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第八章


「僕の友人であり、僕の代わりに書いてくれた……リップス・フォン……に心の底から感謝する。どんな状況になろうとも、彼を責めるつもりはない。たとえ記憶がなくなろうとも、僕の人生は幸せであったことをここに記しておく………………」

 どうやら、この記述は誰かの想いを代筆したものらしい。肝心の名前はインクが滲んだのか読めない。

 

 一五二三年――ママの想い


物心がついた頃から、なぜか僕は蔑まれてきた。自分が他の子と違うとは薄々感じていた。同じように話したり、覚えたりすることが上手くできない。どうして一人だけ違うのか、解らずに、もどかしい思いだけがいつも残っている。

 みんなの笑い声が聞こえてきては気を引かれた。鬼ごっこをしている彼らにお願いして仲間に入れてもらおうとするが、みんな逃げていってしまう。

「アーアーアー」

 いくら大声で叫んでみても、背を向けたまま彼らは遠くまで走っていく。同じように速く走れない僕は、後ろ姿を見ているだけしかできない。大木の立った脇道にさしかかると振り返った。

「おーい、のろま! 仲間に入れてほしかったら、ここまで来いよ。あははははは」

 彼らと一緒に遊びたい。けれど、普通と違うというだけで友だちができない。自由に走り回れるみんなが羨ましい。浮かんだことを自由に伝えきれなくて悔しい。

 ママは僕のことを本当は恐れていた。顔には出さないけれど、僕はママの心を感じることができた。僕が悪魔の子ではないかと不安になり、ママは何度も教会に通って神父様に懺悔をしていた。神さまのことはよく理解できなかったけれど、ママが寝る前に僕に寄り添って祈ってくれる時間はとても幸せだった。幸せな時間を運ぶ天使は、悪魔となることも僕は知った。

 ママは僕が眠ったあとで、声を殺しながら泣いていた。ママの涙で、僕は心にこもるようになった。

 いつしかママは教会にお金を持っていくようになった。まったく理解できなかったが、ママは「このお金で僕の罪が軽くなる」といつも言っていた。僕の家族はママだけで、パパと呼べる人は僕の家にはいなかった。貴族でなかった僕らは当然貧乏だったから、ママが教会に行くとすぐにお金はつきてしまう。

「ルイス、心配しなくていいのよ。あなたは思いっきり、友だちと遊んでいらっしゃい。ママは夜もお仕事に出かけるから、夕食をちゃんと食べて、ちゃんと眠るのよ」

 ママが居ない夜、僕は一人で泣いて、一人で泣き止んで、当然一人で眠った。ママが作った料理を食べきるのに時間がかかってしまう。いつもママが食べさせてくれるからだ。最後の方は熱々に温めたスープがすっかり冷えてしまっていた。その冷たさが「ママは帰ってこない」という気持ちを助長した。


 翌朝、僕が目覚めると、ママが食卓に突っ伏して泣いていた。ママは暑かったのか、首元の紐を解いて顔を赤くしていた。髪がぼさぼさに乱れたママに声がかけられなかった。

 ママは僕に気づくと、朝ごはんの準備をするね、と台所に向かった。僕は食卓に残った昨夜の食器を片づけにいった。ママの傍によったとき、後ろから抱きしめられた。

「ごめんね……ママ……朝ごはん、ちゃんとしたもの作れない。ごめんね」

そう謝ったママからは、いつものお日様の匂いがせず、初めて嗅ぐ汗の臭いがした。

 その日も、次の日も、また次の日も。ママは夜、仕事に出かけに行くと、翌朝に泣いている。ママはお昼から農場にいく。お仕事から帰ってくるママを、夕方、農場の入り口で待つのが楽しみだった。どんなにいじめられても、ママを待っている時間が嫌なこと全部を忘れることができたのだった。

 しかし、その幸せの時間もなくなってしまう。

 ママは農場のお仕事が終わると、今度はすぐに夜のお仕事に出かけていった。お仕事の場所は村から離れた市壁の外にあるらしい。僕が住んでいる村から離れたネルトリンゲンという場所の辺りだというが、僕は村から出たことがなかった。いつか行ってみたいと、幼心にいつも思っていた。なんでも都市が円形に作られた場所らしい。

