひたすらに謝り続ける。それを男の子は不思議そうに見ていたが、それでもルイは謝り続けた。


 ルイの両親は普段娘に興味が薄い癖に、ここぞとばかりに怒り狂った。そして医療費に加えて多額の慰謝料も得て、その後の生活は激変した。塾にも通わせてもらえたし、いい高校、いい大学にも行かせてもらえた。そして就職先は仮想空間誘導システムに携わる、ウェアという一流企業。


 今では両親もルイに甘いし、世間体にも自慢の娘だ。しかしルイは成功を納めながらに、事故以降は心の底から笑えたことがなかった。いや、その前の人生も含めて、ルイは生涯一度として、真に笑ったことなどないのかもしれない。


 真実の幸福を得る為にも、大人となったルイは当時の男の子の素性を調べたが、今となっては行方も分からず。


 そんな折、受付に一人の男が現れた。なにやらSランクのチケットを手に入れた、とてつもない幸運を持つ男。努力ではなく運だけとは、それで恵まれるなんて己と同じ理不尽な奴だと、そう思った矢先のこと。


 ルイはその考えを改めた。この男は幸運を掴むべくして掴んだのだと。罪深き己とはまるで違う、真に恵まれるべき人間なのだと、ルイはすぐに改め直した。その男は探していた男の子と同姓同名であり、薄っすらとだが面影が残っている。


 その場でルイは正直に謝ろうと思ったが、しかしそれが何になるのだ。これから心地よく仮想空間に旅立つというのに、水を差してどうするのだと。結局ルイは何も言わず、しかし気になり最後までを見届けることに。


 男が異世界に旅立った後、同僚の一人との話の最中、妙な案件が目に付いた。その者の名はクロスといって、恩人と同じハンドルネームであり、ストラユニバースに向かった人間だ。彼の世界が危機に見舞われているようだが、同僚は真面目に対応してくれない。


 人間関係の薄いルイは、休みにすることも特に無く、幸いにして有休は有り余っていた。そして異世界旅行の福利厚生も未だ手を付けてはおらず、使う機会はここしかないと感じた。ルイは突発で有休を願い出て、少し疎まれたものの押し通す。


 職員の福利厚生の条件として、世界観を乱してはいけないというものがある。AIという存在ならまだしも、仮想空間を訪れた転生者と呼ばれるお客様たち、その者たちには決して素性を明かしてはならない。そして目立ちすぎる強さは与えられることはなく、かといって楽しめる程度の能力は与えられる。そして管理者サイドの人間であれば、万が一の事態に備えて、バグに対応できる簡易的な技術を与えられる。


 エンジニアでもなければ、ただの受付であるルイは業務で異世界を訪れることはできない。根本のバグの修正もできず、できることは大いに限られるが、やれることならなんでもする。例え命を失おうとも、ルイは贖罪だとも思っている。そうしてルイはストラユニバースへ、あの時あの頃の、罪深き少女の姿のままに。


「私はクロスの危機を救わなければならない。例えこの命に代えてもね。望むならば心も体も全て捧げる。私に拒否権はないし、あってはならない。そうしなければ、それをしたって、私の罪は無くなりはしない」

「…………」


 ルイはサンに全てを語った。サンには悪いとしながらも、この世界が仮想空間であることも含め、全てを語ってしまっていた。


「その仮想空間ということだけど、あまり現実味が湧かないが、少しショックだな。しかしまあ、私はこうして存在してるし、きっと受け入れるしかないのだと思う」

「ごめん……」

「だけどルイ、君はどうしてそれを話したんだい? 私が真実を聞いて辛いから、だから追求しようという訳じゃなくて。ルイは罪が無くならないとしておきながらに、本当は誰かに赦して欲しいんじゃないかい」

「い、いえ……そんなことは……」

「仮想の私が言う言葉がルイに届くか分からないけど、でもそんな私からして償いだけの人生なんて御免だ。救いは欲しいし、報われたいとも思う。ルイだって仮にそれが得られるのなら、得たいと思って自然だと思うがな」

「…………」


 そんなこと、言われずともルイだって思っている。しかし願ってはいけないと、心が強く縛り付ける。本音である以上は違うとは言い辛い。だが口が裂けてもそうだとは言えない。故に答えは沈黙のみ。


「まだまだ考える余地はあるし、ここで答えを出せとは言わない。だけど、今は言えない立場なのかもしれないけれど、いずれは正直に告白すべきだ。例え規約とやらに反するとしても、それだけは絶対にやらなければいけないことだろうね。けれど告白をして償えば、心はきっと、ルイだけのものに生まれ変わるよ」

「サン……」


 ルイの頬には一筋の涙が伝う。数多の感情が入り混じり、一概に何が理由と言うことはできない。


 しかし一つだけ言えることは、AIであるサンの言葉がルイの心を軽くしたという事実。未だ目的は成し遂げていないが、今生一度も友のいなかったルイにとって、例えAIだとしても理解者が得られたことは、一つの救いだったのかもしれない。


「サン、私はあなたのことを――」

「待て、ルイ。この気配はまさか……」


 空を仰ぐというより叩くような、荒々しい羽ばたきが耳に届く。それは次第に次第に大きくなって、周囲を見渡しても姿はないが、しかし草むらを染める漆黒の影が横切ると――


「上だ、ルイ! ワイバーンに見つかったぞ!」

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