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【第二話】大蛇

【第二話】大蛇(ツギハ、キサマニ・・タクス)


右手に持った大太刀を杖代わりにして、失った右足首を地面から浮かせた姿勢でゲンジの目の前に仁王立ちした侍の鎧は、数百年前に日本の武士が身に纏っていた甲冑のようなシルエットをしていたものの、当時一般的であった黒や朱といった漆塗りの外装色ではなく白銀色に輝いていており、何処か未来的な印象をゲンジに与えた。

(うわぁ、痛そう・・。けどコイツ、何でこんな格好を?マンガの主人公かよ)

ゲンジが心の中でそう思った途端、侍の姿をした男は唇を動かさずに言った。

(漫画・・・そうか、貴様は日本人。つまり此処は日本國ということか)

「え、今なんか言った?・・っていうか、それって腹話術かなんかッスか?」

男の言葉に思わず口元を手で覆いながらそう答えたゲンジは、首を傾げて考えた。

(『ココは日本か』なぁんて偉そうにさ。当たり前だろ。お前こそナニジンだよ)

男の様子を見ながらそんなことを考えていたゲンジの目を男はジロリと睨みつけ、左の口角を上げて応えた。

(儂は葦原中国の如何なる人種にも属さぬ故、ナニジンでもない)

「アシハラのって・・え?やっぱり聞こえた。俺、未だ何も言ってないよね」

(如何にも。だが儂には貴様の心の声が聞こえている。先刻もな)

(さっきもって、まさか俺の心の中に直接話し掛けてきたって、そういうこと?)

心の中でそうつぶやくゲンジに構うことなく男は片足で立ったまま膝を折り曲げ大太刀を地面に置くと、それまで纏っていた白銀色の鎧を次々と脱ぎ捨てていった。

「ドサッ・・ズシャ・・・ズドンッ!」

鎧がひとつ、ふたつと地面に落ちていく度に激しい衝撃音と振動が、ゲンジの耳と足の裏に伝わってくる。

(何だあの鎧。鉄アレイとかダンベルでも落としたみたいな音が・・とてつもない重さなんじゃないか。一体何で出来ているんだ?)

そんなことを考えながらジロジロと男の姿を興味深く見ていたゲンジの前で、男は鎧を全て脱ぎ捨てると顎紐を解いて兜を脱ぎ、左脇に抱えた。それから首を左右に振って髪の毛を払い、顕となったその男の顔は色白で、肩まで掛かる直毛の長い髪がさらりと舞う、それはまるで絶世の美女が男装した姿のようにもみえた。

「えっと、要するにアナタはいま、僕の心を読んだと・・そういうことですか?」

辿々しい言葉遣いで長髪の男に質問していたゲンジの頭上が急に暗くなっていく。

「ん?こんどはなんだよ」とゲンジが呟きながら見上げた空には、大きな黒い物体が浮かび上がっていた。その様子を見ていた長髪の男は「ちいっ、またしても奴を連れてきてしまったのか」と呟くやいなや、右手に持った大太刀を杖にして左足だけで立ち上がり、腰を低く構えるとゲンジに向かって突進していった。

男の身体がゲンジと重なり合ったところで「ドスッ」という鈍い音、そして「ゲフッ・・・何すんだよ」という声が暗闇に響く。

大太刀を持った右腕が鳩尾みぞおちに入り呼吸困難に陥ったゲンジを抱え、落ち葉が敷き詰められた地面に滑りこんでゲンジと兜を降ろした男は、直ぐに反転して落下してくる物体に向かっていった。それから間も無く、巨大な黒い物体が地面に着地すると、周囲の落ち葉を高々と舞い上がらせながら、「ズウウゥゥゥーンッ!」という凄まじい地響きが周囲の大地を揺るがせた。

(やはり先刻の大蛇か。差すれば放っておいてもじきに死ぬであろうが、然りとて何時ぞやの刻のように死ぬ間際まで暴れ回られても困るからのう)

地面に落下した物体がゆっくりと立ち上がると、その姿の全容が月の光に照らし出され露わになっていく。身長は6m程もあろうか、男の身長の三倍以上の高さからこちらを見下ろす巨大な顔はあの肉食恐竜、ティラノサウルスに似ており、周囲に生えているブナの木のような灰色をした全身の肌は、ところどころ紫色のまだら模様をしていた。だが一度は立ち上がったものの、間も無く恐竜はガクンと腰を落として両膝を地面に着けると横向きに倒れこんだ。それから恐竜は必死に身体を起こそうとしばらくもがいていたものの結局立ち上がることは出来ず、腹這いになって顎を地面に付けたまま動かしていた手足は、次第にその動きを止めていった。

(此処では奴の身体も重いのだろうが、儂の刀も重いのだよ・・な)