「いきたいーいきたーい」

 一度、そうママにお願いしたことがあった。

「そんなこと言っちゃダメ! 次そんな馬鹿なこと言ったら、ママ怒るからね‼」

悪魔のような形相をしたママは、そういうと僕を家に帰した。家が見えると、ごめんねと呟いてママはお仕事に出かけた。夜のお仕事に行くようになって、ママは僕に謝ることが多くなった。そして僕も悲しい顔を見ることが増えた。自慢の金髪で綺麗な柔らかい髪はボサボサになり、肌のあちこちにできものが増えていった。

しばらくしてルターというおじさんが、教会がおかしいといって怒り出した。それがきっかけで教会にお金を払う必要がなくなったのである。そしてなぜか僕たちの村でも、怒りだした農民の人たちがシックルを武器にして、鉱山で働く人たちはツルハシを掲げた。大人のすることはよくわからなかったけど、大人たちを魅了するなにかがあるようだ。

教会にお金を払わなくてよくなったので、ママは夜のお仕事に出かけなくなった。これでまた一緒に眠ることができる。ママのお祈りをまた聴くことができる、そう思っていた。しかし、その日の夜、ママは身体が怠いといって寝込んでしまった。

「ちょっと寝たら良くなるから大丈夫よ」

 ママの嘘は、その日限り僕にきいた。一日たって食欲がなくなり、二日後には寒気がするといっていたが熱がでた。ママが寝返ると首の辺りが黒くなっていた。数日後にママは死んでしまった。鳥みたいな恰好をした人に取り押さえられながら、僕は運ばれていくママを泣いて見送った。僕は燃える火の中にママが投げ入れるのを

「アー、アー」

 とずっと泣き喚いていたのだ。僕が生まれてちょうど五年になるまで一週間をきっていたのに。僕はママと一緒にその日を過ごすことはできかった。


一五二四年――パラフィリアとの出会い


 ママが死んで僕は、従兄弟の家にお引越しをした。従兄弟の家はネルトリンゲンの中にあった工房だった。

「早く、荷物をまとめろよ、デップ」

いまでもよくわからないが、おじさんは僕のことをデップと呼んでいた。

「名前はルイスだよ」といくらいっても、おじさんはデップを気に入っていた。

気遣っていたのか、荷物が少なくなるように準備しろと教えてくれた。ママとの思い出の品を持ちすぎると、僕が辛い想いをする、と思ったのだろう。おじさんは僕と話すとき、いつもニコニコしていて機嫌が良かった。目を見開き自然と上の歯が見える。それは僕が森で虫を見つけたときと似ていた。おじさんは僕と話すときはいつも楽しいのだ。

 従兄弟一家は、僕を本当の家族のように温かく接してくれた。

おばさんは僕だけのために、いつも決まって柔らかい食べ物を出してくれた。僕が食べやすいように色んな食材をまんべんなく使って。そして僕がやけどしないように冷ました食べ物をいつも僕は食べた。初めて食べる味で、ママのとは違った料理だった。初めは匂いがきつかったけれど、親切なおばさんの気持ちを壊したくなかった。僕は、美味しい美味しい、といって完食したが、初めての味で胃が驚いたのか、外に出て吐き出してしまった。

「私が作った料理を食べられないっていうのかい、アンタは」

 と怒ったおばさんは、僕をほうきで叩いた。

何度も謝っておばさんに許してもらい、僕は「おばさんの料理を残さず食べなくちゃ」と思ったけれど、次の日も、その次も僕は吐き出してしまう。

数日後、やっとおばさんの料理の味に慣れた。食べきったときおばさんは、「さあ、食べたら早く寝るんだよ。子どもがいつまでも起きてるんじゃないよ」と僕を休ませてくれた。

眠って数時間もしないうちに僕は、トイレに行きたくなり目を覚ました。すると、女性の声が耳に入ってきた。

「ハアハアハア、ああ、いいわ」

 耳を澄ませると、おばさんの声だった。蝋燭の灯りが漏れている方へ近づいた。そっと中を覗くと、おばさんとおじさんがベッドで重なり蝋燭の灯りを揺らしていた。

 おばさんが苦しそう、助けなきゃ。なんて考えていた。しかし、おばさんは、なんだか様子が変で本当に苦しそう、ということではなさそうだった。それに、僕が夜遅くに起きていると知れたら、また怒られてしまう。大好きだったおばさんを怒らせたくなかった。

