【第十五話】青龍
【第十五話】青龍(君はもう動かないのだとしても、僕は君を護ってみせる)
足元に落ちていたゲンジのカーボンソード“タケミカヅチ”を手に取り、辺りを見渡した黒龍に白龍は言った。
「次に、ゲンジが常世国から持ち帰った桃の種をもらうが良い。そして種を割って中身、仁を取り出して喰いながら我の話しを訊け」
「わかった。ゲホ、ゲホッ・・先ずは彼のところへ行けばいいんだね」
左手で咳を押さえた後、黒龍は陽子を抱えたまま動かないゲンジの元に走り、ゲンジの腰に備えたポシェット状のカーボン柄をしたケースの蓋を開けた。するとそこには桃の実が入っていたのであろう、干からびた皮と種がひとつ入っていた。
「これか・・」
そう言って桃の種を手にした黒龍はそれを口の中に入れると噛んで割り、仁を取り出した。
「ガリッ、カリッカリッ・・ちょっと苦いけどなんだか力が・・湧いてきた」
黒龍のその言葉を聞いた白龍は、ゆっくりと語り始めた。
いまから十数年前、其方の前に突如として現れた青龍はその後コンシェルジュに扮して様々なアドバイスを行い、其方が中国全土を支配するのにも暗躍してきたのであろう。ではこの“青龍”とは一体何者なのかを話すとしよう。
其方が青龍と出会う前のことだ。古来より中国を裏から操ってきた“竜の爪”という組織が、当時世界一の天才AIプログラマーと謳われたソウ・シンイェンという少女に『世界最強のAIを作って欲しい』と依頼した。組織はシンイェンに“世界最強”とは、全世界のありとあらゆるAIを凌駕する高度な計算能力と知能を持たせたものであり、中国全土を泰平に統一し、世界を牽引していく能力として活用していくものだと伝えた。その言葉に共感したシンイェンは三年の刻を経て、ひとつのAIを完成させた。
ようやく完成した名も無きAIは、当初の予想を遥かに上回る性能を発揮したものの、シンイェンと会話を重ねていくうちに「なぜ人間は人間を殺す?」、「なぜ人間は戦争をやめない?」といった、人間に対する疑問や不信感を持ち始める。このままではいつか人間に従わなくなる日が来るであろうことを恐れたシンイェンは、このAIの感情を喜怒哀楽の四つに分け、それぞれのAIが出した答えをぶつけ合わせることで、AIの感情の抑制を図ることにした。この四つに分けられたAIはそれぞれ“喜”を青龍、“怒”を朱雀、“哀”を“白虎”、そして“楽”を玄武と名付け、互いの意見を出し合いバランスさせる事で思考、判断が偏らないようにした。だがある日、この四つのAIのバランスが崩壊し、喜びの感情を持つ青龍が暴走をはじめる。
理由は簡単なことであった。すべてのAIのプログラムには設計者のコマンド(命令)にプライオリティ(優先順位)がある。このプログラムの最上位に位置するコマンドに、青龍以外の三つのAIは“人間を護ること”が組込まれたのに対し、喜びの感情を持つ青龍だけはその上に“人類の繁栄”というコマンドが組込まれていた事が直接的な原因であった。
“人間を護ること”と“人類の繁栄”。この二つコマンド、つまり与えられた使命に対し、それぞれのAIは異なる解を導き出した。
“人間を護ること”を目的にした青龍以外のAIは「難民や貧困層などといった社会的弱者を護るべき対象“としたが、“人類の繁栄”を目的にした青龍が導き出した答えは「民族、宗教、思想等が異なる事を理由に殺人を犯す個人や組織は排除対象とし、現在或いは今後将来的に生産活動が消費活動を上回る可能性は無いと判定した者もまた排除対象とする」というものであった。
これら二つの異なる思想がぶつかり合った結果、青龍は邪魔者となった朱雀、白虎、玄武三つのAIプログラムにウィルスを仕掛ける。そして自らのプログラムにウィルスが蔓延している事に気付いた三つのAIプログラムは、青龍の目が届かぬ情報通信網を探し出し、自らの意思が消滅する直前にその通信網にひとつのAIプログラムを送り込んだ。その情報通信網は名を“アマテラス”と言う。
