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魔法使いのエリス:三角帽子と夏の星  作者: 帆立
三章:その夜に星が落ちてきて
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第9話:寄る辺無き迷い子

 シノノメが警察署から帰ってきたのは翌日の昼下がりだった。

 どうやらコルネリウス警部は味方してくれなかったらしい。エリスと半日ぶりに再会した彼は憔悴しきっていた。目の下にはくま。髪は脂ぎって荒れ放題。腰からずり落ちた太刀も直さないまま、先端を引きずっていた。


「やっと自由になれたぜ。クラウスの奴め『お前は何度俺に手を焼かせるつもりだ』だと。そんなの俺だって聞きてーよ。それが幼馴染みに対する台詞かよ」

「わたしたち、牢屋に入れられたりはしませんよね?」

「そんな心配よりエリス、今朝の訓練はちゃんとやっといただろうな。午後の修行はナシにしてやるから風呂屋に行くぞ。汗臭くてたまらん」


 自分で服の臭いをかいだシノノメは「うえっ」と舌を出した。


「桶と石鹸をバラードさんから借りておきますね」

「……お前、風邪ひいたのか? ところどころ鼻声だぞ」

「わたしはいつもどおりですよ。あはは」


 エリスは笑ってごまかした。

 付近にいるだけで汗の酸っぱい臭いが漂ってくる。

 シノノメが背を向けている隙をついて、彼女は密かに鼻をつまんでいた。


「シノ先生、どうぞ。濡れたタオルです。冷たくてすっきりしますよ」


 家政婦のバラードと一緒に食器を洗っていた『星の王女さま』が台所から現れ、絞った手ぬぐいをシノノメの頬にあてがった。シノノメは「気が利くな」と上機嫌になって二階の自室に上がっていった。


「ところでエリス。さっきの綺麗な女性は誰だ?」


 ベッドに寝転がって羽を伸ばして、ようやくその質問を投げかけた。

 エリスはしどろもどろ、まごつきながら説明する。


「えっと、ゆうべ……魔法円の上に……その、倒れていたんです。すっごく綺麗な人ですよね。もしかすると宇宙から落ちてきた、どこかの星の王女さまなのかもしれません。自分の名前も何もわからない、って言うので、一応ここまでついてきてもらいました……ダメでした?」


 眠たげにしぼんでいたシノノメの両眼がみるみる膨張していく。


「召喚術に成功していたのか」


 ベッドから飛び起き、階下にとんぼ返りする。エリスも慌てて彼を追いかけた。


 エリスが連れ帰ってきた艶やかな女性――通称、星の王女さま。

 彼女は中庭の共同水場でバラードと仲良く衣服を洗濯していた。

 洗濯板を擦り、弾ける水しぶきに夏の日差しが輝いている。むき出しの白い柔肌もまぶしい。前に垂れた長い髪を後ろにやるさりげない仕草が艶っぽい。

 シノノメと目が合うとにっこり愛想を良くした。

 バラードが濡れた手を前掛けで拭く。


「シノくん、ご飯はお風呂から帰ってきた後でいい?」

「レア。そいつは何者だ」

「ダメよ、シノくん。女性を『そいつ』呼ばわりしたら」


 そいつ呼ばわりされた『星の王女さま』も憂鬱そうに頬に手を添えている。


「私、名前も住んでいた場所もぜーんぶ忘れてしまったんです。困りましたわ」


 口調から危機感は微塵も伝わってこない。


「シノ先生、今度診てくださいな」

「いや、俺『先生』って呼ばれてるけど医者じゃないから」

「あらあら、まあ。私ったらうっかりさんね。それならお勉強を教えてください」


 シノノメはさまざまな意味を含めて「なんなんだコイツは」とおののいていた。



 ◆◆◆



 市の公衆浴場で垢を落としたエリスとシノノメ、そして『星の王女さま』の三人は、帰りがてら市場に立ち寄っていた。

 午後の市場は王都や外の大陸から渡航してきた観光客が圧倒的多数を占めている。快晴の下、店員たちの呼び込みの声は一段と張り切っている。物見遊山の客たちも花畑に舞う蝶々のごとく、露店の前に立ち止まっては飛び去るのを繰り返している。


「真っ赤なリンゴね」


 記憶をなくした『王女さま』は果物屋のかごに山積みにされたリンゴを手に取る。

 そしておもむろに口元へ運ぼうとしたのを、寸前でシノノメに阻止された。


「それはここの商品だっつの。ちゃんと金払ってから食え」

「あらあら、まあ。売り物でしたか」

「記憶喪失ってそういう常識まで吹っ飛ぶのか?」


 シノノメは、ふところから出した銅貨を店主に渡す。

 エリスと王女さまはリンゴを半分ずつ振舞われた。

 赤い皮の内側は瑞々しく潤っており、断面の中心に溜まった蜜がとりわけ甘そうである。皮ごと一口かじった王女さまはうっとり目を細めた。シノノメは「喉に詰まらせるなよ、お姫さま」と冗談めかしながら、抜け目ない眼で彼女の一挙手一投足を観察していた。


