2章 第二十話 化粧
今年は少しだけ梅干しを漬けました。
「姐御ぉ〜、そろそろ行くか〜」
扉の方からリュトの声がする。
しかし、その姿を確認する術は、いまの私には…… ない。
何故なら、私はシェランさんからほっぺたを思いっきり両方からつねられているからだ。
「何やってんだ?姐御…… 」
私たちの様子を不審に思ったであろうリュトは、私とシェランさんの方に近づいてきているようだ。
そのリュトは、私とシェランさんの真横に立つと、一瞬にして頬を膨らませた。
「どわっはっはっ!」
リュトの笑い声が部屋中に響き渡る。
うん、そうなるだろう。
何故なら、私が寝ているシェランさんの顔に炭で落書きをしておいたからだ。
リ、リュト! あんまり笑うとほっぺをつねるシェランさんの力が強くなるんですけど〜!!
「笑うなリュト。いま、申し開きを聞いているところだ」
そう言うシェランさんは、左右の繋がった太眉毛とちょび髭の面立ちで私を睨みつける。
「お、起きた時にお酒が残らないようにお呪いをしただけですぅ〜」
正当な理由を述べてもシェランさんの引っ張る力は緩まない、それどころか、さらに強い力で左右にほっぺたを引っ張られた。
「あ〜、姐御、また昼間っから飲んでたのかよ。そら、メテルも怒るぜ」
お腹を抱えてそう言うリュトに、私は必死に同意した。
「りゅほ! ひょう、ひょうだだよね」
もっと言ってやって欲しいぃぃ、痛たぁい!
「あ゛っ? 何だって?」
ほっぺたを引っ張る力にねじりの力が加わった。
(ひぃ〜、ごめんなさぁい!)
声なき声で叫ぶも、この状況から逃げ出せそうに無い。
私はほっぺたをつねられたまま、必死の思いでリュトに懇願の視線を送る。
冷静な態度を示そうとしているのか、リュトは腕を組んで涼しげな顔でこちらを見ていた。
だがしかし、すぐにその表情が崩れだす。
「プッ! クックッ!」
「何故笑う……」
静かに響き渡るシェランさんの声に、リュトは笑いを堪えながら答える。
「いや〜、アナグマとっ捕まえた猟師に見えたもんだから」
さらにほっぺたに掛かる力が強くなった。
も、もう、ほっぺたの感覚がなくなってきたんですけど、やめて……
「何やっとるんじゃ?お主ら」
そこにダレフさんの声が聞こえた。
「いやー、ダレフのとっつあん見てくれよ」
あ、あのリュト、あまり刺激しないで、言わないで、もう本当にほっぺたが取れちゃう……
ところがダルフさんは笑うことなく、いたって真面目な表情で口を開いた。
「変わった呪いじゃな。軽い解毒効果があるようじゃが」
ダレフさんの独り言のような言葉に、私は内心驚く。
(えっ? そうなの? あれ? 私、何か念を込めてたっけ?)
ある意味で念は込めてたような気もするけど、解毒のようなものでは無かったように思えるんだけど。
その時、心なしか、ほっぺたに掛かる力が僅かに弛み、前にいるシェランさんの方を薄目で見る。
その時のシェランさんは少し頬を赤らめていた。
「精霊使い殿のものか? 今度、わしにも施してもらうかのぅ」
ダレフさんは、そう言ってマジマジとシェランさんの顔を覗き込むように見ていたが、シェランさんは私のほっぺたから手を離すと、慌てた様子で水桶のところに行き顔を洗い始める。
ほっぺたをさすりながら、その様子を見ていたが、ふとダレフさんの方を見たら私に向かって軽くウィンクをした。
(あっ、やっぱり呪いの話はでまかせだったんだ)
シェランさんに聞こえないように、小さな声で礼をダルフさんに伝える。
「すいません…… ありがとうございます」
ドワーフは嘘をつくことを嫌う。
私を助けるための言葉とはいえ、少し申し訳ないように感じていた。
それで私は謝罪の言葉を使ったのだけれども、そんな私の気持ちを汲み取ったのか、ダレフさんは気にもせぬ様子で淡々と答えてくれた。
「なに、これで目も覚めるであろう。わしは何も間違ったことは言うておらぬよ」
さすがダレフさん、尊敬します。
しばらくすると顔を洗い終え、落書きを落としたシェランさんが私の方へ近づいてきた。
その近づく姿に、悪夢のような恐怖が浮き出てきた。
寝起きのシェランさんは、まだ少し酔っ払っているようでフラフラとしていた。
そして「顔を洗う」と言って、水桶のところにいったんだけど、顔を洗う直前で水鏡により落書きがバレてしまったのだ。
いつも、お酒を飲んで寝た場合には、起きると最初に顔を洗うから絶対にバレないと思ったんだけど……
その後、肩を怒らせたシェランさんが現れることになるのだが、その姿と今がちょうど重なる。
その姿を見ると、再びほっぺたをつねられるかも知れないと思ってしまう。
(それは嫌だ)
その恐怖は正に悪夢でしかない。
シェランさんはまだ怒っているようで、私の前に立つと、再び叱責の声を上げる。
「いいかい! 今度こんな事をしたら、承知しないからね!」
だけど、そんな叱責の声より気になることが目の前に起こっていた。
(シェランさんが可愛くなっている!? お化粧が取れたから?)