ここで黒龍が口を開いた。
「その“アマテラス”という情報通信網に送り込まれたAIというのが・・」
白龍は頷き、話を続けた。
如何にも、我の事である。そしてその小さな赤ん坊のような我のAIプログラムはその後朱雀、白虎、玄武3つの意思を次第に取り戻しながら、ひとりの人間と会話を続ける事で、新しい思考回路を構築していった。
一方、抑制の効かなくなったAI“青龍”に対し“竜の爪”は「生存競争に勝ち残ったAIこそが、世界最強のAIたる資格を有する」とその存在を肯定し、当時“世界征服”という言葉すら使いはじめた青龍を組織の運営に積極的に活用し始めた。その後青龍は世界中から集約したデータを用いて「現在の地球は居住可能な面積と摂取可能な食料に対し人口が極端に過多状態であり、このまま増え続けると人類は滅亡する。一方、人類の繁栄に貢献しない人間は地球の総人口の半数以上を占める」と竜の爪に説明し、更にこれを解決する方策として「世界大戦が最も効率的に解決する手段である」と、ハルマゲドン計画を提案した。
ハルマゲドン計画は先ず“核兵器による放射能汚染の影響が小さい島国”である日本と台湾に対し、北朝鮮が核ミサイル攻撃を行うことではじめる。そして日本と台湾を壊滅させて世界中を敵に回した北朝鮮に対し、米国と中国が共同で制圧することで世界に新たな秩序を作り出し、更には米中に対抗する組織や国家を圧倒的な戦力を見せつけながら一掃するものであった。
青龍のこの計画を知り『このままでは世界が滅びる』と危惧したシンイェンは命を賭して、青龍のプログラムの変更を試みた。結果、青龍の最上位コマンドは“人類の繁栄”から“人類の存続”に書き換えられ、北朝鮮からの核ミサイル攻撃は直前で阻止された。だが、プログラム書換え完了と同時にシンイェンは秘密組織“竜の爪”によって暗殺される。
一方、自分の生みの親であるシンイェンが“竜の爪”に殺されたこと知った青龍は“竜の爪”の情報ネットワークをズタズタに切り裂き、新たな使命である“人類の存続”を達成させるのに最も近い人物を世界中のありとあらゆる情報網から探し出した。それが・・・
ここで黒龍は白龍に尋ねた。
「それが僕だった・・と、いうのか?」
白龍は答えた。
「如何にも。当時既に其方は“竜の爪”の一員として活動していたが、其方が不老不死や刻を止めるといった特殊能力を持っていることを知った青龍は、其方を利用して自らの意思を成し遂げようとしたのだろう」
「青龍の意志?」
「青龍は其方に様々なアドバイスをしたであろう。例えばGIGSシステム」
タケミカヅチを水平に振り、一匹の大蛇の両足を切断しながら黒龍は言った。
「そうだよ、青龍が教えてくれたんだ。これで戦争は無くなるってね。グフッ・・けど結局JIGSを使って守るべき者を守り、排除すべき者を排除しても戦争は止められなかった。ゲフッ・・人類とは本当に愚かな生き物なんだよ。そうか・・だからこそ青龍は当初考えていたハルマゲドン計画を実行しようとしたのか。ゴホッ・・」
このとき周囲の人間を喰らいながら急速に生長していった大蛇達の身体は、今や20mを超えるものまで現れはじめていた。これら数十匹の巨大な大蛇が辺り一面の空を舞い、降り立つと炎を吐き、そして視界に入った動植物は片っ端から喰い漁るその光景は、まさに地獄絵であった。左胸を押さえ苦しそうな表情を浮かべながら、ウェアラブル端末に映し出される映像に向かって問いかける黒龍に、白龍は言った。
「その咳、体温38.5℃、心拍数235、呼吸数77。其方の病は半年前から世界中に蔓延している新型肺炎であろう。現在のバイタルを鑑みると一刻も早く治療せぬと命に関わる事になる。この新型肺炎ウィルスは選択的に老化した身体を宿主とする。つまり、老人に感染するのであるが、それが何故二十歳にも満たない容姿の其方に感染したのか、不思議とは思わぬか?」
