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四話「わたしの好きな食べ物はオムライスで、苦手な食べ物はセロリです!」

 私がその失態に気が付いたのは、リビングに置かれたソファに身を沈めてからである。


 ──────堂々と本名を名乗ってしまった。


 年齢と職業を誤魔化すことには気が回ったのだが、如何せん詰めが甘い。今から「ごめんなさい、さっきのは偽名です!」と言うのも頭が悪すぎる。どうしたものか。


「どうぞ、召し上がってください」

「あ、ありがとうございます……頂きます」


 深慮に囚われかけていた私へと、対面に腰を下ろした静乃ちゃんのお母様から声がかけられる。目の前には香り立つ紅茶(ミルクティー)と、見るからに高そうなクッキーが置かれていた。何故クッキーの上に金粉が散りばめられているんだ……。


 さて、ここで一つ問題がある。出された茶菓子であるが、頂きますといった手前、子供っぽくパクリと食べたほうが良いのか、それとも薦められるまで口を付けずにいるべきなのか。小学生の時の私なら間違いなくバクバクボリボリごくごくおかわり! のコンボを決めていたはずだが、()()()()()()()()()()な私はそれができずにいた。だが、小学生設定の私が甘味に手を付けずに黙り込んでいると、違和を感じられるかもしれない。


 考えすぎだろうか。いや、そんなことはない。私は今、社会的に生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされているのだ。落ち着いていこう。


 私はとりあえずの救済先として右隣に座る静乃ちゃんへと目を向ける。瞬きを繰り返して「ど・う・し・よ・う?」と念を送るが、返ってきたのは圧倒的な無であった。静乃ちゃんはうんともすんとも反応を見せず、焦点も合っていない。心ここに在らずという表現がしっくりくる表情。


 フリーズしてる…………。


 言いえぬ不気味さを感じたので、視線をそっと前へと戻す。美しい姿勢で凛としたオーラを感じさせるお母様は零すように呟いた。


「どうぞ、お気遣いなく」

「あ、そうですね、はい」


 意図せず薦められてしまったが、助かった。これで遠慮なく食べられる。いただきまっ────!?


「ふふっ」


 耳に届いたお母様の微笑。


 ────────食べましたね? もう逃がしませんよ?


 そう言われた気がして、きゅぅっ、と喉が詰まる。


「んくっ────、んぐっ!? んんんっ!!」

「紗耶香さん!?」

「すぐにお水を手配して!」


 私が発した異音によって再起動した静乃ちゃんに背を激しく叩かれ、お母様の一声で執事さんが水を持ってきてくださった。


 涙目になりながらもどうにか事なきを得た私だったが、きっと恥ずかしさで耳まで赤く染まっていることだろう。


 ◇


「それでは改めまして、ようこそいらっしゃいました」

「ハハ……ハ…………」


 慌しかった場が落ち着いたころ、お母様はそう言って切り出した。

 私は乾いた愛想笑いで返すしかない。出鼻を挫いた私への心象は良いものではないだろう。せめて「お茶目なお嬢さんですこと」程度の認識であってほしいが、叶わぬ希望だろうか。


「美雪紗耶香さん、でしたね」

「……はい」


 ガッツリ名前を覚えられていた。ここで「ええと、失礼、お名前は何だったかしら」とでも言ってくれたら偽名を叫んだのに。


「娘とはどういったご関係で?」

「────────っ!」


 いきなり核心を突いてきた!

 ああ、いや、まだ慌てるような時間ではない。関係性に迫られることを核心だと思っているのは私だけだ。相手側からしたら至極当然の疑問であり、ただの会話の糸口。

 私は頭の中で「わたし」の設定を組み立てながら口を開く。


「えっと、静乃お姉ちゃんとわたしは今年の春休みに図書館で知り合ったんです!」

「あら、そうだったの……静乃ったら、いつの間に図書館に行っていたのかしら?」

「げっ────ね、ねえ? お姉ちゃん?」


 いい感じのデタラメを言えたと思ったが、まさか静乃ちゃんが図書館に行っていたか否かで疑いがかかるとはな! 変な声が出ちまった!


