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第七章

 中学三年の春、僕はクラスの過半数によって学級委員長に選ばれた。成績は好調でテストは九〇点以上が当たり前だった。もともと知ることが好きで、三歳のときに「なんで」、「どうして」といっていたのを覚えている。

 学級委員長に選ばれたとき、みんなは「宮良君しか思いつかなかった」と口を揃えていた。もちろん褒められることは凄く嬉しかったし、身体を動かすことが苦手な僕は運動会でも一番とかになれなかったから一番に選ばれたことが楽しくて仕方なかった。そういうわけで自ら立候補することなく選ばれたわけだが、初めの違和感はクラスの拍手によって麻痺されてしまう。

 学級委員長とはHR(ホームルーム)の仕切りをしたり、行事の決めごとを仕切り、集合時の点呼から先生の頼まれごとの請負などをする役割だ。時としてクラスメイト同士の揉めごとを仲裁する変な役割もあるクラスもある。僕の場合は学級の問題児であった加藤君をどうにかしてほしい、との声が多くあった。個人的には人のことをとやかく言うのもどうかと思っていたが、大衆の声に負けてしまった。

 学級の拍手と大勢の頼みごとは鵜呑みにしてはいけない。学級をまとめる役目も損なものだと思ったときには遅い。

 加藤君は幼稚園と小学校が同じで帰り道が同じ向きというのもあって、たまに一緒に帰ることもあった。彼のツボを知っている僕は、どうやって彼の抱えている問題を解決しようか、みんなの要望に応えようか、優等生ぶりに悩んだ。数日間ずっと彼に付きっきりで話し込み、ときには面倒に思われ腫物を顔につくってしまった。翌日、痣を隠して教室にいくと、僕の席の周りに輪を作って質問攻めにあった。同情の声と加藤君に対する否定の声で埋め尽くされてしまい、僕の説明と加藤君の誤解は受け入れることなく終わってしまった。

 僕はその後、なんなく前期の学級委員長を終えて中学を卒業したわけだけど、加藤君のイメージを悪くしたままの嫌悪感が、いつまでも糸を引いていた。

 卒業して、加藤君はどうしているのだろう。いまも独りで悩んでいるのだろうか? クラスのみんなは僕をどうみていたのだろうか、と過ぎた春に抱いた違和感が、殴られた痕よりも深く心の隙間に根付いていた。

 高校に進学してからは心機一転して陰に徹することにしたので、凄く楽な気持になった。〈オタク〉という俗語に収まり、勉強に専念できた。成績が良いだけでなにも期待されなくていい。

 特に歴史の授業は僕の楽しみだった。幼い頃、祖父にいろいろと話を聞いて育ったことが主な原因だろう。昔が大好きな爺ちゃんは、つまらない歴史をアニメ風にわかりやすく話してくれたので幼き僕の頭にもスラスラと入ってきた。三国志はもちろん、ローマ帝国、世界四大文明。イギリスからのアメリカ独立など、壮大な歴史を祖父が話し始めると僕は世界中のどこへでも行けた。

 時空を越えて中世ヨーロッパから桶狭間の戦いでの織田信長の勇姿までタイムスリップすることができた。その甲斐もあって歴史のテストはほぼ九五点以上しか取ったことがなかった。

高校卒業後、僕は進学すると誰もが思っていた。確かに僕の知能なら大学に進むこともできた。それをやめて就職したのは、叶えたい夢があったから。爺ちゃんとした約束のために就職したんだ。はじめはよかった。高卒だからって嫌わずに仕事を丁寧に教えてくれて、みんなが大切なものを扱うみたいに優しくて笑顔が絶えない会社で、出勤するのが本当に楽しかった。

そういえば忘れてたけど、出身が愛知だからって愛知で就職したんじゃなくて、東京の小さなプラモ会社に就職したんだ。小さな会社だったけど、どうして僕が働きたいと思ったかはさっきの説明でなんとなくわかりますよね。「歴史にプラモあり、プラモにロマンあり」っていって僕が考えたんですけど、凄く深くないですか……。

話飛び飛びですみません。入社後、時期は研修で新入社員が部署ごとに回って会社の全体像を頭に入れておかないといけないんです。僕の同期は大卒の年上だったので自然と敬語になったんですが、これがまたみんな良い人たちばかりで「タメ口で良いから、気にすんなよなあ」って本当に大人だなあって思いました。でも、友だちに電話でそれをいったら、当たり前だよって普通に返されました。どうやら僕は天然らしいです。自分ではずっとみんな凄いなあって思っていたんですけど、友だちがいうには、僕がただ天然なだけらしいです。天然ってアレですね、馬鹿じゃないんですね。ずっと天然は馬鹿な人のことだと思っていました、ははは。まあ、笑い話にできるのはそこまでなんですけどね。

