第十三話 旅路
「お世話になりました」
宿を後にする時に、旦那さんと女将さんに挨拶を送る。
「気を付けて行くんだよ。決して無理はしないようにね」
女将さんが心配した表情で声をかけてくれる。
「はい、大丈夫です。決して無理はしません」
旦那さんが手に持った包みを私に差し出す。
私はそれを手に取ると、ほんのり温かいことに気付いた。
「クッキーだよ。少ないけどね。持っていきなさい」
「あ、ありがとうございます」
私は慌てながらも感謝の言葉を送る。
そしてそれを袋の中に入れると、左の腰に取り付けた。
そして、宿の旦那さんと女将さんに会釈をすると、私は西へと足を向けた。
2人並んで私に向けられた笑顔が印象的だった。
道を2時間ほど歩いたら、街道と山道に分かれる分岐点に着くはずだ。
「精霊さん、もういいですよ」
キノコの髪留めに姿を変えた精霊に言う。
ポンとした音と共に手足の生えた姿に変わる。
「人通りはあまりないはずですが、見かけたら隠れてくださいね」
精霊さんは分かってくれたのか、広げた両手の上でクルンと1回転すると、小さくペコリとお辞儀した。
私はクスリと笑うと精霊さんに語りかける。
「さあ、行きましょう。旅は始まったばかりです」
精霊さんはフワリと私の肩に止まる。
私は最初の村を後にした。
季節は夏を過ぎたばかりで、気候は穏やかだ。
だいぶ歩いたが、汗をかくこともない。
山道に入ったら少し休憩を取ろう。
もう少しで分かれ道に出るはずだ。
その時急に肩に止まっていた精霊さんが、私のガウンに滑り込むように隠れた。
あっ!
前方から人影が見える。
ロバにホロ付きの小さな馬車を引かせ、フードを被った行商人のようだ。
こんな僻地の村の街道で会うことは稀だ。
私は道を譲るべく、道の端に寄った。
なるべく視線を合わせないように通り過ぎる。
ちょうどすれ違う時に声をかけられる。
「これアンタ、深淵の者じゃないかえ?」
かなり驚いたが、私は冷静な素振りで声をかけた男の方へ向くと同時に、ガウンの中で右手にナイフ左手に護符を構える。
「ワシじゃよ」
そう言うと同時に男はフードをめくり、顔を現す。
「ゲルク爺!」
その行商人はゲルクという、私たちの村を唯一訪れる年配のお爺さんだった。
「お久しぶりです」
「ホッホッ、久しいのメテル。ちょうどお主の村へ行くところじゃ」
ゲルク爺は年に2度私の村を訪れる。
冬が来る前の秋口と、冬が過ぎた春先に、私達の村に必要な最低限の商品を持ってくるのだ。
「けど、いつもよりちょっと早いね」
そう、まだ夏が終わったばかりで秋ではあるが、いつもより1ヶ月は早い。
「何じゃ? 来たら悪かったのかの?」
「い、いえいえ。とんでもないです」
私は慌てて自分の言質を取消しにかかる。
「フォッフォッ。冗談じゃて」
そんな私を見てゲルク爺は声をあげて笑い出した。
「もう!」
私は頬を膨らませるが、ゲルク爺は気にしないようだ。
だけど急に静かな視線を私に向ける。
「旅か………」
ゲルク爺はそう告げた。
「はい」
私の言葉に目を瞑ると、ゆっくりと口を開いた。
「お前さんの旅路は遥か遠い。7つの国をまたがねばならん」
「はい」
「そして、どの国も何らかの問題を抱え込んでおる。決して油断せぬようにな」
「はい、分かっています」
私はしっかりとした口調で返事をする。
領土問題、餓え貧困、跡継ぎ問題など、私はオババよりそれらの事を学び、回避するようにと教えられている。
よく居眠りをして杖で叩かれたのもよく覚えている。
「そうじゃ、忘れておった!」
ゲルク爺はそう言うと、荷台の中を漁りはじめた。
「あったあった、コレじゃ」
私に何かが差し出される。
そんなに大きくない、茶色い油紙に包まれた物。
ちょっと膨らんでいた。
「開けてごらん」
人の物を扱うことに、やや後ろめたさを感じるが、好奇心の方が強かった。
ゲルク爺は昔から、飴という甘いお菓子や猫や小鳥の人形など、村に持って来るのだ。
中を見るとそれは小さな細い毛筆と炭、上質な和紙が入っていた。
「こんな上等な物。買えません」
私はゲルク爺に向かって率直に言葉が出た。
一目見ただけで分かる。
毛筆は使い込まれているようだが、私のお爺さんが使っていたのに対しても、これがより上質な物だとわかる。
そして和紙だ。
この国ではこんな薄い紙を作ることが出来ない。
お爺さんも一緒に流れ着いた和紙を最後まで大事に使っていた。
かなり高価な物の筈だ。
「代金はもらっているよ」
ゲルク爺は笑顔を浮かべてそう言った。
「え?」
「これはね、メテルのお爺さんに頼まれていた物なんだよ。その時お代は頂いている、随分昔なんだがね。知り合いの商人に掛け合ってた物がようやく届いたんだよ」
「け、けど………」
「よいから貰っておくれ。良かったよキミに渡せて。商人は信用が命だ。ずっと持ち歩かねばならない所じゃった。使う人は多分、キミ以外いないからのう」
ゲルク爺の言葉に返す言葉がない。
「そうそう、あとコレも」
そう言うとゲルク爺は小さなポシェットを取り出す。
「これはの、水を弾く素材で出来ているんじゃよ。雨どころか水の中でも幾分かは保つ」
使い込まれているが、コレも高そうだ。
さすがにこれまで、ただと言う訳にもいかない。
「お、お金は払います。いくらですか?」
慌てて路銀を取り出そうとするが、慌てているせいかなかなか取り出せないでいると、ゲルク爺の声がかかってきた。
「これはねぇ、村で払って貰おうかのう」
それを聞いて、さらに慌ててゲルク爺に言い寄る。
「村で払うって、あのドケチオババが払うわけありません!」
ゲルク爺はキョトンとした目をして、やがて笑いながら私に言った。
「イヤ、払うのはキミじゃよメテル。キミがこの旅を終えて村に帰った時に払って貰う。その時までソレの値段は内緒じゃ」
柔らかく微笑みを浮かべるゲルク爺に、困惑しながらも泣きそうになってきた。
ふと、腰に付けたオババに貰ったお守りを思い浮かべる。
同じだ………
私は泣く気持ちを抑えて、かろうじて感謝の言葉をゲルク爺に送った。
「ありがとう………ございます」
ゲルク爺は笑顔を浮かべると、旅人へ送る言葉を私に向けてつづった。
「ほいじゃのうメテルや、旅路によき出会いがあらんことを」
ゲルク爺はそう言うとロバの引く馬車に乗り込み、カッポカッポとロバの歩調で村の方向へゆっくりと進んでいった。