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【第十六話】緑龍

【第十六話】緑龍(必要なのは託す事、そして受け継ぐ事)


何もない真っ白な空間で、黒龍はひとり漂っていた。

「ここは・・どこだ?」

腰に手をやると微かに金色に光り続ける金剛杵が、虚ろな目をした黒龍の眼に映る。ピントが合わない霞む視界の中で、黒龍は断片的に思い出す記憶をつなげていた。

「これは金剛杵・・か。そういえば僕はあのとき金色の光に包まれて・・ってあれ、えっと、僕は・・・誰?」

ふと、そこへ背後から近付いてくる気配を黒龍は感じた。

振り返るとそこにはモモが立っており、黒龍の肩を叩いて言った。

「此処に居たのか、黒龍」

振り返った黒龍はモモの顔をみて呟いた。

「君は・・・モモタロウか。ここは何処だ?僕は・・黒龍・・・なのか?」

「此処が何処なのかは分からぬが、おそらくこの世ではない。貴様がやったのではないのか?三種の神器を使ってな。倒れていた儂にも、頭の中に貴様の目を通した光景が映っていたのだが・・あのとき貴様は確か、自らを“王神”と名乗っていた」

「おうじん・・王神、そうか。僕はあのとき三種の神器を使って大蛇も、人間も全て無に帰した・・思い出してきたよ。王神だった頃の僕の記憶を少しずつ・・・」

それから黒龍はしばらく目を瞑り、深く息を吸ってから話し始めた。


そう、僕が黒龍として物心つく前、つまり王神としての記憶が、未だ断片的にだけど少しずつ戻ってきている。

“彼”は祖父と旅をしていた。重くねっとりした空気に軽い重力の・・それはおそらく、僕は未だ行った事が無い常世国なんだと思う。そして僕達の住む地球、葦原中国に戻る途中でふたりは逸れ・・・その後の記憶は無くて、代わりに僕の記憶が始まるんだ。つまり祖父と逸れた王神はその後倒れ記憶を失った。そこにたまたま通りかかったその土地の者が助け、育てたのがきっと、僕なんだろう。そして幼少の頃の記憶がない僕は、僕を育ててくれた周りの者が年老いて死んでも、その次の世代の者が死んでも、老いる事無くずっと生き続けた。それが何故なのか誰も教えてくれなかったし、いくら考えても、調べても、答えは見つからなかった。

一方、そんな僕を周りの者は羨み、やっかみ、ときには崇め、そしてときには殺そうとした。その都度僕は瀕死の重症を負ったけど、安静にする場所と食べ物、特に生卵にありつければ元通りの身体に戻った。それから数百年が過ぎて行く間にも次から次へと僕に近づいてくる者は居た。彼等は僕が知らない事も沢山教えてくれたけど、どいつもこいつも嘘つきばかりだった。僕の不老不死の身体や、少しずつ使えるようになっていった瞬間移動の能力を欲した者が僕を騙し、利用してきたんだ。

僕の能力は人間達の殺し合いに関与するのに利用され、僕は何人も何百人もの人間を殺し続けた。これで戦いは終わりだと言われながらね。いつの日か僕は疲れ果て、どうしたら人間は殺し合わなくなるのか、戦争しなくなるのかを考えるようになっていた。だからこそ僕はこれまで色々、試行錯誤してきたんだ、ある時は争いの交渉に関与し、またある時は殺せと言われても殺さないで逃してやったりした。けど何をやっても、いつまで経っても人間は殺し合いを、戦争を止めなかった。そんなとき現れたのが青龍なんだ。人知を超えた存在となった人工知能、青龍は世界中のありとあらゆる電子の目、数千億の撮像素子を通して人間達の愚かな振舞いを監視することで“人類を脅かす存在”、即ち“悪人”を正確に選び出す事が出来ると言った。この“JIGS”(JUDGE TO INNOCENT OR GUILTY SYSTEM)を用いる事で長寿化による人口増と、家畜へのウィルス蔓延などによる食料不足から、あのとき絶滅の危機を迎えていた人類は、食料を奪い合う戦争などする事なく存続し続けるのは勿論の事、更なる繁栄をも迎えるであろうと言っていた。