「お前こそ最高だ。これで、ハア……悩みの種を忘れられたんじゃないか」

「ハアハアハアハア、もう。あなたが言うまでは忘れていたわよ」

「ハハハハ。ハアハア、それはすまなかった」

「あいつ、ようやく残飯処理してくれたわ、まあ何度も吐いていたけどね。もう家の中で臭いはしないはずよ。まったくお姉ちゃんも、凄い財産を残してくれたものね」

「ほんとに、凄い妻を持ったものだ、ハア。悩みの種は……もう一度コレで、忘れてくれ」

 ああ、もっと――。

おばさんとおじさんが何をしているのかわからなかったが、僕はトイレのこともすっかり忘れて、もう一度眠った。

 家族の中でパウルは、僕と歳が一番近かった。その年、僕は五歳。パウルは六歳。家の手伝いをした合間に時々、一緒に遊んだ。パウルと他のみんなと違ってとても優しかった。僕がどうしても追いかけっこをしたい、という願いをパウルは、「えー」と言ったあとに決まって、いいよと言ってくれた。パウルの口癖はいつも「えー」だった。

僕が一緒に食器を洗おうというと「えー、いいよ。トイレしてくるから、先にやってて」

僕が一緒に買い物出かけようといったら「えー、いいよ。後でね」

 パウルの口癖が好きで僕も真似てみたい、といつも思うのだが、そのあとの言葉が出てこない。パウルは頭が良いのだな、と僕はますますパウルが好きになった。

 今日はパウルとなにをしよう。春の気持ちのいい日曜日。いきなりそれはきた。

「じゃあね、パウル。むこうで元気に暮らすんだよ」

 いつもみたいにおじさんの農場の手伝いの帰り、家の前で家族全員がそろっていた。みんなパウルを見ている。

「じゃあな、ルイス」

 パウルはそういうと、重そうな革袋を担いでおじさんと去っていった。悲しそうな顔したおばさんは、僕を見ると顔をぬぐった。

「デップ、あんたにはやるべき手伝いがあるだろう。さっさと家に入りな」おじさんの呼び方が移ってしまったのか、おばさんも僕のことを『デップ』と呼んだ。

 僕以外の家族が表に出ていたこと。パウルがいくら待っても帰ってこないこと。おばさんが泣いていたこと。家の掃除をしているとき、そのどれも考えつくすけれど、謎の答えは出なかった。手伝いが終わっておばさんに聞いてみた。

「あんたには関係ないだろ! 次は洗濯物を干すんだよ、さあ早く」

 おばさんは珍しく顔を上気させて、僕に鞭を打ち付けた。わからないことが立て続けに起こったけど、痛みのあまりに必死に謝るばかりで、僕はそれ以上考えないようにした。

 しかし、おばさんの顔をみたら悲しくなった。説明できない答えが僕の中に残る。

 あんたには、あんたには――同じ言葉を繰り返すおばさんは、とても苦しそうだった。おばさんの苦しみが鞭を通して僕に伝わる。苦しみと僕の答えが重なって、寂しさとなって流れていった。

 数日、数週間、数か月。パウルは帰らなかった。

「パウル、元気でね。会ったら、また遊ぼう」

 心の中でパウルが口癖を漏らしていた。

 不思議なことに、街では七歳になると、子どもがどこかへ出かけていった。修行、修行という言葉を大人たちが決まって話していたが僕にはわからない。そういえばパウルも七歳で出ていった。

「パウル、ちゃんとついていけているかしら」

おばさんがおじさんと話していた。『修行』という場所から数か月に一度、手紙が届いた。

「デップ、あんたは修行に行かなくていいからね」手紙が届くたびにおばさんは僕にいった。

 あんたは特別だから――。

手紙が届くたびに僕はおばさんのその言葉を耳にした。不思議なものでおばさんが口にするたび、僕を元気にさせる魔法の言葉となった。

僕は他にない、特別――。

パウルの存在は僕の中で大きな役割をしていた。心の支えている大事な柱がなくなる。いまではそう考えることができるけど、僕には上手く説明できない。僕には普通の子と違う『特別な子』で普通になりたいと思う。普通の子と僕では違いがたくさんあるのに、普通の子になる答えはまったく出てこない……。

