2章 七話 琥珀色の香り
長い沈黙の中でシャムドさんは小さく呟く。
「門兵から嘆きの精霊らしきものが出たと聞いたとき、よもやと思いはしたが……… 神よ………」
こうべを垂れうなだれるシャムドさんの姿を前に、私は何も言えない。
バンシーが現れた以上、何もしなければ確実に死者が出る。
それは間違いない。
だけど中にはバンシーが出たにもかかわらず、死者が出なかった場合もあるのだ。
こんなことならオババを殴ってでも、バンシーの事をすべてを聞き出しておけば良かった。
「代われるものなら代わりたいものよ」
深いため息とともに吐き出した言葉は儚げで脆く感じる。
とても先程まで覇気のこもった言葉を投げかけてた人物とは思えない。
まるで死者の呻き声にも聞こえる………
そう思ったときに思わず口から声が出た。
「ダメです」
声が出たと同時に「えっ!?」と思う。
それは自分自身に対しての気持ちだった。
シャムドさんの弱気な言葉を振り払おうとしたら、声が出てしまった。
「バンシーが出てもすべてにおいて死者が出たと言うわけではありません」
ひー!! みんな見ている。
あ、後に引けない。
「私は生まれた村でバンシーについて学んだことがあります」
はい、あります。
けど、そのときに教えてもらった事は“関わるな”でした。
「おお! それでは!」
笑みを浮かべながら近づき、私の手を取るシャムドさん。
止めて、お願い、ごめんなさい、手立てがあるわけじゃ無いんです。
誰か私を止めて。
真摯な表情の裏で、私は心の内にある自身が盛大にタラタラと冷や汗をかいているのを自覚する。
その時………
視界の片隅でシェランさんが小さく咳払いをする。
シェランさんが私に向かって小さくうなずき、目で合図を送ってきてくれる。
流石シェランさん、今の私の気持ちを汲み取ってくれたらしい。
お願いします! シェランさん!
真っ向から私の言葉を否定して下さい!
そしてシェランさんは、この部屋に充満する沈痛な空気を払拭するかのような爽やかな笑顔で言った。
「この子は不思議な力を持っています。必ずあなた様の力となるでしょう」
カッ! と稲光が走る。
だっ、誰がそんな事言えと言った〜!
ああ、口から何かが抜けていく。
「ただし予断が許される状態では無いのが本音です。いくつかの準備が必要となります。そちらへお返しする荷物もありますし、私とこの者は一度、宿に戻ります」
そう言ってシェランさんはリュトに顔を向ける。
そして私の方は見ずに、シャムドさんに再び向き合った。
えっ!? 私は………
そう思った矢先にシェランさんは私の方に顔を向ける。
「できればこの娘はここに残り、より詳しく状況を確認するための協力をお願いしたいのですが………」
「おお、それはもちろん!」
えっ!? えっ!?
どう言うこと!?
私だけここに残れってこと?
ウソでしょ?
リュトも人ごとのように、そんな不憫そうな目で私を見ないで!?
そしてシェランさんはポンッと私の肩に手を置きこう言った。
「私としても“この娘に言われるまでも無い”、憂慮すべき案件ですので協力をさせていただきます。それではよろしいですかね」
肩を掴む手に力が入っていて痛いのです、それに青筋立てたまま笑顔を向けられると怖いですわ、お姉さま。
「は、はい〜」
気迫に押され、そうとしか言えない。
そんな私に対しシェランさんは一度大きく深呼吸をすると、ローブの中から二つの異なる小さな小瓶を取り出した。
「これを渡しておく」
以前、鉱山で使っていたやつだ。
確かあの時は魔物を寄りつかせない香油を使っていた。
「白は魔除け、青は鎮静の効果。魔除けは効くか効かないか分からないが、鎮静の方はこの家の者たちに必要になるだろう。今夜も来ると思った方がいい」
き、昨日もそんなに寝てないのに……… いえ、何でもありません。
そんなに顔を近づけないでくれますでしょうか? お姉さま。
「一つ言っておく。バンシーが現れても必要以上に恐れるな」
その言葉に「えっ!?」と思うと同時に不満が出てきた。
あんな不気味な悪霊のような存在を“恐れるな”なんて無理だし、こんなところに一人にさせようとする人がなに勝手なことを言うのだろう。
段々と腹が立ってきた。
そんな私の様子を感じ取ってかシェランさんの言葉がやや強みを帯びて帰ってきた。
いや、そんな生やさしい物じゃない。
明らかに空気が変わる。
「いいか! 自分の発言には責任を持て。その責任の取り方を考えろ。それが出来ないとは言わせない。明日までにすべきことをせず恐れているだけだったら、私が代わりに火炙りにしてやろう!」
最後の言葉の部分で背筋がゾクリとした。
本気だと思った。
そしてそのとき気づかされた。
ふざけているわけじゃないけど、どこか楽観視している自分を自覚させられて……… 恐怖させられた。
「失礼、お見苦しいところをお見せしました」
身を返しシャムドさんに対し謝罪の言葉を述べるシェランさん。
私はうつむき、何も言えなかった。
「ーーお嬢さん」
その声にハッと顔を上げる。
そこには笑みを浮かべるシャムドさんがあった。
「隠居した身の上ゆえ、貴族としての立ち振る舞いはせぬつもりだから安心したまえ。だが………」
ゆっくりとあやすように語りかけてくるシャムドさん。
「今後、貴族との会話の時は相手の立場を踏まえなさい。彼女の話は決して誇張などではないんだよ」
「……… はい」
自分の浅はかさに打ちのめされる。
小さく返事をする事さえ憚れる思いだ。
見つめる床の模様が滲む。
「晴れ間が見えてきたね。濡れずにすみそうだ」
シェランさんのそんな声が聞こえてくるけど、それは霞がかかったように希薄に感じ、意味のない言葉の羅列としか思えない。
私に出来ることは、変わらず床を見続ける事だけだった。
そんな私の横にリュトが近づく。
もうイヤだ。
こんな私、見られたくない。
身体はそのままに私は顔を背ける。
「まっ、学んだと思えばいいさ。あんまり気にすんな。明日来るからな」
そんな私の態度に気をとめる様子も見せずに、いつもと変わらないリュトの声が背中越しに聞こえた。
だけど私は返事する気になれない、コクンとだけうなずくのが精一杯だった。
「さあ、お嬢さん。可愛い顔が台無しだよ」
そんな私にカーラさんが呼びかけ、私の肩にそっと手を添えてくれる。
「何かあれば、この村の宿屋にいますので」
シェランさんもリュトもこの部屋から退出の様子を見せる。
その様子を感じ取りながらも、視線を上げることが出来ず、不安な気持ちが沸き起こる。
けど、これは自分が蒔いたことだ。
耐えろ!