けど、確かにあの時は青龍に同意したけど、今はそんな事思ってなんかいないさ。知らなかったんだよ。僕も患った肺炎、まさかあのウィルスが人類を滅亡の危機に陥れるなんてさ。だってあのウィルスは僕と青龍が作ったようなものなんだ。

十八年前、君達が常世国に向かった頃、青龍は、世界中の家畜を絶滅の危機に陥れていた鳥インフルエンザ、豚コレラ、牛疫、それら全てに適用する抗ウィルス剤、ワクチンを完成させた。そう、あのとき既に人類は半分に減っていた。青龍に言われて僕が減らしたんだ、人類を存続させる為に。殺した人間の臓器は永遠の命を求める富裕層に、肉は飢餓に苦しむ貧困層に与えた。そして折角減った人口をこれ以上増やさないように、また減らさないようにコントロールする為にこのワクチンを利用する計画だったんだ。使ってみれば確かにこのワクチンの効果は絶大で、投与を始めると家畜の数は急速に回復していった。けどこのワクチンはその後少しずつカタチを変えていき、遂に人間に対してのみ猛威を振るう新型肺炎ウィルスとなって、世界中に蔓延してしまったんだよ。六十歳未満の致死率は1%未満、八十歳以上の致死率は90%以上のこのウィルスが蔓延してから半年で一部の富裕層を除く殆どの老人が死に絶え、僕と青龍が目標に掲げていた“働かない人間の一掃”が勝手に実現してしまった。そしてその後人類は更に半分近く、つまり総人口が20億人未満にまで減ったんだ。それでも僕は、僕の国は貧しい国、例えば北朝鮮に贖罪の肉を与えて貧困層の飢餓を抑制し、国の指導者達には臓器提供をして健康な、若い世代の寿命を延ばし続けた。争いの元となる人間の基本的な欲求を満たしてあげたんだ。だけどその北朝鮮が反旗を翻したんだよ。ようやく生命の危機から解放され元気になった彼等は何を言い出したと思う?肉も臓器も要らない。自分達で獲った肉や魚を食うんだって言ったんだよ。そんな彼等の中のひとりが打った、たった一発の魚雷がこれまで僕に協力的だった人や国の考え方までも変えてしまった。そしてその流れは世界大戦にまで発展してしまったんだよ。青龍は言った。人間とは予測不能な生物だと。どんなに与えても満足する事はなく、争いを好む生物であると。そんな荒んだ世界に、君達はあの巨大生物と共にやってきたんだ。大蛇と呼ばれるあの巨大生物は、あのまま放っておけば人類を絶滅したと思う。だけどあんな化物が本当に居るなんて、地球にやってくるなんて、僕は知らなかった。僕の計画にも無かったし、初めて見たんだよ。けどモモタロウ、君はなんでも知っていた。大蛇と呼ばれる怪物達のことも、常世国と呼ばれる異世界のことも。なんで君ばかり・・分かるかい、僕の気持ちが。僕はいつもひとりぼっちだったんだ!


黒龍の言葉にモモはコクリと小さく頷くと言った。

「貴様はおそらく儂と同じように常世国からやってきた者か、或いはその子孫なのであろう。そして葦原中国で常世国由来のものを喰らった事で生長が止まり、老化速度が遅く回復は速い、特殊な身体となった」

「何故君はそんな事を知っているんだ。そして何故僕は何一つ知らないんだ?」

「生まれた場所、国のちがいであろう。黒龍として育った貴様の国は歴史上、他国の侵略や支配が繰り返されてきた。その度に重要機密に関する記録は支配者によって都合よく改竄、或いは破棄された為、貴様が知りたい情報は残らなかったのではないか。一方、儂が生まれ育った国はこれまで一度も他国に支配される事がなかった。それ故、儂はこの国を護る者達から様々な情報を得ることが出来たのであろう」

