2章 第二十六話 干渉
得体の知れない獣の声。
私はこんな鳴き声をする獣は知らない。
「ふん、猿のようだのぅ
嘯くダレフさんの横で、少し背筋が固まる感覚を受けていた。
「メテル!」
シェランさんの声にビクリとしながらも振り向くと、シェランさんは部屋の入り口へ体は向かった状態で、私に向かって何かを投げて来た。
びっくりして受け取る瞬間に目を瞑ってしまったけど、何とか受け止める事ができた。
目を開けると手にはハンカチが巻かれた睡魔の香瓶がある。
視線をシェランさんに戻すと、彼女は手で口を塞ぐようなジェスチャーの後、視線をずらしてクイッと下顎を上げる。
その方向には、よろめきながらも立ち上がろうとするセシルさんの姿が見えた。
私は素早く近づくと瓶の蓋を開け香の液をハンカチに染み込ませ、それをフラルさんに手渡す。
「すいません! フラルさん! これでセシルさんを落ち着かせて下さい!」
フラルさんはカーラさんに一度目配せをすると、カーラさんは無言で頷いた。
それを見て慌てて、それでいて優しくハンカチをセシルさんの口元に当てると、瞬く間にセシルさんは膝から崩れ落ちそうになる。
そこをダレフさんが難なく受け止めると、そのままソファーに横たえた。
その一連の動作を変わらぬ表情で見ているキャロルちゃんに気付き、私はさっきの感覚も気になってそれとなく声をかけた。
「大丈夫…… セシルお母さんにはちょっと眠ってもらうだけ。朝になったらちゃんと目を覚ますから…… ね?」
そんな私の声を聞いてか、キャロルちゃんはプイッと顔をテーブルの方に背けてしまった。
たぶん、この子も心配しているはずだ。
だからこそ、このような態度なのだろう。
テーブルの上を見つめ続けるキャロルちゃんの背中に私は小さく謝る。
頼りないお姉ちゃんでゴメンね……
そんな私にダレフさんの声がかかる。
「では精霊使い殿はこの場で、ワシは前に出る!」
そう言うとダレフさんは戦斧を持ち構えシェランさんの後を追った。
そして部屋からでた時に私に向けた声が投げかけられた。
「それで私たちはどのようにして?」
この時、私はカーラさんの声がわずかに震えている事に気づく、そして、気丈に振るまっているようだ……
それは昨夜の叱責の時に発した声にも思えた。
彼女の目には恐怖の色は微塵も感じない、それでも……
「はい、皆さんはセシルさんを中心にこの部屋に居てください」
カーラさんの姿が小さく見える。
決して侮蔑などでは無い、ただ、なんとなくそう感じる。
彼女もギリギリなんだ……
彼女の貴族としての自負が、その誇りの高さが奮い立たせているのだろう。
そしてシャムドさんも……
かなり失礼な事を思っているなという感覚もあるんだけど、どこか私と変わらない人たちだと思える感覚も同時にある。
そのような思いと同時に緊張している自分を自覚する。
怖い気持ちとインプをやっつけようとする気持ちが交錯する。
ちょっと深呼吸しよう。
…… ふぅ。
そして、私はシャムドさんたちに、さっきシェランさんから受けた言葉をそのまま伝えた。
「私とリュトでこの部屋の入り口付近で見張りをします。大丈夫です、この部屋は内側と外側で二重に香の結界が張られていると思ってください」
あれから、そのサルとか言う獣に似た咆哮は聞こえない。
玄関の方からシェランさんの声は聞こえるけど、何て言っているかは分からない。
その時……
ズシリと肩に何か重い重圧を感じた。
「来る!」
精霊さんの思念と私の感覚がリンクする。
その瞬間、館全体が揺れた。
ビリビリと窓ガラスは振動し、テーブルの上にある燭台などがカタカタと音をとてる。
「じ! 地震!?」
リュトの言葉で何が起こっているか理解した。
…… つもりだったけど、怖い! 地面が揺れる!
床に座り込みそうになった時、扉からリュトが現れて声が飛びこんで来た。
「立て! メテル!」
そっ、そうは言っても地面が揺れて……
「ああ! ったく!」
軽く舌打ちしながらリュトは私の腕を取った。
前屈みになりながらもリュトに支えてもらって何とか踏ん張る事が出来る。
「地震は珍しいが大したことは無い。落ち着けば……」
そう呼びかけるリュトに前屈みになりながらも、頭を上げ謝罪と感謝の言葉を述べる。
「ご、ごめん。ありがとう」
ところがリュトは私の顔を見るなり、プイッと顔を背けた。
顔も赤いような…… 怒っちゃったのかな?
こんな時こそしっかいしなきゃダメだよね。
そう自省した時、精霊さんの意識が流れ込んできた。
「エロコゾウ……」
ハァ? 何言ってるんだろ?
とにかく、敵はどこから来るか分からない。
私は前屈みになりながらも周囲を見渡す。
そして正面の窓ガラスを見た時、ガラスに映る私自身の姿に気づいた。
前屈みなっているせいで、胸元があらわになっている……
カァ〜と顔が熱くなる。
リュトのバカ! バカ! バカ!
こんな時にどこ見てんのよ!
叫びたい気持ちをグッと堪えて少しだけ声を出す。
「見た?」
うわずった声のリュトはとんでも無いことを口にした。
「み、見るほどのモンじゃねーだろ!」
はぁっ!? 何言ってるの! 人のこと見ておいて何よ!
女の子に向かって言って良い言葉、悪い言葉があるでしょうに!
「リュトって! こんな時に何してんの! 信じられない!」
「い、いや、地震でビビっていたのを助けただけ……」
「ビビってないもん…… スケベ……」
「ちょっ、待てよ。そんな気持ちさらさら無ーし」
いちいちカチンとくる。
「じゃあ何で顔赤いのよ!」
「赤くなんかねーよ!」
「赤い」
「赤くねー!」
そこに声がかかる。
「何やっとるんじゃ? お主ら……」
現れたのはダレフさんで、手には私の見たこともない獣がぶら下がっていた。
「いや、地震があって……」
「地震など無かったじゃろう?」
えっ!?
だってたった今……
確かに今は揺れていないけど。
「館が揺れていただろ!?」
リュトの声に大きく頷く。
けど、ちょとまって…… ダレフさんが持っている獣と目が合った瞬間、不安や不満と言ったものが流れ込んできて何かおぞましい感覚に陥る。
「この獣と同調してる………」
「あん? メテル?」
「いま、リュトは何も感じてないの?」
「地震のことか? あぁ」
その地震に感じたその感覚は、この獣がダレフさんに捕まれた瞬間の感覚を何故か私たちが受け取っている。
「地震のことはそうなんだけど、そうじゃないの!」
「おいおい、どうしたんだ メテル? 何言ってるんだ!?」
リュトには感じないのだろうか、この獣の異様さを……
「ふー、大丈夫か? お前たち」
そこに少し憔悴したシェランさんが現れる。
そしてすぐにダレフさんに話しかけた。
「ダルフさんはそいつを手に取って何も感じないのか?」
「ん? ああ、気味の悪い連中だがな」
「あの……」
おずおずとシェランさんに話しかけようとしたら、そんな様子を見てかシェランさんから声をかけられる。
「メテルは気付いているようだな」
「何がだ? 姐御?」
「コイツは…… コイツらと言った方がいいか、人の精神に干渉してくる」
そのシェランさんの言葉に反応するかのように、ダレフさんに捕まれた獣は小さく「キィ」と鳴いた。