七夕の鳥
ザーザーと雨が降っている。
約四日前の午後から降り出した豪雨は、西の空から東の空まで、切れ目なく空一面を覆い尽くした。
今日は七月七日。木曜日。言わずと知れた七夕の日。いつから続く風習かは知らないが、大体千年前にはあったであろう、二人の別居夫婦の唯一の面会日だ。
確か二人の夫婦があんまりにもお互いを愛しすぎて、仕事をしなくなったからどっかの偉い神様が二人を引き離したという話だった気がする。そんな昔から彦星、織姫といった神様ですら社会の歯車としてしか認識されてなかったのかよ、というかそういう純愛の方が今の何かを優先するよりも大切じゃね? それ以上に人生(神生?)の先輩としてもうちょっと何かほかに話で解決するとかあるだろうとか、最初聞いたときから俺は二人を引き離した神様に対して悪感情しか抱かなかった。
かつての日本人が考え出したのか、それとも大陸の方から伝わってきたのかは定かではない。だが、少なくともこの話が今も根強く幅広い人々の中に覚えられ、息づいているのは事実。
故に、この日に雨が降れば、多くの人間は悲しむし、逆に晴れれば、多くの人間は「良かったねえ」と呟くのだ。もしかしたら、その日に晴れていたら自分の願い事が叶いそうだからという世知辛い一面もあるかもしれないが、どうせ人間というのは自分のことしか考えることはできない。主観しかない生き物なのだ。ついででも誰かの幸せを祈ってる分だけましだろう。
そしてそんな俺はというと、全く彦星、織姫のことなど考えることもなく、雲がかかったら月を見ながらの酒の一杯が飲めないじゃんかと、また随分と器の小さく、了見の狭いことを考えながら、自分のマンションに向かって歩いていた。
バイトから帰る途中に寄ったコンビニで、持ってきた傘を盗まれるというまさかのアクシデントが発生し、取り敢えずやけになってビールを一缶、つまみが代わりにチーズを買って、ずぶぬれになりながら歩いて帰ることにした。
洗濯が面倒になったが、どうせ今日は月を見ながら酒を飲むなんて言う風流なことはできないのだ。それなら雨に打たれながらの酒だって悪くは無いだろうと、下手くそな鼻歌を歌いながら街灯少ない、暗い夜道を歩いて行く。
道に面した木造家屋の大きな窓からは、明るい電球の光が漏れておりところどころ道の輪郭は認識できたので、歩けないなんて程でもない。さっきから端々に当たる雨粒は結構どころじゃなく激しいせいで、目を開けることできずに、まともに前も見通せない。
半そでの腕の表面に当たる雨粒は痛く、足はその雨の勢いと、水を吸ったズボンの相乗効果で一歩一歩に大きく体力を削られる。
雨のせいで体温を奪われるらしく、体はだんだんと眠くなってくるが、これがさっきから飲んでいる酒のせいなのか、はたまた無駄な思考につぎ込んだ脳の疲労が引き起こした反射の症状なのかは俺には判断がつかない。ただわかるのは、今の自分が柄にもなくセンチメンタルになっているということだ。
半分くらい自分のことを笑う成分を含みながら、鼻歌に少々強いアクセントをつけていく。雨の音にかき消されない様に、自分の苛立ちをぶつけた後がこの夜の中に残るように。
だから本来は気づくはずもなかった。建物の陰に、雨宿りしている金色に光る鳥の姿になんか。
「あ?……何でお前光ってんだ?」
「え? わ、私のことが見えるので?」
俺の疑問の声に、話しかけられた格好になった金色の鳥は、気弱な中年のおっさんみたいな声で返事をする。
何か無条件でイラつく声だな、とか思ってるといきなり鳥は雨の中を羽ばたいてどこかに行こうとする。
何となく、そのまま手に持ったビールの缶を思いっ切り投げて命中させる。
ガスッ、ベシャッ
「おい、大丈夫か?」
「それ、やった本人が言いますか!?」
心配しただけなのに何か怒られた。まあ、やったことを思えば当然の反応である。とは言えそれで罪悪感を感じてやるほど今日の俺は優しくも高潔でもない。どっちかっていうと今日は何かを壊したいほどにイラついていた。
「うるせえな。ついでに捌いて干すぞ。今日は酒のつまみが足りなかったんだ」
「な、なんですか!? 最近の人間というのはここまで極悪非道だなんて聞いてませんよ!?」
何か鳴き声が混じったような叫び声を不快に感じ、取り敢えずじたばたしてる鳥の首根っこを引っ掴んで建物の陰に雨宿り。