モモの言葉に黒龍は目を閉じると大きく息を吸いこみ、再び瞼を開いて言った。

「そうだね、確か白龍っていうAIも君と同じ事を言っていたよ。それにこうしている間にも僕の頭の中では王神だった頃の記憶が少しずつ蘇っている。確かに君の言う通り、どうやら僕は常世国の民の子孫のようだ。僕はずっと昔、祖父と一緒に旅をして、大蛇と対峙した記憶がある。そのとき祖父は言っていた。人類は“来るべき刻”の為に増やし続けねばならぬ。来るべき刻、即ち人類が絶滅の危機に瀕したとき、ひとりでも多く生き残ることができるようにって。その人類を半減させたんだ、僕は。人類を食料不足、飢餓から救う事で、争いのない世界を作ろうとしてさ・・」


モモは深く頷いて言った。

「人の上に立つ者、能力チカラを持つ者は誰しも何かを想い、良かれと思って人を生かし、人を殺すものだ。だがその結果は必ずしも想い通りにはならぬもの。それはお主も、儂とて一緒だ。ところで黒龍、貴様は“従属栄養生物”と、“独立栄養生物”という考え方を知っているか?」

「知らないよ、それが人類滅亡とどういうつながりがあるって言うんだい?」

「ではこの世に『息をしているだけで満腹になる生物』は、いると思うか?」

「そんなの・・いるわけ無いだろう」

「従属栄養生物とは、儂らのように身体に必要な栄養素を自らつくりだすことが出来ないものを示す。そのような者はどのようにして栄養素を摂取するのか?」

「穀物や肉、或いは魚を食べればいいじゃないか」

「では肉食動物以外の他の動物はどうやって身体を形成、維持しているのだ?」

「草とか・・・」

「ではその草はどうやってその身体をつくっているのか?」

「それは僕も知っている。水や空気を吸って、所謂“光合成”というやつだろう」

「光合成とは、光エネルギーを用いて有機物に二酸化炭素を固定する反応。この反応を用いて水から水素を取り出して糖をつくりだし、不要となった酸素を排出する。そしてこの回路を有している生物こそが独立栄養生物、つまり植物だ。この、植物や一部の微生物しか有していない機能を持つ人間、人類史上初の独立栄養生物になりかけた者が、居た」

「居たって・・・いまはもういないのか?」

「そうだ。貴様もあのとき奴の姿を見たであろう」

「それってまさか、ミナモトタロウのことか。確かにあのとき見た奴の顔は、何か違ってみえた」

「肌の色は茶色くなり、毛の色は緑色に染まっていった奴は、あのとき自らの体内に光合成の機能を身に付けつつあったのだと思う」

「本当なのか?もし本当だとしたら、何故君はそんなことを知っている?」

「ではこの話しを聞いてどう思う?『常世国の民は、歳を重ねていくうちに食事の量が減っていき、やがて水だけでも生命を維持できるようになる』という事実を」

「年寄りが少食になるのは普通のことだろう。代謝量も少ないだろうし」

「如何にも。だがそれだけではない。生き永らえた者の身体は茶色に変色し、髪の毛も緑色に染まっていく。そしてこのような容姿となってから百年以上、水だけで生き続けた者もいた」

「つまり常世国の年寄りは独立栄養生物であり、ミナモトタロウもまた然り・・」

「常世国の者達は永い間世代を重ねていくうちに、光合成という機能を体内で作り出す事が出来る様になっていったのであろう。その代償として身体を動かす機能は失ったがな。だがそんな状態になっても身体を動かし続ける事が出来たゲンジは・・」