 私は静乃ちゃんへと顔を向ける。彼女は眉尻を僅かに下げ、不安そうな面持ちをしていた。そう、ここで私の話を肯定しないとお母様に訝しがられ、勘繰られかねない。もし関係が露見して「生徒とプライベートなやり取りをするに留まらず、休日に二人きりで遊びへ出掛けるとは言語道断!」などと言われればいよいよ私の立つ瀬がなくなる。


 厳重注意で済めばいいが、教育機関に殴り込みに行かれては失職の二文字もちらつくし、何より、せっかく仲良くなれた静乃ちゃんとの関係を、思い出を絶たれたくない。

 桜咲く季節から、彼女を中心に私の世界は回っていた。妙に懐かれて、強引に引っ張られることもあって、静乃ちゃんが何を考えているのか分かっていないことがほとんどだ。

 それでも、食べさせてくれた玉子焼きの味は今も舌に残っているし、私が作った小テストで満点を取った時に浮かべた可愛い笑顔は脳裏に焼き付いて離れない。

 まだ部活見学はまともに行けていないし、私を参考にしたという服のデザインも見せてもらっていない。

 私は、楪静乃という人間が学校を卒業して、未来へ羽ばたいていくまでの姿をずっと傍で見ていたい。

 ……どうやら私は私が思っていた以上に静乃ちゃんのことが好きらしい。


 また、この想いは一方通行ではない……はずだ。ロリータ系衣服デザインの()()素材、手放せないよね? 手放せないと言え!

 私は祈りにも近い視線でこの熱い想いを訴える。聡い彼女になら伝わるはずだ。

 く・ち・う・ら・あ・わ・せ・て。


「────────いえ、図書館には行っていないと思います…………」


 なんでだよ! これだけ思いの丈をぶちまけたんだから私の有利に事が進む流れだったじゃん!?


 このままだと静乃ちゃんにやられる。背中を刺される(フレンドリーファイア)とは。

 とりあえずこの場から静乃ちゃんを連れ出し、認識の擦り合わせを行わなければ!


「あ、ね、ねえ静乃お姉ちゃん、わたし、おトイレ行きたくなっちゃった」

「トイレなら、そこの戸を開けた廊下の先の────」

「お姉ちゃん連れて行って!」


 私は静乃ちゃんの手を引っ張ると、リビングから廊下へと飛び出していった。


 ◇


 てててーっと小走りをした私は、静乃ちゃんと共にトイレへ駆け込んだ。

 トイレは小部屋ほどの広さがあり、二人で入っても窮屈さは感じられない。入口から便座までが遠いけど、一刻を争うときに間に合うのかな。


 閑話休題。


 私は腰に手を当てて静乃ちゃんを見上げる。


「ちょっと、何考えてるの」

「…………その言葉、そっくりそのまま返させていただきます」


 静乃ちゃんは頭痛でもしたのか、眉間を揉んでいる。

 普段は見せないようなムスッとした表情。はて、私が何かしたっけか。


「紗耶香さんが幼児退行してしまったのかと本気で心配したんですよ。驚かせないでください。なぜ童女などと偽ったのですか」

「あ、うん、私の考えでは────────」


 教師と生徒の関係についての世論であったりとか、教師だとバレないようにすることが得策だとか、だからこその小学生設定だとか、その他もろもろうんぬんかんぬん。

 そして話は説教へと推移していき────


「そもそも私、()()()の家へ行くことに難色を示してたじゃない」

「……はい」

「それを、貴女は『綺麗な景色が~』とか『夕飯は私が手作りしますよ~』とか言って私を誘惑してさ!」

「それでホイホイ付いてきてしまった()()にも責任の一端があるのでは?」

「うっ、それを言われると…………って、誘った側が口ごたえしない!」

「申し訳ありません」

「というか、家族は不在って言ってたのに、お母様がごく当たり前のようにいらっしゃるんですけど?」

「あー、それは……」


 楪さんの目が泳いだ。誤魔化すように唇を舐める。明らかに挙動不審だ。


「じー……」

「声に出して、じー、って言うんですね」

「じーっ…………!」

「わ、わかりましたからそんなに近づかないでくださいっ」


 ジト目で楪さんを壁際まで追い込んでから、なおもつま先立ちになって顔を近づけていく。楪さんは私の圧に負けたのか、顔を大きくそらし、私の肩を持って弱々しく突き放す。彼女の顔は真っ赤に染まっていた。年上に凄まれて緊張したのだろう。いつの日だったか壁ドンされたときの意趣返しだ。ふふん。


