2章 第三話 バンシー
嘆きの精霊。
それが現れたところには死者が出ると言われる。
精霊とはいうが、死を知らせると言われるところから忌み嫌われ、悪霊の類にされている事が多い。
少なくとも私の精霊さんとはまったくもって別物だ。
まず第一に私の精霊さんはかわいい。
「女将、ちょいと見てくるよ。嬢ちゃん行くよ」
シェランさんはそう言って、今来た出入り口の方へ進んでいく。
小用を片付けるような言いようだけど、シェランさんのその表情には緊張が見られる。
女将さんは怯え、返事らしい返事はできそうに無い。
コクコクとうなずき小さな返事をするだけが精一杯のようだ。
「は! はい!」
気は進まないが、シェランさんに呼ばれて私も着いていくことにした。
同時に宿の扉が開き、リュトがここの店主を肩に担いで現れる。
「姐御! バンシーだ!」
「ああ、どこだ? どこから聞こえてきている?」
「門とこの宿を結んだ線より右側、山手の方だ。そんなに遠くない。親父さんここでいいかい。俺も行く」
親父さんの返事の代わりに答えたのはダレフさんだった。
「ワシはここに残る。危険では無いにしろ、あの連中を目にすると気が滅入るのでな」
生者には問題は無いとされているが、気持ちは分かる。
出来れば一緒に着いてきて欲しいけど、心底嫌そうな顔をしている。
声を聞いたとき少し狼狽えていたが、ダレフさんも私と違って初めてというわけでは無さそうだ。
「わかったよ、2人とも行くよ!」
シェランさんは簡潔に返事をすると宿の扉をくぐった。
私もそれに続く。
宿の前の道で辺りを見渡す。
その時でもバンシーの声は鳴り響き、身体にまとわりつく感覚にさえなる。
いや、身体というより心にだ。
まるで心臓を触られているか、掴まれているように感じる。
「あっちの方からだね」
リュトの言った通りバンシーの叫びは山手の方から聞こえてくる。
軒先から(勝手に)借りてきたランタンの光りを頼りに進んでいく。
そして、小高い丘の上に差し掛かろうとした時、それはいた。
暗やみに紛れてすすり泣いている。
バンシーは一体だけ、だけど声だけは複数聞こえる。
その声は地面の下から湧き出てくる感じがする。
薄暗くてよく見えない。
目をこらして見ると、道端に座り込み腕をブランとぶら下げ無気力な感じではある、顔を斜めに上げすすり泣いている。
その姿は、揺らめく瘴気のせいで若い女性にも老婆にも見える。
不気味だとしか言いようがない、人を襲うことは無いと言うけれど……… 来なきゃよかった。
そのとき、シェランさんが一歩前に出る。
「どこだ」
バンシーに向かい、ただそれだけ言った。
すると、バンシーはダラリと下げていた腕がゆっくりと動かし………
そして、一軒の家を指さした。
ちょっとしたお屋敷のような家で、一つの窓だけ光りが灯っているけど他の窓は暗いままだ。
(あそこの家の誰かが……… )
そんなことを思っていたが、気を取り直して再びバンシーの方に目を向ける。
だけどそこには……… もう誰も、何も無かった。
「シェランさん………」
「ああ、何もしなければ、あの家から死者が出る。しかし、あの家は貴族じゃ無いにしても位の高い人のものだな、明日に伺おう」
「姐御、明日で大丈夫なのか?」
「わからん。だが伺って相手が病人だったら、手の出しようがない。かえって家族と何より本人の期待を裏切る形になりかねない」
その言葉にリュトと私はうなずく。
そして私たちは足を宿の方に向けた。
その帰りでリュトがシェランさんに聞いていた。
「なあ、姐御。バンシーって何なんだ? 人によっちゃあ死神だの悪霊だの言うけど、この場合俺らには何も影響が無いんだろ?」
そう、バンシーに遭ったって死ぬ訳ではない。
死ぬ人に遭遇する事にはなるが………
「……… 嬢ちゃんはどの様に聞いてるんだい?」
シェランさんはリュトの質問には答えず、間を置いて私に降った。
私もこれが初めてなんだけど、一応は村で教えてもらっている事ではある。
「私は村でバンシーは悪霊では無いと教わりました」
私はまずその存在を簡潔に答えた。
そして私が村で教わったことを、そのまま述べる。
「バンシーは失いかけた魂の元に現れる。救われるべき魂を教えてくれる存在であると。私は村の長老からその様に教わりました。それと………」
「救われるべき魂ねぇ。そりゃあ死んじまったら周りの連中も悲しむからな。助けられるなら助けた方が良いけどよ、難しいって聞くぜ。なぁ姐御」
それと何だっけ? 話の途中でリュトが喋ってきたから、何て言うつもりだったのか分からなくなっちゃった。
