裏技
こういう体験は前にも一度起きたことがある。できれば二度と、ご免被りたかったけれども。時間がとてもゆっくりに感じて、止まっているかのように細部まで見える。しかし限りなく遅くとも、決して止まることはありえなくて、最終的には結末に辿り着く。
砕けた鎧は破片となって、浮いたように宙に漂う。防具を砕く力って、どれだけ強力なものなのだろう。少なくとも生身の人体では耐えられない。骨は砕けて、内臓は潰れて、間違いなく絶命に至る一撃だ。
それは目を伏せたくなる惨状のはずなのに、輝く金髪に、鈍く冷たい鎧の煌めき、血飛沫の赤の彩りは鮮やかで美しく、身を捻るサンの姿を艶やかで色気のある、女性的なものだと初めて感じた。
サンの身体が地面に落ちて、現状を認識すると、次には怒りが込み上げて、再び我を忘れたのであった。
その後はあまり記憶にない。転がるヒドラの肉塊を、どうやって生み出したかは定かではない。でもそんなことはどうでもよくって、すぐに俺は倒れるサンへと駆け寄った。
「サン、起きろよ……目を覚ましてくれ、サン!」
抱き上げると同時に、治癒の魔法をサンに施す。これで身体は元通りのはずだが、サンは一向に目を覚ましてくれない。ならば蘇生をと、しかしこの世界には――いや、ストラユニバースに限らず、仮想空間全てに於いて蘇生の力は存在しない。
その一点については厳重に職員に注意された。生と死は特別で、例え仮想空間であろうとも、生死の倫理だけは適用される。死んだらそこでおしまいで、生き返らせることは叶わないと。
くそ……畜生。そんな大事なこと、端から分かっていたじゃないか。即死は危険だと、はじめから知っていたことだったじゃないか。戦闘経験も浅い癖に、強くなった気になって自惚れて、仲間の一人も守ることができないなんて。
強いってことは守ることで、強者はみんなできている。だとしたら俺は決して最強などではない。でも最強でなくたって構わない。既に傷付けてしまったが、攻撃から守ることはできなかったが、せめて命だけは、死神からは守ってやらなくては!
蘇生の魔法は存在しないが、人体の蘇生方法は知っている。肉体の傷は既に治癒しているのだから、あとは心臓が動けばいい。だから俺は一縷の望みに懸けて、心臓マッサージを行うことにする。現実世界での蘇生方法が、仮想空間で通用するかは分からない。そもそもサンは、いわゆるNPCというもので、体の構造も同一かどうかも知りはしない。全てが全く分からないけど、分からないからこそ、だったら――
やる選択肢しかねぇだろうよ!
そうなると、まずは鎧が邪魔だった。しかし脱がしている暇もなく、砕けた鎧を腕力をもって剝ぐことに。しかし地肌に着ている訳じゃないのだから、鎧の下には衣服も着用している。そのラインは女性的で、勇姿からは想像も付かない豊満なものが実っているが、今はそれに欲情するなんてことは微塵もない。
だからこそ、蘇生に於いて邪魔な衣服の排除も厭わない。衣服はチュニック丈の長さがあり、捲り上げる暇も今はなくって、すぐに布地を掴んで左右に繊維を引き裂いた。あられもない姿を見せてしまうことになるが、しかし命には代えられない。そして胸骨圧を始めんと、圧迫位置に目を向けた――
けれども……無いんだよ。何がって? 圧迫する位置だとか、そんな話じゃなくってさ。豊満な胸も、鍛えられた腹部も、どころか地肌も何もかも。鎧の下には何もなくって、ただ背中側の衣服が目に映るだけ。でも、そんなことってありえるか? 衝撃で体が吹き飛んだって、中身は鎧に残る訳だし、そもそも衣服を剥ぐ前までは、体のラインは浮き彫りになっていた。
つまりこれはダメージじゃなくて、透明な体の造りであって、でもそんな生物はいる訳なくて、だったらこの不可思議な現象の正体は――
「透過……バグ……」
「おい」
「うわっ!」
気付けばサンは目を開き、顰め面で睨みを利かす。
「て、てっきり……サンは死んじゃったと思って……」
「頭を打って気を失っただけだ。それよりこれは、一体どういう状況だ?」
これとはつまり、サンの指が示す先、なき胴体のことを指している。
「いや、これは……蘇生しようと思って……」
動揺しすぎて、上手く言葉が出てこない。しかし邪な思いは全くなくて、困り果てる俺の顔を見るに、サンにも心が通じたようだ。
「そういうことか。目を覚ましたら裸だからな、何事かと思ったぞ」
と、真面目半分に呆れ半分、サンの顔には苦笑が宿る。
「本当……ごめんなさい……」
「まったく、まだ男には見せたことなどないんだぞ。こう見えても私は女で、恥じらいだって少しはあるんだ」
うん? 何か少し違和感が。確かに胴体が透明だなんて、秘密だと言われればそうかもしれない。しかし女だとか恥じらいだとか、なんだか少し違う気がするが。
「だから、そうじろじろ見てくれるな。衣服もおしゃかになってしまったし、布でもいいから持ってはいないか?」
「あ、ああ……俺の上着で良かったら」
すぐに着ていた上着を脱いで、それをサンに貸してやる。そして袖を通す訳だが、なんと上着を着てみると、再び身体のラインが浮かんでいた。
「苦言ばかりを言ってしまったが、クロスがいなければ私は死んでいた。蘇生の行為だって私を想ってのことだろう。本当に感謝しているんだ。有難うな、クロス」
俺がいなければ死んでいた、それはどうだか分からない。ヒドラは既に致命傷で、放っておいても死んだはずだ。死に至るまでの悶える時間を守ったというのなら話は違うが。そして怪我についても、そもそもサンは大ダメージを負っていたのだろうか。気絶は頭部の衝撃が要因で、胴に関しては全くの無傷だろう。
そしてサンは、恐らくバグの正体に気付いていない。思えば他の例も同じであり、ギルドの受付はちゃんと喋れているつもりだし、宿娘も適正価格を提示しているつもりだ。ゲームのバグに気付けるNPCなんていやしない。だからサンも自身の身体を認識してるし、俺に生肌を見られたとも思っている。忌まわしきバグ、ここにきても未だ俺に付いて回るとは。
だけど――
仮にバグが無かったならば、サンは胴への直撃を耐えられただろうか。いや、きっと耐えられない。鎧を砕く威力の一撃、回復の間もなく、命は途絶えていたことだろう。鬱陶しい存在だが、しかしバグには利点もあって、それは裏技として庶民の間で重宝される。今回のそれはまさしく、バグの恩恵に預かった奇跡だった。




