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第三章

「僕たち、もう終わりなんですかね。さっきの頼りになりそうな外国人も死んでしまったし。これからここで、ただ化け物に、殺されるのを待っていることしかできないのでしょうか」

「悪かったわね、頼りにならなくて。どうせアンタだって一度は死んでいるような身なんだから、どうやったら逃げることができるか考えなさいよ!」

 みんな神経が逆立っているせいか、派手女とリーマンが互いを(ののし)りあいはじめた。二人にうんざりしたヤクザ男が安普請の壁を強く殴るまで、口論は終わらなかった。それからすっかり馴染みとなった沈黙が続く。

 ぼんやりと灯る蝋燭を見ていると、逃げ場のないような、この残酷な状況でも睡魔が襲う。一粒一粒と融けた蝋が垂れては短くなっていく。闇に光をもたらす蝋燭も、この状況では、あまり縁起の良い物とはいえない。

 やはり、あの化け物から逃げて元の世界に戻ることはできないのか。このままニートで冴えない人生で幕を閉じてしまうんだな。大学まではうまくいっていたはずなのに、生活の転落ぶりというものはいとも容易く人を変えてしまう。


スナック菓子を食らい、出勤が怠くなったという理由だけでバイトを辞めた。散々こき使われた店長に電話一本入れたときは爽快でたまらなかった。いつも命令口調の店長が電話の向こうで狼狽えていた。自由な選択がこれからできるのだ、と思っていたのはその日限りで、翌朝に待っていたのは散らかった部屋と厳しい現実だ。

あとどのくらい、ただ座って死を待てばいいのだろう。人は死を前にすると走馬灯のように生きてきた人生を思い出すというが、怠慢な人生は思い出したくないものだ。かといって考えることといえば、答えの見えない謎だらけの団地と化け物の夜。

 ふいにリーマンが立ち上がって、そわそわしはじめる。

「こんなところにもトイレってあるんですかね」

「知らないわよ、行きたいならさっさと探しなさいよ」

ちぇっ冷てえ、と呟いて彼は便所を探してうろつく。部屋中に足場が散らかっているので、うまく進めずに(つまづ)く。時代遅ればかりのガラクタ、壊れた物ばかり。時が静止まま、人に見捨てられ埃やカビがついていた。

「きったないですね。うわ、壁にも古い新聞紙なんか貼ってある。ほんとこの部屋、気持ち悪すぎますよ。それに何でこんなもん貼ってあるんですかね、これ全部外国の記事ですよ。だれが読むんだよ。ああ、やばいやばいトイレトイレっと」

 外国の新聞記事だって? これでまた謎が一つ増えた。どうせ化け物に食われてしまうなら、とことん謎に付き合ってやる、と新しい蝋燭を灯した。記事に写真だけでも載っていれば英語やその他の外国語がわからなくても、少しでも内容がわかるかも、と好奇心に火をつけてみた。しかし、記事を見てみると驚いたことに、リーマンが言っていた新聞は全て日本語で書かれていた。確かに内容を読んでみると外国のことだった。つまらない嘘をつきやがって、といちいち信じることがバカバカしくなりそうだ。

『半信半疑より二割増しで人を疑うようにしなければいけない」いつか誰かに教わった言葉を思い出した。言葉には続きがあったはずだが、もう忘れてしまった。そのころは確か、意味がわからない、と鼻で笑ったと思うが、いまでは説明がつきそうだ。

 人を信じすぎるな。要はそういうことなのだろう。人を信じすぎると裏切られたときに傷付かないといけない。子どものころは誰かに傷つけられても、次の日にはさっぱり忘れられたし、たとえそうでなくても、相手が謝れば笑顔で許すことができた。

 身長や経験など成長していく喜びと引き換えに、人は純粋さという大切なものを悪魔に売り飛ばしたのだろう。そうなると、この言葉はいくら子どもの俺に言っても理解しろというのが無理な話だ。大人が、厳しい世の中で安心して生きていくために作り出した言葉なのだから。

 些細な嘘によって意味もない昔の記憶を掘り起こしてしまった俺は、頭を横に振って無理やり、記事の内容を頭にぶち込むことにした。世界中の不可解な謎がそこには書かれていた。

『ポーランドの少年少女、謎の睡眠障害』、『イタリア、ローニャ州・チェニャールの少女、深夜に行方不明⁉』、『ドイツ ルンドリンゲで謎の不審死! 死亡者の共通点は悪夢から?』、『フランス全土で精神障害者、数か月で38%も上昇』

