2章 十七話 金剛石の頭
あまり見返していないからおかしいところがあるかも……
(うぉい! 起きろ)
誰だろう……
(おい!)
シェランさんの声?
まだ、もうちょっとだけ……
だってまだ眠い……
昨日は…… 昨日!?
いや、昨夜はシャムドさんの!
私、寝ている!?
そこで私は突発的に上体を起こした。
「ヴッ!!」「ガッ!!」
頭に衝撃が走る。
っ痛〜! 頭に何かぶつかった!?
頭に手をやりながら目を開く。
そこには、静かな目で見ているシャムドさんと少し驚いた顔のカーラさん、そして呆れ顔のリュトとダレフさんがいた。
「こんのぉ〜 石頭め」
床の方から声が聞こえる。
見ればシェランさんが床の上で屈んでうずくまっていた。
さっきの声はシェランさんのだったんだ。
「あの、シェランさん……」
シェランさんは顎のところを手で押さえてこちらを睨んできた。
間違いなく先ほどの衝撃の原因だろう。
シェランさんの殺気じみた眼力は、早く何か言わなきゃという思いを掻き立てる。
だから脳裏に浮かんだ言葉を、ただそのままに発する。
「おはようございます」
シェランさんの顔がみるみる変わる。
「他にいう事あるだろう!」
いつもと違い雷鳴のような怒声ではなく、怒りを抑えたような震えた声で、私を睨みつけた。
え? え?
まだ自分自身の頭がハッキリしていない感じがする。
思った以上に頭が回らない。
いつもと違うシェランさんの態度も、混乱に拍車をかけていた。
そんな時にリュトの声がかかる。
「違うだろメテル。もう昼に近いぞ」
言われて気づいたが太陽が高いとこにあるみたいだ。
私は慌てて言い直した。
「あの…… こんにちは……」
そんな私にシェランさんは大きすぎるため息をついてぼやく。
「はぁ、お前は…… もういい」
いまさらに気づいたのだが、見ればシェランさんの顎のところに精霊さんの髪飾りの痕がくっきりと残っている。
そして私はソファーの上にいて、膝下にシーツがかけられている。
明け方とともに私はいつの間にか眠ってしまったらしい。
「ごめんなさいね。起こすのが忍びないと思って」
カーラさんの言葉に小さく「いえ」と答える。
シャムドさんもカーラさんもどこか笑顔をふくめた表情で怒ってはいないようだけど、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「さぞかしいい夢を見てたんだろうな? え?」
引きつった笑いのシェランさんを目の前に、乾いた笑いしか出てこなかった。
そうか、シャムドさんがいるから怒鳴るに怒鳴れないんだ。
それでも怒っているのは伝わってくる。
それもかなり……
生唾を飲み込むと同時に出来るだけ笑顔を浮かべ、心の中で口には出さずに言葉を返す。
(皆さんの御前ではしたないですわ、お姉様)
すると急に、シェランさんは鋭い目で言い寄ってきた。
「あ゛っ! いま変なことを考えてないか?」
(こっ、心を読まれた!?)
額の血管が浮かびあがってピクピクと痙攣している。
蛇に睨まれたカエルはこんな気持ちなんだろうか?
み、身動きが出来ない!