「人間としての機能を失わずに独立栄養生物になった、という事か。でもそれは果たして“進化”って言えるのか?そこまでして生き続けて何になる?」

「判らぬ。だがもし奴が今も生きていたら、そして今後奴の子孫を増やしていくことが出来れば、人類は遂に食料問題から解放されたのかもしれん」

「そうなのか・・。もしそうだとして、それは果たして人間と呼べるのか。それは皆んなが、人類が望む事なのか?」

「その答えは儂には判らぬ。ゲンジ・・・奴はいま、何処に居るのだろうか」

そう言ってモモは白い空間の水平線を360度見回してみたものの、人影ひとつみつけることは出来なかった。

ふと突然、ふたりが立っている白い空間の真上に黒い雲が現れはじめ、空全体を包んでいく。空が黒い雲で完全に覆われたところで、緑色をした巨大な竜がふたりの上空に現れた。

「これはまさか青龍・・・なのか?」

モモと黒龍の前に現れた巨大な竜は、ふたりの脳裏に直接話し掛けてきた。

「青龍・・とな。青は緑、緑は青、我が名は緑龍。お主らの生き様は、お主らの周囲に棲む生きとし生ける物達の目を通して篤と見させてもらった」

「周囲に棲む生き物とは、犬や猫のことか?」

ぶっきらぼうな顔で緑龍に質問をするモモに、緑龍は表情一つ変えずに応えた。

「犬、猫も含めた動物は勿論の事、小さいものでは蠅や蚊といった虫を通して見ておったわ。但し、儂が下界の様子を覗くことが出来る生物は一度に一体のみ。だがお主ら人間達が作り出した“青龍”や“白龍”という名の新しい生物は、一度に数千億という数の目で、同時に物事を見ておった」

「青龍は携帯電話やウェアラブル情報端末といった、世界中の至る所で使用されている撮像素子を使って人間達を監視するシステム、JIGSジグスを用いて同時に複数の目で複数の人間達の行動に対し、その良し悪しを判断していたけど・・」

「そして儂もまた、その者共の目を通す事で一度に沢山の人間達の振舞いを観ることが出来るようになったんじゃ。あれは面白い。じゃが、ちと疲れるでのう・・」

緑龍と名乗る巨大な龍に向かって黒龍は目を大きく開いて言った。

「青龍じゃないのか、本当にそっくりだけど・・・。では、緑龍・・様。僕の国に古くから伝わる書物や壁画に、緑龍様の姿が書かれた伝説があります。もしや緑龍様は、僕が生まれるずっと前に、僕の国に現れた事があるのでしょうか?」

緑龍は答えた。

「否、儂の身体はお主らの棲む下界に降りていくことは出来ぬ。代わりに儂はこの“白い世界”とその下にある“黒い世界”、そしてこの白い世界の上にある“無の世界”のみっつの世界を行き来することが出来るがの。そういえば・・つい先刻まで黒い世界でお主らを待っていた者がおったのう」

その言葉にモモはすかさず反応した。

「ゴウの事か。それで奴は今何処に?」

「其の者はいま此処にはおらぬ」

「ではまさか、元の世界に戻っていったのか?」

「生ける者の魂がこの下の黒い世界に来る事は度々ある。その者が意識を取り戻せば下界に戻っていく事もあるが、死者の魂が下界に戻る事は無い。戻ったところで魂が入る器が無いからのう」

モモは眉間に皺を寄せて言った。

「やはりゴウは死んだのだな。では儂らのように此処に来ても死んでいなければ元の世界に戻る事が出来るのか」

緑龍は大きな金色の眼で、モモの貌をじろりと見て言った。

「お主は下界に戻りたいのか?」

モモは首を横に振って答えた。

「儂はもう十分生きた。だが儂が居た世界はいまなお混沌としており、誰かが行って何とかせねばならぬと思っている」

緑龍は頷いた。

「フム、それで誰が行ってなにをするというのだ?」

緑龍の問いに対しては黒龍が口を開いた。

「何をすればいいのかは分かりませんが、誰が行くべきかは答えが出ています。ついさっきまで殺す事しか考えていなかったのに、いまは自分の命と引き換えにでも彼に託したいと思うようになった。けど彼がいま何処にいるのか分からないのです」

