059.右手の謎●
ソウタ達はシラユキの部屋に行き、リリーシェから事の顛末を聞いた。
「つまり、リリーシェは気が付いたらあの場所に倒れて至って事?」
「そうなる。自分でも何故あんな場所で寝ていたのか分からない」
「自分でも分からないとなると、いよいよどうしてあんな場所で倒れていたのかが謎になってくる……。なにかこう、思い当たる節なんかはない?」
リリーシェはソウタの問いかけに、首を傾げた。
そして一つの答えにたどり着いたのだろうか。
リリーシェはシラユキに指を指しながら口を動かす。
「約束。そういえば私はシラユキにソウタを探してこいと頼まれた」
急に話の主軸にされたシラユキは何が何だか分からないという顔をしている。
「わ、私にか?」
「忘却。確かに私はお前にソウタを探してこいと言われた。そしてそれを聞いた私はソウタ。お前を探しに行っていたんだ。でも一向に見つからなくて日が暮れたのを思い出した」
リリーシェはソウタの元に近づきながら質問をした。
「ソウタ、お前は昨日どこに居た?」
リリーシェの言葉に、小さくシラユキが反応する。
「昨日? 昨日はリリーシェと闘技エリアで戦った……」
そこまで言ってソウタはふと口を閉じた。
確かに闘技エリアで戦ったのは僕だけど、それは僕が憑依したシラユキだ。
その事が完全に頭から抜けていた。
危ない危ない。リリーシェに不審がられないように何とかしなければ。
「何を言っている? 私は昨日ソウタとは戦っていない。
私が戦ったのはシラユキとフランシスカだ」
「違う違う。昨日はリリーシェと闘技エリアで戦っているシラユキ達を見ていたんだって言いたかったんだよ」
「その後だ。私は凄い血相をしたシラユキに今すぐソウタを探してこいと言われて探しに行った。それもギルド内を隅から隅まで。果てには王都中までも」
「そ、そんな所まで僕を探しに行ってたの……?」
「行った。でも結局は見つからなかったけど。
ソウタ、お前は本当にどこにいたんだ?」
先ほどからシラユキが、リリーシェの「どこにいたんだ?」の問いに反応している。
落ち着かない様子でシラユキは横目でソウタがどういう反応をしているのか伺っているが、ソウタはそんなシラユキとは違い何かを一生懸命に考えていた。
(リリーシェがギルド内部や王都を隅から隅まで探しに行って見つけられなかったとなると、僕というかシラユキは一体どこに居たんだろうか?)
ソウタはその事が気になりながらも、自分がいま窮地に立っている事に気が付いた。
リリーシェは言っていた。
ギルドや王都を隅々まで探したと。
それすなわちリリーシェが探していない場所がないということになる。
……あれ。これ結構詰んでいないだろうか?
一生懸命僕を探してくれていたのはとても嬉しいんだけど、その行動力が災いしてしまって僕が下手に嘘を言えなくなっている状況に陥っているのが非常にまずい。
ソウタは必死に脳みそをフル回転される。
人間、こういうときは不思議といつも以上に言い訳を考えられるようになる生き物だ。
それはソウタとて例外ではない。
ソウタは数秒とも経たないうちに、いくつもの嘘を考え付いた。
……だがどうだろうか。
必死に考えて考え抜いた結果の果てに出てきた嘘は、絶対にバレないという自信があればこそ口に出していえる。しかし今のソウタにとってその絶対的な自信というものが無い。
なぜならリリーシェが捜索した範囲が広すぎるからだ。
無理だっ!
現実世界でならどうとでもなったであろうこの状況だけど、ここは異世界。
規格外の事が起きるこの世界じゃ、もはや現実でついていた嘘なんて通用しない。
となればもうここは素直に言おう、そうしよう。
考えても無駄なことが分かったソウタは開き直った。
体が元に戻る前にいた場所をリリーシェに伝える事にしよう。
その方が辻褄が合う説明を出来るかもしれないからな。
「ははは~。ここで言うのも恥ずかしいけど実はトイレに居たんだよね」
ソウタは頭の後ろに手を添え、笑いながらリリーシェに伝える。
「ぶふぅ!!!」
するとシラユキが突然、飲んでいた飲み物を盛大に噴き出した。
突然の出来事にシラユキの隣に座っていたアーニャが慌ててシラユキの体に手を当てた。
「シラユキさん大丈夫ですか!?
