二話「私はもしかしたら押しに弱いのかもしれない」
「はぁ……どうしたものか」
往来の激しい駅前の噴水広場で私は一人、人を待っていた。周囲に視線を走らせると、どうやら私と同じ境遇の若者たちが十数人ほど、スマートフォンを片手に暇をつぶしている。
やがて彼らは番となる人が現れると、爽やかに、明朗に去っていく。誰もが今日を楽しんでやろうという意気を持っているようだった。
一方の私は手持ち無沙汰に空を見上げる。あいにくの曇天は、ところどころ黒ずんでいた。天気予報では曇りのち晴れと出ていたので傘は持ってきていない。
「バレたら私、どうなっちゃうんだろう……」
吐いた溜め息は、曇り空にも負けないくらい重いものだった。
私はこの約束を取り付けられたあの時に、思いを巡らせていた────
◇
「デートしましょう」
楪さんの吐息が耳元を擽る。私の思考は混乱の渦中にあった。
「え、で、でー?」
「デート、ですよ。紗耶香先生」
「でーと、って恋仲の人たちがするといわれるあの!?」
「ふふっ、デートは恋仲でなくても行われますよ?」
マジか!
私と楪さんの価値観の違いに面食らう。
「紗耶香先生、以前仰っていたではないですか。新しい服を買いに行きたいって」
私は教師になるということで、勤務先である女子校近くのアパートに引っ越してきたのだが、その際、衣類の多くを実家に置いて来ていた。とりあえず春物だけを持ち込んで、その他の季節服は引っ越し後に買えばいいという考えのもとである。新環境であたふたしているちにすっかりそのことを失念していたのだが、学校が合服移行期間に突入したことで思い出したのだ。そろそろ夏服買わなきゃ。
以上の一連の流れを楪さんに話したのが、一昨日。
「一緒にショッピングに行こうってこと?」
「ええ、そうです」
「一緒に行く意味あるの……?」
「私と一緒では嫌ですか……?」
「い、嫌ではないけど…………」
楪さんがときどき繰り出す「嫌ですか」シリーズは会話の流れを無視できる攻防兼ね備えた言葉の暴力だからやめてよね!
と言いつつも、楪さんにお誘いを受けること自体に忌避感を覚えているわけではなく、寧ろ将来有望な美人さんと関わり合いになれるとなれば「個人」としての私は一も二もなく飛びつきたいところではある。
しかし問題は「教師」としての私が許してくれないことだ。
「楪さん、私と貴女の関係を考えてみてほしいの」
「お弁当のおかずを搾取してくる女教師と、律義に貢ぎ続ける生徒でしょうか」
「認識の齟齬について異議申し立てをします!」
実は、初日の重箱弁当事件(私は事件性のあるものと見込んでいる)以来、楪さんと私は昼食を共にしており──場所は教室や食堂といった人目の付く場所であるので、厳密には二人だけで食事をしているわけではなく五、六人の生徒と入れ替わり立ち替わりで会食している──楪さんは毎日お弁当のおかずを一品提供してくれる。
最初は遠慮していたのだが、なあなあの内にいつの間にやら丸め込まれてしまっていたのだった。人はこれを餌付けというらしいが、知らん。楪さんの作る玉子焼きとか唐揚げが美味しすぎるのがダメなんだ。
そして、このお弁当の対価として私は資料提供という名の自撮りを送っているのだ。教師と生徒の関係としては如何なものかと思うが、私は美味しい料理を食べられてWIN、楪さんはデザインの参考資料を入手出来てWIN。うぃんのうぃんなのだからいいのだ。
だからこそ──
「冗談ですよ。しかし紗耶香先生は、いたく生徒と教師の関係を気にされますね」
「それはそうだよ、世間の目は厳しいんだよ……今だって他の人に関係性が知られたら『一人の生徒を依怙贔屓している~』って言われてもおかしくないんだから……」
「ふむ」
「それに、これは楪さんのためにも言っているの。あんまり私と一緒にいると、周りの人に何言われるかわかんないよ」
「ふーむ」
思えばこの一か月、楪さんはちょっと「異常」と言っていいほど私に構ってきている気がする。授業中はもちろん、昼食時、放課後の部活動の時間(見学しに来てくださいと誘われまくる)、帰宅後も自撮りの要求や雑談など、並みの関係ではない。
私を服飾デザインの参考にしたいからアプローチをかけてきているだけかと思っていたが、どうにも他に思惑がありそうだ。内申点を上げたいためかと邪推したこともあったが、彼女は頭脳明晰・品行方正なので私の意志が介入するまでもなく成績は満点なのだ。
「とにかく、教師の私と生徒の楪さんが休日に、でっ、デートだなんて言語道断というわけですよ」
「なるほど、先生の仰りたいことは理解しました」
「そっか、なら──」
「バレなければ問題ない、ですね」
私の話聞いてたぁ!?
その後、いつものようにころころ言葉で転がされて休日デートが決定してしまったのだった。
◇
──お待たせしました。
そう声を掛けられ視線を前へ向けると、私は無意識に嘆息していた。
化粧が薄く施されているのか、学校で見るよりも遥かに大人びて見える表情は優しさの奥に色気を感じさせる。薄手の白ブラウスの上に羽織ったカーディガンは胸元を大きく押し上げ、タイト気味の黒デニムパンツから伸びる脚はこれでもかというほど長い。
彼女が軽く首を傾げるに連れて、緋色のイアリングが揺れた。
「待ちました?」
「待ってない……です」
「ふふふっ、どうして敬語なんですか」
「あの、楪さん…………ですよね」
「なんですか、それ。紗耶香先生の教え子の楪静乃ですよ」
「そうです……だよね。あはは」
「それでは、予定時刻より少し早いですが、行きましょうか」
楪さんはここへ来るまで歩いていたからか、僅かに頬を赤らめている。その顔を見て、何故か私も上気する。
もう私の中に教師だとか生徒だとかの戒めは微塵も残っていなくて(ダメな教師でごめんなさい)、ただただ、今からこの人とデートに行くんだという、言いようのない喜びと緊張が襲ってきた。
「どうしたんですか、顔が真っ赤ですよ」
「いや、なんでもないよ、行こうか」
「……? では、失礼して」
楪さんはそう言うと、何でもないように私の手を取ってきた。驚き、ビクつく私をよそに、楪さんは平然としている。
そのまま彼女に導かれるようにして、デートは始まったのだった。
「そういえば、先生」
「な、なに?」
「今の私たち、周りから見たらどう見えるんでしょうね」
「どう、って……!?」
デートの待ち合わせ場所としては有名な噴水広場で待ち合わせをし、身だしなみを整えて(ちなみに私も楪さんのような美少女と出掛けるということでそれなりに気合の入った格好をしている)、手を繋いで歩いている。
これは、これはもう────!
「こ、ここ、おい、こい、こいび──」
「やはり、仲のいい姉妹ですかね」
「だよね! 姉妹!」
危ない! 早とちりして恋人とか言っちゃうところだった!
どうにも、楪さんを見てから、思考が散って仕方がない。理性的にならねば。
そして、深呼吸して気づく──
「ねえ、それってどっちが姉なの」
「それは、私じゃないですか」
「おい!」
「ふふふふっ」
「も、もうっ!」
「あぁ可笑しい。そんなに膨れないでくださいよ、紗耶香姉さん」
笑っている楪さんが綺麗すぎて、強く出られない私なのであった。これが美人の力……っ!