 睡眠障害に精神障害だって? 行方不明に不審死まで、同じような内容の記事がずらっと壁に貼ってある。

「凄いですね、全部読まれたのですか。それにしてもあなたって何者なんですか。どうしてこんなに多くの外国語を知っているんです?」

 トイレは済んだのだろうか、リーマンが戻ってきて壁一覧を見渡しながら聞いてきた。

「なにを馬鹿なことを言っているんだ。ここに書いてあることはみんな、日本語じゃないか。ほらちゃんと読んでみろよ。ドイツのルンドリンゲで謎の不審死、一九四五年のクリスマスイブの謎とあるじゃないか」

 俺が一つの記事を壁から剥がして彼に差し出すと、彼は「冗談きついですよ」と笑っている。

「こんなときに冗談言えるほど元気じゃねーよ」

部屋の隅っこで体を丸めて、真っすぐ蝋燭の火を眺めている派手女に記事を手渡す。

「ごめんだけど、あたし英語とか無理なの」

「それで、なんて書かれていたんですか。もったいぶらないで教えてくださいよ」

 へこへこと下手のリーマンと、あっけなく(さじ)をなげる派手女。どちらの反応も自然体で、さっきまで口喧嘩していた二人が仲良く嘘をつくなんて考えられない。だとすると、彼らは本当のことを言っているのだろうか。しかし、俺は本当に外国語なんか知らない。ましてやドイツの正確な位置すらも曖昧なのに、〈ルンドリンゲ〉という言葉をこの記事で初めて知ったのである。

「ドイツ北東部に位置するヴィンデルスバッハでクリスマスイブの午前二時半過ぎ、大きな物音で起きた母親のヴィクトリアは音がしたという子供部屋を確認すると、そこに寝ているはずの五人の兄妹が消えていた。すぐに警察に連絡をいれた。村人集め真夜中の大捜索を開始するも、その日に彼らの行方がしれることはなかった。その後の数日間の捜索の後、シュタルベルク湖にて彼らの水死体が全裸の状態で発見された――そう書いてある。ほら」

 派手女に渡した記事は、内容を少し間違えてみんなに話した。もちろん、わざとそうした。本当にリーマンたちが記事を読めないのかどうかを知るためである。ヴィンデルスバッハがどこにあるのか知らないがドイツの北西部の部分を北東部と読み、物音がしたという時間も、本当はクリスマスの午前三時半である。しかし、意図的に間違えて読み上げたとしても、彼らの反応はいたって普通だった。こいつらは本当に読めないのか。なぜ俺だけが読めるんだ。外国語に無縁な俺が……?

「嫌だわ、そんな惨い事件が壁一面中に貼られているっていうの。悪趣味な住人だったのね」

「それも世界中の未解決事件だ。よくもまあ、これだけ集められたよな」

「歴史は繰り返されるんですねえ……あ、すみません、こんなときに縁起でもないことを」

「…………」

「ねえ、なにか共通点とかないの? 私たちが、何故ここに連れてこられたのか知らないけど、やっぱり変だよ。もしかすると、私たち、同じ過ちをしているのかな? 私はともかく、あなたたちはなにか心当たりないかしら」

 相変わらず失礼な派手女は、またも人を見下した発言をする。ひょっとしたら不安に押し潰されそうなのか、〈過ち〉のところで派手女が〈私たち〉と言ったのを俺は聞き逃さなかった。どのような環境下に置かれようとも、本質的な不安の感じ方というのは、人間だれしも変わらないのかもしれない。たとえ目の前の無礼な派手女でも。

「因果応報、というわけですか……あ、知っていましたか? 因果応報という言葉の由来は――」

 このリーマンの場合、不安に感じたときの癖はウンチクを語ることなのかもしれない。それも、うざったいガリ勉タイプ。アニメや漫画などでお馴染みのガリ勉タイプは、眼鏡でひ弱なイメージだが、時代の変化というのは激しい。いまの時代は「隠れオタク」、「隠れガリ勉」という言葉があるほどで、普通そうに見えて実は○○だった、という人がたくさんいる。別に悪いことではないが、人は見かけによらない。いまも因果応報の言葉のウンチクを、誰も聞いてないのに丁寧に説明している。

 うんざりするようなウンチクを語る彼を横目に見ていると、突然、閃光のような痛みが脳に走った。痛みは脳内で弾け、雑多な頭に冷たい空気が染みわたる。靄のかかった思考が晴れ、言葉が次々と羅列されていった。

『拉致』、『住民一人いない同じような部屋』、『円形に並んだ団地』、『年代物の時計塔』、『見たことのない化け物』、『場違いな甘い匂い』、『化け物から生き残ったリーマン』、『外国人と外国語』、『壁一面の未解決事件』、『因果応報』……………………。

 同じような部屋。もしや、俺たちがここに連れてこられたのは偶然でなく、必然ではないのだろうか?

