他人任せ
ここは再び、仮想空間の提供を生業とするウェアのヘルプデスクだ。上顧客の対処も済んで、ほっと一息といった男が一人。そこへ訪れる受付嬢は、両手に持つコーヒーの片一方を男に差し出す。
「お疲れ様です」
「ああ、お疲れさん。だけど受付をほったらかしていいのかい?」
「あは、もう十七時を過ぎてますから。受付の応対はおしまいです」
時計に目を向けると短針は下を差し、どころか長針も同じ方を向いていた。
「こりゃあ参った、もうこんな時間か。けど大型案件も終わったし、今日くらいは早めに帰るとするかね」
「それが良いです。ちゃんと有給も取れてますか? 働きすぎは毒ですから」
「取れる訳ないだろって。上は取れとうるさいが、理想と現実を分かって欲しいね。来月くらいは休みを取って、異世界旅行を満喫したいもんだ」
「福利厚生の一つですね、私はまだ使ったことはありませんが」
莫大な給与の他に、これが職員が退職に至らない最大の理由。デバッカーなど、業務の一環として異世界を訪問することもあるが、休暇を使って赴くこともできる。Sランクの特典の一つと同じに、現実へ戻る権利を有した上で。
「君もまだ有給は残ってるだろ? 一回やってみろよ、楽しいぜ」
「うぅん、考えてはいるのですが、中々タイミングに困っていまして――って……」
受付嬢の視線の先にはパソコンの画面が映る。ふと目を向けた程度だったが、未読のメッセージの一つが流れる視線を釘付けにした。
「その……クロスって方からのメッセージ、まだご覧になられてないようですが、対応はされていないのですか?」
「え? あ、これか。上顧客じゃないから後でやりゃあいいかなって、すっかり忘れちまっていたよ」
「ちょっと、開いて見せてくれませんか?」
「えぇ……もう帰りたいんだけど……」
「いいから、お願いしますって」
「……分かったよ」
『こちらストラユニバースのクロスです。不具合があったのでご連絡しました。扉と窓にバグが生じて家からの出入りができません。早急に解消をお願いします』
渋々メッセージを開いた男だったが、内容に目を通すと呆れるように息を漏らす。
「もうさ、不人気世界に行くからこんな目に合うんだよ。誰もアップデートも修正だってしないんだから。自業自得だね、こりゃあ」
「そんな……この方はそれをご存知ないですし、本当に困っているのでは? しかもメッセージを送って数日が経ってしまってます。早く対応してあげないと」
それは善意の気遣いであるものの、男にとっては余計な口出し。せっかく早く家へ帰れると思っていた矢先のことで、怪訝な表情を露骨に表す。
だが、自分で言った自分の言葉。それを思い返し、男には一つ名案が浮かんだ。
「いや、ちょっと待てよ。これ、俺らがやらなくてもなんとかなるんじゃないか?」
席に向き直すと姿勢を正し、男はささっと一分足らず、クロスのメッセージに返信を送る。
「よし、これで一件落着だ。さぁ、かぁえろ」
「ちょ……今ので終わりですか?」
「そうだよ。このクロスって奴は、不人気世界に行ったが為にバグに見舞われたけど、逆にだからこそ解決手段を持っている。それが駄目なら次の手段に移るとするよ。覚えていればね」
そうして男はカップを傾け、コーヒーを一飲みするとオフィスを後にした。