黒龍の切実とした言葉に、緑龍は笑みを浮かべて言った。

「そうか。それにしても人間という生物はつくづく、不可解な生き物よのう。こうしてふたりしか居なければ、互いに助け合おうとする。じゃがもうひとり増え、三人になると、ふたりがひとりを排除しようとする。更にもっと増えると、自分の血族か、或いは自分と同じ考えか否かで争い、殺し合う」

黒龍は頭を垂れて言った。

「人間は何故殺し合うのか。どうすれば戦争を止められるのか。僕なら出来るって思ってたけど、僕には無理だったんだ。青龍にもね」

緑龍は頷いて言った。

「お主ら人間は、生命を維持し活動する源を自らつくりだす事すらままならぬ、不完全な生命体だ。不完全であるが故に、過去を顧みて悩み、未来を憂いてまた悩む。そして自らの、或いはそれ以上に親や兄弟、子や孫の死を、親しき者の死を恐れ、必死でもがきつづける。だが、どんなに悩んだところで唯一無二の解など無い。そして悩むという行動は一見、種の保存に必ずしも必要な行為では無いように見える。では悩むのは無駄か?否、だからこそ人間はここまで生長したのであろう。それ故、人間は時折儂の予想を遥かに上回る行動をしたり、大きな能力チカラを発揮するのであろう。いまお主らの世界がおかれている状況は確かに厳しいものだ。それでも人間は悩み、踠き、そして命を賭して、次の世代に託す道をつくりあげて行くであろう。その結果、ひとつの新しい生命体が生まれた」


黒龍は白い床に頭をつけ、緑龍に向かって跪いた。

「彼が何故そんな身体になったのか、原因も目的も分かりませんが、僕はこの命と引き換えにしてでも人類の未来を彼に託したい。僕は彼に謝りたい。取り返しのつかない事をしてしまったんだ。もし彼を元の世界に戻していただけるのでしたら僕のこの身体を、命を捧げます」

緑龍はゆっくりと黒龍から首を逸らして言った。

「儂はお主を喰ったりはせん。そのような事をせんでもよいのだよ」

モモは聞いた。

「どういうことだ。この世界で飯は、栄養補給は不要ということか?」

緑龍は答えた。

「此処では儂の身の周りにあるものすべてが儂の身体をつくりだし活動する源、つまり“栄養”じゃ。じゃがその程度の小さな栄養しか得られぬ儂は、お主らを元の世界に戻してやれる程の大きな能力チカラは持っておらぬ。儂にしてやれることといえば、こうしてお主らの問いに応える程度のものじゃ」

「能力は小さいが知識は豊富、ということか。では訊こう。ミナモトタロウ、ゲンジはいま何処にいる?」

「お主らが探している者は、先刻までこの下の黒い世界でお主らを待ち続けていた者がその者の魂を支え続け、この白い世界に辿り着かぬようにしておったわ。いちど白い世界まで行った魂は、自らの意思で黒い世界に戻ることは出来ぬからのう。そして其の者はお主らが来るのを見届けた後、白い世界の彼方へ旅立っていった。故に、お主らが探しておる者は今もこの下の黒い世界で、ひとり漂っておる。そして未だ下界で生きている器にその者の魂を戻す事は不可能ではない。じゃがそうしたところで、その者の器はじきに死を迎えるであろう。更にお主ら人間はいま、絶滅の危機を迎えておる。そんなところにその者を戻してどうするというのじゃ」