大好きなおばさんのいう『特別』と僕の考える『特別』は、なにが違うのだろう。同じ言葉なのにこんなにも難しい。

話が逸れてしまった。大好きなパウルの居ない一日はとても長かった。パウルだけでなく、死んでしまったママも機嫌のいいおじさんも、優しいおばさんも大好きだ。でも、同じ『大好き』でも、またなにか違う。

彼が居なくなって頭の片隅にいつも考えていた。それからよく、効率が悪いとおばさんに叱られた。

 僕が考えても答えがでない――――。

 前からわかっていたのに、僕にはどうしても答えが知りたかった。時には涙を流すほどに。神さまは僕にいたずらしているのだろうか、と罰当たりな疑いをしてしまう。神さまを信じていたママは黒くなって焼けて死んだ。大好きなパウルも修行とやらに連れていかれた。神さまはそれでも僕から答えの出せない疑問をよこす。もしかしたら、答えが出せないのは生まれたときから僕が特別だからなのかもしれない。そう思うと信仰心が薄れていった。

本当にいたずらだったのか、神さまは僕を見捨てたりしなかった。

「俺はパラフィリア。君はなんていう名前なの?」

 家に帰ると、僕と同じくらいの男の子が椅子に腰かけていた。あーあー、と言葉に詰まってしまう。いつものことだ。咄嗟の出来事に上手く喋れない。彼は微笑みを浮かべている。その笑みには、全てを受け入れるような優しさが込められていた。

「あら、デップ帰ったの。この子はパラフィリアよ、もう挨拶は済んだかしら。これから一緒に住むのよ、パラフィリア、デップはちょっと個性的な子だけれどよろしくね」

 パラフィリアは、スイスアインジーデルンという国で生まれたという。父は医者で、いろんな病から人を救ってきた尊敬できる人だ、と彼は語っていた。僕は早口で話す彼の言うことがわからずに困った。パラフィリアは八歳というから僕は心底おどろいた。パウルと同じく、修行でこの家に来たのではないか、と思ったのだ。

 パラフィリアには両親がいなかった。

僕と同じように父親を亡くしてこの家に来たのだ――。


別れた後と前


 パラフィリアは医者の子だけあって、物凄く頭が良かった。それでいて優しいのだから家族にすぐに溶けこんだ。特に僕は謎に思うことが多かったから、彼に聞いてばかりいた。

「どうして数字があるの」

「人の生活を豊かにするためさ」

「どうして太陽は上ったり沈んだりするの」

「いいか、地球の周りを太陽が回っているからさ。地球は宇宙の中心なんだ」

神さまは、地球という僕たちがいる星を宇宙の中心として作ったんだ。太陽っていうのは恒星といってな、光をだしているんだ。その恒星を神さまの力で動かしているんだ。地球は、いわば『特別』なんだ。

パラフィリアは僕でもわかるように教えてくれた。話でわからなくても、手を使って、それでもわからない僕に絵をかいて丁寧に教えてくれた。パラフィリアの話すことを一生懸命にきいた甲斐もあって知識が増えた。もちろん『知識』という言葉も彼に教わったものだ。

ガレノスというギリシャ人の四体液説。おしっこや身体が放つ『脈』というもので病気を判断する話。『錬金術』という難しい術で石ころが薬に変わるという話もあった。錬金術にはまっていたパラフィリアは、石ころを集めに鉱山によく父親と出かけたときのことを楽しそうに話していた。そのどれもが、僕には難しく投げ出したくなるような内容だったが、不思議と彼が説明すると、僕までワクワクと胸を躍らせる大冒険ができた。

