十七話「私は雪女に憑りつかれた」
文化祭の七日目。最終日となる今日は日曜日ということもあって過去最大の来客数を誇っている。
初日からコスプレ広告塔要因として駆り出されていた私は連勤から外れ、ようやく休みを貰うことができた。
猫のフード付き着ぐるみに始まり、クラシックメイド、チアリーダー、ナース、魔女っ娘、小学生を歩んできた私に恐れるものは何もなかった。きっと、今の私は澄んだ目をしていることだろう。
副担任としての仕事がなくなった私は職員室に出向き、他の先生方の仕事を手伝えないかと申し入れたが────
「美雪先生、六日間も出突っ張りなんでしょう?」
「はい、生徒たちの手伝いという形ですが……」
「ならば、今日くらい監督は私たちに任せて文化祭を楽しんできてください。休息は必要ですよ」
「しかし、他の先生方に仕事を預けたままというのは────」
「気にすることはありません。美雪先生は十二分に仕事を熟されたではありませんか」
「……?」
私が首を傾げると、ベテランの女性教諭はスマートフォンの画面をこちらに向けた。
そこに映し出されていたのは『学園祭に現れた謎の幼女!? コスプレがかわいい!』の文字と添付された私の写真。
愕然とした。
目を点にしていた私の横合いから男性教諭の声がかかる。
「SNSにアップされていたらしいじゃないか。いやあ、お陰様で良い宣伝になっているよ」
「美雪先生の姿を一目見ようと文化祭にいらした方も多いみたいですよ」
なんだそれは。私の知らないところで何が起きているというのだ。
もう一度、差し出された画面を見る。最終投稿日時は昨日。投稿者の名前は……。
「Ayaka……? なぁああ!?」
やってくれたな! 彩香ちゃんでしょこれ!?
撮った写真は家族に見せないという約束だった筈なのに世間様に公開しているのですが!!
私は先生方への挨拶もそこそこに職員室を飛び出した。
◆
「あああああやああああああかあああああちゃあああああああん!!」
「うわっ、バレたっ、ちょ、ごめんって、揺らさないで」
彩香ちゃんを捕まえて肩を揺らしまくる。私の連絡を受けて学校に呼び出された彼女は随分と呑気な顔をしていた。
さすがに人目に付くところで姉妹のじゃれ合いを見せ続けるわけにもいかず、人の少ない体育館裏へと手を引いていく。
「どういうつもりなの!」
「いやあ、ごめんごめん。ちょっとした事情があってね」
「……事情?」
「うん、まあ、写真には加工も入れてるし、さや姉は心配しなくてもいいんじゃないかな?」
「心配するに決まってるでしょ! 不特定多数の人に顔がバレてしまい、教師としての自覚が足りないと炎上し、実名を特定された挙句、教職をクビになるんだ……!」
「なんという凋落ぶり。そうなったら私がさや姉のこと一生面倒みてあげるね……なーんて」
彩香ちゃんは悪戯っぽく笑ったかと思うと、次いで顎に手を当てて「むぅ」と小さく唸った。
「どこまで言っていいんだろうな……」
「何が?」
「今回の件、実は学園長に頼まれたことなんですーって言われたら、さや姉信じる?」
「はい?」
学園長とは採用試験の際に面接して以来、直接的に関わったことは無い。我が校の長は様々な界隈に顔が利くらしく、時折テレビにも出ているような人だ。そんな役職も立場も遠い雲の上の人の話が、どうして妹の口から出てくるのか?
「ねえ、彩香ちゃん……危ないことに首を突っ込んでないよね」
私の写真の話はどこへやら、私が神妙な面持ちで尋ねると彩香ちゃんはポカンと口を開けた。
「なんで?」
「だって、そんな話は初めて聞いたから。彩香ちゃんは学園長と面識があるの?」
「無いよ、そもそもこの依頼だって静乃のママ伝手に頼ま……」
彩香ちゃんは言いかけて「しまった」といった風に口を閉ざした。やはり彩香ちゃんは何かを隠している。
私が言及しようと口を開いたところで────嫌な予感が背筋をなぞった。
「あ、いた! あの子じゃない」
「え、なに、今日は教師のコスプレ?」
体育館裏に現れたのはスマホを片手にした少女たち。着ている制服は他校のモノで、どうやら一般客として参加しているようなのだが────私は彼女たちを刺客として認知した。
「彩香ちゃん、逃げるよ!」
「え、ムリ」
私の必死の呼びかけに彩香ちゃんはあっけらかんと返す。彼女は傍に置いていたトランクをポンと軽く叩いた。
「実は予定が入っちゃってさ。今日から実家に戻ることになったんだよね」
「え、今言う!?」
「はい、これ家の鍵」
ポーンと放られたのはアパートの部屋の合鍵。留守番を頼んでいた彩香ちゃんに預けていたものだ。
「んじゃ、冬休みにまた会いに行くわ」
「え、ちょ、え?」
「またねー」