私は笑顔のまま、内心脂汗をかいていた。
「姐御も落ち着こうぜ」
そんな私とシェランさんのやりとりを見かねて、あきれた口調でリュトがそう言うと、続けてシャムドさんが口を開いた。
「先ずは食事をとるとよかろう」
シャムドさんの声でシェランさんは顎をさすりながら、憮然とした表情のまま引き下がる。
替わりに澄ました表情のフラルさんがキャストを持って現れ、給仕をしだした。
食事は特別豪華という程では無いにしろ、食器類はきらびやかで、シェランさん達の目の前で頂くのは気が引ける。
だけど、その思いに反して、美味しそうな匂いを嗅いだせいかお腹が小さくクーと鳴った。
私は赤面したまま肩を小さくして食べはじめる。
お腹は空いているんだろうけど、緊張してなんか味気ない。
こちらに背を向けたシェランさんから、威圧のようなものも感じるせいもあるだろう。
「昨夜起こったことは先ほど伝えたが、何かしらの見識があれば伺いたい」
スープを口にする私を横目に、シャムドさん達は昨夜起こった事について話し始めていた。
「インプと思われる怪異とバンシーが同時に現れることなど、冒険者ギルドの中でも聞いたことはありません。そもそも、そのいずれの怪異すら十数年に一度、風の噂に聞く程度で信憑性のあるものなどほとんどがありませんので」
シェランさんは冒険者ギルドを代表しての立場もあるだろう、緊張した面立ちで自身の見解を述べる。
そしてシェランさんはそのままダレフさんの方へ顔を向けた。
それに対してダレフさんは首を横に振る。
「わしもそのような話は聞いたことは無い。じゃが、インプとは厄介なもんが現れたもんじゃな」
みんなの顔がダレフさんの方へ向く。
そしてすぐにリュトが声を上げた。
「ダレフのおっちゃん、インプにあったことあるのか?」
それに対し、ダレフさんはリュトをひと睨みした後に「ずいぶん昔に話を聞いたことがあるだけじゃ」と答えを返しただけだった。
「まぁ、そのような事象に詳しいと思われる人物がいないわけじゃ無いが……」
シェランさんの言葉を合図にシェランさん以外のほぼ全員が、私の方に顔を向ける。
それに驚き、思わずパンを喉に詰まらせてしまった。
「ングッ!」
く、苦しい……
悶える私にフラルさんが慌てて水を差し出した。
「まぁ、あてにするもんじゃない」
差し出された水を飲みつつ「当たり前じゃない!」と心の中で叫ぶ。
だけど、シェランさんのその言葉に、無言で頷くリュトとダレフさんには、ちょっとへこんだ。
「どうする姐御」
リュトがシェランさんに問いかける。
「バンシーを相手にするつもりで色々用意したけどよ」
見ればリュトの持っているバッグは膨らんでいて、何らかの草花などが少しはみ出している。
多分、魔除けなどシェランさんが使う香瓶の中身の材料だろう。
「…… 」
シェランさんは考え込んで黙ったままだったが、おもむろにこちらに振り向いた。
「おい、石頭。食ったか?」
ひ、ひどい…… そりゃ急に起き上がったのは悪かったけど、悪気があった訳じゃ無いのに……
そう、思いながらも返事をする。
「はい」
「ちょっと来い。聞きたいことがある」
しかし、食べ終わったと同時に振り向くなんて、この人は背中に目がついているんだろうか……
そんな事を思いながらシェランさんの横に行くと、改めて昨夜の事を聞いてきた。
「渡しておいた魔除けの香瓶は使ったか」
「はい、日が暮れてすぐ……」
「まったく効果がなかったのか?」
「庭のテーブルの上に置いてたら、林の中の離れた茂みから闇の妖精が現れたんだけど、そうしたら魔除けの香の煙の中からバンシーが現れて……」
「何だって??」
シェランさんは目を大きく見開き、信じられないといった表情を浮かべる。
「青白い煙の中から、こう、モワッと」
私の話を聞いたらシェランさんは手を口元に当て、また黙りこくってしまった。
「その後すぐにバンシーが叫びおった。それに当てられたセレンとフラルが倒れ、その直後に稲光が起きてインプとバンシーはかき消えたよ。しかし、いま思えば不思議で強い光りだけで雷鳴はしなかった」
合わせてシャムドさんが状況の説明を加える。
あの閃光は精霊さまが引き起こしたものだけど、いまは黙ってておこう。
「その後にダレフさんが来てくれて……」
「わしらのお守りとしておる黒曜石の細工物を渡しておいたのじゃよ」
ダレフさんの声はいつもと変わらない、だけど心なしか元気が無いように見える。
ところで、私の村でも黒曜石はお守りとして使われていた。
黒曜石が黒いのは夜の闇を含んでいるため、煌めく光沢は星の光を閉じ込めたからとされていて、暗い中においても明るい未来に導き、幸運をもたらすと言われる。
「だが小狡い小悪魔は黒曜石の光りを嫌いはするが、特に苦手だというものでは無いらしいのでな」
妖精族のドワーフであるダレフさんの言葉は、私が村のオババから聞いたことと同じだった。
黒曜石に限らずお守りは亡霊や悪霊など、実態がより希薄なの者には寄せ付けない効果があるが、人の目に写し出されるほどに実体化したものにはあまり効果が無いと教えてくれた。
「私の魔除けの香も似たような感じなのか…… 、だが、魔除けの香の煙からバンシーが現れるなどとは思ってもみなかったな」
それは確かにおかしな感じはする。
何というか違和感があるんだけど、それがハッキリしない。
嘆きの精霊は確かに悪しき精霊では無いとされている、だけど常世の存在とは言い難く、その存在は霊的なものに近いとされている。
霊的な存在には香や煙の出る魔除けが効くとされていて、だから鉱山の時のグール以上には私も効果があると思っていたんだけど……
そういえば私の精霊さんは大丈夫なのかな?