「いまの医学の概念は間違っている。医療には、物質の性質も正しく理解して取り入れないといけないんじゃないかと思うんだけどな。あ、詳しく説明するとさ――」

彼はガレノスという人の四体液説が気に入らないらしく、そのことを考えている彼は、ぶつくさと一人ペンを走らせていた。

僕のお気に入りの話は天動説だった。神さまが太陽を動かしていて地球の周りをまわっている。

地球は特別なんだ――。

パラフィリアの言葉がいまでも心に響いている。特別。いつのまにか、僕の中でパラフィリアは特別な人になっていった。

「おいノロマ、お前なんで生きてんだよ!」

「おいみんな見てみろよ、気持ち悪い生き物が歩いてやがる。クソ野郎が服なんか着ちゃって、もったいないよなあ」

 僕の耳にはいつもこういった罵声が響いていた。パラフィリアが特別年長で、他は僕よりみんな年下だ。時には女の子であったり、大人だったりと関係なかった。子どもの声は昔から聞いていたから平気だった。問題は大人だ。大人は当然僕より背が高い。身体が成長すると、大人と関わることが顕著になり何度も鋭い視線を浴びた。初めは同情していた人も、再び会うと毛嫌いした。もう一度会おうものならモノを投げつけた人も少なくなかった。

 僕が、そんな彼らの非難を気にせずに過ごせた時期は三つある。

 一つ目は、ママが居た頃――。

 二つ目は、パウルと遊んだ頃――。

 三つ目が、パラフィリアとの出会いだった。

 いまは亡きママは、僕に非難を浴びないよう、身を(てい)して守ってくれた。パウルと遊んだ日々は、どれも笑いが絶えなくて、あっという間に一日が過ぎていく。パウルが僕と遊んだ日々を、思い出として覚えているかどうか気になる。そしてパラフィリア。彼とは、友だちとも家族ともいい難い感情が心を包んでいた。

「お前、いつか俺が騎士になったら、真っ先に切り裂いてやるから、覚えてろよお」

 ある日、五歳になるかならないくらいの子たちが三人、僕の前に立って指をさして一人が言った。子どもの夢といえば、立派な騎士となって国民と聖者のために戦うことだった。

「みんなも覚えておけよ、俺が誰よりも強い騎士になって、この悪魔を地獄に送ってやる」

「あら、私だって神の許に仕える修道士になってみせるわ。そのときには、あんたが殺したこの悪魔も、きっと魂を救って神の許へと送り届けてやるのよ」

「おれは……おれは……」

 彼らは僕を睨みつけて、木の枝を僕に突きつける。

「お前はただ、自分の救済が目的だろ」

「なによ、あんただって、ただ人を殺したいだけじゃないの」

「おれは、おれはさあ――」

 二人が言い合いになり、あとの一人がなにかを言いたいが仲間が聞いてくれない。僕はこういうことに何度も巻き込まれている。集団で蹴られ、石を投げられ、反撃もできずに走って逃げるが途中で転んで彼らがどっと笑う。何度も苛ついて怒り、悔しくて泣いて、どうしてと考える。それでも最後にはきまって、血だらけの身体と、自分への強いもどかしさだけが残る。

 僕が、みんなと同じようにうまく話せず運動もなにも取り柄のないだけで、こんな仕打ちを受けなければならない。

 僕が君たちになにをした……?

 どうして放っておいてくれないのだ……?

 いつもいつも胸に浮かぶこの言葉を、彼らは聞いたことはない。もちろん僕も、腑に落ちないことを何度も伝えようと頑張るのだが「やだあ、やあだあああ」と簡単な意思表示しかできない。そして意思表示をすると必ずつけ込むまれるのだ。

「なにが嫌って? わかんねえよ。おい、ちゃんと言葉喋ってみろよ」

「ぎゃははは。おい、それ言ったって無駄、ぎゃはははは」

 こうなるとわかってしまった僕は、彼らと話し合うことをやめた。彼らと僕は違うのだ、明らかに、僕はなにかが欠けていて、彼らはソレを持っている。彼らが持っているソレは僕にはとても羨ましいものだ。

「おい、お前ら。なにをしてるんだっ」

 近くを通りっかったのか、子どもたちの向こうからパラフィリアが駆けつけてきた。彼はおばさんに頼まれたのだろう、お使いに行ったあとだった。あとで聞いた話だと、彼は遠くから見つけた僕と子どもたちが、仲良く遊んでいるように見えた。けれど、声をかけようと近づいてみると様子がおかしいことに気づいて走ってきた、というわけである。