彩香ちゃんはゴロゴロとトランクを引いていき、私の視界から消えていった。
そうすると、現場に残っているのは私と女子高生たちなわけで。
「あの子を捕まえろーっ!」
「待ってー! 写真撮らせてー!」
「ムリムリムリ! これコスプレじゃないし! 本職だし!」
文化祭最終日、逃走劇第七幕(毎日逃げてる)が繰り広げられるのだった。
◇
午前十時。
女子高生を振り切った私は二年A組────私が副担任を務めるクラスを訪れていた。コスプレ広告塔という出し物の特性上、クラスの子は外に出ているため教室には誰もいない。身を隠すにはもってこいの場所だ。
しかし、誰もいないと思っていた教室には先客が一人だけいたらしい。
「あら、紗耶香さん?」
「ん?」
膝に手をついて一呼吸入れていると、頭上から聞き心地の良い声が降ってきた。見上げると、そこには息を呑むほどに美しい顔があった。
薄く化粧の施された頬は白く、唇に挿した紅が映えている。白装束を纏った姿は艶麗で、高校生らしからぬ色気を出している。
「静乃ちゃん?」
「なんでしょう?」
「いや、確認のために呼んだだけ」
あまりにも普段の姿とはかけ離れているため別人なのかもと思ったが、彼女は確かに静乃ちゃんだった。
「今日はクラスの出し物に?」
「はい。これまでは部活に注力していたのですが、流石にクラスの出し物に参加しないのは示しが付かないと思いまして」
「そんなことないと思うけど……」
静乃ちゃんは茶道部とテニス部の掛け持ちだ。その上、クラスの出し物の企画長まで勤めているのだから多忙のほどは想像できない。
自分のクラブ活動が忙しくてクラス展示に参加できない子も沢山いて、それは皆も分かっているはずだから。
「紗耶香さんはお休みですか?」
「まあね。何かが私の知らないところで起きているみたいだけど」
「……? あ、そうだ。今からこの姿で宣伝活動を行おうと思うのですが如何ですか」
くるり、と静乃ちゃんがその場でターンを披露する。白装束の裾がふわりと舞い上がり、瑞々しい静乃ちゃんの太ももが覗いた。
「テーマは雪女です。雪色の和装が用意できれば良かったのですが、母の会社に持ち合わせが無くて。これだと雪女ではなく幽霊ですよね」
はぁ、と溜息を吐いた静乃ちゃんは胸の下で腕を組んだ。ゆるやかな衣装を押し上げて尚主張する魅惑の果実に私の目は釘付けだ。なんだあれ、私の百倍くらいの質量があるのでは……いや、ゼロを百倍してもゼロだった。
「…………」
「紗耶香さん?」
「……なんかヤダ」
「ええと、お眼鏡にかないませんでしたか?」
「ううん、そうじゃなくて……」
静乃ちゃんの姿は美しい。否、美しすぎる。
丁寧に手入れされた透き通るような黒髪も、化粧の施された顔も、首元から覗く鎖骨も、凹凸に富んだ身体も、嫋やかな四肢も、そのどれもが完成された芸術品であるかのよう。
だから────
「他の人に見せたくない」
口から出ていたのは、みっともない独占欲だった。
私の言葉に暫く呆けていた静乃ちゃんは、ぞっとするような妖艶な笑みを浮かべた。
「ふふっ……そうですね、少し過激でしたか。学校の文化祭という場所には相応しくないかもしれません」
「う、うん。コスプレするなら別のやつにした方がいいかも」
「しかし、折角ここまで準備しましたし……」
白魚のような細い指を自身の身体に這わせた静乃ちゃんは腰帯に手をかけ────緩めた。
「紗耶香さんにだけ、特別に見せることにします」
はらり、と装束を開けさせた静乃ちゃんはゆっくりと上体を前へ倒す。胸元はほぼ無防備で、しかし、大切な所は肩口から垂れた黒髪に遮られて見えない。
私は言葉もなく静乃ちゃんの姿に見惚れて、固まっていた。
いつか聞いた伝承が頭をよぎる。
雪女は美と儚さの象徴である。一方で、その美しい姿とは裏腹に精気を吸い取って人を殺してしまうという話もあると。
人は美しいものに惹かれてしまう。例え、それが危ないものだとしても────
「はい、冗談はここまでにしておきましょう」
私が静乃ちゃんに手を伸ばしかけたところで彼女は帯を締め直し、さっさと別の衣装を取りに行ってしまった。
私は咄嗟に蹲り、ポカポカと自分の頭を叩いた。
「バカバカバカ。私は教師、静乃ちゃんは生徒」
自分に言い聞かせるように呟く。
たとえ静乃ちゃんが幼馴染で、私を慕ってくれていたとしても、この感情はダメだ。
想うことは止められない。仕方がない。でも、それを表に出すことは許されない。
私は静乃ちゃんが戻ってくるまで邪念を追い払うことに集中した。
一段落目『文化祭の七日目。最終日となる今日は日曜日ということもあって過去最大の来客数を誇っている。』
この二文だけで四種類の「日」の読み方が含まれているんですよね。日本語って凄い。