研修が終わってそれぞれが行きたい部署に希望をするんですが、ことごとく弾かれました。そして配属された部署は営業。新入社員で入れたのは僕だけなので、認められたとか、研修で回っていないけれど選ばれた、と勘違いして喜んでたんですけどね。田場さんという三十半ばくらいの先輩がついて一緒に外回り、営業のイロハを教えてもらいました。

「プラモの営業って嬉しさの極み!」

 ってな感じに、残業も楽しくて仕方ありませんでした。初めていく現地に胸を躍らせて、プラモの設計図を見て興奮しました。でも、人ってやはり飽きる生き物なのですね。僕も例外なくその時期が訪れると、以前の生活の一部だった趣味。強いては天職に就けたと思っていた頃が不思議に思えてきました。そのうえ、悪夢が重なったんです。

営業って接待がつきものなので僕も当然、取引先の方と歳の離れた先輩とともに飲みに行かないといけないんです。もちろん僕は未成年なので飲めないと伝えました。それで終わって、先輩と一緒に先方の機嫌を損ねないようにと考えていたんですが、現実は違いました。

 ちょっとすみません、と先輩は僕を引き連れてトイレの前まで来ると「馬鹿たれが。酒が飲めんとはお前はなんのためにこの仕事やってるんだ!」と怒号を吐きました。先輩の恐さに反論もできず、理不尽な説教を聞いていました。

これが営業の闇か……割り切るように僕は先輩の機嫌を損ねないように飲みました。相手の酔いも回ってきました。初めて飲むビールは苦くて、日本酒はとても不味く身体が一気に熱くなった。

べろんべろんになっていると先輩と先方が笑っている。どうやら呂律の回らなくなった僕を見て面白がっているようだ。さっきまでは「最近の若者は」を切り口にああだこうだと講釈を垂れていたくせにとボーっとする頭で呆れた。

先輩に肩を支えてもらいながら店を出て先方をタクシーで見送った後、先輩に「大丈夫か」と背中をバンバン叩かれてジンジンとした痛みが走る。

「お前は飲み方がなってない。こんなんじゃ営業がきいてあいれるわっ、これから営業でやっていくんなら俺が鍛えなおしてやる!」

 それから田場さんの『飲酒特訓』が始まった。

 ビールのとりあえず生宣言、日本酒の飲み比べ、ジュースっぽいと田場さんが毛嫌いするチューハイもカクテルも飲まされた。僕としてはお酒を飲むよりコーラとかを飲んでいた方がいいと思っていたのだけど、酔った田場さんに口を挟むとどやされるのでやめた。

 田場さんから逃げようと、いつも定時過ぎると話題を変えてさっと帰宅モードに入っても「おい、そう逃げんなよ。ちょっと店を聞くからさ」と経験豊富なだけあって先輩が一枚上手だった。

 日に日に肝機能が低下している感じがして、気のせいか鏡に映る表情に(かげ)りがみられる。田場さんは家に一人いるのが寂しくて強引に誘うらしい、と風の噂で聞いた。

 頭髪・体臭・酒の三つは遺伝で決まると思う。僕がこれまで生きてきて実感した思想だ。テレビでやっている、いま話題のピン芸人はハゲ頭をベースにしたネタが特徴だ。そんな彼の生活を密着した番組で両親が時折り映り込んでいた。母親は普通の人だったけれど、父親は陽気な人で立派なハゲ頭の持ち主だった。

体臭に至っては実際に姉が実証済みだ。姉が子供の頃、いつも父さんに「○○買ってー」と駄々をこねては父さんの財布の紐を緩ませていた。そんな姉は思春期を迎えると父さんにきつく当たるようになった。父さんのと一緒に洗濯しないで。父さんの臭いがくさい。ときどき母に「お父さんのどこが好きになったの?」と真剣に聞いていたのを覚えています。どうやら他に姉を持つ友だちも同じく父嫌い現象が起こり、ネットで調べてみると、どうやら遺伝子レベルで娘は父のことを嫌うことがわかったんです。遺伝子的に遠い異性に惹かれるため、近い関係の父親は嫌われるのだという。人間ってよくできているなと、ちょっとだけ怖くなりました。