も、もしかしてその飲み物に毒か何かが……? い、いそいで治療しますね!」
「お、落ち着け。自分が居れた飲み物に毒を入れる馬鹿はいない」
「で、ですがシラユキさんともあろうお方がこんな……」
「アーニャ。私は完璧な人間ではないんだ。だからたまにはこういう事も起きる。いきなりすぎて混乱しているかもしれないが、少しむせてしまっただけだ。心配は無用だ」
「そうですか」と一声かけて、安否を確認したのちにアーニャは座った。
ソウタもいきなりシラユキが噴き出したのには驚きはしたが、普段のシラユキを知っているため特別動揺はしていない様子だ。
「再開。さっきの話の続きだが、ソウタはトイレにいたんだな?」
シラユキが今度はトイレという単語に反応したが、先ほどのように取り乱さないためにも必死に呼吸を整えていた。
「そうそう。トイレにいたんだ」
「納得。なら私がいくら探しても見つからないわけだ」
どうやらリリーシェといえども、流石にトイレの中までは探さないらしい。
平気な顔をして僕とお風呂に入っていたから、てっきり男子トイレの中にも入って探しているかと思ったけど、どうやら反応を見るからに探していないっぽい。
ソウタはここで一つ疑問に思った。
ならば本当にシラユキはどこにいたのだろうかと。
ソウタがトイレにいたというのは、嘘ではない。
正確には憑依したシラユキの体の中にいた自分はトイレにいた。という事実だが。
ならば本当にシラユキはどこにいたんだ?
一つだけ考えられるのは、シラユキも僕と同じでトイレをしたかったのではないかという事だから男子トイレに居たというなれば合点がいく。
いくらリリーシェが探しても見つからない場所だったのは男子トイレだった。
というか今思えば、体が元に戻った際に居た場所ってトイレだった。
体が元に戻ったという安心感とシラユキと早く合流しなければという思いから、この事実を全く持って気にしていなかった。
ということはシラユキは鏡の前で何をしていたんだ……?
ソウタは元の体に戻ったとき、上半身裸で鏡の前に立ち自分の胸筋を触っていたことを思い出した。その事実からしてシラユキはこれ幸いにと、ソウタの体をベタベタと触ったりしていたという事になる。
コソコソと自分の体を見たり触ったりしていたなんて、むっつりさんめ。とソウタは思いながらもそんな事をしていたシラユキに対して可愛いと思ってしまった。
いいよね、そういうシチュエーション。
ソウタはシラユキがそんな事をしていたんだなぁと思いつつ、自分もシラユキの体でもっととんでもない事をしていたのを思い出し、この事は頭から抹消すべき記憶だと決断し脳裏にチラつくトイレでの記憶を封印した。
「おいリリーシェ。どうしてトイレは探さなかった?」
シラユキはなぜトイレの中を探さなかったのかが気になっていた。
どこにでも飛んでソウタを探すようなリリーシェがどうしてそこだけを探さなかったのかが単純に疑問なのだろう。かくいうソウタやアーニャも疑問に思っていたところだった。
「教育。アーニャから青色のプレートが貼ってあるトイレは男性用だから絶対に入るなと言い聞かされている。入ったら面倒くさいことになるからトイレの中は探せなかった」
この返答を聞いてアーニャは感動していた。
「リ、リリーシェさん! 私との約束覚えていてくれたんですね!」
「なるほど、そういう約束があったから探せなかったのか。納得納得」
これも不幸中の幸いだな。
シラユキが僕の体に憑依していたときに、トイレに居たっていう事実のおかげで何とかこの場を乗り切ることが出来た。
「じゃあリリーシェさんがあんな場所で倒れていたのは、単純に疲れていただけなんじゃないですかね? 今の話を聞く限りだと、ギルドの中と王都を隅から隅まで探していたって事になりますし、知らないうちに疲労がたまって寝ちゃったって説が一番濃厚な気がします」
アーニャはこれまでの話を聞いて、なんでリリーシェが路地裏で寝ていたのかと言う疑問にピリオドを打つ結論を出した。
だが、それはソウタも思っていた事だったがあまりにも強引な結び付けだ。
第一、疲れたからと言ってあんな場所で寝るものなのだろうか?
リリーシェならすぐにとは言わないけど、ギルドの中に戻れたはずだ。
それともギルドには門限みたいなのがあって、既に帰れる時間じゃなかったのか?
