【第六話】郷太郎
【第六話】郷太郎(旅の目的なんていうものは、旅をすること)
(此処は、砂漠・・なのか?)
ゲンジは星ひとつ見えない真っ暗な夜空の中、砂の上を歩いていた。
ふと、ゲンジの視線の向こうに人影がひとつ、浮かび上がってくる。
(あれは・・誰?)
砂の上に正座し、両手首を背中で縛られ首を垂れたそのシルエットは、近づいていくと髪の毛は長く端正な顔立ちが少しずつはっきりしていく。
(お・・お母さん・・なのか?)
その女の姿は四年前行方不明になったゲンジの母、源静に見えたものの、母親とは何か違う雰囲気を感じる。
(いや・・似ているけど違う。この感じはえっと・・・)
首を垂れたまま動かない女は目を瞑っており、意識は無さそうに見えた。ふと、何か嫌な予感、焦りを感じたゲンジは急いでその女に向かって走り出す。
(そう・・そうだ。この感じは・・・危ないっ!)
そう叫んだ直後、ゲンジの目の前で女の身体を数本の光が突き抜けて行く。
(今度こそ絶対に守ってみせる。刻よ・・止まれ!)
風が止み、静寂な刻の中で女の元に辿り着いたゲンジはうつ伏せに倒れていた女を抱き寄せ、身体を仰向けの姿勢に回して頬を寄せた。
(ようこ!やっぱり陽子じゃないか。死ぬな、死んじゃダメだ!)
陽子の背中にぬるりとした温かい感覚を感じたゲンジが、左手で陽子の身体を抱えたまま右手首を回してみると、その掌には赤い血がべったりと染まっていた。未だ目を開けることのない陽子に顔を寄せたゲンジは、ボロボロと流れ落ちる涙を陽子の頬に垂らしながら言った。
(どうして陽子がこんな事に、一体誰が・・。目を開けてくれ、ようこぉ・・)
「よう・・こって、またこの夢か・・・」
ベッドの上で目が覚めたゲンジは大量の汗をかいており、髪の毛を搔き上げた手がべったりと濡れる。額の汗と、頬を伝う涙を拭いながらゲンジは呟いた。
「このところ同じ夢ばかり見る。まさかこれが予知夢なんて事無いよな。そんな事絶対させない。今度こそ、次こそ陽子は俺が守ってみせる」
ゲンジとモモがはじめて出会った日から四年の歳月が流れ、二十二歳になったゲンジは現在大学四年生。同級生が就職活動の真っ最中の中で、先日モモはゲンジの前に久しぶりに姿を現したかと思うと「旅に出るぞ」と言い出した。そして一度言い出すと聞かないモモは旅行の行き先や、旅先でふたりが乗るバイクについて物色しはじめ、ゲンジは何がいいかと一方的に聞いたりしながら、旅の準備を着々と進めていたのである。
それから数週間が過ぎたいま、ふたりはモンゴル国のとある草原にいた。
実は、今までもこんな事は度々あった。ある日突然、モモはゲンジの前に姿を現すとゲンジを何処かに連れ出し、一〜二週間程共に過ごしたところでサッと姿を消すのである。だが、これらのモモの突発的な行動をこのところゲンジはある程度予知することが出来るようになっていた。
ゲンジは物心ついたころから、いま自分が経験していることは以前にも経験したことがあるという感覚“デジャブ”(既視感)や、これから起こるであろう事を知っているといった“予感”のようなものを感じたことが度々あったものの、二年前にきびだんごを食べてからというもの、それはより鮮明に、強く感じられるようになっていた。更にゲンジは、モモとはじめて会った時に経験した“念話”についても、その後モモと念話を重ねていくうちに返事をするのは勿論のこと、周囲で他人が考えている事など聞きたくない心の声は意図的に遮断することも出来るようになっていた。
一方、二年前にモモのキックを受け止めたあの能力は、未だ自在に引き出せるようにはなっていなかった。確かに集中力を極限まで高めると周りの動きがスローモーションに見えることは、幼少期から度々あった。だがそれは“自分の動きも含めたまわりの動き全体がゆっくり動いているように見えるというものであったのに対し、きびだんごを口にした直後に起きたあの現象は“周りの動きだけがゆっくり、或いは止まっているようにみえる”という点で異なっていた。そしてこの能力はゲンジの意思により何時、何処でも発揮できるというわけでもなく、大学サッカーの試合等、極限まで集中力を高めた際、偶発的に起こっていた。少なくとも今までは・・。
