トラウマ
依頼は今の今まで、全て一人でこなしてきた。よってパーティを組んでの討伐は初めてのことだった。しかしそこに利点があるかと言われれば、その点は疑問である。
なにせ俺は最強であり、戦いに於いてパーティを組む必要もないし、移動も一人の方がずっと早い。あくまでサンは依頼を受けるのに必要で、酷い話ではあるが、要はこの先はお荷物だということ。
だけれど果たして、実益だけが大事かと言われれば、そんなことはありえない。実際にサンが同行することで心は晴れるし、話している時間は何よりも楽しいものだ。それも利点に含まれるのなら、挙げた欠点なんて取るに足らないことだった。
ちなみに今回の相手はというと、ヒドラと呼ばれる湿地帯の大蛇だ。沼地の中に馬は連れていけない。繋いでおく場所もないのだから、徒歩で行くしかないと思いきや、そういった事情を鑑みて湿地帯の手前までは馬車を動かしてくれるとのこと。
「ヒドラって頭が百あると聞いたことがあるけど、生きるのに不便そうだよな」
「口喧嘩が絶えないだろうよ。しかし実際のヒドラの首は一つだ。百の頭を食い尽くすと、そういう異名が定着したという話だ」
なるほどね。確かに生物学的にも進化論でも、百の頭は不要だよな。しかしせっかく異世界に訪れたのなら、そういう化物も見たいっちゃ見たかったが。
「クロスは怖いと感じるかい?」
「いいや、サンが守ってくれるからね」
そんな冗談に、サンの高らかで心地よい笑い声が馬車の中に響き渡る。
「馬鹿を言うなよ、クロスの方がずっと強いじゃないか。実力は駆け足だけじゃないんだろ?」
実際はそうなんだけれども。しかし俺は最強ですと、それを言うのはなんだか少しこっ恥ずかしい。ここは笑って誤魔化して、いずれゆっくり、真実が伝わればそれでいいか。
そして時は過ぎ去り、湿地帯を前に馬車を降りると、ぬかるむ地に足を踏み入れる。探知を使ってみると、この先には一際大きな気配を感じる。きっとそれが今回のターゲット、ヒドラという大蛇なのだろう。先に行くほどに地面はぬかるみ、深さも違えば酷く歩きにくい。俺の足でもそう感じるなら、鎧を纏うサンはそれ以上に過酷だろう。
次第に会話の数も減り、サンの息遣いが荒くなる頃、厚い霧の向こう側に、ヒドラが影を映しはじめる。
「サン、出て来たぞ」
「あぁ、分かってる」
サンは探知のスキルなど持たない。察したのは経験からで、殺気や敵意には敏感なのかもしれない。濃霧の中を割って出でる、妖しい二股の舌遣い。それは俺やサンの長身をもってして、見上げる高さに位置している。つまりは巨大で、人間もゆうに丸のみできるサイズである。確かにこれは受付嬢の言う通り、ゴブリン相手に戦っていた、Cクラス上がりたての人間が戦って良いものではないだろう。
と、ここまでは壮大にヒドラの解説をしたが、無論この俺にとっては敵じゃない。恐らく瞬殺することだって訳ないはずだ。だが、それではサンが認めない。私は何もしていないと、報酬の受け取りを拒むだろう。せっかく機会をくれたというのに、サンが無駄足では後味が悪い。
俺は回復魔法を所有しており、更にヒドラが毒牙を持っていても、解毒することだって容易にできる。ただ一つだけ、蘇生魔法というものは存在しないが、即死さえ貰わなければ半ば不死身だって体現できる。ならば手柄は山分けにしようと、俺はサポートに回りサンの戦いを補助してやる。そうすることで、サンも気兼ねなく報酬を受け取ることができるだろう。
とはいえ、あまりに露骨な行動はバレかねない。だからサポートといっても下位の魔法でささやかに、それでサンを強化してやる。
「補助魔法も使えるとは、器用な奴だ」
不器用だとでも思ってたのかと、それを問う前に、サンはヒドラに斬りかかる。しかし鱗は頑強で、攻撃を加えたサンの方が衝撃に体をよろめかす。
「大丈夫か!」
「問題ないが、しかし硬いな。こんな衝撃は黒パンを噛んだ時以来だよ。斬撃よりも、隙間を突いた方が効果的だな」
俺がいかに最強だろうが、戦闘経験はサンが大きく上回る。冗談が言えるほどに冷静で、予想外に慌てることもないし、次の戦術を即座に見出せる。カンストならばこれ以上強くなることはないと、そんなことはなかったんだ。きっとサンを連れる利点は、こういうところにも見出せる。
俺も俺でサポートだけに回るのではなく、手加減しつつも打撃を加えた。内部破壊の掌底は見た目にはダメージを負っているように見えないが、確実にヒドラのライフを削っていく。また時折、ヒドラに対して麻痺を付与する。しかし付与は一瞬で、即座に麻痺は治癒してやる。それはイコール人為的に生み出した隙であり、魔法と気付かれぬ高速で、自然な隙を演出する。
サンの動きは更に洗練されて、作った隙は逃さず攻撃できている。ぬかるみでの動きにも慣れてきて、逃げ場を残して立ち回れている。仮に同じ力を持つのなら、俺はサンの足元にも及ばないだろう。
もはやこの時点で勝負は見えた、そろそろ止めとして良い頃合い。あまり痛ぶるのも可哀そうだし、これで終わりにしてやろうと再び魔法で隙を作る。そこにサンが飛び掛かると、鋭い切っ先は眼球を捉え、深々とヒドラの頭蓋を貫通した。
これで勝った。ヒドラにバグは見られないし、これにて戦いは決着した。頭を剣で貫かれて、生きてる生命体などいないだろうと、それが常識で、間違いではなくて、最強でありながら、しかし争いを知らない、無知で愚かな男の判断だった。
キィィィアアアアァァァ……
それはいわゆる断末魔。特にヒドラのそれは獣にはない甲高さを孕んでおり、機械音声にも似ていて、禁忌の呪文に近いともいえる。おかしくなった受付嬢の恨みの言葉を吐くような、そんな不吉が纏わり付く、今生最後の叫び声。
バグのトラウマが頭を過って、反射的に身が竦んだ。でもそれはバグでもなんでもなくって、ただの鳴き声だと理解した時には、もう既に遅くって――
のたうち回るヒドラの尾、それが空気を切り裂くと、激しくサンの身体を打ち付けたのだった。