ソウタは考えても仕方が無いと思い、質問する。
「アーニャさん、それはあまりにも無理がある結論ですよ」
「へ? どうしてですか?」
アーニャは何がおかしいのかといった様子で言葉を返した。
「いや、どうしてって言われても……。女の子が一人で夜中に外で寝るなんて事はありえないでしょう?」
「へ? 寝ますよ?」
「あ、寝るんだ」
ソウタは鳩が豆鉄砲を食ったような顔になってしまった。
「といってもリリーシェさんに限っての話ですけどね。リーシェさんは普段から部屋の中じゃなくてギルドの屋根の上で眠ったりしているので外で寝るのは不思議な事ではないんですよ」
「とは言ってもですよ! 不用心すぎるでしょ!」
「私も最初はそう思ったんですけどね~。リリーシェさんって常に領域っていう練技を発動させながら生活しているらしくてですね。その領域の中に人が入り込んだら気配を感じ取っていち早く行動できるので問題はないそうです。ね、リリーシェさん?」
アーニャの問いかけに、リリーシェは首をこくりと縦に振った。
ソウタは思った。
そうだ。ここは異世界だった。
元いた世界の常識などとっくに通用しない場所だ。
女の子一人、街中で無防備に寝ていたって不思議じゃない世界だ。
いや不思議なのは不思議なのだけれど、問題がないというだけだな。
こんなの元の世界で目撃したら誘拐されるの一択なのに。
まあそうだよね。魔法とか使えるんだもんね。
誘拐されたところで脱出する手段なんていっぱいあるか。
よし、もう不思議な事が起こっても考えるのはやめにしよう!
考えるだけ無駄だと思ったソウタは、アーニャが出した結論で間違いないなと確信し話を進める事にした。
「……では、リリーシェがなんで路地裏で寝ていたかという疑問は晴れたな」
「そうみたいですね。でもどこにも怪我がなくて良かったですよ~」
「違和感。確かに怪我はないが、何か激しい痛みが体を襲った気がする」
「と言う割には平気そうじゃないか。きっと夢でも見たのだろう」
「夢……。確かにぼんやりとした変な記憶がチラついている。
でもそれが何なのか分からない。何か大切な事だったような……」
「う~ん、やっぱり心配ですね。リリーシェさん、あとで体に異常がないか私が調べてあげますから、時間作っておいてくださいね」
「過保護。そこまですることはない。シラユキが言ったように夢の中での出来事が現実だと思い込んでいるだけだと思う。だから心配する必要はない」
「で、でも……」
アーニャは心配そうにリリーシェを見つめていた。
リリーシェはそんなアーニャの心情を察したのか、渋々口を動かす。
「不本意。だがお前がそこまで言うのなら診られてあげても良い」
この答えを待っていたアーニャはホッと安堵の安堵のため息をついた。
「話はまとまったみたいだな」
シラユキはアーニャとリリーシェのやり取りが終わるのを見て、場を仕切るかのように腕を組みながら二人に話しかけた。
「よし、ならば次はソウタの身に起きた現象について聞きたい事がある」
「あぁ、僕の右手が急に光りだした事について聞きたいのか」
「ああ。私たちが路地裏に居た時、急にソウタの右手が光りだしたのだが、この現象について何か知っていることがあったら情報が欲しい」
「そういえばソウタさん、あの光ってなんだったんですか?