そしてお酒だ。父さんは酒もたばこもしない。ずっと真面目に生きてるんだな、と勝手に解釈をしていたがただのお酒が弱いだけらしい。いつも寄り道せずに家に帰ってくる。真面目な人だから忘年会や勧送迎会では会社のみんなを楽しませるため、ぐでんぐでんになるまでに酔っぱらっているんだなと思っていた。しかしそれもただ酒に弱いだけなのかと妙に力が抜けた。そういえばと思い出してみると、父さんは奈良漬けで顔が赤くなっていた。

どうして父さんは酒に弱いのだ。元々父さんが強ければ、苦行と思わずに飲みの席を楽しむことができるのに、と娘にも息子にも理不尽に嫌われる可哀そうな父さん。



逆にこの人はなぜグラスを五杯も明けておきながらケロっとしていられるのだ。嬉しそうに枝豆に手を伸ばす田場さんを、睡魔に襲われた目で目一杯に睨みつける。

普通にしていても眠いのも当たり前の時刻だ。田場さんとは午前二時まで付き合わされる。もちろん翌日は出勤日が多い。終電を逃すことなんてざらにある。もし翌日が休日ならばもっと夜深くまで付き合わされる羽目になる。

休日は本当に最悪で、ネカフェやカラオケ屋で時間をつぶし、朝方に始発に乗って家に着くと、アルコールを分解しているのか夕方まで起きることはない。起きたあとも頭がフワフワとして重く、冴えるまでに数時間もかかる日もある。

「おい、新人。飲みが足らんぞ」

酒が入り上機嫌になった田場さんは、意気揚々とまだ飲み切っていない僕のグラスになみなみと注ぐ。何度も酒を飲まされて気づいたことだが、この人は空いた瓶やジョッキを並べるのが好きらしい。酒が強いことを他人に見せびらかしたいのか、見栄っ張りにもほどがある。

「田場さん、もう勘弁してくださいよ。飲み過ぎですよ。注いでもらってありがたいですが、僕もう飲みきれませんって」

「なに弱音を言ってんだ。これだから若いのは駄目だ。いいか、酒は飲めば飲むほど強くなる! 心配するこたぁない。だからほれ、飲め、ここは俺の奢りだ」

 そんなことはない。ネットで調べたときに知ったが、酒は遺伝もあれば体質もある。いくら弱い人が酒を飲み続けようが、強くならない人はたくさんいるのだ。お酒にまつわる失敗談や悪酔いする人を纏めた記事を目にすると、すこぶる共感できて嬉しい。多くの友だちが僕と同じ苦しみを抱いているのだと勇気づけられる。

「おいミヤラ! 次行くぞ」

 先輩に付き合わされると最低三軒は店の敷居を(また)ぐことになる。まだ二軒目か。路地裏の電柱でマーキングをするのはもう慣れだ。酒というものを甘く見ていた頃は飲めないくせに、ヤケクソになって胃に流し込んでいた。そうして当然のことながら拒否反応を起こし目の前の田場さんに吐いてしまった。いまでは時々思い出しては笑っていられるが、そのときは初めての接待から一週間程しか経っていなく、田場さんに殺されるかと本気で思った。

 …………お前、二度目はないからな?

 といつもより薄く開いた一重の黒眼は据わっていた。お酒が入った先輩は、会社より感情が出やすくエネルギッシュなのだが、そのときばかりは激情に駆られることはなかった。

酒の飲み方より、上手な酒の吐き方を覚えよう。

 そういった負い目と田場さんの寛容さに事なきを終え、胸を撫で下ろして次に誤った決断をしてしまう。

田場さんについていこう。

 あの後に何度考え直してみても、この先輩について行ったとして、なにが学べるだろうという思考が定着しつつある。

確かに仕事は優秀だ。どんな仏頂面した初対面の取引先の人も、持ち前の営業トークにかかればたちまち顔を(ほころ)ばせ、話が盛り上がり接待にこぎつけて相手の気を緩ませてしまう。そこから先輩の本領が発揮される。たとえお酒が入ったとしても、接待で飲むときに失敗や気を抜くことはない。そういった一面だけだったなら、本当に僕はずっと彼についていきたいと思っただろう。