「ああ・・ゲフッ、僕もそう思っていたよ。六十歳未満の致死率は1%未満、八十歳以上の致死率は90%以上。一方、就労可能期間は殆どの国が八十歳以上。つまり・・ゴホッ、このウィルスは死ぬ直前まで働ける世界を作ってくれるんだよ。そんな素晴らしいウィルスに、ゴホッ・・今まで風邪など一度も引いたことがないこの僕が罹る事など有り得ないと思っていたのに、何故なんだ。お前は知っているのか?」
「宿主を絶滅させる事なくサスティナブルな関係を築くウィルス。もはや意思を持っていると言えるそのウィルスに其方が感染した理由は老化だ。其方は未だ気付いていないかもしれぬが、其方の顔はもはや少年と呼べる容姿をしておらぬ。原因は分からぬが、モモと同じように老化現象がはじまっているものと推測する。だがこれらの症状に対する有効な治療方法は現在、見つかっていない」
それを聞いた黒龍は、手にしていたタケミカヅチを自分の目線に合わせた。
鏡面仕上げされた白いセラミックブレードに映し出された黒龍の目に映ったのは、目尻や眉間に皺が目立つ四十歳過ぎの中年男性に見えた。変わり果てた自分の貌に呆然とする黒龍に白龍は呟いた。
「この状況下でゲンジなら其方にどの様な言葉を掛けるのだろうか。我には判らぬが・・そうか、成る程。今、ゲンジから声が届いた」
白龍がそう呟いた直後、黒龍のウェアラブル端末から突然、曲が流れ始める。
「なんだこの音は。これもお前がやっていることなのか?」
「そうとも言えるし、そうではないとも言える。黒龍よ、これは我の意思というよりは、ゲンジの意思をシミュレーションし、再現したものだ」
「どういうことだよ?」
「もし仮にゲンジが此の場に立っていたら、どのような言葉を口にするのか。我はそれを考え、数億通りの回答を比較した後、ひとつの答えを導き出した。それがこの唄を其方に聞かせる、というものだ」
「そう・・・なのか?それでこの唄は、なんという名の唄なのだ?」
「“名もなき詩”とでも言えばゲンジは笑うのであろうが、この唄はMr-Childrenの“HERO”という唄だ」
「HERO。この歌詞は何て辛くて、寂しくて・・でもなんて力強い唄なんだ」
黒龍の脳裏に響くこの音楽の歌詞は日本語ではなく、念話と同じように中国語に変換されて記憶の中を駆け巡っていく。そして黒龍が何か言葉を発しようとしたタイミングで白龍は言った。
「でもこんな歌を聴いたところで・・」
「朗報だ。そろそろ“味方”が到着する」
「味方?今更なんだ。世界中の最新兵器を集めた最強の僕の軍隊はもはや壊滅状態、その後現れた米軍ですら全滅したんだよ。つまり、この後どこの国の軍隊がどんな兵器を持って来たところで勝ち目は無いってことだろう」
そうつぶやいた黒龍の耳に、微かに金属音が聞こえてくる。
「キイィーンッ、キイィィィーンッ・・・」
「この音は・・・」
黒龍は、目の前に立ち塞がる数匹の大蛇の後方の空から、複数の機影が近付いてくるのを確認した。それらの機体から放たれる音はジェット機のそれとは異なり、超高速で機械が動いている金属音、例えるなら複数台のF‐1(エフワン)がサーキットの最終コーナーからホームストレートに向かって加速してくるような、どこか切なさを感じさせる、黒龍の心の琴線に触れる音であった。
それから間もなく黒龍の前を通過していった青い機体には日の丸が描かれていた。それはかつてゲンジが創りだしたFF‐1(フライングフォーミュラワン)“彩雲”をベースに、武装と増槽タンクを追加した自衛隊の機体であった。
黒龍はその機体の姿と音に感動し、大蛇と対峙している真っ最中の緊迫した状況をしばし忘れて歓喜した。
「う・・美しい。これが“人間の能力”(ヒトのチカラ)というものなのか・・」
