2章 第二十一話 夕刻の鳥
メテル一同が再び館を訪れる。
斜陽の中、私たちは例の館に向かって進んでいる。
足取りは決して軽いものにはならないが、それでも今夜は一人ではないので昨日ほどの緊張はない。
宿を出てから、二人の村人と出会う、その村人は立ち止まり、麦わら帽子を外して丁寧に私たちに挨拶してきた。
それにシェランさんが応えるように小さく右手を上げ返しているのを、私は黙って横目で見ていた。
「やっぱ、噂が立つの早いな」
通り過ぎざまにリュトが呟く。
「小さな村だ。仕方ないさ」
シェランさんは「気にするな」と言わんばかりに、素っ気なくリュトに言葉を返した。
さっきの村人は初めて会ったはずだけど、私たちの事を知っているようだったから、少し疑問に思っていたけど、その疑問は二人の会話で理解することが出来た。
けど、何故、あそこまで丁寧な挨拶をしてくれたのかといえば恐らく……
「ギルドを通している訳でも無いのに期待されてもなぁ〜」
やっぱり、私たちが解決して貰えるものと期待を込めているのだろう。
「そう言うな」
シェランさんはそう言って、リュトを窘める。
「ギルドを通しさえすればリュト。お前はこの依頼を受けるのか?」
「受けねーよ、相手がわるすぎらぁ。それにこんな依頼ならギルドでも受け付けない筈だ。別の所に行く案件だろ?」
「だろうな……」
リュトの言葉に言葉少なげにシェランさんは答えると、それからは何も言わずにただ歩みを進めた。
段々と館に近づくにつれ、何か重いものが肩にのしかかっているような感じがして、それを振り解きたいとは思うのだが、そう思う事自体、無駄な考えなのだろうな。
(ああ、お腹が痛く感じる。ちょうど胃のあたり……)
やがて、館が見えてきた。
夕陽に染まるその建物におかしなところは見受けられない。
だが、昨夜の事を思い起こせば、必然的に二の足を踏む。
「メテル、行くぞ」
そんな私の背をリュトが押してくれた。
「うん……」
小さく返事をすると、私は館の敷地内へ一歩足を踏み出す。
その瞬間!
得体のしれない不気味な気配によって、悪寒が全身を貫き覆い尽くす。
全身の毛穴という毛穴が逆立ち、熱をも奪う。
その恐怖に私は立ち止まり、咄嗟にシェランさんの顔を見上げた。
彼女もまた、険しい表情でその場に止まり、動けずにいる。
「姐御……」
リュトは絞りだすような声でシェランさんに呼び掛け、ダレフさんはバトルアックスの柄に手を掛ける。
「ああ…… 見られている……」
それは恨みや嫉妬、憎しみや殺意など人のあらゆる悪意を混ぜ合わせたような、暗くて、おぞましい思念がまとわり付く感じの、そんな視線だ。
私たちはその場で辺りを顔を動かすことなく見渡し、その視線の出どころを探る。
すると、林の中に一際暗く鬱蒼とした部分に気がつき、異様な雰囲気を感じ取った。
その部分を凝視すると、その得体の知れない視線が何から発せられているか理解する。
それは、木を覆わんばかりの数のカラスの群れだった。
そのカラスの群れは、一羽たりとも鳴かず、羽ばたかず、じっとこちらを覗き込んでいる。
「相手にするな。館に入り込むぞ」
シェランさんの声に小さく頷くと、私たちは足早に入り口の方に進んで行った。
ーーー
警戒しながらも扉へ辿り着くと、扉に取り付けられた、金属製の立派なドアノッカーを打ちつける。
扉が開くまでの間がもどかしい。
しばらくすると、扉に取り付けられている小さな小窓が開いた。
一瞬だけ女の人の手が見えたから、たぶんフラルさんだろう。
「トロンの冒険者ギルドの者です。今宵もまた、伺わせていただきました」
シェランさんの言葉に扉は開いて応える。
そして、現れたのはやはりフラルさんだった。
「お待ちしておりました」
礼儀正しく私たちに頭を下げるフラルさんは、少し顔色が悪く感じる。
「早速ですが、いま現在の皆さまの状況はどの様なものでしょう?」
扉が閉まると同時にシェランさんはフラルさんに質問した。
「はい、大丈夫です。ただ…… 奥様が少し興奮なされまして……」
「それは、どの様な事で?」
「奥様は…… また、旦那さまが帰ってくるとおっしゃって、ひと時もじっとしておられず。それにはシャムド大旦那さまが、気を悪くされましてお怒りに……」
「失礼ですが、セシルさまと会話は出来ますか?」
「それは…… 少し難しいです。奥さまは大旦那さまの言いつけで部屋から出ることを禁じられております。それに、その、奥さまは最初と後の話が繋がらないというか……」
おそらく、セレンさんは部屋に閉じ込められた状態なのだろう。
また、歯切れの悪い答えは、彼女の精一杯の忠誠心から来たものだろうと感じられた。
自分の主人を悪く言うような人ではないし、まして、フラルさんはセシルさんに憧れを抱いていたようだから尚更だろう。
それだけに、気の毒に思えてならない。
「話に統一性が無いという事ですか?」
「いえ、その…… 今は長く話される事もありませんので、ただ、明るく話されるようになられたかと思えば、急に悲しまれたりと…… 」
