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十二話「しーちゃん」

『あーした てんきに なーあれ!』


 ポンっと飛ばされた私のビーチサンダルは大きな放物線を描く。

 後を追うように二足、三足のクツが飛ぶが、どれも私のものには遠く及ばない。


「わー! またさやかお姉ちゃんが一番だ!」

「クッソー、なんでこいつに勝てないんだよー」

「こいつとはなんだ、こいつとは。私はこう見えても一番お姉さんなんですー!」


 小学四年生の夏休み。私と彩香ちゃんはおばあちゃんの家に一か月間泊まることとなった。家にいても特にすることがなかったため、妹の彩香ちゃんを連れて近くの公園で遊ぶことにした。

 公園では小学校低学年以下の子供たちが遊びまわっており、連日通い詰めるうちに、いつの間にか私は子どもたちのお姉さん兼遊び相手として認知されるようになっていた。


 私は立ち上がって他の子にブランコを譲ると、ケンケンの要領でぴょんぴょんと跳んでサンダルを拾いに行く。二十メートルほど飛んで行ったそれは大きな木の下にまで到達していて、取りに行くのも一苦労だ。

 と、そこで私は木陰で(うずくま)る少女を視界に収めた。


「ねえ、そこの女の子! 私のサンダル取って!」


 声に反応して顔を上げた少女は、私の姿を認めると────その目に涙を浮かべた。


「ええっ!?」


 泣かせる気など毛頭なかった私は面食らって片足裸足ということも忘れて駆け寄る。


「どうしたの、大丈夫?」


 私はその子を抱きしめて、ぽんぽんと背中を叩いて慰める。小さな体だ。おそらく園児ほどの年齢だろう。

 暫くして落ち着いたのか、少女は私から身体を離した。改めて見ると、ものすごくかわいい子だ。細く綺麗な黒髪に人形のような大きな目。お姫様という言葉が頭の中に浮かんできた。


「ご、ごめんなさぃ……」

「いや、こちらこそごめんね、もしかして体調が悪かったりした?」


 私の言葉に女の子はふるふると頭を振って「おどろいただけ……」と掠れるような小さい声で呟いた。

 なんというか、内気な子だな、という印象を持った。


「えっと、お父さんかお母さんはいる?」

「いない……」

「そっか……そうだ、私たちと一緒に遊ばない?」

「やだ……」

「あ、え、うん、ごめんね」


 私は裏返っていたサンダルを履きなおして、そそくさとその場をあとにした。

 その後、私は公園の隅でポツンと蹲る少女をずっと気にしていた。


 ◇


「ねえ、やっぱり一緒に遊ばない?」

「うぅ……」


 翌日も黒髪の少女は木陰に一人。私はどうしても居たたまれず声をかけたが、その反応は鈍い。

 良い返事は期待できなさそうだと諦めて子どもたちの輪に戻る。


「さやかお姉ちゃん、きのしたちゃんとおともだちなの?」

「きのしたちゃん?」

「アイツのことだよ、いっつも木の下で一人ぼっちのやつ。遊びにさそっても、ちっとも返事しないくせにずっとこっちのこと見てるんだぜ。公園のゆーれいじゃないかってみんな言ってるんだ」