ああそうだ、悪霊では無く、とり殺されるという事は無いにしろ無闇に近づか無い方がいいと、近づくには覚悟が必要だと言っていた。
あうぅ……… 会っちゃってるよ………
「……… ああ、そうだな」
また同じように少しの間を置いてシェランさんが返事をする。
けど、そんなことより村で教わったことを忘れてた事がショックで頭が痛い。
救われるべき魂って言うから邪悪なものじゃ無いって思って失念してた。
いまさら言えないし………
か、覚悟って何の事だろう。
うぅ、嫌だなぁ。
そうこうしている内に宿屋に着く。
リュトが借りていたランタンを戻すべく、軒先にぶら下げ、それを確認したらシェランさんが宿屋の扉を開けた。
途端に私たちは煙に巻き込まれる。
「うわっ!? なんだ!」
「ゲホッ! ゲホッ!」
初めはビックリしたけど匂いですぐに分かった。
この煙、お香だ。
「戻ったようじゃな。ゴホッ」
煙の中からダレフさんの声が聞こえる。
「ダレフのおっさん! これは」
「ここの主人が魔除けと言ってのぅ。香を大量に焚きおったわい」
気持ちはわからなくも無いがこれは………
「やり過ぎだよ! 窓を開けな!」
バンッ! バンッ! と勢いよく宿屋の窓が開いていく中、私たちの前に手ぬぐいで顔を覆った宿の主人が現れる。
「ああ、せっかく焚いたのに………」
「焚きすぎなんだよ! このスカタン! これじゃあたしらが燻製になっちまう!」
これはいくらなんでもやり過ぎだし、バンシーにはお香など意味は無い。
「ほれ、言ったじゃろう」
ダレフさんが宿の主人にしたり顔でそう言う。
そんな顔をするくらいなら、もっとしっかり教えてやって欲しい。
「おっさんもこういうのは、推しが弱いんだな。しっかりしてくれよ」
「面目ない。人のやり方は疎いのでな」
そうかも知れないけど、普段のダレフさんからは想像が出来なかった。
シェランさんも半ば呆れ気味に言う。
「あー、もういいよ。煙を逃したら食事にしよう。そしてご主人、話がある」
そうだった、バンシーのせいで忘れてたけど、ご飯を食べてないや。
そう思った瞬間、私のお腹はクーと鳴った。
宿屋の酒場に温かなスープとパンが運ばれてくる。
シェランさんとダレフさんはそれにエールがついてきた。
いつもは豪快にジョッキを二人とも傾けるのに、今日は流石にそんな雰囲気では無い。
「ご主人単刀直入に言う、丘にあるお屋敷には誰が住んでいる?」
「あまりよその者には言えないんですが………」
スープをすすりながら、シェランさんと宿の主人の会話に耳を傾ける。
ご主人はダレフさんをしきりに気にしている様だ。
「大丈夫だ。私たちはトロンの冒険者ギルドの者だ。荷物を見ただろう、任務でこの村にきた」
「盗賊の類ならあんな荷物なんか運ばねーよ。ココ村に連絡取れば分かるぜ」
シェランさんとリュトの言葉にご主人は少し安堵したようだ。
私とダレフさんは冒険者ギルドとは関係ないけど、ここは話を合わせておこう。
「はぁ……… それでしたら」
「あの家は村の建物としては立派だが、貴族のものか?」
「へぇ、貴族といえばそうなんですが、昔にココ村の出の娘がとある騎士に見染められてその騎士と結婚したのです。その者があそこの館に住んでおります。余談ですがその騎士さまは大変忙しくてなかなか帰ってこれないらしく、知らぬ街では寂しかろうとココ村に近いこの村に、その者を住まわすようになったのです」
「ココ村では無く?」
「この村は貴族の方の別荘地にもなっているんです。比較的新しい村でして」
それで立派な家が多いと言うわけなんだ、村の門番も自衛団などでは無くれっきとした兵士さんたちだったみたいだ。
「話を戻すぞご主人。それでその家には他に誰か住んでいるのか? 出来れば名前も教えてもらいたい」
ご主人はシェランさんの質問に対してやはり乗り気では無いらしく、彼の奧さんの顔色を伺いながらポツポツと口を開く。
閉鎖的に感じるけど、これが普通なんだろう。
「あそこには、いま話をした方となるセレン夫人と七歳のキャロルという子供がいます。そしてフラルという若い娘の使用人が住んでおります」
子供……… がいるんだ。
その時、ご主人に対して女将さんが声をかける。
「あんた……… キャロルのこと………」
「ああ、それもいま話す」
シェランさんがその言葉を拾い、改めてご主人に聞いた。
「そのキャロルというお子さんに何か気になる事でも?」
「はぁ、実はそのキャロルという子供は養子でして………」
そしてご主人は続けて言った。
「言葉が喋れないんです」
話の展開すっごい悩んどります。
2章も出だしの物語で間話のつもりなのになぁ。