そう思ったら「臭い!」という意識が流れ込んできた。
どうやら苦手ではあるらしい。
「けどキャロルは昨夜はぐっすりとよく眠れていたわ、きっとそちらから頂いたお守りのおかげね」
カーラさんはそう言ってダレフさんに微笑む。
そんなカーラさんの隣にはちょこんと座るキャロルちゃんがいる。
可愛いんだけど、彼女はずっと無表情でカーラさんの言葉にもあまり反応していない。
この子もかなり辛い経験をしているみたいだけど、笑えるようになって欲しい。
そんな事を思っていると、キャロルちゃんが私の方をじっと見つめ出した。
私は笑顔を返すのだけどキャロルちゃんは笑いもせず、ただじっとこちらを見ている。
「そう言ってくれるのはありがたいのですが、正直、効果的な手立てが思い浮かびません。私も嘆きの精霊に対するものは、知る限りで用意したのですが……」
シェランさんの言葉のあと、リュトが持っているバッグを机の上に静かにおいた。
「…… なぁ姐御、ギルドに連絡したら……」
呟くように言ったリュトの言葉にシェランさんは首をふる。
「いや…… 時間が無い」
闇の妖精、インプに関しては手立てが無いようだ。
この部屋の空気が沈む。
「ふん! 小狡いヤツも辛気臭いヤツも、まとめてぶん殴ってやるわい!」
そんな空気を吹き飛ばすが如く、ダレフさんが大きく髭を揺らした。
それを見たシェランさんは力なく小さく笑うと、シャムドさんに向かい静かに口を開く。
「どこまで出来るか分かりません。ですが、出来るだけの事をさせて頂きます」
シャムドさんはそれを静かに聞いていたが、そのシェランさんの言葉に答えたのはカーラさんだった。
「ええ、私たちも覚悟はしています。これ以上に無いほどにね……」
シェランさんはそのカーラさんの言葉に顔を下げる。
これほど気落ちしたシェランさんは初めて見る。
私は思わず、昔、お爺さんから教えてくれた事を口にした。
「私を育ててくれた人が教えてくれた事があります。この世は分からないことばかりで、必ず正しい一つの答えなど稀で、絶対など無いと言ってました。それは逆にいえば難しくとも解けない問題も無いとも…… だから、柔軟な思考、考え方が大事だと……」
そこまで言うとシェランさんは私の方に振り向き「ああ、そうだな」という小さな返事をした。
その時少し笑ったようだったので安心したのだけれども、次には彼女の瞳は鋭いものになっている。
「リュト、荷物を持ってきてくれ。準備をしよう」
そして、シャムドさんに向かって礼をする。
「シャムドさま一度ここを離れます。陽が暮れるまでにまた訪れます。秩序と安寧の時が訪れますよう願いを込めて」
貴族に対しての言葉をなぞると、彼女は部屋の扉の方に体を向ける。
バッグを担ぐリュトに私もついて行くのが良いのか悩んでいると、それに気づいてかシェランさんが私に話しかけた。
「来てくれ。力が必要になる」
その表情に余裕は無さそうだ。
「は、はい」
私は返事の後、シャムドさん夫妻に向かってお辞儀をすると、シェランさんの後に付いて、部屋から出ていった。
その部屋から出るときにカーラさんの方を何となく振り向いたのだけれども、変わらず一点をジッと見つめるキャロルちゃんの瞳がとても印象的だった。
どんな事を物語として書いていたか忘れつつある……