そんなゲンジがいま立っているモンゴルの草原から1000km程南に位置する中国北部、内モンゴル自治区では、五年程前に野生の鳥が大量死している奇妙な映像、画像がインターネット上に投稿され、話題になった。
その後急速に拡散していったこの現象は一年後、中国国内のとある巨大な養鶏場で飼育していた鶏が全て死ぬといったニュースとなり、世界中を震撼させる。この原因が“新型の鳥インフルエンザ”であることまでは直ぐに解明出来たものの、ワクチンや特効薬といった有効な手立てはそれから四年が経過した今も無く、一羽でも発症が確認された養鶏場の鶏は全て殺処分するしかなかった。
一方、鶏の数が激減した事で鶏肉や鶏卵の価格は跳ね上がり、中国国内では富裕層の買い占めによる貧困層の食料不足が深刻な問題となっていた。そしてこの問題は、中国国民の政府に対する不満となって表面化しつつあったものの、中国政府は国民の不満を外に向けさせるべく、日本に対してはテレビやインターネット、そして各種式典等を通して大規模な反日活動を展開していた。
こうして国威発揚と富国強兵を掲げる中国政府は、軍事力でも国産空母の増産や第五世代型戦闘機の開発等で日本を含む周辺諸国を圧倒しつつあった。これら増大する中国の軍事力に対抗する手段のひとつとして、自衛隊は純国産戦闘機の開発を極秘裏に推めていた。その背景には、これまでに無い圧倒的な高出力と低燃費を兼ね備えたジェットエンジンを、戦闘機業界最小最軽量のコンパクトサイズに収めるという極めて難しいコア技術の開発に成功した国内の航空機製造会社が“F‐35より低価格でF‐22に匹敵する対空戦闘能力を備えた戦闘機”という開発プランで自衛隊に提案し、その新型エンジンを搭載した試作機の開発が了承されていたのである。
視界360度、見渡す限りの水平線に草原と青空が広がるモンゴルの大地。そんな絶景の中にいま、二台のアドベンチャーツアラーバイクが並んで停車した。水平対向2気筒エンジンの鼓動を止めてヘルメットを脱いだモモは辺りを見渡しながら、独特のアイドリング音を響かせる直列3気筒に跨ったゲンジに声を掛ける。
「ゲンジ、トラの扱いは大分慣れてきたようだな。だが相変わらず姿勢が悪い。猫背だから後輪にトラクションを十分掛けらず、結果リアが滑るのだよ。背筋を伸ばしてお主の全体重を尻からシートに預けた方が速いし、何より楽であろう」
ゲンジは言った。
「俺の3発はお前のフラットツインよりトラクション掛けにくいんだよ」
「前後重量配分や出力マネージメント等の違いはあるかもしれぬ。だがいまは車体の性能云々よりお主のライディングフォームを直せと言っている。剣もバイクも、姿勢が悪い者に達人はおらぬからのう」
「猫背はサッカー部の監督にも指摘されて治してきたし、サッカーではこのくらいが丁度いいんだよ」
言い訳ばかりするゲンジに閉口したモモはゲンジから視線を逸らして考えた。
(自分の欠点を認めぬうちは上手くはなれぬ。然りとて、あのような姿勢でバランスを崩しても転倒せぬとは、儂にも出来ぬ技を持っておるのもまた事実。此奴が無駄な動きを無くし正しい姿勢を体得した暁には、儂を超えるのは勿論のこと、更なる極みを会得する事も可能であろう)
しばらく水平線に広がる景色を眺めていたモモは小さく頷くとゲンジに言った。
「よおし、今日は此処で泊まるとするか」
ゲンジは眉をしかめ苦笑いして答える。
「こんなところで・・か?何も無いじゃないか」
「何もないからよいのではないか。それとも何か、お主は女が恋しいとでも云うのか?だからと言って夜中に儂に夜這いを掛けるのではないぞ」
「ばーか、そういう趣味は無いよ」
そう言ってふたりは笑うとバイクを降りて今夜の宿となるテントを組み立てる事とした。しばらくすると西の空に夕日が沈みはじめ、ゲンジやモモ、そして二台のアドベンチャーバイクとテントが茜色に染まっていった。
地平線を真っ赤に染める夕日に目を細めながら、ゲンジはポツリと呟いた。
「きれいだなぁ・・・。こんな景色、生まれてはじめて見たよ」
「これで終わりではないぞ。むしろこれからが本番だ」
モモはそう言うとBMWのパニアケースから“ラガヴーリン”を出して言った。
「とりあえず呑むぞ。アクアヴィーテだ」
