正体は知りたくない
「はああああ……」
窓の外を眺めながら本日何度目か分からないため息を吐き出した。
何度もノエルの告白シーンがフラッシュバックするせいで、耳までノエルの声でいっぱいになっている。今なら誰に話しかけられてもノエルに思えてしまいそうなくらいだ。
あの後、私は逃げた。それはもう凄い勢いで、風を切るような速さで。
つまり、私は今返事をしないままノエルを放っていることになる。
彼が私のことを好きだったことにも驚きだけれど、彼は見ず知らずの女の子を好き、ということになるわけで。
中身が何の取り柄もない私だと知れば、きっと失望されてしまうに違いない。
それにもう一つ、私は彼に対して冷たい態度を取ったことなどあっただろうか。たしかに軽口を言ったりはしていたけれど特段酷いことをした覚えはない。
必死に記憶を引っ張り出しているところへ、後ろから声がかかった。
「おーい、エラちゃん大丈夫?」
私をちゃん付けする人は知る限り1人しかいない。振り返れば予想通り、ケイトが立っていた。
赤褐色のくせのある髪型、グリーンの瞳。この容姿もさることながら、副騎士団長さらにノアの友人ということもあって彼はまあモテる。すごくモテる。
かくいう私は意外と彼と一対一で話したことがあまりない。だからかケイトの印象はノアのおちゃらけている友人というものしかない。
「ケイト様、もうお怪我は大丈夫なんですか?」
「もうバッチリだよ。一晩寝たらこんなの治るさ。副騎士団長だしね!」
「そうなんですね。さすがです」
どんっと胸を叩き誇らしげにするケイトに思わず笑ってしまう。
今日はオードリーが大事をとってお休み(本人は学園に来る気満々だったらしいけれど)で、心細い私にとって話し相手がいるのはとっても嬉しい。
「お一人でいるの珍しいですね、ほらいつもはノア様が一緒なので」
「あー、今日あいつなんか上の空だったりイラついてたりして面倒だから逃げてきたわけ」
「ノア様が? どうしたんでしょう」
確かに今日はノアのことを見かけていなかった。朝の迎えもなかったものだからてっきり休みなのだと思い込んでいた。
ケイトは「まあ理由は大体分かってるけどさ」と苦笑いする。
「で? 未来の夫婦はため息つく日まで一緒なんだなって思ってさ。エラちゃんは一体どうしたの?」
「え? いや、私のは大したことでは……」
「ノアになんかされた?」
「? いや、ノア様はそんなことしないでしょう」
ははは、とわざとらしい笑みを浮かべて切り抜けようとするもケイトは食い下がる。
ノアになんかされた、とは一体彼は何を心配しているというのだろう。ノアは鉄壁スマイルで何を考えているか分かりづらいが暴力を振るうようなひとでは決してないのに。
「いや、ノアはそんなことで頭いっぱいだと思うよ、気をつけてね!?」
「ええっ!?」
新たな課題ができてしまった。ノアがそんな夫になる前になんとしてでも婚約解消を遂行しなければ。
青ざめる私とは対照的に、ケイトはなぜか顔を赤くしている。なんだか色々と感情が忙しいひとだ。
そんな姿を見て、私は思い付いたように口を開く。
女の子の扱いにもうまそうで、なおかつ男の子が何を考えているか教えてくれそうな彼なら、私の悩みに応えてくれるかもしれない。
「あの、これは私の友達の話、なんですけど……」
念には念を入れて、というか婚約者の友人にこんな話をすることは本当ならありえないけれど、私は友人の話だと装って昨日の話を掻い摘んで話し出す。
「……つまり、そのお友達は今まで大切な友人だと思っていた男にいきなり告白されてしまったということ?」
「そ、そう。どうしたらいいと思いますか? 彼女、悩んでいるから心配で。私まで心配になってしまって」
普段ノアに発動している嘘のおかげで、そんなに辿々しくはならなかったはず。話を聞き終えたケイトはため息まじりに「こじれてんなあ」と呟いて。
「……そうだな。もし俺がその男だったら、逃げたのはショック。もし好きじゃないとしてもどう思ってるかは伝えてほしいって思うかな」
「やっぱり……」
俯いた私の脳裏に置き去りにしたノエルの表情が浮かぶ。おそらく、私は今ひどく深刻そうな表情を浮かべているのだろう。