「お前らコイツのことを馬鹿にしているけどな、本当はお前らの想像つかないほどに凄いやつなんだよ」

「おい、この悪魔の味方かよ。この異端者め」

「あなたのような異端者も、いまから神さまを信じればきっと――」

 僕の前に立ったパラフィリアに、彼らの木の枝が向けられる。庇ってくれた彼の言葉は、意味がよくわからなかったけれど、僕は胸の辺りがぽわっと温かくなった。それだけでも僕は嬉しかったのだが、彼の方は怒りを増していたようだ。

「人様に木の枝なんか向けんじゃねえっ」

 怒りが爆発したのか、咄嗟(とっさ)にお使い袋を落とし、彼は大声をあげた。

「いいか、お前らがちゃんと神を信仰しているか知らないが、人を傷つけるような奴が簡単に天国なんかに行けると思うなよ。神さまはちゃんと見てるからな。お前らが馬鹿にしているコイツは、医学を理解できるんだ。錬金術を理解できるんだ。黒死病に(かか)らずにいまを生きてんだ。わかったか、コイツはお前らが簡単に馬鹿にできるような奴じゃないんだよ!」

 彼の大声にびっくりした子どもたちは一目散に逃げていった。その後ろ姿に、彼はずっと叫んでくれたのだ。距離をとった彼らは、振り向いてなにか叫んでいる。「悪魔め」とか「異端者どもが」だった気がするが記憶が定かではない。

「それと、俺はちゃんとした信仰心の持ち主で異端者や悪魔なんかじゃねえ。神さまに毎日かかさず祈ってるんだよ。そこんとこ覚えておけよ」

 再び走りさっていく子どもたちに、大声を張るパラフィリア。僕は叫んでいる彼の横顔を、ずっと見つめていた。


 それからの僕は、他人に蔑まれる以外、平和な日々を過ごした、といいたいところだが実際は違っていた。変な話だがよく喉が渇くようになったのだ。先ほど飲んだと思ったら数十分もしないうちに口の中が渇いているのである。ゴクゴクと美味しそうに飲む僕を見て、パラフィリアやおじさんも「飲みっぷりが良い」「お前が飲むと美味そうに見える」といってくれた。しかし、次第に「その辺にしといたらどうだ」とか「トイレが近くなるぞ」と注意されたが、口が渇くのだから仕方がない、とそのまま飲み続けた。

「デップ、デップ、デーップっ!」

 僕はおばさんの怒鳴り声で起こされた。いや、本当は何時間も前から起きていたが、寝たふりをしていたのだ。

僕の仕事は朝一番の掃除から始めなきゃいけない。おばさんが与えてくれた仕事だ。それがおばさんの怒鳴り声で、朝を迎えることになったのは理由がある。昨夜に、水を飲みすぎたのが運のツキで、朝起きてみると、足の付け根が濡れている気持ちの悪い感触がした。もしやと思い見てみると、そこには歪な円のシミがあった。ちょうど真ん中辺りに手を当てると、確かに手が湿る。

僕がおねしょするとは思えなくて「夢じゃないのか?」、「本当におきているのだろうか?」と頬をつねってみるけれど、顔をつねる指は間違いなく尿の臭いだった。疑問が消えて最悪な朝だと思うと「どうして僕が」、「昨日もちゃんとトイレしたのに」と意味もなく自分を正当化しようとしていた。そうするのが無駄たと思えてくると、今度は「ばれたらどうしよう」とか「どうやって隠そうか」と悪巧みを考えるのだった。しかし、僕の頭はそう長く物事を考えることができない。こんなときまで障害となって立ちはだかるのか、と激しい苛立ちに襲われた。苛立ちはやがて「おばさんを悲しませてしまう」、「僕のせいで仕事が増えてしまう」という悲しみとなって嗚咽を漏らし始めた。

「ごめんなさい、ごめんなっさああいい」

 僕が起きていたのはそういうわけで、おばさんを怒らせる前に、開口一番で謝りたかったからなのである。しかし、できなかった。肩を震わせて、「謝らなきゃ」という気持ちと、「悲しませたくない」という気持ちが複雑に絡まり呼吸するのが苦しかった。それは初めての戸惑いだった。自分の中で答えがスッと出てきたのである。