それからふたりは、スノーピークの焚き火台に薪を並べて火を点け、SOTOのガソリンストーブで湯を沸かし、途中で買ってきた羊肉やボーズ、ホーショールといったこの土地の料理を調理して宴を催した。
「いやぁ、喰った喰った。鶏肉は勿論の事、牛肉や豚肉まで高騰しているいま、羊の肉なんてどうかなと思ったけど、ラム肉ってのも以外とイケるもんだな」
琥珀色に輝くウィスキーが注がれたシリコン樹脂製の透明なグラスを片手に、ゲンジは腹をポンとたたいて言った。BBQグリルの前に立っていたモモは、網の上に置かれたカマンベールチーズと栃餅をひっくり返した後、ライディングブーツを脱ぎながら答えた。
「ラムは勿論、お主が以前苦手だと言っていたこのカマンベール、或いはブルーチーズでも、美味いものはこの栃餅やラガヴーリンの様に香りと甘みがあるものだ」
「何だそりゃ。お前は肉や酒は兎も角、栃餅も一色端に語るんだな。どれどれ、そのカマンベールとやらを・・・これは美味い!ところでお前のその右足、その後どうなったんだ。だいぶ治ったのか?」
炭火で焼かれて中がとろとろになったカマンベールチーズを頬張るゲンジの前で、ライディングブーツを脱ぎ終えたモモがキャンピングチェアに座ると、靴下を履いたモモの両足が露わになる。その左足は5本の指のカタチをした靴下で覆われていたのに対し、足首から先が無い右足は丸い筒状の靴下で覆われており、その先にはカーボンファイバー製の黒い部品で構成された義足が取り付けられていた。
「そうだな、見せてやろう。ようやく指も再生し始めてきたところだ」
モモはそう言うと義足を外し、右足の靴下を脱いでゲンジに見せた。
「これは・・こんな事が有り得るのか。お前の身体は・・・」
ゲンジが目を丸くして見たモモの右足の先には、踝のような膨らみと5つの小さな指のようなものがあった。
「ほれ、見てみろ。こうして多少動くようにもなってきておる」
そう言うとモモは踝を前後に動かし、先端の小さな指を開いたり閉じたりしてみせる。それはまるで赤ん坊の足でも移植したかのように見えた。
「モモ、つまりお前の身体はどんなに瀕死の状態になっても、トカゲの尻尾みたいに再生するのか?だとしたら・・本当に不死身の身体なんだとしたら、お前は一体、いつから生きているんだ?」
ゲンジの言葉にモモは星空を見上げて言った。
「何時から・・そう、昔は大変だったからのう。先刻喰った夕飯を作るのに費やした時間はせいぜい一時間程だが、儂がお主と同じ歳の頃は大変だったものよ。肉なぞ何処にも売っておらぬ。捕まえるか、育てるかだ。何れにしても捌いて肉にするのに一時間では収まらぬ。火を起こすのにも薪が要るし料理をするには塩も要る。当時、塩は大変貴重で高価な食材であった。それ故、むかしは朝起きてから寝るまで、食う寝る以外の全ての時間を食う為、寝る為に費やすのが当たり前だったものよ」
「へえ・・なるほどって、話をはぐらかすなよ。いまお前が言った“むかし”ってのは平成じゃないよな。昭和、大正、まさか明治・・まあ、幾らお前が長寿だとしても流石に江戸時代って事はあり得ないだろ」
「否、それ程最近では無い」
「はあ?じゃあ関ヶ原とか戦国時代って・・幾ら何でもお前が信長や秀吉より年上代なんて冗談だろ。まあいいや、お前の変な話に毎回付き合っているとこっちがどうにかなりそうになるからな。それにしてもホント、星が手で掴めそうだよ。でももっと高いところ、例えば高度三万五千kmの静止軌道にいる宇宙ステーションから見える空ってどんな景色なんだろう。俺達もいつか、宇宙に行ける日が来るのかな」
「いつかは宇宙に・・か。四年前、行方不明の母親を探し出し連れ拐った奴等を伐つ事を心の支えに生きてきたお主が、少しは明るい話しもするようになったのう」
「四年前・・か。確かにあの時は行方不明のお母さんを探し出すことに必死だった。そして黒服の奴等を倒す事だけを目標に鍛え続けてきたんだ。けど最近は奴等を倒すことより鍛える事が目的になってきた気がするし、お母さんが無事帰ってくればそれでいいかなってさ。そしたら何か肩の力が抜けたような気持ちになってきたんだ」
「では、母親を連れ去った奴等を恨む心は失せたという事か」
