これだから恋はできない 1
「おはよう、エラ。迎えにきたよ」
馬車から降りてきた朝から爽やかすぎる美形が微笑んでいる。
……それより、今のは気のせいかな。
「私は今日は歴史の授業なのですけれど、ノア様は?」
「じゃあ僕もエラとおんなじ授業を受けるよ」
側から見ればなんてことない会話。しかし今の会話はそれはもう驚いてしまう要素が一つある。
私はおずおずとノアに尋ねることにする。何気にケイトの『そんなことばかり考えてるやつだよ(暴力?)』話を引きずっているのだ。機嫌を損ねられては困る。
「あの、敬語……どうしたんですか?」
「ああ。考えてみてよ、僕たちはもう婚約して長くなるし、来年卒業してしまえばもう結婚だろう? だからもう敬語じゃなくてもいいかなって」
ノアはさらっと理由を述べた。私がノアに敬語を使うのは当たり前のことだが、ノアが私に使う必要は元々ないのだ。今までどうして私に敬語だったのか疑問には思う。
だけどなぜ、今。何かそんなきっかけはあっただろうか。
「……その前に婚約解消を受け入れてもらいます」
「うんうん、分かったから。エラも敬語はなしでいいからね?」
「さらっと交わされた……でもノア様は王子で未来の国王様ですから」
「大丈夫だよ、それにエラだってずっと敬語は疲れるだろう?」
「そうですけど……」
そもそも、私はノアに敬語が嫌だと言ったことがあったか。一応ノアの前では淑女を演じているつもり……なのだけど。
「じゃあ、試しに1週間敬語なしにしよう。それでいい?」
「……分かりました」
「違うでしょ」
食い気味に言われた私は、一呼吸おく。心の中で散々呼び捨てだとしても本人に言うのは緊張するものだ。
「……お試しだからね、ノア」
「分かったよ」
ノアは嬉しそうに目を細める。何があったのかわからないけれど、とにかくノアが上機嫌であることは分かった。
***
「あんたとノア王子ってさ、ずーっとそんな感じなわけ?」
「そんな感じ、とは?」
オードリーにひとしきりなぜ敬語なのだろうと相談しまくったあと、突然そう尋ねられ私は首をかしげた。
オードリーはやれやれと肩をすくめている。
「ほら、私とあんたがこの学園に入学した時はもう婚約解消を迫っていたじゃない。だからそれより前はどうだったのかなって」
「なるほど」
「まさか婚約したての頃から、そうだったわけじゃないでしょう? 本当に一回も好きだと思ったことないの?」
言葉に詰まる。何と返答しようかと宙を見上げる。
「ない、と言ったら嘘になるといいますか……」
「え!? じゃああるのね!? なんでそういうこと言わないのよ!」
ガクンガクンと肩を揺さぶられながら、私は過去を思い出して顔を赤くしていた。
ないわけじゃない。だってノアは完璧で誰もが憧れる王子様。そんな彼に普通すぎる私が惹かれないわけがない。
だけど問題は、恋したあとの私にある。
「婚約を申し込まれた頃、すっごく好きだった。それはもう恋心でおかしくなるくらいにはね」
「へえ、あのあんたがねえ」
「本当におかしくなっちゃうんだよ」
そう、恋をすると周りが見えなくなるとは言うけれど、私の場合はそれが酷すぎるのだ。
デザートを目の前にしたら、夢中で食べてしまうように。
「初めて会った日、私泥まみれの動物まみれの姿を見られたの。しかも彼の誕生パーティで。ありえないでしょ? その時は彼ともう関わることはないと思っていたの」
お花を見ていただけなのだ。なのにあんな風になるなんて、相当呆れられたに違いない。その時ノアが一緒に遊んでくれたのは泥まみれの私を放っておけないという彼の優しさなのだろう。
そう思っていたのに、なぜか婚約を申し込まれて。私が動転しないわけがない。
「あんなかっこいい王子様が私の未来の旦那様なんだと思ったら、もう恥ずかしくって。転んだり、彼の顔を見つめ続けていて家庭教師に注意されたり大変だったの」
「へえ。がっつり恋してたんだねえ。それがどうして今は婚約解消したいのよ?」
「だって、迷惑じゃない!」
ノアが私に婚約を申し込んだのは私の家が、特段対立派閥もなく領地も潤っているから。私自身に興味はないはずなのだ。
優しい彼はこんな私にも親しくしてくれているけれど、それは義務だから。次第に私は、将来国王になる彼の隣にはふさわしくないと思うようになった。
「私は誰かに恋をすると、ダメになっちゃうの。冷静でいられなくなるし、この前だって……」
言いかけて私は口を閉じる。頭に浮かんでいたのはノエルに告白された日のこと。
「告白されただけなのに、そのことで頭がいっぱいになってしまった」なんて言えない。
「それはあんたが片想いだと思ってたからじゃなくて?」
「うーん……ノア様は私のことなんてなんとも思ってないわよ。せいぜい手のかかる婚約者くらいの印象じゃない?」
自分で言って、傷を抉った。ダメージを負ってしょんぼり俯く私にオードリーは「なるほどねえ」と何か納得したようだった。
「あんたは、逃げてるんだよ。だから多分ノア王子のこともよく見ていない。違う?」
「違う! ……と思う」
オードリーの妙に説得力のある言葉に強く言い返すことができなかった。
自分がどう思っているか、胸に手を当てて考えてみるも上手く言葉にできそうにはなかった。けれどノアに迷惑をかけたくない、というのだけはするすると出てくる。
そんな私にオードリーは「まったく手のかかる妹みたいね」なんて笑う。それから「一つ提案なんだけど」と前置きをする。
「騎士団に行ってみない?」
「騎士団?」
「そう! 総当たり戦があるんだって。基本はケイトみたいな団員どうしでやるんだけど、稀にゲストオッケーの時があってね」
今週末だという話を聞くと、ノアから聞いていた予定に似たようなものがあったことを思い出す。
「ノア様も出るってこと?」
「そうそう。んで、私も出る」
「ええ!? オードリーも!?」
ノアは普段騎士団に属しているわけではないし、オードリーだってブランクがあるはずだ。2人が怪我してしまわないか心配になるけれど、オードリーは得意げだ。
「ね、あんたは自分がどう思ってるか思い出す。それに私も、多分ノア王子もあんたが応援しにきてくれたら嬉しい」
「オードリー……!」
ひしっとオードリーに抱きつく。なんて良い友人なのだろう。そして「当たり前でしょ親友なんだから」と笑うオードリーがすごくかっこいい。
もしノアとオードリーが当たってしまったら私はどちらを応援したら良いのだろうと今から悩みつつ、私は週末を密かに楽しみに思った。