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2章 第十一話 黒の影 白の影

 小さな音と共に、魔除けの香を封じた小瓶の蓋を開ける。

 その瓶の開いた口からゆらりと(かすみ)が立ち昇り、それは月明かりに照らされ、ほのかに青みを帯びていた。


「……」


 その鼻につく強烈な香りからちゃんと魔除けの香であり、劣化もしていない事がわかる。

 だけど…… これがバンシーに効果があるかなど分からないんだ。

 

 ぬるく湿っぽい風が肌に(まと)わりつくように感じる。

 私はそれを不快に感じながら館の方に身体を向けた。


 月明かりを受けた館の壁が夜の闇に浮かび上がっている。

 不意に見上げると、2階の窓辺に人影があることに気付いた。


 そのシルエットからフラルさんだろう。

 もう、キャロルちゃんは寝たのかな?

 私はフラルさんに向かって小さなおじぎをすると、屋敷の中へ入っていった。

 そしてそのまま居間に向かう。


 開けっぱなしの居間への扉をくぐると、シャムドさんに向かって報告をした。


「魔除けを設置してきま…… まいりました」


 いけない、普段の言い方をしてしまった。

 肩を細める私に、シャムドさんがソファーに座ったまま顔をこちらに向ける。

 その表情は険しく感じる。


「すっ、すいません」


 視線を合わせられる事などできようもなく、私は謝罪の言葉を口にした。

 そんな私にシャムドさんが声をかける。


「よい、その様に緊張してはこのほか疲れよう。孫のような歳の者に気を使わせるのも、こちらも気がひける。普段の言葉を使うがよい」


 シャムドさんの言葉は優しいけど、最初の頃に比べると硬く感じる。

 けど、無理もない。

 貴族なのだとしてもバンシーを相手にした事など無い筈だ。

 シャムドさんも不安なのだろう。

 だからなおさら不用意な言葉を使えば不安がつのる恐れがある。

 それを念頭に言葉をかえした。


「はい…… それで、今から2階に睡魔の香を使おうと思います」


「わかった……」


 シャムドさんの短い返事を受けて、私は軽くお辞儀をする。

 私のお辞儀と同時にシャムドさんはソファーから立ち上がると、何気なく窓辺に移動して窓の外に目を向けた。


 この部屋はいくつかの燭台に蝋燭が少しだけ灯されているだけなのでうす暗く、まだ月明かりに照らされた庭のほうが明るく感じる。


 その時、後ろの方からバタンと扉が閉じる音が聞こえた。

 音はそこまで大きく無く、少し離れた位置からのように感じたので、おそらく2階からだ。

 すぐに誰かが階段を降りてくる気配がする。

 同時にフラルさんの声が聞こえた。


「お、奥さま…… お待ちください」


 声のする方向へ振り返ると、そこには慌てふためくフラルさんの姿と玄関のドアノブに手をかけ、まさにいま出て行こうとするセレンさんの姿があった。


「どうした!何があったセレン!」

 