「それは有り得ない。今だって奴等は憎いし次に会った時はぶっ殺してやるって思っている。でもその為にはもっともっと強くならなきゃだし、この力をどこまで引き出せるのか、その限界を見てみたいと思うようになっていったんだ。そしてそう思うようになったら他の事も考えられるようになったんだと思う」
「確かにこのところお主は顔つきが変わった。目を三角にしないで、肩肘貼らずに心を落ち着けたまま全力を出す能力が身に付きつつある。だが自信がつくほど謙虚になれ。例えば確かにお主はバイクを操るのは上手くなったがまだまだ修正すべき点は多い。故に己の欠点を認めろ。そして今は先ず“猫背を治せ”だ」
「猫背ってそんなに駄目なのか?今回の旅の目的ってまさか、猫背を治す旅?」
するとモモは片足で立ち上がるとゲンジの前に立ち、左手でラガヴーリンが入ったウィスキーの瓶をひっくり返して右手の掌に乗せ、前後左右に掌を小刻みに動かしてバランスを取りながら言った。
「体幹だ。猫背は身体の中心より前に頭が出ているからその分腰が引ける。故に身体の中心から重心がズレる。即ち、不安定な姿勢だということだ」
モモが掌を動かすのを止めると瓶は傾き、右の掌から離れて落下していった。それを見ていたゲンジは咄嗟に立ち上がり、手を伸ばして地面に着く前に受け取った。
「なにすんだよモモ。勿体無いだろ。瓶が割れたらどうすんだよ」
「では掌に乗せた瓶が倒れない為には、どうすればいいと思う?」
「そりゃあ、もっと角度がつかないようにこう・・・」
そう答えるとゲンジはモモと同じ様にウィスキーの瓶を掌の上に乗せ、瓶の傾きを調整しはじめた。するとモモは先程までゲンジが座っていたキャンピングチェアに腰掛けると言った。
「確かにそういう方法もある。だがこうするとどうだ」
モモはいきなり義足の無い右足でゲンジの尻を押した。
「モモ、やめろっ。マジで落ちるって!」
ゲンジがそう言った直後、ウィスキーの瓶は落下していった。すかさずモモは座ったまま手を伸ばして瓶をキャッチすると、自分の掌の上に瓶を正立させて言った。
「これなら揺らしても、そう簡単には落ちないであろう」
「なんだよそれ、コロンブスの卵かよ。なんか騙されている気がするんだよな」
「騙してなどおらぬ。猫背はウィスキーの瓶を逆さにしたものが極めて不安定であることと猫背は同じだと申している。剣も同じ。ある程度極めた者であれば、これから対峙する者の立ち姿を一目見ただけで、其の者の能力がどの程度なのか、大凡見当がつくものだ」
「そうなのか?じゃあ、もし相手がわざと猫背にしていたらどうするんだよ」
「欺かれるかもしれぬ。だがな、それは指先の動きひとつとっても儂を欺ける者が成し得ることだ。そしてそのような技は五年や十年で身につくものではない。だがそれではこれから十四年後、身体能力のピークを過ぎたお主が大蛇を相手にするのは難しいであろう。そこで“最小の入力で最大の出力を得る”術を、お主に体得させるのが今回の旅の目的だ。つまり、今お主が操っている300kgを超える大型バイクを手足のように自在に操る事が出来るようになれば、十四年後の“来るべき刻”、剣術や馬術が必要となった際にもかならず役に立つ」
「十八年に一度訪れるという“来るべき刻”、そのとき俺は三十六歳か・・オッサンだな。けど、そもそもお前は毎回何しに行くんだ、其処に?」
「葦原中国と常世国、ふたつの世界を護る為だ」
「アシハラノ・・って、今まで何度も聞いたけどそれって何処だよ?」
「それは話が長くなる故、そのうちまた話してやる」
「毎度毎度、いちいち勿体ぶるんだよな。結局教えてくれないじゃん。でもまぁいいや、今日は疲れたし・・ふわぁーあ、眠い・・な」
グラスに残ったラガヴーリンに目を向けて目を細めたゲンジは、大きなあくびをするとすうっと瞼を閉じていった。それからしばらくしたところで、ゲンジが手に持つグラスの中のラガヴーリンが琥珀色の球体となり、ふわりと浮かび上がっていく。
「これはまさか、お主にそんな能力があったとはな。だがどれ程優れた能力であっても、出そうと思ったときに出すことが出来なければ無いものと同じ。さて・・その能力、これからどう開花していくのか、或いは・・・」
