2章 第二十五話 マンイーター
もう屋外は暗くなっており、先ほど付けた蝋燭の炎が窓ガラスを仄かに照らし、その姿を写しだす。
その窓をキャロルちゃんはカーラさんの隣でジッと見つめている。
しばらくしてシェランさんとリュトに挟まれる格好でセシルさんとフラルさんが現れた。
セシルさんは憔悴しきった表情で何も発せず、朦朧とした瞳を自分の足元に向けている。
その傍らにはフラルさんが付き添っているが、彼女もまた不安な表情を浮かべている。
「おっちゃん、これ」
リュトがダレフさんに何か手渡している、あれはダレフさんの黒曜石のお守りのようだ。
「ふむ……」
ダレフさんはお守りを受け取るとジッとそれを見つめている。
「こいつも戦っておるのぉ……」
私はダレフさんに近づき声をかけた。
「何かあったんですか?」
するとダレフさんはスッと目の前にお守りを持ってきて静かに言った。
「精霊使いどのなら見えますじゃろ」
その言葉で私はもう一度お守りに目をやる。
お守りのその黒曜石のちょうど真ん中の部分が赤黒く淀み蝋燭の炎のように揺らいでいる。
「普通は糸屑くらいのものじゃが、これほどまで大きいとは……」
「そのお守り魂喰いだったのですね」
シェランさんが横から言葉を入れた。
聞いたことはあるけど初めて見る。
魂喰いと言われるお守りは悪霊などに取り憑かれたさい、その不浄な魂を喰らいつきその悪しき魂を閉じ込めると言われる。
実際は魂なんか食べている訳じゃ無いけど、機能的というか雰囲気的にそれが一番分かりやすく近いからと、そのまま定着した言葉だと私はオババから教えられていた。
「ワシの古い知人に聞いた話だと、ここまで大きな影となると…… ん!?」
ダレフさんは話を止めて視線をある方向へ向けた。
何だろうと思い私もダレフさんの視線を追うと、先ほどまで窓を見ていたキャロルちゃんが目を見開きこちらをジッと見ていた。
「何じゃあ…… あの娘は……」
ボソリと呟くダレフさんにシェランさんが近づき、ダレフさんの視線を塞ぎ注意を促す。
「ダレフさん、その態度はまずい!」
「ああ、そうじゃの…… すまぬ」
少しシェランさんも過敏になっているようだけど、シャムドさんのことからも決して大袈裟では無いだろう。
ただ、私もキャロルちゃんの視線には気になるところがあった。
表情には現れていないけど、何かこう彼女の気持ちが揺らいでいて嫌悪感のようなモノを持っているように感じた。
たぶん蝋燭の灯火の揺らぎのせいであって、気のせいだとは思うけど……
「それにしてもこんな大きさは初めて見るわい」
さっきの話の続きでダレフさんはお守りを見つめてぼやくように呟いた。
「大きいとそれだけ悪霊の力も強いって事なのか?」
リュトが疑問を口にする。
私もダレフさんの持つお守りの事は詳しくは知らないのでジッと聞き耳を立てる。
「うむ…… じゃが、ワシが聞いたところだと力と言うより思いの強さと言えば良いのかのぉ? 念の大きさが変わると聞いた。そして、その思いの内容というか感情は色で現れる」
「念?」
リュトが疑問をダレフさんに投げかけ、ダレフさんはそれに応じる。
「怨念とかじゃよ。悪いやつばかりじゃ無いがの」
「ウゲェー、悪くない怨念なんてあるのかよ」
「怨念はロクなものではないが念は違うぞ。祈りも念と言えぬ事もない」
ダレフさんの話はおおむね正しいと思う。
あのお守りに現れている影みたいなものは、黒曜石が触れた思念を具現化しているモノだろう。
そして、触れた思念を少なからず削ぐ力を持つものだ。
強い思いはエネルギーにもなるが、冷静な判断をする事が困難になる為、バーサーク状態に陥いりやすい兵士などが身につける事が多いと聞いたことがある。
もう一度黒曜石に目を向けると変わらず黒と赤が混じり合うように淀んでいる。
「ちょっと黒いモヤみたいなのがあるけど、よくわかんねぇ」
リュトはそう言うがそれが見えただけでも感心してしまう。
多くの人は教えられても気付けない方が多いのだ。
「あの私は黒と赤の…… 特に赤色が強く感じるのですが……」
「うむ、精霊使い殿の言う通り、ほとんど黒と赤で交わっとる。黒は怨みや憎しみ、赤は怒りを表すと聞いたのじゃが」
うん、何となくそのような感じを受けたのでダレフさんの説明は納得がいった。
闇堕ちした精霊、インプがどの様な存在か、これからも窺える。
「……」
ん!? 何だろう?