 吸うのも吐くのも、苦しさを生み出すのなら、止めるのが良いのだろう――。

 神さまは僕にそうさせたいのだろう――。

 ごめんなさいと謝る語気が強くなってしまった。僕の喚く姿に動揺したのかおばさんは困惑している。その顔がまた僕の感情をかき乱していった。それから度々僕はおねしょをしてしまう。ママと一緒に暮らしていたときに治したはずなのに。その晩、僕は大切な思い出まで流してしまったようで、怖くてぐっすりと眠れなかった。

 おねしょが原因だったのか、今度は身体に負担がかかってきた。

「おい、大丈夫か。なんかこの頃、変だぞ」

 前を歩いていたパラフィリアが駆け寄ってくる。一緒に農場の手伝いにいく途中のことだった。

「だいじょおぶう。だいじょーぶ」

「さっきもその言葉聞いたよ。ルイス、本当に大丈夫か? 目の下に隈もできているし、ちゃんと休めていないだろう。前は僕より働き者だった君が、いまじゃどうだい。数十分もしないうちに休憩を口にするじゃないか」

 確かに僕は、おねしょをしていては睡眠がしっかりと取れていなかった。しかし、いくら睡眠がとれていないとはいえ、異常な疲れを感じるのである。前までは一睡もせずに仕事をしていたときもあったのに。

おばさんとおじさんの眠っている部屋から、二人の声が漏れてくるのだ。それも二人とも苦しそうな声で。いまではすっかり慣れていたけど、前はその二人の声がずっと続いて眠れなかった。

 どうして苦しい声を出してまで夜中に起きるのだろう――。

 僕は眠たい頭で少し考えたのだ。少しというのは、当然僕に答えなど出ないのと、考えること自体が長く続かないからである。その日何度も、うつつを抜かしておばさんを怒らせてしまった。そんな眠たい日でも、重たい農具を抱えて仕事をこなしてきた僕が、彼のいうように、数十分でばててしまうのはおかしかった。

「ごめん、これも任せていいかな?」

 そういって僕は最後の一本の(くわ)をパラフィリアに渡した。家から来るまでの間、ずっと僕が持っていた農具は一つ、また一つと彼の手に加わっていたのであった。そうして僕のために途中、休みながらもようやく、農場の入り口が見えた場所で僕は、仕事を投げ出してしまった。なにをしていても身体に怠さがでてくる。たとえどんなに簡単な作業をしていても、僕が手や足を止めるたびに、おばさんを怒らせてしまった。

 変なことは続くものだ。僕の周りにはハエが飛んでいたけど、周りの人は見えていなかった。

「デップ、あんたさっきからどうして、バカなことしてんだい」

「ルイス、なにをそうキョロキョロしてるの」

「デップ! 変なことで遊んでねえで、さっさと作業しろっ」

 おばさんやおじさんは、僕をからかうときがあって普通なのだが、パラフィリアまで冗談をいうのだから、三人はつるんでいるのだろう。

 僕は纏わりつくハエに怒りを覚えて、追い払おうとするごとに彼らは冗談をいう。僕はその言葉を聞くたび、煩わしさを(はら)んでいった。

あとに知ったのだが、蠅は僕に纏わりついていたのではなく、僕の目の中にいたようだ。そうして医者に診てもらうことなく、僕の世界はハエで埋め尽くされてしまった。


「魔女を捕まえろっ」

 その声が僕のところに届いたのは、ママが亡くなって五年の月日が過ぎたあとだった。

「邪悪なる神に背く者め、早く出てこい」

「お前は自らの罪によって、業火の炎に焼き尽くされるのだ」

「一時の安らぎも与えるんじゃない、早くやっちまえ」

 外では、街中の人たちが家の周りを固めていた。地響きのようなざわめきは、嵐となって木製の家を揺るがしている。決して自慢ではないけど、というおじさんの口癖だった、代々受け継ぐ大きな木の家はいとも簡単に揺れていた。