体にどこも異変はありませんか?」
アーニャに体に異変はないかと聞かれた際、ソウタは急に光りだした右手に謎の模様が出現したことを思い出し手の甲をシラユキ達に見せた。
「異変といったら手の甲に変な模様が浮かび上がって来たんだよね。なんだろう、これ。小さい丸と丸の右側からこれまた小さい羽が生えているような感じなんだけど、これって何なのかな?」
「こ、これって……!」
「不確実。だがこれはどうみても……」
アーニャとリリーシェがソウタの右手の模様を見て驚いている中、ただ一人立ちすくんでいるだけのシラユキは、きっとこれは驚く場面なんだと思い一拍遅れて驚く演技をした。
「ほう。これは確かに面白い」
「やっぱりシラユキさんも驚きますよね。だってこれって……」
「酷似。これは聖女にだけ浮かび上がる模様だ」
「「え、ええええええぇぇぇぇ!?」」
二人から言われた事実に、ソウタとシラユキは口を揃えて驚いた。
【東の国からの渡来②】
アガリの国では基本的に穏やかな時間が流れている。そのため争いごとの種がまかれない平和な国として名が高い。というのも国の人々は穏やかな人が多いためか、争いというもの自体と縁がない生活をしているからだ。
だが祭事事が行われる場合はその雰囲気がガラっと変わる。
特に武闘祭と呼ばれる祭事は、祭りの準備の段階でアガリの国の人々は大盛り上がり。国中の人が総出で張り切ってしまうため、その時だけは活気に満ち溢れた国へと変貌する。
だからアガリの国は年に数回ほどしか騒々しくならない。
……はずだったのだが。
「脳筋鬼のくせにー! なんで私の攻撃が当たらないのだ!」
「んなもん簡単だ。俺がガキより強いからだろ」
アガリの国の静かな平原で、クロベニとラセツの二人が激しい戦闘を繰り広げている。
二人が繰り広げている戦いの音は隣町までも聞こえるほどに激しい。
そして決まって昼過ぎに行われるからか、この二人の戦いの音が聞こえてきたら仕事の休憩の合図として使われているとかなんとか。
要は、とても騒々しいということ。
そう。この二人がアガリの国で出会う前までは、この国はとっても静かだったのだ。
今は一年を通してクロベニとラセツの喧嘩が繰り広げられる賑やかな国になっていた。
「くっ……! 今日という今日こそは絶対に勝つ!
そしてイヅナちゃんの捜索を手伝ってもらわねば!」
「だからよぉ。イヅナとかいうお嬢ちゃんはお前一人で探せっての」
「人手が!」
――クロベニの攻撃は空を切る。
「圧倒的に!」
――またもラセツにクロベニの攻撃は当たらない。
「足らないのだ!」
――カスりもしないクロベニの攻撃は大きな風を生み出し草原の葉を揺らす。
「このー! 一発くらい当たってくれてもいいだろう!」
「アホか、お前」
ラセツは攻撃を避けながら続ける。
「うん、まあ。筋は悪くないんだけどな?
やっぱりまだまだって感じなんだよな、お前。
てかそれ以上に俺がつええってだけかもな」
ラセツは軽口をたたきながらも、絶え間なく攻撃をしてくるクロベニの攻撃を必要最低限の動きでよけ続けている。表情もかなり余裕があるようだ。
(やっぱりこの男……強い。悔しいけど今の私では勝てない……。
と、以前の私なら思っていただろうが、今は私も強くなったのだ!)
クロベニは余裕の表情を見せるラセツに言った。
「余裕そうだな?」
「あぁ。余裕だぜ」
「だったら……。その余裕を今すぐにでもなくしてあげるぞ!」
「ん……? 二本同時に使うのは初めてだな」
ラセツはクロベニが円月輪を二本握ったのをみてそう呟く。
円月輪とはクロベニが扱う神器の名前だ。
【円月輪・黒】と【円月輪・紅】の二種類があるが、今までクロベニはそのどちらかしか使えなかった。この武器を扱うためには、卓越したマナの扱いが必要だからだ。
守りの黒と攻めの紅。二本にはそれぞれこういった役割がある。
黒で相手の攻撃を受け、それをそのままマナとして自分の体に蓄える。
そして紅は、黒で蓄えたマナを刀身に宿して攻撃する。
このような特性を生かした攻防一体の武器だが、クロベニは今まで黒の扱いが難しく嫌厭していた。というのも黒の特性上、相手の攻撃を一度受ける必要がある。
それがたまらなく嫌だったのだ。どちらかと言えば速攻で終わらせるタイプなので、イチイチまどろっこしい工程を踏んで使う円月輪・黒が嫌いだった。それに加えてリスクもある。刀身で受けた攻撃はそれがそのままマナになるため、威力によっては体がマナの許容量をオーバーしてしまい、大きな負担がかかる。
それだけでなく、外部から取り入れるマナというのはいわば他人の血液のようなもの。だから外的要因で取り入れるマナは体が拒絶反応を起こしてしまうため危険なのだ。クロベニは過去に黒を扱った際、それで痛い目を見て以降使用を控えていた。
だが強くなるためには、この武器を使いこなす必要がある。
クロベニは次第にそう思うようになった。
いや、ラセツとの幾度の戦いの中でそう思わせざるを得なくなった。
なぜならクロベニは一度もラセツに勝ったことがないからだ。
(悔しいけど、ラセツの強さを私は誰よりもしっている。
いつもはのんびりとダラけていて、何もしていない男だがその強さは本物。
このアガリの国で一番の剣士だと思っている。
だから私はこの男に絶対に勝ちたいのだ!)