「――だから、行為の善悪に応じて――」

ちょっと待った、とよどみなく話すリーマンを遮った。

「あんた歴史に詳しいのか?」三人の視線を浴びながら、俺はあるモノの前まで歩く。

「まあ、毛が生えた程度ですけど……」

 俺の動きを見ながら、訝しげに彼は答えた。

「このぶっといモノについて、教えてほしいんだけど」図書館並みの本棚から本を取り出す。

「ええ、歴史のことならいいですけど……でも、これ外国語ですよ?」

「そのことについては大丈夫だから」

 彼は、はあ、となおも会得のいかない顔を手元の本に落とした。もし、俺の考えが正しければ良い方へと向かっているはず。この大量の本の中に何か手がかりがあるだろう。

「まず、本のタイトルと著者名を次々と言っていくから、何か知っているものや引っかかったものがあれば止めてくれ」

「なにを始める気なのよ。なにかわかったんなら、ちゃんと説明しなさいよ」

 いいから、黙って見ていてくれ! 勢いよく彼女を怒鳴り散らした。その声からなにかを捉えたのか、再び彼に問うと「わかりました」とかしこまった声がかえってきた。

――『ファウスト伝説/ヨハン』、『魔女に与える鉄槌/ハインリヒ・クラ―マー』、『精神分離と融合/パラフィリア』、『エルジェーベト/キルケ―』、『ローズのロビネ/サヴォワ』――。

「ここまで、なにか引っかかったか」

「全部は読んだことないですが、著者の大部分がヨーロッパの名前ですね。ファウスト伝説は有名な話ですね。ハインリヒは、ハインリヒ・ヒムラ―から周知されているとおり、ドイツ人特有の名前です。エルジェーベドというのは、アイアンメイデンを作ったバートリ・エルジェーベドのことですかね? 『血の伯爵夫人』という異名を持つ、ハンガリーの連続殺人者ですよ。彼女は自らの美を――」

「ちょっと待った、待ったそこまで‼」

 驚いた。彼にウンチクを語らせると、右に出る奴はいないのではないか。適当に出した本なのに、こうも物知りだとは予想外だ。それにヒムラ―って誰だ。ヒトラーの間違いじゃないのか?

 俺がハインリヒ・ヒムラ―について誰だと聞くと、彼の頭からその情報がラジオ放送のように流れだした。コイツは歩く歴史情報局みたいなやつだ。

「ヨーロッパが関連しているのか? 共通しているのはそれだけなのか」

「そうですね、私が知っていることを話せば長くなりますが、続けますか」

 いやいい。ありがと、と短く礼を述べて七割方、自分の考えに確信が持てた。俺たちに共通点があること。そして、これが現実ではなく夢であるということ。

「つまり共通点があるから、僕たちはいるんですか……この……夢の中に」

「そうだ、ここに来てから謎ばかりだった。特にノスルイスやスタブが良い例だ」

「ひとこと言っていいかしら。あんたのその推理、クソつまんないんだけど。これが夢だって? 現に私たち、化け物に襲われているじゃない。確かに映画とかテレビでしか見ないような化け物だけど、本当に襲われたし、目の前で数分しか会っていない外国人も殺されているのよ。私は夢の専門家でも精神科医でもないけど、こんなに長くリアルな夢があるとは思えない。それでも夢だと思いたいなら、勝手にあの化け物の前に行ってきなさいよ。そうしたら、これが夢だって信じてあげる」

「興奮しないでくれないか。俺はただ、自分の考えを述べているだけだ。聞きたくないなら、ただ聞き流せばいい。それと、言いたいこともわかる。普通の夢ならそれで起きるはずだ、普通の夢ならな。いま体験しているのは、常識では考えられない夢なんだと思う」

