052:仲直りの……○
薄れていた意識が回復したソウタが最初に見た光景は、上着を脱ぎ、程よく鍛え上げられた胸筋に手を当てている自分の姿だった。
「あ、戻ってる。元の姿に戻ってる!」
鏡に映る姿が自分自身だという事は、それすなわち入れ替わった体が無事に元に戻ったという事だ。
という事は、シラユキもすっかり元の体に戻れているはず。
というか、なんだこの状況は? どうして服を脱いでいるのだろう?
っといかん、そんな事よりもまずはシラユキと合流だ。
ソウタは急いでシラユキを探すべく、今いる場所から駆け足気味に移動した。
なんだかこの場所、見覚えがあるな。
それもかなり新しい記憶だ。ここはもしかして、もしかしなくても……。
ソウタは見覚えのある扉を勢いよく開けた。
あ、やっぱりトイレだった。
という事は、だいたいのトイレの作りからして隣には……。
ソウタは確認するように、顔を左に向けた。
そこにはソウタの予想通り女性用トイレの扉と、シラユキの姿があった。
「っ!? ソ、ソウ……!」
シラユキはソウタの姿を見るや否や、逃げ出すように走り出した。
「ちょ、シラユキ!」
シラユキは氷の魔法を使い、いつもより何十倍もの速さで移動している。
「ちょ、速いって! なんで逃げるんだよ!」
ソウタも負けじと後を追いかけるが、中々差が縮まらない。
シラユキは前回の反省を生かしているのか、逃げている最中は無言だった。
また騒ぎを起こしたら面倒ごとになると分かっているからだ。
「ん? あれシラユキさん?」
「うわぁ! なんか上だけ脱いでいる男に追いかけられているぞ!」
もちろんここはギルドの中であるため、ソウタとシラユキの追いかけっこを目撃する人物は必ずいる。それこそ面倒ごとの種だと理解したのか、シラユキはその言葉を聞いてピタりと足を止めた。
「変に勘違いをするな。私も時間が惜しいからな。あの男に道案内を頼まれたから、手短に終わらせようと高速で移動していただけだ。だから変な詮索はやめろ」
「う、うわぁ! シラユキ、いきなり止まらないで!」
シラユキとほぼ同スピードで走っていたソウタは、いきなり止まったシラユキに対応できずに、そのままシラユキの目の前まで迫っていた。
「ちょ、ソウタ!」
あぁ、自分はこのままソウタに押し倒されるんだと期待していたシラユキだったが、変に気が利くソウタの計らいにより、押し倒されることはなかった。
まずソウタは異常なほどの判断速度で、シラユキと衝突を避けるにはどうしたら良いのかというのを即座に思いついた。そのままシラユキを飛び越えれば良いと判断したのだ。
思いついたはいいものの、そう簡単な所業じゃない。
でもこれしか方法がない。そう思ってソウタは意を決した。
……あれ? なんだこの感覚は。
ソウタは不思議と、絶対に飛び越えられるという謎の自信に満ち溢れていた。
わかる。わかるぞ!
体の力の入れ方や動かし方まで、全てが分かる!
人を飛び越えるほどの跳躍なんて人生で一度もやったことないけど、なんだか今の僕ならいけそうな気がする!
そうしてソウタは、華麗なるムーンサルトを決め、シラユキを飛び越えた。
ソウタは決まった。と言わんばかりのドヤ顔をかました。
「あ、あれ……?」
思わずシラユキから声が漏れる。
「シラユキ、ひとまず僕の部屋に行こう。なんだかここは落ち着かないからね」
「……わ、分かった」
小声でソウタとシラユキはそうやり取りすると、いそいそとその場を後にし、部屋に戻った。
移動しているあいだ、シラユキとソウタの間に気まずい空気が流れていた。
「……えっと。とりあえず無事に元の体に戻れてなりよりだな」
「そ、そう……だね」
二人は部屋に戻り、置かれているテーブルを挟むように座った。
シラユキはソウタに顔を合わせずに俯いている。
「「あ、あのさ」」
中々重い口が開かない中、二人は同じタイミングで話を持ち掛けた。
言葉が被ってしまい話を切り出そうかと迷っていたシラユキだったが、顔を上げてソウタの顔を見つめながら先に口を動かした。
「あ、あのさ……、怒ってる?」
「へ? ど、どうして?」
「どうしてって……。だって私、ソウタにその、色々と酷い言葉を言っちゃったから……」
「あ~、その事ね。まあ、確かにかなり傷つきはしたけど、シラユキは別に気にしなくても良いって。もともと誤解を招くような発言をした僕にも非があるわけだし」
ソウタは軽く笑いながらシラユキに微笑む。
「それでも、その……。事情とかも聞かないで感情のままに動いちゃって、あんな騒ぎもおきちゃってさ。もう、本当にソウタには謝っても謝り切れないよ……」