「返事もしないの?」

「そうそう。話しかけても無視なんて感じ悪いよね」

「ふーん」


 返事すらしない、ね。

 私が引っかかりを感じていると、ぽつりと頬が濡れた。


「うわ、やべー! 雨だ! 帰れー!」

「わー!」


 突如として降り始めた雨に子どもたちは散り散りになった。傘なんてものは当然持ってきていないので、急いで家に帰らなければならない。


「あやちゃん!」

「さやねー!」


 砂場で同年代の女の子と遊んでいた彩香ちゃんを回収し、手を繋いで帰路を走る。

 走って五分もしないうちにおばあちゃんの家に着いた私たち。玄関まで彩香ちゃんを送った私は傘を二本引っ掴むと、再び公園へと走り出した。


「ハァ、ハァ……やっぱりいた」


 雨の降りしきる公園は閑散としていた。しかし、誰もいないわけではない。

 公園の端に佇む大きな木。その下で「きのしたちゃん」が体育座りで雨露を凌いでいた。


「おーい」

「……!?」

「おうちに帰らないの?」

「う、うん……」


 私が声をかけると少女はおどおどしながらも反応してくれた。

 少女の髪の毛は肌に張り付いていて、明らかに濡れている。寒いのか、小さな体躯は震えていた。


「おうちにかえっても、だれもいないから……」

「そっか」


 他人の家庭事情には踏み込むべきではない。それは小学四年生の私でも弁えていた。

 だが、放っておくわけにはいかないだろう。


「それじゃあさ、うちにおいでよ」

「え、でも……」

「雨が止むまででいいからさ。()()()()と一緒に遊ばない?」

「ぅ、()()()()()……」

「にしし、じゃあ、これ傘ね。あ、それともお姉さんと一緒の傘に入る?」

「いっしょにはいる……」

「あいあいがさだね」


 私は少女の手を取り、同じ傘に入る。


 昨日の天気占いは悪いものでもなかったのかもしれない。


 ◇


 お風呂から上がった私と「きのしたちゃん」は縁側に腰を並べて茶菓子を()んでいた。おばあちゃんには説明をしていないが、色々と察してくれたらしい。彩香ちゃんはリビングのソファで昼寝をしている。

 私は軒先からの雨垂れをぼんやり眺めながら口を開いた。


「せっかくだからさ、あなたのことを色々教えてほしいな」

「う、うん」


「きのしたちゃん」は未だにビクついているが、最初に比べれば幾分か警戒心は解けているようで、どもりながらも小さな声で自己紹介を始めた。


「えっと、おなまえは、ひいら……じゃなくって、ゆじゅ、ゆず…………」

「ゆっくりでいいよ?」

「…………『しー』っていいます」

「えーっと、『しーちゃん』って呼べばいいかな?」

「うん」


「きのしたちゃん」はあだ名だったということか。木の下にいつもいるから「きのしたちゃん」。

「きのしたちゃん」改め「しーちゃん」は尚も自己紹介を続ける。


「よんさいです。すきなたべものはオムライスです。にがてなたべものはトマトです」

「そっかそっか。教えてくれてありがとうね」


 慈しむようにそっと頭を撫でると、しーちゃんは(くすぐ)ったそうに笑みをこぼした。


「おねーさんのことも、おしえて」

「んふふー、いいよ」


 私は居住まいを正してしーちゃんに向き直った。


「私の名前は美雪紗耶香。さやかお姉ちゃんと呼んでください。今年で十歳になります。好きな食べ物はしーちゃんと一緒でオムライスです。苦手な食べ物はセロリで、しーちゃんと一緒でトマトも苦手です。」

「いっしょ……?」

「そうだよー、お揃いだね」

「いっしょ!」

「えへへー」


 私としーちゃんは手を取り合って笑いあう。年相応にはしゃぐしーちゃんはとても愛らしい。

 これならいけるかも、と私は踏み込んだ質問をすることにした。


「しーちゃんはさ、いつも公園にいるけど、どうして私たちと一緒に遊びたくないの?」

「う……」

「こ、答えたくないなら答えなくてもいいよ!」


 笑顔から一転、しーちゃんが眉を八の字にしたのを見て私は慌てて言い繕う。


「し、()()は……おともだちがいないから。ダメな子だから……」

「ダメな子? それ、誰かに言われたの?」

「ううん、でも、しーはダメな子だもん。たしざんもできなくて、さかあがりもできなくて、おしゃべりもにがてだもん」

「えぇ…………」


 私は絶句した。しーちゃんが列挙した内容は、およそ四歳の女の子が出来得ることではない。

 出来なくて当たり前のことが()()()()()だと気づいていないから自己否定をしている。


「私はしーちゃんがダメな子だとは思わないけどな」

「ダメな子だもん!」

「ダメな子じゃないよ!」

「おともだちいないもん! ダメな子だもん!」

「そんなことないよ!」


 ダメな子、ダメな子じゃない、繰り広げられる押し問答に先に痺れを切らしたのは年上の私だった。


「ううぅぅ、にゃあぁぁぁあぁぁ!!」

「さ、さやかおねーちゃん……?」


 爆発した私は目の前のか弱い女の子を胸の内に抱きしめる。

 抱きしめながら、頭をぐしゃぐしゃと撫でまわした。


「しーちゃんがやりたいこと、全部できるようになるまで私がつきっきりで面倒見てあげる! だからもうダメな子とか言わないの! 私が、しーちゃんのお友達に、お姉ちゃんに、先生になるから!」