クロベニは円月輪・黒を構えた。
その瞬間クロベニと円月輪・黒のマナが共鳴し、武器全体を光の膜が覆った。
「さあラセツ。どこからでもかかってくるがいい!」
「ガキ。お前ときどき守りに徹するときがあるが、何してんだ?
お前は守りよりも攻める方が向いていると思うぜ?」
「師匠気取りをするなと毎回言っているだろう!
私は私のやり方で戦うまでだ。無駄口を叩かずにはやく来い!」
「じゃあ遠慮なく行かせてもらうぜ」
ラセツはクロベニの言葉に応えるかのように、今度は攻めに回った。その剣筋は凄まじく早く、もはや一般人には捉えられるような速度ではなかった。だがクロベニはしっかりと見えていた。円月輪を使う際には卓越したマナの扱いが必要不可欠。それすなわち凄まじい集中力を必要とするため、必然的に意識を守りという行為に全部集中させることが出来る。
(やはり見える……! ラセツとの打ち合いで私は密かに黒を扱う練習をしていたのだ。その練習の結果が今、実を結んでいるのが実感できている!)
そう、クロベニはラセツと幾度なく行ってきた戦闘で円月輪・黒を使って攻撃を受ける練習をしていた。これもこの武器を扱えるようになるための良い機会だと自分に言い聞かせながら、今まで嫌厭してた黒を使い始めたのだ。
最初こそ黒を使って挑んだ戦いはラセツに惨敗だった。やはり自分以外のマナが体の中に蓄えられるとなると負担が大きく、まともに動けずに丸一日寝込むこともあったくらいだ。
だがクロベニは幼いころからこのアガリの国で育ってきた。なので智慧系統の扱い方をみっちりと叩き込まれた。そのおかげもあって次第に智慧のマナの扱いがグングンと上達し、アガリの国の環境もあって【忍術】までも扱えるほどの腕になっていった。
それほどまでに智慧のマナの扱いに秀でているクロベニだからこそ身に着けられる技が、円月輪・黒を扱う上で必要不可欠だった。
それを身に着けるまでクロベニは何度もラセツとの戦闘で特訓し、ついにその技を完成目前まで近づける事に成功した。
二人の攻撃がぶつかり合う音が次第に激しさを増していく。
ラセツは的確にクロベニへ攻撃をし、その攻撃をクロベニは完璧にまで円月輪で受けきっている。
(体の中にマナが流れていくのを感じる……。でも拒絶反応は起こしていない。
という事は、遂に……遂に完成した! 私の技が!)
やはり特訓の成果もあり、クロベニは拒絶反応を起こすことなく刀身からマナを供給出来ていた。それすなわち、技の完成を意味している。
これぞクロベニが身に着けた智慧系統の秘術【変換】だ。
外部から取り入れるマナの構造を瞬時に自分のマナと適合するように組み換え、そのまま体に取り入れる事で拒絶反応を起こさずに自分のマナとして扱えるようにするというものだ。
繊細かつ迅速にマナそのものの情報を書き換える能力がなければ扱う事ができない非常に難易度の高い技を、クロベニは長い時間をかけて習得することに成功した。
(こいつ太刀筋が少し変わったか……?)
刀身に蓄えたマナを自分のマナとして扱えるようになったクロベニの動きは素人目でもわかるほど鋭くなり、キレが増している。その変化をラセツは瞬時に見抜いていた。
「ふっ、ラセツ。表情に余裕がなくなってきていないか?」
「あ? 気のせいじゃねえの?」
「いや、私も目は誤魔化せないぞ。
お前は今、私が急激に強くなったのに驚いているだろう?」
「あぁ……。まあ、少し驚いたのは確かだ。
だが、まだまだ余裕だ」
「ふっふっふっ、強がるのも今の内だぞラセツ!