スカートを掴みギュッと握りしめる。
そこでようやく私は視線を真っ直ぐに見据え、2人を見送る。
部屋を出て行く2人。
不安を感じながら見つめるなか、リュトは部屋を出る直前に私の方をチラッと見る。
だけど何事も無かったかのように顔を戻すと、部屋から姿を消した。
ー ー ー
2人がこの家を離れた後、私はカーラさんの入れた紅茶をご馳走になっていた。
「メテルさん、おかわりいかがかしら?」
「あっいえ、もう………」
白磁のカップに注がれた琥珀色の液体から、良い香りが立ち昇る。
気持ちが落ち着くようにと淹れてくれたのだけれども、味の方は分からない、いや美味しいんだとは思うけど、こんな貴族が飲むお茶なんて一体いくらするのだろう………
「遠慮することはないわよ?」
「いえ……… 美味しかったです」
チラリと床も見る。
敷いてある絨毯も豪華なものだ。
これにお茶を溢しでもしたらとんでもないことだ。
けど、そんな事を思えるほどには、先程より気持ちの方は落ち着いているのだろう。
カーラさんがティーポットをテーブルの上に静かに置くと、私にゆっくりと語りかける。
「ごめんなさいね、お嬢さん。主人が驚かせてしまって」
「と、とんでもないです!」
慌ててカーラさんに言葉を返す。
カーラさんは2人が去った後、シャムドさんは一度はこの部屋に戻りドカリと元の椅子に座ったのだが、その様子を見たカーラさんが「そんな態度ではこの娘が萎縮してしまいます」と退席させてしまったのだ。
非常に申し訳なく思ったのだが、その時でもカーラさんは私に「気にしなくていいわよ。まずはあなたの気持ちを落ち着かせなさい」と言ってくれたのだ。
「そう、それじゃあ、少しお話ししましょう。私たちとあなたのことを……… ね?」
「はい………」
優しく微笑みかけるカーラさんのおかげで、ここから逃げ出したいという気持ちが、だいぶ遠のいている。
まったく無くなったわけじゃないけど。
「あの人が言った『不思議な力』って?」
「あう、そ、それは………」
いきなり答えにくい質問がとんできた。
ダルフさんの言う「精霊使い」の言葉も浮かんだのだが、シェランさんがわざわざ「不思議な力」と言葉を選んで言ったのだ。
これはやっぱり出来るだけ隠せと言うことだろう。
「たまに、誰もいなのに……… 声が聞こえたりする時があって………」
「あら? あなた精霊の声が聞こえるの?」
全身がビクッとして背筋がピンと伸びる。
「い、いえ。それが精霊かどうかもわからなくて………」
「そう………」
少しガッカリした様子のカーラさん。
ごめんなさい、バンシーはわからないけど月の精霊さんなら見えます。
っていうかキノコの髪留めに化けてて、あなたにも見えています。
「私もあなたには不思議な感じを受けるのだけれも」
「すいません………」
謝る私もカーラさんはどこか普通の人とは違うように感じられる。
どう言ったらいいのだろう………
“懐かしく安心できる”
そんな気持ちになるのだ。
「ええ、気にしなくていいわ。私もようやく落ち着いたところだから。ゆっくりと話しましょう? ね」
カーラさんは私の対面の椅子に腰掛けると、優しげにそう言った。
その時なって私はカーラさんが淹れてくれた紅茶が美味しかったんだと思いはじめた。
ティーカップからゆらめきながら立ち登る、香りの精霊に微笑みかけられたように感じた。
ようやく私は忘れていた笑顔を浮かべることができたのだ。
申し訳ないです。
話の展開がなかなか思いつきません。
次話もちょっと時間がかかりそうです。