黒龍は尋ねた。

「ミナモトタロウの身体は治せないのでしょうか」

緑龍は言った。

「下界の者の器に手を加える事なぞ、儂には出来ぬ」

「そうなんですか。じゃあやっぱり、もうどうにもならないのか・・」

頭を垂れる黒龍に緑龍は微笑を浮かべて言った。

「お主らの想いに応えられるか分からぬが、ひとつ方法はある。その者が元気だった頃の器に戻してやるというのは如何か」

「ミナモトタロウをタイムスリップさせる、ということですか?」

目を見開いてそう聞いた黒龍に、緑龍はゆっくりと首を横に振って言った。

「否。その者の器を、刻を跨いで移動させる事なぞ出来ぬ」

「彼の身体は治せない。移動させる事も出来ない。じゃあどうすれば・・」

首を傾げる黒龍に緑龍は応えた。

「黒い世界を漂う魂は、刻を遡って移動する事が出来る。但し、それは自らの記憶を辿るものであり、思い出せぬ程遠い過去に往く事は出来ぬがのう」

それまで黙って目を瞑り緑龍の言葉に耳を傾けていたモモは、瞼を開いて言った。

「相分かった。ではゲンジを、源太郎の魂を過去の世界に連れて行ってくれ」

モモの言葉に黒龍も頷き、緑龍に向かって大声で言った。

「彼が、源太郎が母親と一緒に仲良く暮らしていた世界に戻してあげて下さい!」

すると緑龍は「よかろう。儂の後をついて来るがよい」と頷き、モモと黒龍が立っている足元に向かってその巨大な頭部を突っ込んでいった。すると真っ白い床面に穴があき、その下には暗闇の空間が一面に広がっているのがふたりの目にみえた。

白い床に跪き、眼下の暗闇を覗き込んだ黒龍は思わず呟いた。

「足元にこんな世界があるとは・・。でも彼の姿は何も見えないじゃないか」

黒龍がそう言った直後、突然黒龍の右手の掌が輝きはじめた。握りしめていた拳を開いてみると、黒龍の掌の上には、ここに来る前に弾け飛んだ筈の八尺瓊勾玉が緑色に輝いていた。その様子を見ながら緑龍は言った。