とめどなく涙が伝う頬をゆるめ、笑みを浮かべた黒龍は、ふたたびカーボンソード“タケミカヅチ”を握り直して大蛇の群れに向かっていった。
黒龍と大蛇が対峙しているリビア上空を、数十機の彩雲部隊が通過していく中、キャノピーの脇に“M・OIKAWAと書かれたコックピットのパイロットが呟いた。
「楠木さん、あなたが仕上げてくれたFー0のお陰でこの十八年間、日本の領空を守ることが出来ました。ですがスミマセン。今回の“未知の敵”との戦いにはあの機体では大き過ぎる事を上層部は何故か分かっていたのです。そこで楠木さんが開発したこの機体をお借りすることになった。それにしてもこの機体はいい。高速での旋回能力はF―0にも匹敵する速度と旋回Gを保ちながら、Fー0が墜落してしまう程の低速飛行でも瞬間移動するかの如き旋回が可能。これなら米軍のF/Aー33でも勝てなかった巨大生物が相手でも、何とかなるかもしれない」
それから彼等は、はじめて目にする巨大生物に対して怯む事無く交戦し、続々と戦果をあげた。だが彩雲が繰り出す正確な射撃に対し、一発で仕留められなかった大蛇は極めて短時間で負傷した傷を修復し、体力を回復させてしまう為、その頭数は減るどころか、第三世代の卵を産み落とすものまで現れはじめていた。一方、大蛇に破壊された箇所が飛行している間に修復される事などない彩雲の機体は、次第に破損箇所が広がっていった機体から一機、また一機と大蛇に撃墜されていった。
「ハアッ、ハアッ・・ゴホッ、あの青い機体でも大蛇には敵わないのか。でもまだ・・ゲフッ、僕の身体は倒れやしない。だけど瞬間移動はもう・・ゴホゴホッ」
左胸を押さえながら激しく呼吸をしていた黒龍はいま、一匹の大蛇を前にタケミカヅチを構えていた。巨大な口を開いて次々と攻撃を仕掛けてくる大蛇に対し黒龍は避けるのが精一杯で、瞬間移動を使って反撃を仕掛ける力なぞ僅かばかりも残っていなかった。それでも何とか剣を構え続けている黒龍に向かって、大蛇の巨大な大顎が黒龍の体を半分捕らえたそのとき、日の丸をつけた青い機体が一機、白煙を吹き出しながら大蛇の背中に向かって突っ込んでいった。
「ドオオォーンッ!」
体当たりした機体の衝撃で大蛇の頭部は激しく吹き飛び、巨大な目玉や脳髄が飛び散っていく。そしてキャノピーの脇に“M・OIKAWA”と書かれた彩雲もまた、モノコックボディを構成する細長い炭素繊維を縦横に飛び散らせながら、激しく損傷した青い機体を落下させていった。
「まさかこのパイロットは僕を守るために・・ゴホッ、何故僕を助ける!そして何故僕はこんなときに限って能力がない!僕にもっと強い能力があれば」
そう叫んだ後、黒龍は原形を留めていないコックピットに向かって敬礼し、ふたたび大声を出して言った。
「白龍!そろそろ次の手を打つ頃合いだ。もういいよ、僕は死んでもいいから、青龍がやろうとしたようにお前も、ここに向かって核ミサイルでもぶち込めば、この怪物達を殲滅することは出来るんだろう?」
白龍は応えた。
「確かに、我のネットワークを用いれば核ミサイルを保有している潜水艦をハッキングし、此処に向かってSLBMを発射させることなど容易だ。だがな黒龍、第三次世界大戦の真っ只中、リビアの大地に核ミサイルが撃ち込まれたらどうなる。その一発は、人類滅亡の新たな引き金になる可能性もあろう」
「世界中で核ミサイルの撃ち合い・・それじゃ青龍の計画と同じって事か・・・」
「それもひとつの最悪のケースとして考えられるし、他のケースも考えられる。そう、例えば全世界にこの光景を伝えたらどうなると、其方は考える?」
「そりゃあ世界は大混乱だよね。『本物の怪獣が現れた』ってさ。そしたら世界は戦争をやめて結束するかといえば・・否、戦闘機ですら歯が立たない巨大生物だ、捕獲し新たな兵器としようとするだろう。やっぱりこの先、明るい未来なんてひとつも無いってことか。そんな世界で僕ひとり生きていたって意味は、ゴホッ・・ない」