それまで杖代わりにしていた大太刀の鞘を抜いてその切先を垂直に立て、両手で構えた男は、フラミンゴのように左足だけでその場に静止した。すると恐竜は両足を地面に着けたまま両手で上半身を支え、背伸びをするように頭を上げて男を睨みつけた。蛇が獲物を狙う姿にも見える姿勢をした恐竜は腹を地面に着けたまま、トカゲが歩くように4本足で一歩、また一歩とゆっくり男との距離を縮めていった。そして間合いが5メートル程になったところで立ち止まると口を大きく開き、ゲンジが未だかつて聞いたことも無い奇妙な声を上げた。

「グウゥ・・ギュゥウウエエエエエェーッ!」

その音波は空気中を伝搬して男の髪の毛をなびかせた。それから恐竜が大きな口を開いたまま持ち上げていた巨大な頭部を男に向けて振り下ろし、巨大な顎が男の身体を捉えようとした瞬間、男はそれまで垂直に構えていた刀を振り下ろしながら水平に向きを変えて恐竜の顎関節部に挟み込むと、左足を軸に素早く腰を捻った。

「ズル・・ズリュ、ミシッ・・ズズズッ・・ボキッ、ズズ・ズ・・・ザンッ!」

刀を引く度に恐竜の口元から肉が裂け、骨が砕けていく鈍い音が響き渡り、男が腰を一八〇度近く捻ったところで、四尺はあろうかという大太刀の刀身が、切り裂かれた恐竜の反対の頬から再びその姿を現した。

「勿体無いのう。頬肉は一番美味いのだが・・・」

そうつぶやいたあと刀を一振りし、背負っていた鞘に収める男の前で、口元を切り裂かれた恐竜は、その閉まらなくなった顎を垂らしたまま目を閉じていった。それから間も無くゲンジの耳に「ぐちゃ・・・ブク・・」などという奇妙な音が聞こえてくる。恐る恐るゲンジがそっと恐竜に近づいていくと、恐竜の皮膚が少しずつ膨らんでいくのが目に止まる。

(な・・・なんなんだ、コレは一体?)

開いた口が塞がらないゲンジの目の前で、その後もどんどん膨れ上がっていった恐竜の皮膚は、やがてその目を完全に覆い、先程裂けた頬肉も覆い尽くしていった。

「スゲェ・・。い・・痛っ、また頭痛かよ。よりによってこんなときに・・・」

突然見舞われた激しい頭痛に堪らずゲンジは頭を押さえ、皮下に埋め込まれたシャントレギュレータの機能を確かめた。

「やっぱり戻りが悪い。うっ・・駄目だ。だんだん気持ち悪くなってきた」

このときシャント機能不全となっていたゲンジの脳圧は上昇しつつあり、それによる吐き気やめまいといった症状が現れていた。一方、膨れ上がった皮膚が全身を覆い尽くしたところで恐竜の身体の膨張は止まり、今度はドロドロと溶けるように崩壊しはじめる。

「なんなんだ、この現象は?それにしてもこの臭い・・・くせぇ」

酸っぱいような甘いような、それは動物の死臭そのものであった。それもこれだけ巨大になると臭いも盛大だ。その異臭は、ただでさえ具合の良くないゲンジの容態を更に悪化させた。

「ウップ・・・う・・・ブ、ゲェェェ・・」

遂に耐え切れず、ゲンジは激しく嘔吐した。目に涙を浮かべ、鼻と口から嘔吐物を吐き出すゲンジの前に立つと侍姿の男は言った。

(おい貴様、ちょっと見張っておれ。儂はちと糞をしとうなった)

「は・・はあ?ちょっ・・ちょっと待てって。俺は気持ちがわる・・」

ゲンジの声には耳を貸さず、男は腰から下の鎧を外し赤いフンドシを緩めるとしゃがみこむ。

「ブリブリブリッ!ドドドド・・・ぷぅ」

突然目の前で排泄しはじめた男に向かって、ゲンジはいまにも吐き出しそうな声で言った。

「おいおい、俺の前で白いケツ出して・・く、くせえ・・。うげえええぇっ」

頭痛から来る吐き気、漂う死臭。そこに侍の排泄物の臭いまで混じり、堪らず再び嘔吐するゲンジの脳裏に向かって、男はフンドシを締めながら言った。

(ふう、出るものを出したら腹が減ったのう。先刻葦原中国で助けてもらった礼に此度は儂が助けてやった。これで貸し借りなしだ。して、貴様は何故、先刻葦原中国に居った?そして今は何故此処に居る?儂が此処に降り立つ事を予め知っていたとでも云うのか)

脳裏に響く男の声に反応する事なくゲンジは嘔吐しながら気を失った。

その様子を見ていたフクロウは片方の翼はだらりと垂らしたまま、もう一方の翼を広げ胸を大きく張って「ホウ」と一声鳴くと、嘔吐物を頬に濡らし目を瞑るゲンジに向かって念話を送った。

(ツギハ、キサマニ・・タクス)

この声を最後に金色に輝いていた目を閉じ動かなくなったフクロウに向かって、長髪をなびかせながら男は顔を歪ませ言った。

(まさか、このような軟弱な男が次なる“マガタマノカミ”だというのか)

ふと、気を失っているゲンジの頭の髪の毛がふわりと逆立ち始める。

(む?これは・・・・マガタマノカミよ。何をする気だ?)