「さあ、その石をあの者の首に掛けるがよい」

黒龍は首を傾げながら言った。

「ですが源太郎の姿は未だ、何処にも見当たりません」

黒龍が白い世界の床面から下に向かって勾玉を垂らすと、暗闇を照らす勾玉の光がひとりの人影を緑色に浮かび上がらせる。その光の先を見ていたモモが叫ぶ。

「黒龍、居たぞ!」

モモの言葉に頷いた黒龍は、海中を潜るような姿勢で黒い世界に入っていき、ゲンジの側に辿り着くと、ゲンジの首に八尺瓊勾玉の革紐を通して言った。

「源太郎、本当に済まなかった。でも今度こそ、君ならきっと未来を変えられる」

それを見ていた緑龍は言った。

「では、水先案内人を呼ぶとしよう」

白い世界から長い首を突っ込んで黒い世界を覗き込んでいた緑龍は、首を右に向けると息を吸い込み、一気に吐き出した。

「なんだ、この音は?」

可聴領域を下回る極低音が、モモや黒龍の身体全体をゆっくりと震わせる。

それから辺りを埋め尽くしていた音がしばらくして止んだところで黒龍が言った。

「なにか、こっちに向かってくる」

暗闇の中から現れたそれは、二匹の巨大なウミガメの姿であった。その二匹のウミガメの上に跨る人影をぼんやりと見ていたモモがふと、表情を変えて言った。

「あなたはまさかサ・・クヤ」

モモの言葉に人影のひとりが口を開く。

「そうです。私もまさか、あなたに会える日が来るとは思っていませんでした」

モモは頬を震わせながら言った。

「では、やはりあなたが母上・・なのですね。ではもうひとりは・・・」

サクヤは言った。

「彼女はククリ、私の姉です」

モモは頷いた。

「ではあなたがカグヤの・・」

ククリは深々と頭を垂れて言った。

「娘が、大変お世話になりました」

その言葉に頷いた緑龍がサクヤとククリに声を掛ける。

「お主等に頼みがある。この勾玉をもつ者の魂を、ほんのすこし前の世界に連れて行ってやってはくれぬか」

サクヤは言った。

「緑龍様、承知致しました。この者は私めにお任せ下さい」

それを聞いていた黒龍が深々と頭を下げて言った。

「何卒、なにとぞ・・・」

サクヤの横でその様子をみていたククリは、ちらりと黒龍が握り締めていた金剛杵に目をやった後、黒龍に声を掛けた。

「貴方も、もう一度戻って彼を助けてくれませんか」

黒龍は首を大きく横に振って言った。

「僕が戻ったところで何の役にも立ちません。再び過ちを犯すでしょう」

ククリはゲンジに視線を向けた後、金剛杵を持つ黒龍の手を握って言った。

「若き頃に戻った彼には助けが必要です。是を持っている貴方ならそれが出来る」

「ならばモモタロウ、君が行けばいい。僕のような罪人が赦される訳がない」

そう言って金剛杵を差し出した黒龍に、モモはゆっくりと首を横に振って応えた。

「赦す・・か。貴様のやったことを赦すつもりはない。だがそんなことをする前の世界に戻ればいいのではないか。そのとき貴様は未だ、罪人ではないのだろう」

「そんなこと、できる訳が・・・ない」

頭を垂れる黒龍に、ククリは首を横に振って言った。

「貴方の記憶がある限り、それは例えば一千年前、貴方が物心ついた頃であっても、刻を遡る事は可能です」

ククリの言葉に緑龍は頷いた。

「如何にも。但しこの黒い世界を過去の世界に降りていくには水先案内人と、その刻その場所で、その者の身体を照らし出す光が必要じゃ」

「光・・・それが勾玉。ではゴウから譲り受けたこれもまた・・・」

行灯のようにぼわんと光りつづける金剛杵に目をやった黒龍は、目の高さまでそれを上げると、じっと見つめた。その様子を見ていたククリは深く頷き、金剛杵を持つ黒龍の左腕を握って言った。

「では、参りましょう」

黒龍が黙って頷くと、ククリは跨がっていたウミガメの後ろに黒龍を乗せた。そしてサクヤが自分の乗るウミガメの後ろにゲンジを乗せると、ふたりは目を合わせて一斉に声を上げた。

「願わくば、この者に七難八苦を与え給え。この者が手にし光は、この者を護り給え。そしてこの者をより佳き世界へと、導き給え」

するとゲンジの首に掛けられた勾玉が金色の光を放ちはじめる。それに呼応するようにそれまでぼんやりと光っていた黒龍の持つ金剛杵が金色の光を激しく放ちはじめ、重なり合ったふたつの光は黒い世界の水平線に向かってまっすぐに伸びていった。

しばらくそれをみていたサクヤとククリは顔を合わせて頷いた後、光が指し示す方向へウミガメの頭を向けて、泳がせた。

ウミガメの背中に乗った黒龍が振り返ると、緑龍とモモの姿が暗闇の中に消えていくのがみえる。どんどん小さくなっていくモモの姿に向かって、黒龍は言った。

「モモタロウ、僕はこれまでずっと孤独だった。君もきっと、そうだったのではないか。でも君はようやく家族に会えたんだね。僕もいつか本当の家族に・・・。あ、あれは・・向こうに誰か居る。まさかあれは、おじい・・・」

ゲンジと黒龍を乗せた二匹のウミガメが暗闇の中に消えていくのを見送ったモモは、黒龍の声が脳裏に届かなくなったところで呟いた。

「黒龍、ゲンジを頼んだぞ。儂もこれまでずっと問い続けてきた。儂は何故、人よりも永い間生き続けてきたのか、儂の存在意義を。そして人間、人類の存在意義を。そも、儂は人なのだろうか?だがいまこうして人生を終えてみても、その答えは見つかっていないし、未来のこともまた、何ひとつ分からずにいる」