「まあ、大体はあってんな。というか人間なんてそうそう昔から変わってねえよ。お前が千年か万年か何年生きてる不思議動物か知らないが、どうせ昔からこんなもんだったはずだ」
「何滅茶苦茶な理論ぶち上げてんですか!! 少なくとも千年前はもっと経験で純朴な人間が多かったですよ」
「阿呆。そりゃただ現実を良く知らない汚れてない奴だけだ。今の世の中。インターネットで便利になったせいで、どいつもこいつもすぐに負の情報を受けて汚れて純粋じゃなくなっていくんだよ」
「何それ、怖い!!」
よくわかんない鳥と一対一で会話していく。その半分くらいはどうでもいいことで、さらに半分はもっとどうでもいいことだった。ロクなことを話していない。
そうやって話していくと、なんかこいつが自分は神様の使いの鳥だとか言い出した。
「どうした、金箔。遂に頭もいかれたか?」
「なんですかその名前!? ていうかそもそも私とあなた初対面じゃないですか。頭おかしいとか判断される前情報無かったはずなんですけど!」
「そりゃそうか。お前最初っから頭おかしかったんだな」
「聞けよ! 人の話」
「人じゃねーじゃん」
そんな風に脱線した会話を繰り広げていく俺と鳥。まともな状況じゃないし、どうせ俺の酒で見た幻覚とかなんだろうが、どうでもいい。今日は雨のせいですこぶる機嫌が悪いのだ。八つ当たりの対象にしてやる。
「いいか? もしお前が本当に神の鳥とかだっていうんなら俺はきれいさっぱりお前を真っ二つに切ってやる」
「な、なんでですか」
「あ~? 理由は簡単だ。人の恋路を邪魔する奴は蹴られちまえっていうだろうがよ。俺は七夕で彦星と織姫に嘘を教えた鳥のことが全然好きじゃねえのさ」
「う……」
「大体考えてもみろよ。そういった仕事に手つかずになるくらいお互いがお互いに夢中になったんだったら、そいつらに愛の神様でもなんでもさせればよかったじゃないか。というかそんなに好きあってるんだったら、仕事を代わりの奴に引き継がせて引退させてやれよ。人間大事なのは役割を果たすことだけじゃねえだろうが、どっちかっていうとお互いを思い合うとかいったそういう感情の方が大切だろう。まあ、そんなことを抜きにしても、一年に一度しか会わせないというねじまがった情報を教えた鳥に関しては八つ当たり気味の怨みしか感じないだけだけどな」
「………………」
金色の鳥は長い間黙っていた。
そして雨も少々弱まってきたところでようやく口を開く。
「貴方は……神が果たすべき役割を果たさないといけないだとか考えないんですか?」
今までの気弱な声とは違う、芯の通った声。だが、それに含まれた気迫程度じゃあ、俺は怯まない。
「役割なんて誰かに押し付けられるもんじゃないだろう。理不尽な選択肢の内からどうしても嫌でも選びぬいたのが役割だ。それが嫌になったんだったらどうでもいい。ほっといてやれよ」
「それで世界の調和が乱れるとしても?」
「たった二人を自由にも合わせることもできず、雨が降れば一年に一度のチャンスすらも摘み取るような調和なんざ崩れちまえ。その程度で何が世界だ」
日頃の鬱憤が溜まっていたのだろうか。思いのほかすらすらと考えていることが口をついて出た。
実際に、一年に一度しか会えないというのなら、せめて雨が降らない様に雲を晴らすとかいった配慮くらいしてやればいいのに、それすらもしない天の神とやらも気に入らない。
神の鳥に意見できるようになるのだから酒の効果は偉大だな。どうせ夢だと割り切っても、ここまで自分が言えるようになるとは思わなかった。
「……分かりました。なんとかしてみましょう」
「お? よく分かんねえが、頑張れよ?」
なんか突然強い決意を秘めたような声で鳥は呟き、何処かに向かって飛んでいく。
俺としても、もうすでに鬱憤は晴らしきった後なので、特に止める理由もない。というか最初にビールを投げてまで止めた理由ってなんだっけ。
「まあいいか、俺も帰ろ」
そして俺は完全に雨の止んだ帰り道を歩いて行った。
一週間後、その日の俺は偶々図書館にあった新聞をとる機会があって、そこで読んだ一面に「星の並びが変わったか!?」という記事があったのを確認した。
なんでも、彦星と織姫をかたどっていた星が他の星と入れ替わったらしい。
「ふうん」
それを読んで、俺は「あの鳥もたまにはいい仕事するじゃん」なんて頭の端で考えて、取り敢えず「ありがとう」とどことも知れぬ空に祈っといた。
嘘だが。