バランス崩壊
城下町ハイネの中心は小高い丘から成っている。その上に聳える城に、シルク姫とやらは住まう訳だ。そしてハイネは海の近くでもあり、丘を登れば必然、波打つ大海が視界の多くを占めていく。
「海ってさぁ、綺麗なんだけど恐ろしくも感じるよな」
「ん、何故だ?」
「なんだかどでかい生物が潜んでいるような気がして、それが水面近くで覗いているような気がしちゃうんだよな」
いわく海洋恐怖症というもの。俺の言うこと、なんとなく分かる人はいるだろうか。湖とか池とかも同じであり、巨大魚とかヒトガタだとか、そのような化物の類を想像してしまう。
「水面近くかは分からないが、いるような気ではなく、いるよ。常識だと思うのだが、そういえばクロスは別世界の出身だものな」
「ま、まじ?」
「大きいイカさんやタコさんがいるのです。水龍だって、いるのですよ」
水龍かぁ、それはちょっと見てみたいかも。
「水龍に限ってはあくまで噂だ。少しの目撃証言しかないし、信憑性も疑わしい」
「私は嘘を言ってないのです。ちゃあんと、調べたのですよ」
「あは、ごめんごめん。ルイが言うなら本当だろうね」
なにか腑抜けた会話だが、こんなでも姫を救いに城へ向かう最中だ。姫が病に伏しているなら、急いだ方がいいのではないかと、そんな声も聞こえてきそうだが、しかしこれはイベントで、姫は絶対に死にはしない。イベント結果での生死はあるかもしれないが、それまでは不治かつ不死の病。
そして城へと辿り着くと、門の前には当然のように門兵が立つ。しかし俺は、それを置物と見なし、平然と城内へと歩みを進めようとしたのだが――
「な、何者だ! 勝手に城へと侵入するな!」
いや、言われれば正論なんだけども。そういうもんじゃない? RPGの門番って。
「あはは、悪い悪い。少し城に用事があるんだけど、そこを通してくれないか?」
「話は取り次いであるのか?」
「ないよ、そんなもの。ただ姫を救いたいって、それだけだ」
「ひ、姫を……それは……しかし……」
そうそう、そういうもんだ。そして話を引き継いで、王の耳へと伝わって、それでイベントが開始される訳だ。
「ギルドの証は持っているか?」
「へ? あ、ああ……それなら持ってるよ、ほら」
Bランクへと昇格したギルドの証。使う機会はもうないかと思ったが、ここへきてそれが必要だったなんて。
差し出した証を門兵はじっくりと確かめる。けれどそれは正真正銘、本物のギルドの証なんだから、何もおかしいところなど見つかる訳は――
「駄目だ」
「――――え?」
「え? じゃなくて、この証では駄目だと言っている」
「い、いやいや……待てよ! これは間違いなくギルドの証だ。共にこの町のギルドまで確認しに行ったって構わない! ほら、付いて来いって!」
咄嗟のことだったし、俺は結構な力で腕を引いた。最強の力で腕を引かれて、しかし門兵はまるで動じない。
そんな馬鹿な……たかだか城の一兵が、そんなに強いなんて訳はないはずでは。
「偽物だと言ってる訳じゃない。ランクBでは信用不足だと、そう言ってるんだ」
「な、なんだって……」
つまりこのイベントは、ランクA以上の難易度に相当するということ。それを振るいに掛ける為の運営の慈悲の心。だからこの門兵は、一見すれば人の形をした、システムという頑強なるブロックだということ。ラスボスを1ターンで倒せるパーティが、マップの村人一人を動かせないように。
「ク、クロス……これは一度、ランクを上げなければならないのでは? 姫の容態も心配だが、何やらここは通れない気がする……」
サンには仮想の話はしていない、故に純粋に姫の容態を気にしているのかもしれない。しかしその点は問題無い。イベントがはじまらない限り、姫はいつまでも死にはしないのだから。
だが問題がないかと言われれば、決してそんなことはない。バグの侵攻が進んでいる以上、ランク上げなどに時間を食うことは避けなければならない。
「く、くそ……なんとかならねぇのかよ」
「どうしようもないのです。この判定を覆さない限りは……」
「判定……」
そう、これは判定だ。ランクを振るいに掛ける判定が、この門に存在している。逆に言えば、この門さえ抜けてしまえば、ランクの判定は用済みなのでは?
「そ、そうか……分かったぞ、この門を抜ける裏ワザが――」
「う、裏ワザだって?」
できることなら使いたくない、それが引き金で悪化しかねないから。しかし時は一刻を争い、ならば活用するしかないだろう。つまり俺は真正面から無理やりに、門を通ることを選択する。ただ一つ、ステータス画面を開いたままの状態で。
であれば俺は門兵の体を突き抜ける。サン達とは違い、彼は門兵にしてシステムだ。だから俺の行動に驚きも抗いもしはしない。そして背後へと回った俺は、改めて門兵に話しかける。このラインを越えたのなら、きっと彼の反応はこうなるだろう。
「あなたのランクなら、もしかしたら姫様を。宜しくお願い致します」
ほらね。こちら側からの会話は、判定をクリアした者への会話に移り変わる。透過バグはゲームバランスを崩壊する、禁断の裏ワザの一つなのだ。