隣に居た緑龍がモモに言った。

「お主は戻らなくてもよかったのか」

このときモモは、緑龍にはじめて深々と頭を下げて言った。

「よいのです。儂は友として、そして父として、奴と十八年間を共に過ごす事が出来た。それで十分満足しております。もう奴には何も能力チカラを貸してやることはできませぬが、この想いを奴に・・次の世代に繋ぐことさえ出来れば、永遠の命なぞ必要ないのであろうと、いま改めて実感しております。必要なのは託す事、そして受け継ぐ事」

緑龍は頷いた。

「フム、お主とは気が合いそうだ。おそらくお主の子は人間の食料不足に対応しただけではなく、新たな病に対する備えでもあったのだったのでは無かろうか」

「人類を滅亡させる程の威力を持つ新型ウィルス。それは人間の肺を侵すものであったが、肺呼吸を必要としない身体になりつつあったゲンジは、そのウィルスが今後どのように進化したところで侵されることは無い・・という事でしょうか?」

「面白い。どうだ、少しばかり儂の話し相手になってはくれぬか」

モモは緑龍に向かって深々と頭を下げた後、顔を上げるとニコリと笑って言った。

「緑龍様の“少しばかり”がどれほど永いのかは分かりませぬが、私めで宜しければ是非」


それから緑龍はモモを首の上に乗せると、悠々と白い世界の空を舞い、雲の中に消えていった。



「ふぁーぁっ・・・面倒くせぇなあ、もう朝かよ」

水色のカーテンの隙間から朝日が差し込むベッドの上で、目覚まし時計代わりにしているiPhoneから流れる音楽、Mr–Chidrenの“幻聴”が盛大に鳴り響く中、掛け布団の中から右手が現れ、ひとつの独立した生命体のように動き出す。

しばらく曲が鳴り続けたところで、それまでベッドのシーツの上を動き回っていた右手がようやくiPhoneを掴むと、身体を180度回転させて仰向けになった寝惚け眼の青年は画面に表示された現在時刻をみて口惜しそうに言った。

「げっ、もうこんな時間かぁ・・」

小さく呟いたその声が聞こえたかの如く、階段下から大声で呼ぶ母の声が響く。

「太郎っ、はやく起きなさい!遅刻しちゃうわよ。朝ごはん、お茶漬けでいい?」

iPhoneを持つ右手を下ろしてベッドの上で大の字になり、白い天井の向こうを見つめた青年は、左手を凹んだ腹の上に置いて呟いた。

「っせぇなぁ・・。あぁ〜、腹減った。朝メシは何でもいいからガッツリ食いたいって、いつも言ってんだけどなあ。昨日の夜食べたカツカレーでもいいし、余ってなければ生姜焼とか牛丼とかさ、豚でも牛でも何でもいいけど、でも一番好きなのは鶏の唐揚げなんだけどな。まあ、鶏肉なんていまどき高くて買えないか」


寝惚け眼をこすりながら立ち上がった青年は、PANTANALのスェットスーツを脱ぎはじめたところで首に違和感を感じる。


「あれ、なんだ・・これ?」

首に掛けられた何かを右手で摘み、じっと眺めた青年の目に映ったのは、キラキラと緑色に輝く勾玉であった。

「これ、誰のだろう。いや、一体誰が・・いつの間に・・・」

そうつぶやいて勾玉をじっっと見つめていると、ゲンジの脳裏に何か見覚えのある風景や顔が走馬灯のように浮かんでは消えていった。

「なんだこれは。またバルブが詰まったんじゃないだろうな。うっ、頭が痛い」


それからゲンジは頭を抱え、うずくまってもがき続ける中、時折ポツリポツリと言葉を口にした。

「あれは、お母さん・・・陽子・・・ゴウ・・さん?・・・白龍・・・」

首を垂れて目を閉じ、しばらく黙って考え込んだあと、ゲンジは口を小さく動かした。

「モモ・・・」

瞼を開けたゲンジの頬には、ひとすじの涙が伝っていく。

それから顔を上げたゲンジは、窓の外に映る白い満月に向かって、ひとこと呟いた。


「おとう・・・さん」




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