 聞いていられない、というように彼女は呆れ顔で俺を見ている。沈黙していたヤクザ男は、怪我しているとは思えないほど、その無表情ぶりは初めと変わらない。俺のいう、夢の話を信じているから痛みを感じていないのか、信じていないが痛みを耐えているだけなのかわからない。ただ一人リーマンだけは、俺の話に耳を傾けている。一人でも信じているのは唯一の救いかもしれない。

「白状すれば俺は外国語なんか知らないし話せない! ただし、俺は夢を認知する特技を現実の世界で持っていた。自慢ではないけどね。だから、俺がドミニクと話しているときの君たちの反応が変だと思った。なぜか君たちが彼と話したがらないからな。まだある。ノスルイスから逃げた部屋は、甘い匂いがした。しかし、またも匂いがしたのは俺だけだという。五感を認知できるが、君たちは夢の中でそんなことができない。だろ?」

「もし本当にあんたが、これが夢だっていうのなら、早く終わらせてくれない? 私たちは関係ないじゃない」

「俺の話を聞いていたのか。俺は夢の中で認知できるだけだ。それがいつ終わるか、なんてわからないし、これが俺の夢の中なら、君たちは出てこない。俺の夢はゲームの内容が多い……ここ数か月、深夜しか外出していないから、ろくに人の顔なんか覚えてない」

 とにかく、ここに四人が集まったのは何かしらの共通点があると説き、みんなに、自己紹介から生い立ちまで話す必要があると。また、この夢は制限時間があって、それをカウントする役目が団地の中心地にある時計塔だ、と思っていることを打ち明けた。

「はあ? 意味がわかんないんだけど。あんたの魂胆はミエミエなのよ。あたしの住んでいる場所や情報が欲しいんでしょ! わあ気持ち悪い。そんなのプライバシーの侵害だわ」

 この女の被害妄想は特級品だな。どんなアプローチをすれば、俺の考えを理解してもらえるのだろう。そもそも、この女は、誰かの意見に批判せずに会話ができるのだろうか疑問だ。美人もここまでくると哀しいものだ。冷静になると、いけしゃあしゃあと憎まれ口を叩く彼女に対して、怒りの念は急速に冷めていった。きっと彼女の腹の中では、ニートの俺が考えを述べるなんて烏滸がましいのだろう。

「僕も反対です。こんな場所で悠長に生い立ちなんか語っていても、脱出なんてできないですよ。それに、外には化け物がいるんですよ? いまは、どうやって逃げだせるか。それを考えましょうよ。みなさんは捕まっていないから、理解できませんよね。あの化け物はとても怖いんですよ」

 リーマンは本当に口だけが達者だ。唯一、信じていると思っていた俺が馬鹿だった。足に怪我を負う前のヤクザ男や狂暴なスタブ、ノスルイスの前ではおののき、一言も無駄口をきかなかったくせに。

 無機質な表情を崩さないヤクザはというと、沈黙をつらぬいてこちらを射抜くように見ていた。ぶるっと背筋が凍り、すぐに視線を逸らす。いくら目的が同じといえども、まじまじとヤクザの顔を見つめるなんて無理だ。一瞬の一瞥に「早くなんとかしろ」と、目が語っているような気がした。

「なら、こうしよう。俺から先に話す。それで話したくなったら言ってくれ。強制ではないけど、これだけは言っておく。みんなの協力なしで、ここから脱出なんてできない!」

自分のことを他人に話すなんて、とんだ醜態(しゅうたい)をさらす羽目になった。自己紹介から始める。

「えーっと、名前は柴崎洸太……年齢は――」

幼い頃からの慣れた習慣を終えて、次に話す〈自分のこと〉について困窮(こんきゅう)する。

自分の特徴――。

最後に自己紹介したときの記憶がフラッシュバックする。就職浪人となってしまった、最後の面接。あらかじめ覚えておいた、当たり障りのない『自己PR』は跡形もなく頭から消え失せた。真っ白な頭で自分の特徴や特技、アピールポイントを探し出す。返答に窮して、滝のように汗を流していると「え、特徴ないの? じゃあいいよ。はい、次の人」と銀縁メガネの面接官は命綱を切った。

はっと記憶から戻った俺は、ここが面接会場でないことを思い出していた。〈自分の特徴〉ではなく、最後に受けた面接後の記憶が蘇ってきたので、それから話すことにした。あのとき、こうして何かが頭の中に浮かべば、あの命綱を保っていられたのだろうか……。

陰鬱な気分を抱えたまま、俺は語り始めた。

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