ソウタの反応とは正反対に、シラユキの瞳には涙が浮かんでいた。
「よ、よせってシラユキ。本当に大丈夫だからさ!」
「大丈夫じゃないよ! どうしてソウタはこんな私を許せるの!?」
ガタンとテーブルの上に身を乗り出しソウタに訴えかける。
「私はソウタと違ってそんなに寛容じゃなかった! 罵倒を浴びせてソウタとの関係を断とうとしていたのに、どうしてソウタは……ソウタはそんなにも私に優しくしてくれるの?」
ソウタはしばらく、真剣な眼差しでシラユキを見つめた。
僕からしてもシラユキがどこか遠くに行くのは困る。
せっかく自分の作ったキャラクターと仲良く出来て、これからだっていうときに僕の方からもシラユキを引き離すような事をしたら、それこそ終いだ。
それに、こんな事になった原因は100%僕に非がある。
だからシラユキが責任を感じる必要はない。
そして君は僕にとっては、とても大事な存在。
僕自身が作りだしたキャラクターなんだ。
ソウタにとって、この世界に存在する誰よりも、シラユキを含め自分が作り出したキャラクターが何よりも大切で、特別な存在になっている。
言うなれば……そう、特別。
「だって、シラユキは僕にとって特別な人だからね」
その言葉を聞いて、シラユキの瞳孔が大きくなった。
顔も徐々に赤くなり、口を紡いだ。
今にも溢れ出そうな感情を抑えている。
「と……特別」
「うん、特別さ。この世界のどんな人よりも(自分が作ったキャラクターは)特別。僕にとってシラユキはその一人に当たるからね。そんな事くらいで君に怒ったりはしないよ」
シラユキはソウタの言葉を聞いて、抑えきれない感情を解放しながらソウタに飛びついた。
「うわああああん! ごめんさないソウタアアア! 私、ソウタの気持ちも知らないで勝手に誤解して勝手に距離を取ろうとして……。私の事をこんなに思ってくれているなんて知らなくて……」
シラユキはソウタの胸にうずめていた顔を上げ、顔を見た。
「ごめんね。そんなソウタの気持ちを踏みにじっちゃって……」
「う、うん! 僕も最初こそ傷ついたけど、もう大丈夫だからさ。これで全部、あの件は水に流して仲直りってことで!」
ソウタはシラユキに満面の笑みで再び微笑み返した。
し、しかし……。なんだかこの雰囲気、とてもヤバい香りがする。
いきなり飛び掛かってきたときは驚いたけど、あまりの可愛さに動揺して流れに身を任せてしまった。
シラユキの顔も、なんだかトロンとしてきているし……。
ソウタはこのまま雰囲気に流されたら不味いと思っていた。
そんな中、シラユキは覚悟を決めたように口を動かす。
「あ、あのね……。私もさ、ソウタが私の事を特別だって思ってくれているみたいに、私もソウタの事がね……、その……」
そこまで言いかけると、シラユキの手がソウタの右頬に当てられた。
「言葉よりも、行動で……ね」
シラユキの鼓動が早くなっているのが伝わってくる。
こんなにも至近距離にいるもの。今からシラユキがやろうとしている行為が、ソウタには手に取るように分かっていた。
「シラユキ……」
シラユキの顔とソウタの顔が段々と近づいていく。
そしてお互いの唇が重なろうとしている。
シラユキはソウタにキスをした。
――おでこに。
「~~~~は、はい! 仲直りの証ね!」
ソウタはしばらく顔を赤らめて沈黙した後、我に返った。
「あ、ああ! 仲直り! 仲直りー!」
恥ずかしさのあまり、勢いよく立ち上がるシラユキ。
「じゃ、じゃあもう夜も遅いし、私は自分の部屋に戻るね!」
「う、うん! おやすみシラユキ!」
「お、おおおおやしゅみソウタ!」
シラユキは顔を赤らめながらソウタの部屋を急ぎ足で出て行った。
ソウタはしばらく、自分のおでこに手を当てていた。
――シラユキはソウタの部屋を出た後、後ろ髪を引かれる思いでソウタの部屋を見つめる。
「私の馬鹿……。結局中途半端に終わっちゃったし、言葉でも伝えられなかった」
踏ん切りをつけられなかった自分に、相当後悔している様子だった。
「でも……にへへ~。特別、ソウタが私の事を特別な人だって言ってくれた」
その言葉だけでも、シラユキには相当響いたようで、しばらくは頬が緩みに緩み切ってしまっていた。
二人はお互い、体が入れ替わった際にトイレに入っていたこともすっかり水に流した。
シラユキがソウタから逃げた理由は、自分がソウタの体を鏡を使ってみていた事がバレてしまって気まずかったのもあるが、それもすっかり水に流した。