ケイトはやれやれ、と言わんばかりに肩をすくめている。
「まあ頑張ってよ。俺はそのあとの保証はできないからさ。飛び火しないうちにさっさと帰るわ!」
「え? 飛び火ってどうしてケイト様に?」
そう聞き返した途端、「シャドウが出たみたいだ!」と騒ぐ声が聞こえてきて。周囲の目線の先にもくもく煙が立ち込める建物があることに気がつく。
「……最悪のタイミング」
***
なんとかシャドウを倒し終えた私は、非常に気まずい思いをしていた。
町を見下ろせるような、見晴らしのいい建物に立っているというのに。しかも先ほどまではいつもの調子で共闘していたというのに終わった途端これだ。
ノエルはきっと私から何か言い出すのを待っているのだろう。何をするわけでもないのに、しゃがみ込んでぼーっと町を見下ろしている。
「あ、あのね。私、昨日のこと謝りたくて」
そう切り出せば、ノエルはちらりと私を見上げる。感情が読めないその表情はただ私の次の言葉を静かに待っているように思える。
「…………私、あなたの気持ちには応えられない。ごめんなさい」
「…………どうして」
「だって、私ノエルとは良い相棒でいたいの」
立ち上がったノエルは切なげな目でこちらを見つめている。私は自分の手が掴まれていることに気がついて、もう一方の空いている右手で彼の手を離した。
「正体を明かせば、気持ちは変わる?」
「駄目、正体はお互い明かさないって初めて会った日に決めたでしょう? 私たちが聖女や騎士であることが感情のあるシャドウに知られたら、狙われるのよ? それに一般市民にだってどう思われるか分からないわ」
「でもそれは僕たちだけなら関係ないんじゃないか」
ノエルが一気に私に詰め寄った。
確かに、重要なのは大衆の前で、シャドウの前で知られないことであって、私たち2人がお互い正体を明かし合うのは大きな問題ではない。
それでも、私がこうして拒んでいるのは。
「私が、あなたの正体を知りたくないからよ」
強く、しっかりノエルの目を見て言い切った。ノエルも私から少し距離を取って「どうして?」と尋ねる。
「……例えば、あなたと私の普段の姿があまりにもかけ離れているとしたら? 身分がまったく釣り合わなかったら? それを知った後でも今まで通りやっていける?」
「……やっていけるよ」
「あなたが良くても私はできない。きっとあなたは私に失望するわ。好きだと言ってくれたことはとっても嬉しいし、あなたのことは好き。……でもそれは友達としてであって恋愛ではない」
ノエルは一通り私の話を黙って聞いた。言っていることも普段はできている感情のコントロールもおかしいことは重々分かっている。だけどノエルは噛み締めるように私の話を聞いてくれた。
「それに、私この時間が好きなの。敬語もない、軽口も言い合えて、何より素の私でいられるの」
「……そっか」
ノエルはやっといつものように笑った。ほっと胸を撫で下ろす私にノエルはまるで紳士のように手を取って。
「……真剣に考えてくれたんだね。ありがとう」
私はこくりと頷く。今、私の顔は真っ赤になっているだろう。やっぱりあんな風に言われてしまい、目の前にいるひとが自分を好きだと思ってくれていた事実に照れてしまう。
だけど、これも良い思い出になるはず――
「僕、諦めないよ」
「へ?」
ノエルの口から飛び出した予想外の言葉に私は目を丸くする。ここは「これからも友達でいてくれる?」の流れでは……
「きっと君は振り向いてくれる。いや、そうさせてみせるよ」
「な、なんでそうなるの」
「……照れてるから?」
「な、ちが、これは!」
予想以上のメンタルの強さと自信に、上手く返答ができない。それをいいことに、ノエルは私の手の甲にまるで王子様のようにキスをして。
そのわざとらしいリップ音に私はわなわなと震え出す。
「僕は君の気持ちを待つことにするよ。自分で自覚して耐えきれなくなった頃に伝えにきてほしいな。もちろん普段の姿の僕に伝えにきてくれてもいいからね」
そんな妙にS発言をしてノエルは飛び去っていく。
彼の中の変なスイッチを押してしまったことを後悔しながら、私は再び大きすぎるため息を吐いたのだった。