私の精霊さんが何か考えに耽っているみたいだ。
「とにかくだ!」
その時、シェランさんが皆に声を掛ける。
「予測はしていたが、これでヤツがどの様な存在であるかが分かった。遠慮は必要ない! やるぞ!」
そう言って不敵に笑うシェランさんは完全に戦闘態勢に入っている。
目がギラギラしていてちょっと怖いけど同時に頼もしい。
「へっ、インプなんざギッタギタにしてやる」
隣のリュトも同じような表情で嘯く。
だけど、ちょっと視線を下に降ろすと気づいた事があったのでリュトに話しかけた。
「膝…… 震えてるよ。怖いよね」
「ばっ、馬鹿野郎! これはあれだ! 騎士の身震いってヤツだ!」
なんかリュトに必死になって言い返された。
騎士の身震いって、なんか昔にお爺さんに聞いたら武者震いのことだって聞いた事があるけどよく分からないや。
とりあえず「ふぅ〜ん」と言っておく。
「ビビっているわけじゃないからな!」
なんか必死になってる。
「悪いことでは無いぞ」
私たちとは違う別の方向から声がした。
それはシャムドさんのものだった。
「恐怖を肚の中に落とし込み、震えながらも歩みを進める者が騎士よ」
ゆっくりとした口調でシャムドさんはそう語りかける。
「高貴たるお方の面前で不用意な言葉を発しました。申し訳ありません」
慌ててシェランさんが謝罪の言葉を口にする。
そうだ、貴族の前で貴族に関する言葉を発するのは不敬に思われてしまう恐れがある。
私は思わず唾を飲み込んだ。
だが、今のシャムドさんは先ほどとは違い、非常に落ち着いたものだった。
「良い…… これは戦なのだろう? 戦いの場に身の上など些末なものよ。どれだけ高貴といえど戦に負ければ露の滴ほどにもならぬ。それにな、恐怖しない者は早くにこの世を去ることになる。若者よ、恐怖と共に前に進め……」
その言葉の中には恐らく、いや、間違いなくシャムドさんの息子さんへの想いが込められている。
私はリュトに顔を向けた。
最初、リュトは少し呆けた表情をしていたが、ダレフさんとシェランさんもがリュトに顔を向けた時、リュトはハッとして表情を引き締めると一歩だけシャムドさんに近づいた。
そして、騎士や兵士がする一般的な儀礼の所作である握りしめた右拳を胸の前に水平に掲げると、機敏な声で「ハッ!」と答えた。
その姿をシャムドさんは真っ直ぐな視線で受け止め、カーラさんは少し寂しげに微笑んだ。
その時、ちょっと気づいたんだけどその様子を見てシェランさんがソワソワしている感じがしいた。
「よし! 配置を確認する!」
シェランさんの集合の号令がかかると、私たちはシェランさんの方に体を向ける。
けど、リュトが来た時にシェランさんはリュトの耳を引っ張ってちょっと離れる。
あっ! 頭を叩かれた!
どうかしたのかな? リュトの敬礼はそんなに変じゃないと思ったのに?
そんな私の心を読んだのか、隣のダレフさんがボソリと言った。
「さっきの敬礼は不味かったのう…… ご婦人はここのご主人を思い起こしたじゃろうな……」
「あっ」
言われて気づいた。
シャムドさんとカーラさんはあのような敬礼を実の息子から受けていたかも知れない…… それもこの部屋で……
セシルさんの方も気になって見たけど、セシルさんは変わらず床をジッと見ている。
彼女は気づいていないようで、ちょっとホッとしたけどシェランさんがああなった理由が分かった。
ダレフさんと一緒にシェランさんの方へ向かい、頭を押さえているリュトの横に立つとその顔を覗く。
「何だよ…… 」
覗かれた事が不服なようでリュトは私を睨みつけるが、私もカーラさんたちの気持ちに気付かなかった以上、リュトと同じだ。
「いや、私も気付かなかったから……」
「……」
リュトは憮然とした態度で何も喋らず前を見据えた。
そんな私たちの前でシェランさんが声を出す。
「打って出る時の方法は基本的に狩と同じだ。だが、通常とは違う部分でのリスクは高くなる。それをゆめゆめ忘れるな」
大きな声で無いけど、厳しく鋭い口調のシェランさんは私たちだけに視線を向けていた。
「はい!」「は、はい!」
さっきと打って変わってキビキビとした返事を返すリュトに、内心ちょっとびっくりしながら私も返事をする。
「インプの意図は分からないが、セシル氏を執拗に狙っているように思える。それで考えた配置を伝える」
そう言って皆の配置を伝えていくのに、リュトが何かに気付いたような少し驚くような顔をする。
「姐御…… その配置からすると……」
「ああ、口にする事ないぞ。その通りだ」
それを聞いて怪訝そうな顔をする。
何か問題でもあるのかな?
ダレフさんも心なしか厳しい視線に変わっている。
その様子を見ていたけど、それに気づいたダレフさんが私に語りかける。
「以前、ワシがボア狩りの話をした事がありますな」
私は小さく頷く。
前に狩についての話題で、罠のはり方は季節や獲物の対象で変わると言ったことを話していた時、ダレフさんはボア狩りの罠の一つを教えてくれた。
それは大きめの頑丈な檻に餌を入れておいて誘い、ボアが中に入ると入り口が閉じると言った比較的によく聞く罠の話だったけど……
私の返事に対し、ダレフさんは顔をシェランさんに向けて言う。
「蒔いた香が檻となるんじゃな、シェランどの……」
「ああ、その通りだ」
じゃあシェランさんは、この館を巨大な檻に見立ててた罠を仕掛けていると、それでダレフさんのボア狩りの罠との統合性を考えれば、私たちは檻の入り口の蓋になるだろう、そして餌となるのは……!!
そこで私はシェランさんへ大きく振り向く。
「どのみち後がないのさ…… 救援なんぞアテにしていたら、その救援とやらがきた時点で自分らの首が跳ぶと思い直しておけ」
少しおどけた様子で喋るシェランさんに思わず声を上げる。
「シャムドさんはそんな人じゃ……」
「しっ! 無闇に名を呼ぶな」
シェランさんは目前に近づき私の口を塞ぐ。
私は小さくコクンと頷くと、シェランさんは口から手を話、小さく言った。
「今日、ここに来た時の事を覚えているだろう? 貴族は立場上、態度が変わる事などザラにある。それに、救援に来た者たちが我々の助けになる保証なんて無いんだ」
確かに今日のシャムドさんの態度は怖いところもあった。
だけど……
その時、これまで聞いたことのない動物の叫び声が聞こえた。