目元のアイシャドウと口紅が取れただけで、こんなにも変わるものだろうか?
以前から、綺麗な顔立ちだなぁ、とは思っていたけど、お化粧を外すとキツい印象が取れている。
若くなっているようにさえ見える。
ハッキリ言って、別人と言っていいかも知れない。
「聞いているのかい?」
そう言って、また私のほっぺたを摘み上げた。
「ふぁい! 聞いてまふ! ごめんなふぁい」
あぁ! やっぱりシェランさんだった。
シェランさんは「フンッ」と鼻を鳴らすと、寝室の方へ行ってしまった。
お化粧をし直すんだろう。
「俺は姐御は化粧しない方が好きなんだけどなぁー」
リュトの言葉に頷く。
(うん、私もそう思う)
ほっぺたをさすりながら、そんな気持ちでリュトの方を見ると、私の視線に答えるように口を開いた。
「冒険者ってもんは『舐められちゃいけない』ってのもあるのさ。姐御の化粧は『そのため』らしいけどなぁ」
なるほど、そうかも知れないけど、なんか勿体無いと言うか残念と言うか……
「人間は見た目で判断しがちじゃよ。まぁ、わしらでもすぐに理解できる訳では無いがな」
「けどよ、いい奴とか悪人とかを判断するのに『そいつの格好を見れば分かる』って言う人もいるじゃん」
ダレフさんの言葉にリュトは疑問を投げかける。
すると、ダルフさんはゆっくりと答えだした。
「その『格好』をどれだけ見ることができるかじゃよ。服や化粧などのうわべではなく、その裏に隠された部分、本当の『格好』を見ることができれば、その人物がわかるもんじゃ」
リュトは「ふーん」と軽く聞き流しているようだけど、私はお爺さんとオババから、似たような話を聞いたことがある。
私はだいぶ前に、お爺さんに「悪い人ってどんな人?」って聞いたことがあった。
お爺さんはあまり他人のことを言わない、その時のお爺さんは少し困った顔をして私に言ったのだ。
「人は、悪人として生まれて来るわけではないんだよ」と、そして、「メテルにはまだ難しいだろうけど、人は正しい行いをしようと思っても、出来ない人が多いんだ」と最初に言ったのを覚えている。
それからお爺さんは、続けてポツポツと独り言のようにして教えてくれた。
「ただ、そのような人はどうしても人を傷つけてしまう。傷つけられる人はたまったものでは無い。だから身を守るためには、そのような人には近づかない方が良い。じゃが、誰が自分に害をなすような人物であるかを知ることは、なかなかに難しい」
そんな言葉から始まったお爺さんの話は、次のようなものだった。
言葉と行動を見ていたら、どのような人物であるかだいたい分かると、世の中には己の欲望を満たす為なら、平気で人を騙したり嘘をついたり人がいる。
そして、やむを得ず人を騙そうとする人も……
そういう嘘をつく人の言葉と行動には、矛盾やずれが生じやすいと言っていた。
また、話の内容がコロコロと変わるとも教えてくれた。
お爺さんは、人をよく見て矛盾やずれに注意することが大事だと、そう話してくれた。
そして何よりも、「欲望のためにつく嘘は、やがてわが身を滅ぼすから決してそのような嘘はついてはいけないよ」と寂しげ笑うお爺さんが印象的だった。
そして、旅に出る直前にオババからも注意を受けていた。
外の人間のことは、人間の皮を被った獣と思えと。
決して、すぐに信用してはいけない、まずは疑ってかかれと。
ペテンにかけられ国を失ったた愚かな王様のお話や、親切が過ぎて騙されて領地を失った貴族のお話などをよく聞かされた。
「村の外の世界は野蛮で残酷である」とよく言っていて、そして口癖のように「騙すな、騙されるな」と言われたものだ。
そして最後には、必ずといって良いほど「そのためにも、相手をよく見れ」と言われていた。
私はこれまでの事を考えると、シェランさんとリュト、そしてダレフさんに出会えたのは幸運だったのかも知れない。
そんな事を考えていた時に、寝室から化粧を終えたシェランさんが現れる。
「ほら、小娘さっさと行くよ! グズグズしたら承知しないからね!」
元の怖いシェランさんに戻っている。
私は蛇に睨まれた蛙のように動くことが出来ず、キノコの精霊さんと一緒になって、頭だけをコクコクと上下に動かす事しかできなかった。
私は本当に幸運なのだろうか……
もしかしたら、気のせいかも知れない……
これからの投稿は「漬け込む」ことの無いようにしたいですが、作者はいい加減なので分かりません。