シェランさんはフラルさんの話を聞くと、しばらく間をおいて睡魔の香を取り出した。
「シャムド氏に会わせて下さい。それから、これを貴女に渡しておきます」
「私ではなく大旦那様にお渡しした方が良いかと……」
「いえ、これは貴女が使う分です。かなりの疲れが伺えます。この者に聞きました。貴女に倒れることがあれば、ここの女主人はどうなりますか?」
シェランさん、私が「フラルさんは、これまでに一人で戦ってきている」とポーションを作りながら話していたんだけど、それを聞いて作ってくれていたんだ。
「こんな貴重な物を頂く訳には…… 私は……」
フラルさんはうつむき、何も言えなくなる。
彼女の、そのうつむいた顔は苦悩で歪んでいた。
彼女もまた限界な筈だ。
正直に言えば、まだこの家に残っていること自体が奇跡のようなものだ。
通常だったら逃げ出したとしても不思議ではない。
「いえ、分かります。ですが、ここは堪えてください。我々が何とかしますので…… 、これは寝入りに軽く嗅ぐだけで効果がありますが、起きるのには影響はさほどありません」
そう言ってシェランさんは、半ば強引にフラルさんの手に香瓶を握らせた。
「わかりました。よろしく…… お願い…… します」
震える声でフラルさんはそう言い頭を下げると、それをそのまま握りしめる。
それから、シェランさんは静かに口を開く。
「シャムド氏への面会をお願いします」
「はい」
小さく返事を返したフラルさんは、私たちの先頭に立って先を進む。
返事をした時、彼女は少しだけ笑顔が出ていた。
その笑顔は、多分、彼女の精一杯の強がりだろう。
(けど、笑顔を少しだけ見ることが出来ただけでも良かった)
フラルさんの歩く後ろ姿を見ながら、私はそう思うようにした。
居間へと続く廊下を通る時、飾られた鎧をチラリと覗く。
微動だにしないその鎧の兜から、見られ覗かれてはいないだろうかと、急にそのような事を思い浮かべてしまう。
「大旦那さま、トロンの冒険者の方々がお見えになりました」
居間の扉は初めから開けられており、その扉の脇に立ったフラルさんは室内に向かって声を上げると、程なくして私たちを室内へと招く。
「どうぞこちらへ」
佇むフラルさんの前を通りながら、部屋の中へと入っていくと、笑顔のシャムドさん画迎え入れてくれていた。
「おお、よくぞきてくれた」
だけどシャムドさんの顔も疲労がうかがえた。
朝と雰囲気が違う、どこか切羽詰まった感じがする。
「何か変わったことはありませんか?」
シェランさんの質問にシャムドさんは苦悩の表情を浮かべる。
「セレンにこの屋敷を引き払う考えを伝えたら、これ以上になく暴れおってな」
それは…… そうだろう、旦那さんと過ごされた場所を捨て去る選択をするとは思えない。
今のセレンさんにそのような選択を強いるのは、余りにも酷に思えた。
「それは……」
言いかけた私の言葉を、シェランさんの腕が阻む。
腕の主を見上げると、静かに私を見つめるシェランさんの瞳が、私の言葉を封じ込めた。
「失礼しました。しかし、その選択は今の彼女には受け入れ難いものだったのでしょう」
「ああ、分かっておる。しかし、セレンは悪霊に見染められてしまった。とてもこの場にはおれん。息子にも悪いとは思うがここを引き払った方がよかろう」
「見染められた…… とは?」
「セレンはわしの息子……『 カーマインが帰ってきている。もう、近くにいる』と言うてな。それに……」
そこでシャムドさんは大きなため息を吐いた後、絞りだすような声で続けた。
「お主らも気付いておろう、ただならぬ気配を」
「…… ええ」
あの得体の知れない身の毛もよだつただならない気配、確かに悪霊と呼んでもいいだろう。
インプとも呼ばれる黒き妖精の成れの果て、それが発したものであるのなら、私は認識を改めるべきだろう。
あれは、決して妖精という枠にはおさまらない、『別の何か』だ。
「あれは軍を持ってしても討伐できるようなものではない。このような辺境の村では、教会の力も及ばぬ。それでここを離れるつもりなのだが、この村の自衛団の者に使いを出した。迎えが来るまでに二日ほど掛かろう」
シャムドさんの話を聞いて、このこともフラルさんがやつれていた原因のように思えた。
だけど多分、シャムドさんの判断は間違いでは無いだろう。
「わかりました。それまで、全力で護衛をいたします」
シャムドさんの話を聞いて、シェランさんは静かに言葉を発した。
「頼む……」
シェランさんの言葉を聞いて、シャムドさんは小さく答えると、その場で目を閉じて椅子にもたれかかる。
もうすぐ陽がくれる。
心休まる時間はまもなく過ぎ去るだろう。
私はこの時に、ふと窓の外へ目を向けた。
太陽はさらに傾き夕陽へと変貌していく様子がうかがえる。
そんな、外をうかがう私の視線を嫌ってか、視界にうつる木々から一斉に大量の黒い鳥が飛び立った。
さて…… どうすっかな……