 私の後ろでシャムドさんの声が飛んだ。

 声のした方向へ顔を向けたら、足早に向かってくるシャムドさんにびっくりして私は慌てて道を譲った。


「あら、お義父さま……」


 セレンさんはシャムドさんの声に驚く様子もなく、柔らかな笑みをシャムドさんに向けた。


「あの人が…… あの人が帰って来るの……」


「えっ!?」


 何を言って……


 そう思った瞬間、セレンさんは扉を開けて外に出ようとする。


「セレン!」「奥さま!」


 シャムドさんとフラルさんの声が同時に飛び、シャムドさんが咄嗟にセレンさんの腕を掴んだ。


「お放し下さい、お義父さま。あの人が呼んでいるのです」


「落ち着きなさいセレン。こんな時間に誰と会うというのだ」


 諭すように言いながらも、暴れるセレンさんの腕をがっちりと掴むシャムドさんの顔は険しい。

 セレンさんは観念したのか暴れるのを止め、茫然とした目をシャムドさんから庭の方へ移し、震える手で指し示した。


 私も近づきセレンさんの指し示す方向へ視線を向けるが、月明かりに照らされたガーデニングテーブルとその上に私がさっき置いた魔除けの香瓶があるだけ……


 おかしい、何か変だ……

 そう思った瞬間、身体全身に悪寒がはしる。

 セレンさんが震えた声を上げる。


「ほら、あそこ。あの人が帰って来たんだわ」


 セレンさんの視線の先、テーブルに置かれた魔除けの香が月明かりを受け、青白く立ち昇っている場所。

 その少し向こうにちょっとした林があるんだけど、その一部分が何か黒い物体で覆い隠されているように感じる。

 ちょうど人の大きさぐらいに……


 間違いなくあれが悪寒の正体だ。

 あれはバンシーじゃない、でもきっと間違いなく悪いものだ。


 その黒い影がゆらりと蠢いた。


「ああ、お帰りなさい。あなた……」


 セレンさんの声が聞こえる。

 私はその黒い影から目を背けることが出来ない。

 セレンさんの声を合図に黒い影ゆっくりと近づいてきているように感じる。

 

 怖い、私はその黒い影に恐怖を感じている。

 だけど横にシャムドさんとセレンさん、フラルさんもいる。

 そして2階には、カーラさんにキャロルちゃんも……


 私がこの人たちを守らなきゃいけないんだ。

 でもどうすれば、あの影は何なの……

 魔法が効くかわからない。

 ポシェットに手を差し伸べ符術の束に手を添えるもどうしたら良いか分からず考えあぐねいていた。

 黒い影はテーブル近くまで近づいて来た。

 

 チキッ


 隣で小さな音がした。

 シャムドさんがセレンさんを右手で掴んだまま、左手で剣の鞘を掴んだのを横目で見る。


「フラル。セレンを頼む」


 シャムドさんの命令にフラルさんは慌てた様子でセレンさんの腰に両手を回して抱きつき、身動きを封じようとしている。


「フラル、止めてフラル。放して」


 振り解こうとするセレンさんに対し、目をつむりながら必死で抑えるフラルさんの横でシャムドさんは身構える。


 黒い影はテーブルのほんのすぐそばまで近づいていて、私は護符を取り出しシャムドさんが飛び出そうとした瞬間に異変が起こる。


 青白く立ち昇っていた魔除けの香の煙が大きく膨らみ、渦を巻き、濃い霧みたいに変貌していったのだ。


 青白く渦巻いたそれは人の形をとる。

 霧で出来た長い髪の女性のようだった。


「バッ、バンシー!?」


 私の脳裏によぎった言葉がフラルさんの口から漏れる。

 すると後ろ姿で現れたそのバンシーは髪を逆立てる。

 次の瞬間!?


ア゛ァァァァ

  ア゛ァァァァ

 ア゛ァァァァ


 不気味で奇妙な声が一帯に鳴り響く。


ア゛ァァァァ

 「キャアッ」

 ア゛ァァァァ


 叫ぶフラルさんの叫び声もかき消されるほどのバンシーの奇声に私も必死に耐えていた。


 頭が痛い! 気が狂いそうだ!