「実を言うと、母が自宅にいることは知っていました」

「知っていてなお私を家に招いたってこと?」

「……そうなりますね」

「理由を聞いてもいい?」

「…………ごめんなさい」


 言いたくないのか、言えないのか、今の私には分からない。そのことが、彼我の心の距離を物語っているようで、なんだか寂しくなってしまった。


「一つだけ聞かせて、楪さんは私とどうなりたいの。私をどうしたいの」

「それは……ッ!」


 楪さんは叫ぼうとして、何かが詰まったかのように(こら)えた。眉はキュっと引き寄せられ、瞳は大きく揺らぐ。


 彼女の顔には明確に恐怖の色が浮かんでいた。


 言うことすら(はばか)られる関係、気になる。

 気にはなるけど────────


「やめやめ!」

「え……」

「もう始まっちゃったものは止めようがないんだからさ、あとはなるようになれ、だよ!」

「先生……」

「楪さんには楪さんなりの考えがあって、私をお母様と引き合わせた。なら、私も私なりにこの状況を切り抜けて見せる。これで万事解決でしょ?」

「でも、私は────」

「大丈夫、何があっても、私は()()()()()のことを嫌いになったりはしないよ」


 ────────だって、デートまでしちゃうくらい仲がいいもんね!


「はい、()()()()()!」


 にっ、と悪戯っぽく笑うと、私に不可能はないんじゃないかなって思えてきた!


 ◇


「体調は大丈夫ですか?」


 トイレから出てきた私と静乃ちゃんを迎えたお母様の第一声は私を気遣うものだった。

 精緻な装飾の施された壁掛け時計に目を向けると、私たちがエスケープしてから十五分近く経っていたようだ。


「ご心配おかけしました、わたしは大丈夫です」


 トイレ会議を行う前の私であれば「体調が優れないので、お(いとま)させていただきます」と申し出ただろうが、考え方を変える。

『静乃ちゃんの御家族からの好感度を上げておいて、教師だとバレた時は情に縋れるようにしておこう作戦』を開始することにした。概要は以下の通りである。


 一、わたしのことをよく知ってもらう。

 二、気に入ってもらう。


 以上。


 シンプルイズベスト。今はとにかく小学生設定の紗耶香ちゃんを好いてもらう。そのままバレなければよし、バレてしまった時も「まあ、紗耶香さんなら大丈夫か」くらいに思われるようにすればオールクリア。


「そういえば、静乃お姉ちゃんのお母さんはデザイナーさんなんですよね!」

「ええ、一応ね。静乃から聞いたのかしら?」

「はい! それで、わたしデザイナーさんのお仕事に興味があって──────!」


 自分を知ってもらうには、まず相手を知るべし。無垢な子供を演じつつ、さりげなくお母様の情報を聞き出していく。好きな食べ物、趣味、休日の過ごし方、エトセトラ……。私からの情報も交えつつ、会話を弾ませる。

 大人同士なら躊躇うようなプライベートの領域も、子ども特有のハイテンションと私の話術で踏み込む。静乃ちゃんにも話を振って、不自然さが出ないように場を盛り上げていく。


 話してみて分かったことだが、静乃ちゃんのお母様は美麗で凛とした見た目とは裏腹に、結構お茶目だった。以下に、その例を記しておこう。

 大人になっても未だにピーマンが食べられないと頬を赤く染めて語る────ちなみに、私はセロリが苦手だ。静乃ちゃんはトマトが好みじゃないとか。覚えておこう。

 娘の静乃ちゃんと違って運動が苦手で、五十メートル走の最高記録は十三秒らしい────私は十二秒台後半。勝った。静乃ちゃんは六コンマ四秒らしい。怪物か。ダブルスコアを叩きつけられた。

 静乃ちゃんのお母様の休日は、ペットショップに赴いてイヌやネコを見て和むことに費やされるようだ。なにそれ可愛い。今度ご一緒してもいいですか!


 こんな感じで話し込んでいるうちに、私はお母様の変化を目敏く読み取る。私を見る目が『客人』から『愛しい娘』になっているそれを。


 ここで決め切りたい。


「とにかく、静乃お姉ちゃんはわたしにお勉強を教えてくれるんです! 今日もわたしから頼んで、宿題を手伝ってもらったんです! えへへ!」

「まあ、いつの間にか静乃はしっかりもののお姉さんになっていたのね」

「はい! 本当の姉妹みたいに仲良しです!」


 刹那の間をもって、私は全力で攻勢に打って出た。


「あの! 『ママ』って呼んでみてもいいですか?」

「えっ?」

「わたしと静乃お姉ちゃんが姉妹なら、静乃ちゃんのお母さんは、わたしの『ママ』かなって……ご、ごめんなさい、ダメですよね…………」

「…………い、いえ、呼んでいただいて結構ですよ」


 人の親を、ましてや生徒の親を『お母さん』呼ばわりなど、気が狂ったとでも思われるかもしれない。だが、私の理性は今日一番の冴えを見せているといってもいい。


 ────私は「わたし」の魅せ方をよく知っている。ベテラン「年下キャラ」の死力をとくと見よ!