今度の私はお得意の攻めに転ずるのだからな!」
円月輪・黒で取り入れたマナは自分のマナとして扱えるため、それを活性化させて一時的に身体能力を強化する事が出来る。だが、真価を発揮するのは相方である円月輪・紅の刀身にマナを宿してからだ。
変換を利用して自分以外のマナを体に蓄えられるからと言っても、それには限界がある。
だから取り込んだマナというものは、なるべく早く消費しなければならない。
もし円月輪・黒で攻撃を受け続けている状態の中、マナが許容量を超えて蓄えられてしまっては却って自分がダメージを受ける事になる。だから防御に徹している場合は、マナの供給よりも消費スピードが多くなければいけない。
しかし、活性化で身体能力を上げる方法で消費するマナは僅かだ。
それだけではマナの供給スピードに追い付けない。
だが、クロベニにとってこの問題を解決するのは至って簡単な事だった。
円月輪・黒の相方である紅は、刀身に長時間マナを宿すことが出来る。
それも許容量などなく、無限にだ。
その特性を利用して、自己強化で消費しきれない分のマナを武器に全部流し込むことで消費スピードが追い付かないというデメリットを解消できる。
持続的にマナを消費し、一時的な自己強化を行う活性化。
そして瞬間的にマナを消費し、武器を強化するエンチャント。
変換を習得することが出来たクロベニは、これらの強化方法を使い戦う事が基本となる戦闘スタイルが確立した。
そしてクロベニは攻めに転ずると言った通り、ラセツの攻撃で変換したマナを一気に武器に流し込んだ。膨大なマナを宿した円月輪・紅は燃え盛る炎のように、紅いマナを纏っている。
「なんだお前、こんな隠し玉を持っていたのか。
なかなか面白そうな技じゃねえか」
「ふっ……。驚くのはまだ早いぞ。」
私の新しい技を見せてやろう」
「新しい技?」
そう言うとクロベニは、まるで六人に分身したかのように、素早い動きでラセツの周りを取り囲んだ。一時的に体内のマナを活性化させているからか、普段よりも数倍の速度で動くことが出来ている。まるで残像ではなく実像かのように錯覚するほどだ。
「六影斬。これが私の新しい技だ。
どうだ! こうも囲まれていては避ける事も出来ないぞ!」
「確かに面白そうな技だが……決定打に欠けるかもしれないぜ?」
「決定打に欠けるというのは、私の攻撃を受けてからでも言えるかな?」
ラセツを取り囲んでいるクロベニは一斉に円月輪・紅を向け攻撃を仕掛ける。
その猛攻をもラセツは紙一重で躱してはいるが、明らかに先ほどまでとは打って変わって顔に余裕がなくなってきている。
「ちっ……確かに厄介な技だな。
まるでどこから攻撃が来るか分かったもんじゃねえ」
「反撃させる隙も与えぬぞ。
このまま勝負をつけて、さっさそ捜索を手伝ってもらうからな!」
「っぐ……!」
クロベニの円月輪・紅がラセツの刀に初めて当たった。
ギリギリと武器同士が交わる音を立てている。
「っぐああぁ!」
重々しい音と共に、ラセツがはるか彼方に吹き飛ばされた。
それを見てクロベニは自分自身でも驚いていたが、この期を逃さないと追撃を仕掛ける。
「お前の焦った表情とあんな声は初めて聞いたぞ!
手ごたえありってやつだな。そのまま降参するがいい」
「ガキが。調子に乗るんじゃねえぞ?
急に力をつけたからってそう闇雲に力を振るえば少なからず反動が出てくるぜ」
「そんなものなど、ない」
「強がるな。その証拠にさっきよりも少し遅くなってるじゃねえか……よ!」
ラセツは周りを取り囲むクロベニを冷静に見極め、攻撃が飛んできた方向に刀を振るったが、その攻撃を円月輪・黒で防がれた。
「ちっ、ちょこまかと。
だが見えねえわけじゃねえ……。そこっ!」
またしても防がれる。
「おいガキ。お前わざと攻撃に当たりにいってるだろ?」
「さあどうだろうな? それよりもラセツよ。
お前、さっき闇雲に力を使ったら反動が出てくるとかいったな?」
「ああ、言った」
クロベニはラセツに笑みを浮かべながら口を開く。
「だが、そんな事は私に限った話だとないのだ。
その証拠を今から見せてやろう」
クロベニはラセツの攻撃を防いだときに変換したマナを使い、更に自己強化を行った。
「へぇ……。確かに動きが元に戻ってやがる」
エンチャントの際に消費したマナを補充しつつ、更に自己強化も行ったとなると今のクロベニの強さはラセツと比にならない程に膨れ上がっている。
そんなクロベニを相手に、とうていラセツは成す術もない。
少なくともクロベニはそう思っていた。