 横のセレンさんとフラルさんが気を失って倒れた、助けないと…… けど、自分も…… もう……

 目を閉じて必死に耐えるけど、耳を塞いでも入り込んでくる。

 私も意識を手放そうかとしたその時、キノコの精霊さんの髪留めが弾け飛んだ。

 その刹那、目を閉じていたにもかかわらず、私は強い光を感じ取った。

 それと同時にバンシーの声がピタリと止んだ。

 張り詰めた糸が切れる感覚と気怠さが押し寄せ、私はお尻からペタンと座り込んでしまう。

 呼吸も荒く全身から冷や汗が吹き出していた。

 シャムドさんも片膝をつき、剣を杖に見立て上半身を支えている。


 気が付くと周りには何もいなかった。

 バンシーもあの黒い影も……

 テーブルの上の魔除けの香が、元の細く揺らめいているだけだ。


「何が起こった?強い光を感じたのだが……」


「私も目を閉じていたので……」


 おそらく精霊さんが何かをやったのだろう、今は髪留めになっているけど私の髪が逆立っている感覚がある。

 何をしたんだろう……

 精霊さんは何も答えない……


 そこに太く低い声が響く。


「メテル殿〜!」


 ドワーフのダレフさんの声だ。

 シャムドさんが疲弊した表情のまま、その声に対して剣を構えようとしている。

 止めなければと思いつつ、視界にとらえた地面に横たわるセレンさんとフラルさんに気づいて、急いで近づき2人の首元に手を添える。

 どちらも僅かに肩が上下に揺れており、身体は温かい。

 気を失っているだけのようだ。


「2人とも気を失っているだけでしょう。今の声は大丈夫です!私の仲間です」


 シャムドさんに口添えすると、ふらつきながらも立ち上がる。

 そして、村の通りに面した門の方へと向かった。


「ダレフさん!」


「精霊使い殿、無事じゃったか」


 そこには片手にランタンを持った、ダレフさんの姿があった。


「獣のような叫びが聞こえたと思ったら雷のような強い光が出たので慌てたぞ」


 髭を揺らしながら喋るダレフさんの姿に安堵を覚える。


「ええ、バンシーがたったいま現れたから」


「なんじゃと!」


 ダレフさんは私の言葉に驚き、慌てて辺りを見まわし警戒する。


「大丈夫です。今はもう消えています」


 うん、今はもう黒い影が現れた時の変な感じはしない。


「そうか…… じゃが、あの声は……」


「失礼。そちらは」


 ダレフさんとの話にシャムドさんの言葉が混じる。

 振り向くとシャムドさんがすぐそこにいた。

 眼光は鋭いままで、刀身は下げているが、まだ剣を手に持っている。

 私は慌ててシャムドさんにダレフさんを紹介した。


「失礼しました。ドワーフのダレフさんです。私の旅の仲間です」


 シャムドさんはそれを聞くと、ようやく剣を鞘に収める。

 そこでようやく私も胸を撫で下ろす。

 そこにダレフさんがシャムドさんの存在に気を留める様子もなく語りかけて来た。


「わしの村で魔除けに使われておる黒水晶を持っておるのに気付いての、気休めかもしれんが持って来たんじゃ」


 そう言ってダレフさんは小さな袋を取り出した。

 私に気をつかってくれたのだろう。

 それには有り難く感じる。

 けど、今の話かたでは貴族であるシャムドさんを無視しているような振る舞いに感じて、私はダレフさんの右手ごとそれを両手で被さるように掴むと、慌てて言った。


「ありがとうございますダレフさん。すいません手を貸してください」


 私の態度に少し驚いた表情を浮かべ、私の髪先と髪留めに目配せをした後、私の後ろを見て不満げな表情を浮かべて言う。


「わしは貴族といわれる連中の事なんぞ知らんぞ」


「で、でも……」


「私からもお願いしたい」


 言いどもる私の言葉にシャムドさんの言葉が被さる。

 それに観念したのかダレフさんは小さく返事を返す。


「…… わかった。あそこの者どもを運べば良いのじゃな」


 ダレフさんの言葉に安堵しつつも、セレンさんとフラルさんが気になる。

 

「はい、お願いします」


 私はダレフさんに感謝の言葉を送ると、足早にセレンさんとフラルさんの元に駆け寄った。


「2人を居間へと運ぼうと思います。シャムドさんはカーラさんとキャロルちゃんの様子を見てきてくれませんか」


「わかった。だが、妻と孫娘の様子はそなたにしてもらおう。ダレフとやらは使用人の方を頼む。セレンはわしが運ぼう」


 そう言うとシャムドさんは軽々とセレンさんを抱き抱える。


「すまぬが扉を支えてくれるか。それから様子を見に行ってくれ」


「分かりました」


 私はすぐさま扉を開け、閉じないようにシャムドさんそしてダレフさんが通り過ぎるまで支えた。


「頼む」


 館に入るのと同時にシャムドさんから言葉がかかる。


「はい」


 私はうなずくと共に返事をすると扉を閉め、2階へ続く階段へと向かっていった。


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