2章 第十五話 闇に堕ちたおとぎ話
私の村の数ある伝承の中には、黒い影についての言及しているものがある。
それはある妖精の話に由来していた。
私は深呼吸をすると、ゆっくりと口を開いた。
「あるところに妖精たちが住む森がありました。
そこに住む妖精たちはキラキラと光りを放つ鮮やかな羽を持っており、とても美しい妖精たちでした。
元々妖精は悪戯好きですが、その妖精の中に他の妖精と比べても特に好奇心旺盛で、良く人を驚かせては妖精の女王様からお叱りを受けている一羽の妖精がいました。
だけど、その妖精は怒られても怒られても、すぐに怒られたことを忘れてしまい、似たような悪戯をしては、また叱られてしまいます」
ここまで語ってシャムドさんの様子を見る。
くだらない話だと思われてはしないだろうか?
シャムドさんはすぐに顔を向ける。
「どうした? 続けたまへ」
「はい」
良かった、どうやら不快には思われていないみたいだ。
私は目をつむり、村で聞いた伝承の続きを記憶からなぞる。
「その妖精は変わらず、森に迷い込んだ人を困らせたり驚かせたりします。
また、仲間の妖精が持っている食べ物や珍しい物など、多くのものを欲しがりました。
それが段々と過激になって行き、自ら人の村に近付いては悪戯の限りを尽くします。
ある時。妖精の女王様はその妖精を引き止めました。
『人の村に出向いてまで悪戯をしてはなりません。やり過ぎです。あなたは自分の変化に気付かないのですか?』
でも、その悪戯好きの妖精は答えます。
『何も変わらないよ、みんなと同じで目がある、耳がある、手足があって羽根もある。今までと同じさ』
それを聞いた妖精の女王様はガッカリした様子で、その妖精に言います。
『とにかく、これ以上人間に近付くのは辞めなさい』
その妖精はそっぽを向きながら『はーい』と返事をしました。
ところがその妖精はいう事を聞かずに人間の住む村へと行きます。
そして、ある村の子供に喋りかけ森へと誘いかけました。
その子供は、本当は大人から森に行くなと言われていました。
ですがその妖精はあまりにしつこく、そしてその子が大事にしていた綺麗な石を奪い取ってしまったので、その子供は妖精を追いかけて森の中に入ってしまいます。
その結果、子供は森の中で崖から落ち、命を失ってしまいます。
その妖精は村に戻って悪びれた様子もなく言いました。
『つまんないの。あの子、崖から落ちて死んじゃったよ』
村では居なくなった子供を探して大騒ぎになっていた最中にです。
「なんだって!」
「お前が連れ出したのか!」
「死んだとはどういう事だ!」
村人たちは怒りました。
『なんだよ、ボクが悪いんじゃ無い。羽根もない、飛べないあの子が悪いんだ』
その妖精は自分が侵した罪も分からずそう言います。
「縛り上げろ!」
村人たちはカンカンに怒って、武器を手に追いかけてきます。
『人間なんかに捕まるもんか!』
妖精は悪態をつきながらも、大慌てで逃げ惑います。
ですが何故か上手く飛ぶ事が出来ません。
飛ぶことは出来るのですが、自分が思うように真っ直ぐ飛べないのです。
あちらこちらへとフラフラと飛び回りながら、ようやく妖精たちの森へ辿り着く事が出来ました。
しかし、ある木々を境に入ることが出来ません。
入ろうとしたら、どうしても弾かれてしまいます。
すると行きたい方向の森の中から声が聞こえて来ます。
その声は妖精の女王様の声でした。
「お前はもう私たちの仲間ではありません。森に入る事を禁じます」
『どうして!? 同じ妖精なのに!?』
叫びながら森に入ろうとしても、どうしても入ることが出来ません。
後ろから村人たちが迫って来ています。
その妖精は森に入るのを諦め、川沿いに逃げていきます。
その時、川辺にある水溜りに映った自分の姿を見て驚きます。
その姿は以前とは異なってました。
目は赤く、耳はとんがっていて羽はコウモリの羽になっています。
そして何よりも、全身が真っ黒になっていました。
手も腕も全てが真っ黒になっていました。
こうして、その妖精から変わってしまった影のような存在は、妖精の森に入ることも、人の住む村にも近付けず。