 前々から『悪魔』とか『化け物』といわれてはいたが、こんなにも大きくなるほどではなかった。

 押し寄せてきた群衆に取り押さえられてしまう前、僕は家族に別れを告げた。不幸なことに、最後は一人一人の姿が見えずに、言葉だけの最後とはとても悔やしい。

「おばさん、いままで僕のために、ありがとう。おばさんのこと、いっぱい怒らせてごめんね。本当はもっとパウルみたいな子どもとして、おばさんのこと、助けてあげたかったけれど、ずっと役立たずだった。おじさんは本当に楽しい人だった。いっぱい笑わせてもらった、ありがとう。農場の仕事頑張ってね。そして……」

「ここだよ」

 おばさんとおじさんは、悲しんでくれているのか、一言も声が聞こえなかったから何処にいるかわからなかった。ちゃんと僕の、ありがとうとごめんなさいが伝わっていると良いのだが……。

パラフィリアは、僕のために手をとって居場所を教えてくれた。それまではずっとなにかを作っていたらしく、彼は部屋に閉じ籠っていた。やはり、医者の子だけあって、立派な人だ。僕は彼の邪魔をしないようにと、ずっと話をしなかった。薬が完成したのか、『研究』という難しいことが一段落したのか、僕の最後の日のためにこうしているのかは、やっぱり僕には答えが導き出せなかった。

「ルイスはなにもしていないじゃないか。祈りも毎日かかさずしているし、神さまにとても忠誠を誓っているじゃないか! みんな間違っている、どうかしているよ」

「そうだけど、僕にはちゃんとした説明もできないし、たとえ反対しても処刑は決まってるんだよ。もう覚悟を決めて、ママのところにいくって決めたよ。これまで仲良くしてくれてありがとう。パラフィリアの幸せを祈っているからね」

「あきらめるなよ、ちゃんと説明すれば……そうだ、俺も一緒に説明するから――」

「うるさいよっ」

 僕は初めて人に反抗した。一度大声を張り上げると、どこから出てきたのか胸につっかえていたどす黒いものが破裂した。

ママが死んでからここに来たときのこと。本当は知っていたけれど、腐った残飯をおばさんのために食べきったこと。おじさんがどうして僕のことを『デップ』と呼ぶのか。いつしか、お使いのときに慣れ親しんだ店のおばさんに聞いたことがある。デップは馬鹿だという意味だと。それを知ったあと、おじさんと会話するのが苦しくなったこと。パウルが修行にいって、僕に対していったおばさんの、『特別』の意味を考えた。本当は僕が『特別』じゃなくて、パウルが『特別』だったこと。僕はみんなと違うから、ダメな意味での『特別』だということ。記憶の欠片が墨で塗りつぶされていったこと。だから僕は、パラフィリアの話に惹かれて小さい夢を咲かせたこと。彼のいう特別がそうであったかは確かめられないけど、彼の存在が僕の中で特別で膨らんでいったこと。

 どれも僕にとって説明が難しかったが、彼へこれまでちょっとずつしてきた話で伝わってくれますようにと「ありがとう」と伝えた。それでも彼は「なんとかなる、俺がどうにかしてやる」と僕にでもわかるバカみたいなことをいってくれた。

「君はっ、君は諦めてはいけない。おかしいよ、おかしすぎる。きっと君の無罪を晴らしてやる! 魔女なんて幻だ。魔女の鉄槌なんて駄作だ!」

 その言葉を最後に、流れ込んできた群衆に僕は捕まった。最後の最後まで僕は神さまの答えを知ることはなかった。

炎って熱いのだろうな……早くあの世に行ければいいのにな。でも僕は魔女らしいから神さまも嫌っているのかもしれない。そしたらママの待っている天国には行けないよね。地獄ってどんなんだろう…………。

 目が見えない僕に麻袋らしきモノが被せられた。両腕を後ろで縛られる感触がする。僕は無実だ、魔女なんかじゃない、といくら大声で訴えても、民衆の喧騒にかき消されてしまうだろう。

「お前は悪魔と契約したんだ、この汚らわしい魔女めが!」

「この化け物のせいで、疫病が流行し、大勢の民に飢饉をもたらしたんだ!」

「お前はペストを撒き散らすために、悪魔に目を売ったんだ!」

「小さいときに母親をも疫病に侵して殺しているそうじゃないか。貴様は神の正当な裁きによって、その身を滅ぼすのだ!」

 僕が何度も、何度も「熱いよお、助けてえええ」と叫ぼうが誰も聞きいれてくれなかった。

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