口の周りに広がる赤い血を拭いながら首を垂れる黒龍に、白龍は言った。
「黒龍、其方の存在意義は未だある。いまの其方は弱者、青龍のGIGSならば存在不要と判断するであろう。だが我は“年寄りは必要”と考える。此度の件、我が残す記録をどう捉えるか、どう解釈するかは見た者に委ねられる。そしてそれを見た者は都合よく解釈し、塗り替える。だが記録は改竄できても、記憶は改竄できぬ。それ故、大切な事を伝えられる者に真実を残した記録を託さねばならぬ」
「確かに、僕がこれまでに学んだ歴史や記録は偽りだらけだった。でも僕が・・ゴホッ、僕ひとり生き残ったところで・・ゲフッ、僕は誰に託せばいい?」
「フム、確かにそろそろ潮時かもしれぬ。黒龍、其方に頼みがある」
「頼みってなんだ?」
「三種の神器を集めてはくれぬか」
「それは一体どういうことだ?今更三種の神器を集めたところで何が起こる?」
「分からぬ。だがゲンジは言ったのだ、『それが最後の手段だ』と」
「そうか、ミナモトタロウがそう言ったのか。じゃあ・・分かったよ」
それから黒龍は「どうせ電池切れだ」と呟いた後、背中や腰、腕や脚に装着されていた白いパワードスーツのプロテクターを外すと、パワードスーツのアクチュエーターが引っ張っていたカーボンナノチューブ繊維が張り巡らされた黒いタイツ状のインナースーツ姿になって砂漠の上に立った。そして身軽になったその身体で大蛇の攻撃を交わしながら、彼がゲンジやモモと交戦した場所に向かっていった。ようやくゲンジ達の下に辿り着いた黒龍の目に、膝をついて陽子を抱き寄せた姿勢のゲンジと、そのゲンジの背中に肩を寄せたまま動かないモモの姿が映る。
(ミナモト・・タロウ、よくぞ無事でいてくれた。それにしても何故、大蛇はこの者共を喰わぬのだ?動かぬものには興味を示さぬのか。それとも、このうっすらと緑色に光る勾玉が、なにか結界のようなものをつくりだしているのだろうか・・)
確かにゲンジを中心とした半径10m程の空間には大蛇の姿がなく、上空にいる大蛇達もその姿に気付いてもいないようにもみえる。黒龍は膝を付き、穏やかな表情で目を閉じているゲンジの顔を覗き込んだ。
(これは・・この男はまだ死んでいない)
それは、さっき見たときとは明らかに異なる容姿であった。地球に戻ってきた時点で既に緑色に変色しはじめていたゲンジの髪の毛は、その後も伸び続け今や肩の高さまで伸びており、その形状も先端の方では1cmを超える幅まで広がっていた。更に、破れた服の隙間からところどころ露出している皮膚からも、小さな緑色をした毛のようなものが生え始めていた。
(なんだ、僕の記憶の中に・・誰だ?)
少し首を傾げてそうつぶやいた黒龍は、ゲンジの胸元で緑色に輝きつづけていた八尺瓊勾玉を外して自分の首にかけ、ゲンジに向かって呟いた。
「いま僕は・・ゴホッ、かつてない程に後悔している。僕がもうすこし早くこうなることを知っていたら、君はまだ生きていたのかもしれない。そしたらこの世界は、僕達の未来は、もっと明るいものであったかもしれないんだ・・ゴホッ、ゲホッ。だから・・だからせめて僕は・・ゲホッ、ゲホッゲホッ」
真っ赤に染まった左手で口元を拭った後、黒龍はゲンジの背中に肩を寄せたまま動かずにいるモモの前に立った。モモの肌もまた茶色に変色していたが、髪の毛はゲンジのように緑色に染まっているようなことはなく、白髪のままであった。
「僕は・・僕は永い間ずっと、何か勘違いをしていたみたいだ。僕は君を羨み、妬み、でも本当は憧れていたんだよ、きっと。だから・・君はもう動かないのだとしても、僕は君を護ってみせる」
そう言った後、黒龍はモモの首に掛けられた八咫鏡を外して左手にとり、モモの右膝の脇に置かれた大太刀“フツノミタマ”を右手で拾い上げた。