既に寝息を立てているゲンジの側でモモは右手に持っていたグラスを上げると、グラスの底に残っていたラガヴーリンを一気に飲み干した。
明くる朝。キャンプ道具を片付けている二人の前に一台のバイクが近付いてくる。
「あ、KTMじゃん」
そう言って微笑んだゲンジは思わず手を振った。するとKTM社製の白いアドベンチャーバイクはモモのBMW、ゲンジのトライアンフの隣に並んで停止し、ヘルメットを脱いだライダーがニコリと笑って声を掛けてきた。
「コンニチハ」
「あ、どうも・・・こんにちは」
「ねえねえ君達。KTMってさ、カットビマシーンの略だって知ってた?」
「はぁ、いきなり何を・・・って、マジっすか?」
ゲンジがそう言うとKTMから降りたライダーは笑いながら言った。
「やっぱり日本人か。日本語の挨拶だけじゃ日本人かどうか判断出来ないからね。だけど日本人ってさ、同じ東洋人でも見りゃあなんとなく分かるんだよね」
無精髭を生やした男はゲンジより10cm程高い背丈に、肩幅は広く胸板の厚い、実に堂々とした体つきをしていた。髪の毛は短く刈り上げられ頭頂部のみが立つショートモヒカン刈りの男の年齢は三十五、六歳であろうか。落ち着いているようにもみえるし、まだまだやんちゃな年頃に見えなくもない。
「随分若いねぇ、君達。これから何処行くの?」
「えっと・・なんだっけ?」
そう笑顔でモモに尋ねるゲンジに、モモはニコリともせずに男に向かって言った。
「貴様、何処の手の者だ」
「おいおいモモ、なにもそんな言い方しなくたって」
肩を叩こうとするゲンジの手を払いのけたモモは続けて言った。
「その身体つき、身のこなし、そして何よりこの威圧感、貴様は明らかに素人ではない」
それまで眉毛をハの字にして笑っていた男の顔がピクリと動き、一瞬目つきが鋭くなったものの、男は直ぐに表情をゆるめ後頭部を掻きながら言った。
「参ったなぁ・・・怪しいもんじゃないって。俺は一週間ほど前に日本を出て、ひとり旅をしてきた。そしていまここで偶然、君達ふたりの日本人と出会った。それだけじゃ駄目かい?」
「偶然だと?笑止、貴様の目的はなんだ」
「目的?旅の目的なんていうものは“旅をすること”だからね。ひとりで旅をするのは愉しいものだよ。とはいえ君達に偶然出会ったこれも何かの縁、丁度話し相手も欲しくなってきたところだし、どうだい、君達と目的地や方角が同じだったら、しばらく一緒に行かないか」
「モモ、いいじゃねぇか。一緒に行こうよ」
ゲンジの声に耳を貸す事なく鋭い視線を男に向けながらモモは言った。
「ゲンジ、お主は気が良すぎる。何時殺されるかもしれぬのだぞ。これまで儂はこの手の者に何度も痛い目に遭っている」
「え、そうなのか・・・って、そうなんですか?」
恐る恐る男に視線を向けるゲンジに、男はさわやかな笑顔を浮かべながら答えた。
「だから安心しなって。俺は通りすがりの日本人さ」
モモは相変わらず鋭い視線で男を睨みつけながら言った。
「ゲンジがそこまで言うのであれば、此奴の云うことを信じてみるがいい。だがそのうち化けの皮が剥がれるであろう。貴様、怪しい動きをしたら命は無いと思え」
「へいへい、怖いおにいさんですな。で、これから何処へ行くつもりなんだ?」
項に生えた髪の毛を弄りながらそう言う男にモモは言った。
「儂らは西に向かう。それより貴様、先ずは名を名乗れ」
「お、奇遇だね。俺も西に向かうつもりだったんだよね。俺の名前はゴウ、郷太郎ってんだ。よろしくな」
それを聞いたゲンジは、それまで強張っていた表情を緩め、笑って言った。
「へえ、こりゃあ偶然だな。俺たち、三人共タロウじゃん」
モモは相変わらず眉をしかめてポツリと呟いた。
「またしても偶然だと?益々怪しい。やはり此奴は信用できぬ」
ゴウはふぅっと溜息をつくと、苦笑いをして言った。
「やれやれ、こりゃあ仲良くしてもらえるまでしばらく掛かりそうだな。とはいえ、朝日を背に受けて共に走り出し、追い越していった夕日が沈むと共に走り終え、同じ釜の飯を食い、酒を飲む。いまはそれだけで十分だ」
それからゲンジとモモ、そしてゴウの三人は、夫々のアドベンチャーバイクのフロントホイールを西に向けてアクセルを捻り、モンゴルの大地を疾走していった。