森と村の境界を行ったり来たりと彷徨う存在になりました。
ただ、その存在は昔の楽しかった事を思い出して、今でも人を騙したり奪ったりしようとします。
時には命さえも……
これが、私の村に伝わる伝承です……」
それまで何も喋らず黙って聞いていたシャムドさんは、小さな言葉を出した。
「随分と昔に似た話を聞いた事がある……」
そして続けて言う。
「闇堕ちした妖精、確かインプと呼ばれておったよ。私の乳母から聞いたおとぎ話から飛び出して来たやも知れんな」
そう呟くとシャムドさんは目をセレンさんの方へ向ける。
「私は…… 長いこと貴族の勤めというものに殉じてきた…… 故に、カーマインの死は誉れとは思えど、この娘と共に笑顔を浮かべる姿が消えぬ…… 歳をとったものだ……」
シャムドさんは寂しげに言う。
「…… 」
どの様な言葉を掛ければいいのだろう。
ただ、何か言わなくちゃいけないと思い、口を開く。
「あの……」
私の声掛けにシャムドさんの視線が動く。
「その乳母という人から聞いた話しはどの様なものなのでしょうか?」
私の質問に、シャムドさんは昔を懐かしむ様子で話し始めた。
「わしが聞いた話では、悪魔が妖精をそそのかして村の子供を殺めてしまう。そんな話でほとんど同じ内容だったよ。夜ふかししたら、その黒い妖精が現れて連れ去られてしまうとよく乳母に脅されておったよ」
そう言って少し笑う。
「おとぎ話を語り合うのも良いものなのだが、今宵はどうかな。先程の黒い影とバンシーのいずれかはまた出てくるのだろう?」
どうだろう、確信は持てないけど、今夜はもうどちらも現れる気がしない。
「おそらく今夜は現れないでしょう。私の村にある教えでは現世と異なる世界の者たちが人の目に映し出されることは、彼らにとって非常に恥ずべき事で一晩で何度も現れることは無いと聞きました」
「もう大丈夫だと?」
「いえ、勘違いしないでもらいたいのですが、彼らはまだいます。闇に、影に紛れるようにして必ずいます。そしてその影の中から人々を嘲り、騙し、害を成そうとします。ですが、彼らはこの現世にいるはずのない者達、私達が認識するはずのない者達です。彼らを「知る」ことは彼ら「居るはずのない者」と言う意義を失います。私たちが見張っていれば近付くことは無いでしょう。ですが、目を離すと……」
私は途中で言葉を区切り、セシルさんの方に顔を向けた。
たぶん、いや間違いなくあの黒い影の目的はセレンさんだろう。
その時にふと思う事があった。
バンシーは死者の出るところに現れると言うが、彼女の現れるその目的は何なのだろう。
彼女たちは死者を憐れむ為に現れると言われることから、死神のように思われることがあるが、それは厳密には違う。
彼女たちは決して死をもたらす存在では無い。
「いや…… 助かる。にわかには信じられぬ話ではあるが、その信じられぬ話が現に現れている」
シャムドさんの言葉が私の記憶に触れる。
「いえ、少し思い出しただけです」
ほとんどオババの受けうりなんだけど思い出して良かった。
「居るはずのない者達」を語るオババの顔が怖くて印象が強く残っていたんだ。
それと同時にオババから聞いた別の言葉を思い出す。
「それらの者達は人間の枠を超えておる。住む世界が異なるのじゃ。だから『知ること』が非常に困難で、それを無理に知ろうとしてもならぬ。動物が人間を理解出来ぬように人間が彼らを本当に理解する事は出来ないのじゃ」
今ならその事を実感できるように感じる、そしてオババの言葉の続きがこれからの私を示していた。
「それをあえて『知ろうとする』のがわしらの求める魔女なのじゃがな。メテルよお主はどうする? 自分の前に『いるはずのない者』が現れたときよ」
その時に私は「知りたい」と答えたはずだ。
オババは歯の抜けた口でヒョヒョと笑いながら「業の深いことよ」と言ったのを思い出す。
オババの言う「業」というものが何のことなのか分からないけど、そんなオババとの会話があったから、まだ私はこうしていられるのかも知れない。
「魔女と言われる存在になること」それが私の目的だから、私は彼らを「知る」事を求めるべきなのだろう。
次話は未定です。