 弱々しく握られた両の手を胸元に引き寄せ、脚は内股気味に。眉を八の字にして、顎を僅かに引き、首を気持ち斜めに傾げる。最後に視線だけ持ち上げて────



「ママ───?」



「かわいっ────────ふふ、うふふふふふっ」

「えへへ、えへへへへへ! ママ!」


 手応え、アリ──────!

 それもそうだろう。私がこうすることで喜ばぬ『お姉ちゃん・お母さん属性』の女性はいなかった! 今夜は勝利の美酒を飲もう!

 私の隣では静乃ちゃんが「これでいいのか」といった風な顔をしているが、これでいいのだ。ハッピーエンド。


 ◇


 静乃ママに甘えまくり、すっかり打ち解けたところでお開きとなった。

 時刻は十八時。車で自宅まで送ってくれるとのこと。運転手は例の執事さん。お世話になります。

 静乃ちゃんと静乃ママは外まで見送りに来てくれた。静乃ちゃんは私の自宅まで同乗するらしい。


「今日はとても楽しかったわ。また来てくださいね」

「はい!」


 静乃ママに気に入られたようで何よりだ。出会い頭は怯えてしまったが、内面はとてもおっとりとしている人だったので話していて癒された。人は見かけによらないね。私も小学生の見た目をした成人だし。


 車に乗り込み、ほぅと息を吐く。静乃ちゃんも心なしか疲れた顔をしている。たくさんお喋りしたからね。


 執事さんに自宅までの経路を伝えたところで、外からウィンドウが叩かれる。その相手は言わずもがな静乃ママだ。

 ウィンドウを下ろしてもらい、窓枠越しに対面する。


「どうしたんですか」

「一つ言い忘れたことがありまして」


 静乃ママは爛々と目を輝かせている。

 なんだろうあまりいい予感がしない────────


「これからも静乃をよろしくお願いしますね、()()()()()

「え゛っ────────」


 え、なんで?


 静乃ママは悪戯が成功した子供のように、くすくすと笑っていた。

 静乃ちゃんは、バツが悪そうな顔であらぬ方を向いていた。

 私は今日一番の間抜け面を晒していたと思う。


 私の正体がバレていた?

 いったいいつから?

 教師だと────大人だとバレていたのなら、私の態度はどう映っていたんだ?


 あれ、私、もしかして凄く恥ずかしいことをしていたのでは────?


「きゅぅ~!」


 私の意識は突沸して、飛んでいった。


 ◆


 こてん、と首を折った目の前の少女。顔を真っ赤にして、ぐるぐると目を回しています。口からは変な音も漏れ出していました。


 少々からかいすぎましたかね。


「お母様!」


 声をかけてきたのは、今年で高校二年生になった私の娘──静乃。

 静乃は私に似た鋭い双眸を細め、険しい顔をしています。


「まあ、可愛らしい顔が台無しですよ」

「誤魔化さないでください……紗耶香さんを見送って帰ってきたら、家族会議を開きますからね」

「え、ええ……」


 まさかここまで怒らせてしまうとは。それだけ、娘がこの人のことを愛しているのだな、と思うと親ながらついつい和んでしまいます。


「何を笑っているんですか」

「いえ、本当に美雪さんのことが好きなのね、と思って」

「当たり前です。それを一番知っているのはお母様ではないですか」


 一切の照れもなく、好きな人を好きと言える真っすぐな心は一体誰に似たのやら。少なくとも娘の()()()を悪ノリでからかうような私ではないですね、ふふ。


「さあ、遅くなる前に行きなさいな」


 私が軽く手を挙げると、手配した車はゆっくりと前進していきます。まだ何か言いたげだった静乃と、顔を火照らせながら気を失っている美雪さんを見送り、私は軽く伸びをしました。


「面白くなってきました」


 あんなにからかいがいのある可愛い子が自分の()()()()になるのかもしれないのです。今から楽しみで仕方がないです。


 今日は私が楽しませてもらうばかりでしたが、次からは娘と共に攻略に乗り出そうと思います。そうですね、手始めに外堀を埋めるのがいいかもしれません。美雪さんの御家族にご挨拶へ行くのがよさそうです。



 もっと娘の恋を応援してあげなければ、ですね。


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