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NPCと人間性

「冒険者をやめるだって!?」


 サンの叫び声は、宿の一室をみしみしと揺らした。旅立つ報告に訪れたのだが、サンからしてみればせっかく冒険者仲間を見つけたのにと、顔には憂いが満ち満ちている。


「何故だ、せっかくBランクにも上がれたというのに。せめて理由だけでも聞かせてはくれないか?」


 上目遣いでの困り顔に、少しドキッとしてしまう。普段は勇ましい騎士なのだが、時々こうして女の顔を覗かせてくるのだ。


「厳密に言えば冒険者を止めるって訳じゃないんだ。ただ、ギルドでの活動はもうしないってことだよ」

「それはフリーでやっていくということか? 言っておくがしんどいぞ。情報を集め、契約も自分で行わなければ。信頼を得るまでに時間は掛かるし、個人は割を喰らうことがほぼほぼだ。得た素材の売却だって、自分で全てやらねばならないのだぞ」


 ここまで親身に話をするとは、どれだけお人好しな奴なんだ。本気で心配していることが言葉と表情、そのどちらからもありありと伝わってくる。


「手数料はあるが、正直ギルドの方が断然稼げる。悪いことは言わん。だから今一度、考え直してみては——」

「魔王をな、倒したいんだよ」


 突然の返しに、サンはぴたりと動きを止めた。まるで時を止めたように、その口はあんぐりと開いたままだ。


「魔王を倒してな、世界を平和にしようかなぁ……って――」

「馬鹿を言うな!」


 怒号に再び部屋が震える。こめかみには青筋が浮かんで、鬼の形相を垣間見せるサンを前に、誤魔化した俺の方が呆気に取られる。


「魔王はな、一度は世界を滅ぼしかけたのだぞ。気まぐれで人類は生き残れたがな、その気になれば世界は破滅だ! それをわざわざ倒そうなどと……刺激すれば、クロスだけの話じゃ済まんのだぞ!」


 伝承を元にサンは怒るが、俺はこの世界の設定に疎く、そんな事情は知らなかった。だが黙ってこのまま時が進めば、バグにストラユニバースは滅ぼされてしまう。


 真実を伝えずに、このまま無視しても良かったが、しかしサンはいい奴だ。仲違いしたままでは後味が悪い。せめてサンには本当のことを伝えよう。


「見ろよ、これをさ」


 画面を開いて、サンの胸元に手を伸ばす。女性なのだし、近寄る腕を払い除けようとするものの――


「え……あれ……えぇ!?」


 払えど払えど、伸びる手は止められない。止めたくても、触ることができないのだから。そして俺の手はサンの胸へと、しかしそれがセクハラかと言えば、貫通してしまうので如何し難い。


「これは、一体どういう――」

「俺は、別の世界から来た者なんだ」


 矢継ぎ早な告白に、サンの思考は置いてけぼりを喰らう。


「ちょ……待て! 待つんだクロス! 言ってることが分からない、一から説明してはくれないか!」


 サンは仮想空間の人間だが、転生者を知らないのは当然だ。この世界に於いて、現実の告白は基本的にはタブーとされる。それは世界観を崩しかねない行いだからだが、しかし俺はそうも言ってられない。既に運営と連絡を取り、現実的な解決を取らなければならない状況に瀕している。


 だから話した。俺がSランクの転生者であり、故に最強であることを。そして世界が異常をきたし、克服するには魔王を倒すしかないことを。唯一、この世界が仮想であることは控えておいた。現実でないと知ったなら、それを気に病んでしまうかもしれない。NPCの心を配慮しても仕方がないかもしれないが、しかし俺にとってサンは友と変わらず、傷付けるのは憚れた。


 便宜上バグと呼ばせてもらうが、この世界観にはコンピューターもなければ、それが仮想を表す表現とは、サンには分からないだろう。


「空間や人体に影響を及ぼすなど、とても信じられんが、しかしクロスのこれまでの異常な能力。とても到達できやしない力を目の当たりにして、もはや何をもって嘘とするのか分からなくなってしまったよ」

「気持ちは分かるさ、誰だって信じられないよ。サンの目には見えないし、俺だけが分かることなんだ」


 この世界のバグは、何故だか俺だけにしか認知できない。他世界から訪れた例外的な存在だからだろうか。しかしその反面、俺の透過バグだけはNPCでも見ることができる。これもまた例外で、同じことが言えるのかもしれない。


「しかしこの私も、バグとやらの影響を受けていたとは……」

「ごめんな、知りたくもなかったろうけど」


 説明の過程で、人体にバグが発生すると聞き、サンは自分はどうなんだと俺に尋ねた。その問いに俺は戸惑い、察したサンは自らに起こる影響を知る。俺は役者じゃないんだ、上手く誤魔化すことなんてできなかった。


 しかしサンは真実を知り衝撃は受けながらも、決して卑屈にはならなかった。何故なら解決法があり、だからこそサンは、それを人任せにすることはできなくて――


「クロス。できたら私も、旅に同行させて欲しい」

「え――?」

「私程度の強さで、クロスの役に立てるなどと自惚れてはいない。しかし身に迫る危険に指を咥えて待つなど、騎士の名に恥じるものだ。小間使いでも構わんから、一緒に連れていってはくれないか?」


 サンの心境は理解し易いし、その気持ちは汲んでやりたい。しかし――


「危険な旅になると思う。それに俺は強いと言ったが、正直戦い慣れてはいないんだ。事実ヒドラとの戦いでは、サンを危うく死なせかけた」

「クロス……」


 俺の言葉を聞いて、サンの顔には暗い影が落ちる。流れは完全に断る方向だからだ。だけどな、否定的なのはそれが要因じゃないんだよ。


「だからさ、俺に色々教えてくれよ! そうすりゃきっとサンを守れる! サンの要望は吞まねぇぞ、何故なら小間使いだなんて、サンには役不足だからだ!」

「ク、クロス! お前って奴は――」


 感無量、蒼き瞳からは澄んだ雫が零れ落ちる。そして感情のままに、サンは両手を広げると――


「う、うわっ! だ、だだだ、抱き付くなって!」

「嬉しいよ、クロス! お荷物にならないよう、精一杯頑張るよ!」


 透ける胸だが、こうして衣服越しならば、その感触はありありと伝わる。思わず欲情に駆られるが、その手に無知な俺はどうしていいのかも分からないし、何よりサンの喜ぶ顔を見ると、そんな下劣な思考は直ぐに頭から離れていった。


 今までずっと一人で、孤独な人生を歩んできた。友達と言える人間もいないし、抽選と死を天秤に掛けてしまうような、酷く荒んだ心の持ち主。そんな湿気た俺に対して、同行を喜ぶ仲間ができた。それはとても嬉しいことで、心温まる尊い感情。


 NPCが——とか、もうそんな考えは改めよう。サンは感情豊かで人を思い遣れる、紛れもない人間なのだから。


「もう一つ、伝えることがあってだな――」

「ん、なぁに?」


 俺の胸に埋める顔を、上目遣いで見上げて見せる。おいおい、それは反則だろ。


「バグなんだが、それを消すことができる者がいる。今からその子に会いに行こう」

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