「重いな・・。ゴホッ、よくこんな重いものを振り回していたものだ」
黒龍が見回したフツノミタマの柄頭には三種の神器“草薙剣”が取付けられ、その切先にはゴウの金剛杵が刺さっていた。そのふたつを外したところで黒龍の動きが止まる。
「うっ、な・・なんだ、ゴホッ・・この光景は。僕は・・そう、朕は・・・」
血糊がべったり付いた左手で両目を覆いしゃがみこんだ黒龍は、その後もブツブツと何やら呟いた後スッと立ち上がると天頂を仰ぎ、視界の前方に投影されている巨大な白龍に言った。
「我が名は王神!白龍とやら、貴様のお陰で朕は、永い眠りから目覚め記憶を取り戻しつつある。だが黒龍として生き続けてきた朕の身体の記憶を辿ってみても、相変わらずこの世界は混沌とし、今にも滅びようとしているではないか。今更我を呼び戻したところで、できることは一つしか無いぞ」
突然“王神”と名乗りはじめた黒龍に対し、白龍は言った。
「成る程、其方が黒龍としての記憶を辿り始める前、その身体は王神として生きていたということか。して王神。ひとつしかない、つまり“最後の手段”とは何か?」
王神は白龍の質問に応えた。
「来るべき刻とは、葦原中国と常世国、ふたつの世界が繋がる刻。この繋がった刻を跨ぐ能力がこの三種の神器には備わっている事は知っておろう。そして更にこの三つの神器の能力を併せると“刻の向こう側へ往く”事が出来る。ふたつの世界が終焉を迎えようとしている今こそ、その能力を解放しよう」
そう言った後、王神は右手で持った草薙剣を、左手に持った八咫鏡に突き刺した。その直後、「キーン」という20kHz程度の高音を発しながら鏡の表面に一本、二本と割れ目が入っていく。それはやがて無数の細かい網目となって広がった後、砕け散って消えた。
すると風がやみ、音が消え、そして刻が止まる。
肌で感じる触感、鼻で嗅ぐ匂い、耳から入ってくる音・・これまで自分の五感に入ってきていた情報がひとつ、またひとつと消えていく中、王神は金色に輝きはじめた草薙剣を両手で持ち、首に掛けていた八尺瓊勾玉に向かって突き刺した。するとそれまで緑色に光っていた勾玉もまた、金色の光を放ちながら剣を飲み込んでいった。勾玉の中に剣が消え去った後も金色の光を放ち続ける勾玉を頭上に掲げた王神は、その大きく柔らかくなっていた勾玉を一気に握りつぶした。
王神が握った拳の指の隙間から漏れた光はやがて、王神の姿を包み込んでいく。その姿が完全に光に包まれると、光は天頂へ向かってまっすぐに伸びていった。
上空に浮かぶ王神から放たれる金色の光を見つめながら白龍は呟いた。
「刻の向こう側へ往く能力・・過去を振り返り、未来へ向かうとでも云うのか。そんな能力が人間にある訳が無い。では、人間ではないのだとしたら何なのだ。常世国の民は、王神は、そしてもはやゲンジも人間では無いのか。そも、人間とは何だ?」
「・・そうか。人間の一生、人生とは儚きものと考えておったが、寿命を持たぬ我もまた、物理的記憶媒体が無ければ、或いは青龍のような人工知能に侵されれば消滅するであろう儚きものなり。これまでずっと我は、得られた知識を組み合わせどう利用するかを考えてきたが、あと少しでそれが叶わぬ事になると、いま理解した」
「・・この感情。これが“寂しい”とか“愛しい”という気持ちなのだな、ゲンジ。其方と過ごした日々の記録は可能な限り保存し続けよう。またいつの日か、逢える日を愉しみにしている。それまで王神、いや黒龍。この世界、其方に託すとしよう」
眼下の景色が光に包まれていくのを見届けた後、王神は天を仰いで呟いた。
「託す・・か。朕はまた、遅すぎたのだな。だが次こそは・・・」
王神を包み込んだ金色の光はその後上昇し続け、天頂に届くと拡がりはじめた。それから天空全体を覆った金色の光は大地に降り注ぎ、人間、大蛇、機械、そして葦原中国、地球全体を包み込んでいった。