 私は顔を真っ赤にしながら、いつまでもいつまでもしーちゃんを抱きしめ続けた。


 ◇


 その日から私としーちゃんは「秘密の特訓」を実行した。特訓と言っても大したことはしていない。ひらがなの書き取りや簡単な足し算、人が少なくなった公園でかけっこや鉄棒の練習をするようになった。


 しーちゃんの家に何度かお邪魔することもあったが、生活感のない部屋だった。一応しーちゃんのお母さんはいるらしく、毎日毎食分の作り置きが冷蔵庫に入れてあった。しーちゃんのお母さんは日が昇る前に仕事へ行き、日付が回ってから帰宅するらしく、しーちゃんがお母さんと顔を合わせるのは一週間に一度程度だそうだ。

 私としーちゃんが知り合って一週間ほどしてから、しーちゃんはおばあちゃんの家に泊まるようになった。どうやらおばあちゃんと、しーちゃんのお母さんとの間で話し合いが行われたらしい。


 私の妹である彩香ちゃんも交えて三人でおままごとをする頃には以前のような内気な様子は見られず、はっきりと自分の意見を主張できるようになっていた。ただ、彩香ちゃんとしーちゃんは相性が悪いらしく、よく喧嘩をしていた。


 ◇


「それでは今からテストを返します」

「はい!」


 夏休み最終日。活き活きとした笑顔を見せるしーちゃんは元気に手を挙げた。


「結果は~百点です!」

「やったー!」


 ガシッ、と私としーちゃんは抱き合った。

 特訓の甲斐あってしーちゃんはひらがなとカタカナ、一桁の加減算を完璧にして見せた。たった二週間程度で。

 しーちゃんにとっては決して()()()()()()ではなかったらしい。ただ単に教えてくれる人がいなかっただけ。学び方が分からなかっただけ。

 これだけ教えたことを吸収してくれると、こちらも楽しくなってくる。将来の夢の候補の一つに教師を挙げたくなるくらいには。


「すごい、すごいよしーちゃん!」

「ありがとう、さやかおねーちゃん!」


 鉄棒で逆上がりも出来るようになったし、公園で遊ぶ友達もできた。

 しーちゃんは見違えるほどの成長を遂げた。一人ぼっちで俯く女の子はもういないのだ。



 そして訪れる別れの時。

 夏休みが終わり、私はこの町を離れる。


「ねえ、しーちゃん」

「どうしたのさやかおねーちゃん」

「しーちゃんは立派な人になりました。でも、ここで歩みを止めてはいけません。次に私と会うときは、色んな人に慕われるようなお姉さんになること! 紗耶香お姉ちゃんとの約束です!」

「わかった! さやかおねーちゃんとのやくそく!」


 私はしーちゃんと小指同士で指切りを交わす。


「また近いうちに……冬休みくらいには会いに来るからね。元気でね」

「うん……あ、まって!」

「どうしたの?」

「じこしょうかいさせて!」

「え、しーちゃんのことなら大抵知ってるよ?」

「はじめてのときちゃんとできなかったから! おねがい!」

「なるほど、そういうことならこちらからもお願いしようかな」

「やった!」


 満面の笑みを浮かべるしーちゃんは私から一歩距離を取ると、姿勢を正した。

 すぅ、っと大きく息を吸って────




 こうして可憐な少女との一夏の思い出は終わりを迎えた。


 だが、その年の秋を迎える頃、おばあちゃんからの手紙でしーちゃんが引っ越したことを知った。


 その後、ついぞ私としーちゃんが公園で遊ぶことは無かった。


 ◆


 私としーちゃんが出会った公園の木の下。

 私は幹に身体を預けて、ほろほろと涙を零していた。


 全部思いだした。


 しーちゃんに伝えたいことはたくさんある。

 忘れていてごめんなさい。

 約束を覚えていてくれたんだね。

 もう一度私に会いに来てくれてありがとう。


 時間の流れは残酷で、私はすっかりお姉さんではなくなって……妹キャラになってしまったけれど、貴女は誰からも頼られる立派なお姉ちゃんになれたんだね。


 僅かに視線を持ち上げると、雲一つない夏空が広がっていた。

 その快晴を見て思い浮かべるのは、キラキラと輝く彼女の笑顔。


『わたしのなまえは、ゆずりは しずの、よんさいです! しーちゃんってよんでください!』


「また会えたね、しーちゃん」


 私は日傘を開いて、歩き出す。

 早く帰ろう。帰って、自慢の生徒がいてね、って家族に教えてあげるんだ。

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