「とりあえずさ、あんたの仮の名前を考えようぜ。バラードさんの言うとおり、毎回『そいつ』や『あんた』って呼ぶのもややこしいからな」

「仮の名前、ですか」


 唇に人差し指を当てながら悩ましげに唸る、記憶喪失の王女さま。

 オン……オン……と難しい顔をしながら、残っている記憶の断片を拾っている。


「『オン』という音が名前に入っていたような、そうでもないような」

「なら、あんたの名前は『シオン』に決定だ」


 驚くほどの即決だった。


「花の名前が由来だぜ。文句ないよな?」

「シオン……シオンですか」


 宝物を抱きしめるように、星の王女さま『シオン』は幾度もその名を繰り返す。


「私はシオン。私の名前はシオンです」

「よかったですね、シオンさん。可憐で似合ってますよ」

「私、嬉しくなっちゃったわ」


 感極まったシオンが背後からエリスに抱きついてくる。熱烈な抱擁の餌食となったエリスは豊かな肉感の圧迫に息を詰まらせかけていた。


「素敵な名前をありがとうございます、シノ先生」

「俺の名前は記憶に残ってたんだな」

「バラードさんから教えてもらったんです」


 あてが外れたシノノメは、つまらなそうに串刺しの焼き魚にかぶりついた。


「ですが、シノ先生とは以前どこかでお会いした記憶が……あるようなないような」

「どっちだよ」

「あるようなないような。なにぶん記憶喪失なもので、私」


 首を傾げてからシオンは「うふふ」とおっとり笑ってみせてシノノメを呆れさせた。

 己が境遇を楽しんでいる節すらうかがわせるシオンはエリスを連れ、露店が立ち並ぶ市場を時間の許す限り満喫していった。

 トゲだらけの果物に興味を示したり、吊るされた魚の干物のにおいをかいだり、小鳥が飼われた鳥かごに指を入れて戯れたり、土産物の民族的な仮面をかぶったり、通りを横切った野良猫に心を奪われたり……。

 大人の女性の美貌と、子供時代限定の無邪気さ。

 相反するはずのそれらは、シオンにはまぶしいほど似合っている。

 無垢。

 その賛辞を贈るに相応しい女性だとエリスは感じた。


「みてみて、エリスちゃん」


 シオンの手のひらには土に汚れたままのイモが載っている。


「どことなくエリスちゃんに雰囲気が似ていないかしら?」


 エリスは全力でかぶりを振って否定した。


「お前らにやるよ、そのイモ」


 二人のやりとりを見物していた露店の店主が気前よくそう言った。

 頬の長い傷跡が特徴的な、はつらつとした若い店主である。

 彼は売り物のイモの中から上等なものを選んでエリスにも握らせた。


「エリスちゃんはヴリトラのガールフレンドだからな。丁重にもてなさないと」

「わたしたち、どこかでお会いしましたっけ?」

「この前、北区の工場であいつとデートしてただろ。人が汗水たらして働いてるところで見せつけてくれてたじゃないか」


 思いもよらぬ場所で、思いもよらぬ人物に自分の名前を呼ばれた驚きに、エリスは『ガールフレンド』の部分をうっかり否定し損ねてしまった。



 ◆◆◆



 記憶が戻るまでシオンはシノノメ宅に居候することになった。

 本来なら警察に引き取ってもらうのが道理であろう。だが、シノノメが警察署に連行されたのが昨日の今日である。それに関わる身元不明の女性が現れたとなれば、いくら英雄といえど今度こそ身の上が危うい。

 シノノメは悩みの種が増えて頭痛に苛まれている。

 シオンはエリスたちと暮らせるのを素直に嬉しがっていた。

 エリスも師匠を慮りながら内心、喜んでいた。


「あなたもこっちにいらっしゃいな」


 部屋の物陰に隠れていたキアにシオンは手招きする。

 キアは一歩半という微妙な距離を残して近寄ってきた。


「シオンさん、きれいな人。オペラ歌手?」

「どうかしら。歌は好きよ。たぶん」

「ピアノが似合いそう」

「私に弾けるのかしら」

「そっか、記憶喪失」

「記憶が戻るまでお世話になるわね、キアちゃん」


 キアの頭に伸ばしたシオンの腕はむなしく空を切る。

 まさしく巣穴に逃げ込むネズミ――人見知りの少女キアは素早い動きで寝室に逃げ帰ってしまっていた。

 母親のほうは台所で食器を洗っている。共同水場から繰り返し水を汲んでくるのは重労働なので、シンクに溜まった水を大事に使っている。

 洗う食器は二人分。自身と娘のもの。

 エリスたちが使った分は戸棚に片付けられている。


「バラードさんとキアちゃんは、シノ先生たちとご飯をご一緒しないのですか?」

「私もキアも、先生のご家族じゃないもの」

「はて、なら何なのかしら?」

「私はシノノメ先生の家政婦よ」


 バラードは左薬指にはめられた銀の指輪に触る。


「ただの家政婦なの」


 自分に言い聞かせるように彼女は繰り返す。その声色は諦観とも受け取れた。

 つれない答えにエリスは落ち込んでしまう。

 それを察したバラードが「エリスちゃんは私の娘も同然よ」と補足する。

 エリスはかろうじて元気を取り戻した。



 ◆◆◆


 

 ランプを消してエリスとシオンは同じベッドにもぐる。


「空き部屋が無いので、しばらくわたしと相部屋です。ベッドは後日、シノノメ先生が用意してくれるそうです」

「嬉しいわ。独りぼっちじゃ心細いもの」

「記憶喪失って心細いですか、やっぱり」

「そうね。頭の中が空っぽで、寄る辺になる思い出がないんだもの」


 シオンの繊細なまつげが伏せられる。


「最初に出会えたのがエリスちゃんでよかったわ」


 二人で共有するベッドは狭い。

 壁に背中をくっつけて窮屈に横になっていたエリスは、ふいにシオンに抱き寄せられる。

 やわらかい腕と胸がエリスを包む。

 髪や肌の甘い匂いを思う存分吸い込む。母に添い寝してもらっていた幼少の時分が脳裏によみがえってきて、安らかな眠りにつけた。



 ◆◆◆



 深夜。

 シノノメ宅を抜け出したシオンは、夢遊病者の足取りで街の外をさまよいだし――

 黒い霧の立ち込める魔物の巣窟、瘴域(しょういき)へといざなわれていった。

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