名馬に癖あり……といったところだろうか。この先輩から悪い癖だけ消し去る、良い道具を青い狸が持っているのなら泣きつきたいものだ。

「おい宮良、会議が終わったら営業行くぞ。わかってると思うが資料ちゃんと準備しておけよ」

「はい、わかりました。念のため、いくつか試作品を持っていきますか」

「当然だろ。あ、じゃあもう俺行くから、見栄えの良いやつ選んどけよ」

僕の返事を聞く前に、先輩は急いでデスクの資料をかき集めて会議室に向かっていく。試作品は会社の全てを表す。いつか先輩が教えてくれた言葉だ。プラモデルの営業にとって完成されたモノを見せることで、相手の第一試験を突破しなくてはならない。もちろん精密さ、躍動感や再現力に組み立て易さを全面に表現されてなくてはいけない。細かなところまで説明する先輩。彼の理解しやすいトーク術と営業トークさえ盗むことができれば、僕はアシスタントなんかじゃなく、一人前の営業マンになれる。その日が早く訪れるよう勉強しているが、一朝一夕とはいかない。

 ぼんやりと慣れ親しんだ酔いのまま回った目を見開く。そこには気分を良くした先輩が顔を上気させて焼き鳥を頬張っている。先輩には善悪の判断が欠如している、もしくは酒の魔力が判断力を断っているのかもしれない。でなければ酒が飲めない後輩新入社員を深夜の二時半まで連れまわして、「じゃあ明日遅刻すんなよ」とケラケラ笑えるはずがない。

 先輩の巻き添えを食らった後に飲む水は、驚くほど美味い。これまで水の有難みをわからずに生きてきたのだ、と思うぐらいだった。


 クスクスと転がる笑い声に僕は口を(つぐ)んだ。みんな口を押えたり、腹を抱えたりと身体を震えさせて笑っていた。

「どうして笑うんですか。いまの話、笑うとこなかったでしょっ」

「ごめんごめん、悪気はないんだ。ただ、なんかその……」

 笑いを堪えた柴崎はバツが悪そうにしながらも、口の端はニヤつきを隠せないでいた。

 あんた、まじめなんだな。そういった相浦の目は笑っているようにも、どこか遠くを見ているようにも感じられた。

「あんたの話をきいて、みんな馬鹿にしているわけじゃないよ。ただ、あんたがずっと真面目に生きていたんだって驚いてんだ、純粋に。私やたぶん高野も飲めるから普通だったけど、飲めない人って、なんか綺麗なんだなあって。まあでも、飲めない人がみんなそうでもないけどさ。あんたは綺麗に生きてんだなって思うと、おもわず笑っちゃって。酒くらいでくよくよすんなって」

 なんだよそれ。人のこと勝手に美化しやがって。僕だって、あなたたちと同じように人間やって臭く生きてるんだよ。

「僕だってなあ」と泥沼に隠れてしまった全部を、僕はぶちまけてやりたかった。できる側とできない側の違い。心の強さの違い。苦しいけど、人知れず泣く癖が元凶だろうか。見えない不安に駆られ前に進むことが恐怖だと、人を頼れなくなったのが原因なのか。それとも加藤くんのようにテストや態度ではなく、生きている彼の問題を、悩みを、一友人として助けられなかったことがトラウマになったのか。

いつも善意の視線を世間から浴びせられてきたからだろうか、いつも自分の闇の根源を辿っても明確にすることができないのだ。違う、違うと一度決まった答えを何度も変えて、僕はいつもの考えに落ち着く。

ああ、そうか。あの日おじいちゃんが冷たくなってからだ。


ゴーンゴーンゴーン

外の方から大きな鐘を突く音が聞こえる。

音となる方を見ると、時計塔は六時を(しら)せていた。右側の半分は黒くなっており異様だった。黒くなっている方は過ぎ去った時間だとすると、残りはあと六時間。早く脱出方法を見つけなければ――。

 宮良の話を聞いた後で、洸太はなにか糸口がないかと再び本棚に目を向けた。しかしどれもこれも、さっき見たものと同じだった。同じ。同じ。同じ。手あたり次第、俺は同じような本をばさばさと落としていった。ばさばさ落ちていく本の中で、本棚に残ったのはたったの二冊だった。背表紙に名前のない二冊の本は、他と同じように色褪せたボロボロの物だったけれど、とても大事にされている本だと感じた。

「おい、ちょっと訊いていいか。名前のない本なんてあるのか」

 ふいに遭遇した出来事に物知り宮良に助けを求めた洸太は、そんなことはあり得ない、とすぐに断定的な言葉を聞いた。蝋燭を灯してみるとタイトルがないのではなく、二冊とも黒く塗りつぶされていたのである。

「なんて書いてあるんですか」

「僕の友人であり、僕の代わりに書いてくれた……。これはもしかして、日記のようなものかもしれない」

 各ページの上に年号と題名らしきものがある、と洸太はみんなに伝えてそのまま読み始めた。本棚の中に日記があるということは、なにか脱出するための手懸りかもしれない。

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