ラシーニアの終焉
「$W>=KM(<?」
「………………」
遂に、遂にこの時が訪れてしまった。俺の推していた受付嬢が、遂に人の言語を話さなくなった。
「##YY>*{D&+Q>」
これが仮に他の国の言葉を話すのなら、意味は解せずとも可愛げはあるだろうに。しかしこの文字列はそうではない。もはや受付嬢の声に愛嬌はなく、不吉を孕んだ呪いの怪音。聞けば命を落とすような、そんな呪文が精神を蝕む。
怖い怖い怖い、しかし金は必要だ。内容は理解できないが、動作や顔は普段のままで、依頼書を並べるその五指は、恐らくお勧めを提示しているのだろう。そうして恐る恐る、その内の一つに指を指すと――
「&)~|L<>S$&)~www」
にこりと、満面の笑み咲かせるのだった。お返しに引き攣った笑みを張り付ける。
内容は文章で読み取って、逃げるようにして走り去る。そして依頼を終えてしまえば、再び地獄のはじまりだ。受付嬢は変わらず呪いを吐き続け、おまけに今日は一段と話が長い。このままでは耳が腐ってしまいそうだが、唯一の救いは、この世界のギルドの報告形式が単純かつ形式的だったこと。慣れれば猿でも真似はできるし、煩雑なものじゃなくて本当に良かった。
諸々を終えて帰り足、ギルドの出入口で、ちらりと受付へと振り返る。それに気付いた受付嬢は愛らしい笑顔をこちらに向けると、元気いっぱいに手を振った。きっと初めの頃よりも、俺に気を許してくれているのかも。しかし今や愛しい笑みも、恐怖の対象でしかなくって、俺は手を振り返すこともなく、怯えてその場を後にした。
この後に向かうのは馴染みの宿屋だ。引き続き家には帰れないし、三日続けて宿での宿泊。今日も部屋が空いているといいのだがと、不安を携え宿屋に着くと、受付には変わらず宿娘の姿があった。懇ろに腰を折り、控えめな微笑みを浮かべている。
「今日も来てくれたんですね、ご贔屓にして頂き光栄です」
柔らかい口調に心癒される。やはり人を好む要素として、声というのはとても大事だと、改めてそのことを認識させてくれた。
「家が少し古くってさ、暫くはここにお世話になるよ」
「それは大変ですね。宿としては助かりますが、素直に喜ぶことはできないです」
困り顔で語るその言葉が本音かどうかは別として、今の俺に対しての気遣いは、抜群の効果を与えてくれる。そうして再び勘違いを、またしても俺は調子に乗ってしまったのだ。
「いえいえ、喜んでいいことですよ。そのおかげで麗しい貴方と、出会うことができたのだから——でゅふ」
「ええ!? 嬉しいですけど、麗しいだなんてそんなこと……褒められるのには慣れてないものでして、とっても恥ずかしいですぅ」
初心な反応を見せてくれて、俺の心は舞い上がる。この手のタイプの女性というのは、俺のような勘違い男を無限に製造し続けるだろう。
「今日は部屋は空いてるかな? 今までと同じ部屋なら、それでいいんだけども」
「あ、はい! ポーっとしちゃってて、かしこまりました」
うぅん、恥じらう顔もいいもんだなぁ。もじもじと俯く顔は赤らんで、それが何とも言えず艶やかで――
「お代金は8&24%です」
――――は?
「え、えぇと……よく聞こえなかった。もう一回いいかな?」
「え、えと……8&24%です!」
な、なんて言ったんだ? 声を大きくしたところで、まったく聞き取ることができないのだが。でも今までと同じ部屋なんだ、一日でそう値段が変わるなんてことはないはずだ。試しに昨日と同額を、カウンターに置いてみることにしてみよう。
「す、すみません。8&24%なのですが……」
ち、違うのか。土日祝や繁忙期の概念があるのかもしれない。正直、幾らか想像も付かないが、あのようなキザな台詞を吐いた手前、今さらキャンセルなどできるはずもない。しかし金額が分からない以上、こちらからぴたり代金を渡すのは不可能だ。ならばと有り金の入った財布袋、それを汗ばむ手で握り締めると、宿娘に対してこう、勇気を出して述べることにした。
「あぁ、聞き間違えていたよ。悪いがこの袋から、宿のお代を取ってくれたまえ」
「は、はい! それでは失礼します」
これは最早博打であり、幾ら取られるのか知れないが、少額であることを祈るのみだ。頼む神様、なんてない顔を気取ってはいるが、内心は冷や汗だくだくなんだよ。
そうして今、俺は宿のベッドで項垂れる。こうしてちゃんと泊まることができた訳だし、博打は俺の勝ちなんだ。例え今日の報酬が、全て宿代に消えたとしてもだ――ぐすん。
しかし受付嬢が気味悪いだとか、宿賃の博打に勝ったとか負けたとか、問題となるのはそこではない。一番の問題点は、バグが大きく進行してしまったこと。自宅は無く、ギルドは要領を得ない。おまけに宿賃は、稼いだ報酬を全て根こそぎ奪い去る。
この町はもう駄目だ、ならば他に行くしかない。俺は始まりの町ラシーニアを捨て、次なる町へと旅立つことを決意した。