それから全く動かないフクロウに向かって目を閉じた男は、しばらくすると目を見開いて頷いた。

(此奴の頭の中には異物が?・・・まさか、此奴の病を治してやろうというのか)

男は強張っていた表情を緩め、倒れこんだまま動かないゲンジの頭部をそっと撫でながら言った。

「済まぬ。どうやら儂は貴様・・否、お主の人生を巻き込んでしまったようだな。しかしこれは偶然ではない。お主はきっと、何かに導かれてここまで来たのであろう。そして選ばれたのだよ、このマガタマノカミに」

それから男がふたたびフクロウに目を向けたときには、胸を張り直立した姿勢のままで目を瞑り、息絶えたフクロウの姿があった。男はつぶやいた。

「荘厳・・だな。こればかりは何百回、何千回繰り返しても、胸が痛む」

動かなくなったフクロウを両手で抱えた男は、フクロウが首にぶら下げていた勾玉の紐を摘んでそっと外すと勾玉を握り締め、深く頭を下げて言った。

「今までよく働いてくれた。天晴れであった」

それから間も無く男が去ったその場所には、うつ伏せに倒れたまま眠り続けるゲンジの姿だけが、月明かりの下に照らし出されていた。


「っつう・・・痛ぇ」

西の夜空に満月が沈みはじめ、太陽が照り輝きはじめた東雲の空の下、ゲンジは青木ヶ原樹海の深い森の中で目を覚ました。

(あれ?なんで俺、こんな所に・・・)

左手を額に当て目を瞑ると、少しずつあの時の記憶が蘇ってくる。

(そうか、あの時俺はココで吐いて倒れて・・そういえばさっきのあの男は・・)

キョロキョロと辺りを見回してみたものの、未だ記憶の片隅にある白銀色の鎧を纏った侍や恐竜の姿は見当たらなかった。

「そうだよな。幾ら何でもやっぱりあれは夢・・」

そうつぶやいて起き上がろうとしたゲンジは、ふと思い出す。

「そういえばあん時、俺はシャントが詰まって具合悪くなったんだよな」

頭頂部のシャントレギュレータに人差し指を添えて押してみると、レギュレータに組み込まれたバルーンは凹んだまま戻ってこない。

「おかしいな、完全に詰まっているじゃないか。じゃあ何で俺はこんなに元気なんだよ?」

この時ゲンジの脳裏には(自分はシャントレギュレータが無くても大丈夫な身体になったのか?)、(だとしたらそれは何故か?)、(あの鎧の男と何か関係があるのか?)といった疑問が次々と浮かんでは消えていった。だがその混乱する頭の中も、時間の経過と共に少しずつ整理されていく。

(今のところ頭痛もないし吐き気もしないし、水頭症の事は後で考えよう)

(あの、ティラノサウルスみたいな恐竜に鎧兜の男・・夢なのか現実なのか未だに分からないけど・・でもそのうちまた俺の前に現れる気がする。そんときゃ鬼が出るか蛇が出るか・・。それにしてもあのフクロウ、死んだのかな?)

そう思った直後、ふとゲンジの脳裏に(キサマニ、タクス)という声が響く。

あのときフクロウが死ぬ間際にゲンジの脳裏に掛けたその言葉が、未だ断片的な記憶が整理できていないゲンジの海馬を刺激した。

(そうだよ、この声。やっぱり俺はあの時ココで吐いて、それから・・・)

その後しばらく辺りを探索してみたものの、フクロウはともかく巨大な恐竜の姿でさえも、その骨の欠片ひとつ見つけることは出来なかった。それでも腰を屈め地面を凝視しながら歩いているゲンジの胸元からふと、何かが落下した。首に掛けられた革紐で空中にぶら下がったままゆらゆらと揺れるそれを見つめたゲンジは呟いた。

「これは・・やっぱりあれは夢じゃなかった・・・って事か?」

緑色に輝くそれは、あのときフクロウが胸元に付けていた勾玉であった。


それからゲンジは、朝焼けの富士が湖面に映る河口湖の湖畔をCRM80で走りながら心のなかでつぶやいた。

(何だろう、この感覚。なんか妙な胸騒ぎがする・・早く帰らなきゃ。お母さん、大丈夫かな・・・)


そしてゲンジを乗せたCRMが走り去る様子を木陰から眺めていた人影がひとつ、月明かりの下に現れると小さく頷いて言った。

「遂に見つけたよ。“来るべき刻”とはこの現象のことだったんだ。これが何を意味するのかは未だ分からないけど、まあいいさ・・。おい、聞こえるか。そっちに向かったバイクを追え」


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